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第二七話 初減圧(ソフトスーツ、減圧)

前話は、第二六話 初泳ぎ(ソフトスーツ、水泳、大気組成)です。

『ただいまー』

『おかえりッス先輩』


 サルバは十七号のレジャーシートに戻ってきた。その顔はプール遊びがリフレッシュになったのか非常にスッキリして、いっそ賢者のような知性と風格すら漂わせていた。

 レジャーシートで一休みしていたグーンが話しかけた。


『ロリエ先輩の様子どうだったッスか?』

『ああ、別に普通だったぜ』

『皆とツルんで遊ぶのが嫌だったとかッスかね』

『そういう雰囲気じゃねぇな、まいいじゃねぇか』


 赤道の丘が塞いでいるので直接は視認できないが、恐らく今頃は着替えている最中だろう。汚染水域から離れたサルバは丘を越えるときに、水から上がるロリエを確認していたので間違いない。

 グーンと一緒にシートで休んでいたエリスもサルバに声をかけてきた。


『サルバ先輩、私たちもそろそろ会議室にあがりたいんですけど』

『おーう、船長と姐さんに許可貰ってからな』

『いや、それが……お二人は先にあがっていってしまって……』

『へ?もういないの?』

『はい』

『んじゃこの場で最先任のロリっちに、会議室の許可貰わねぇとなぁ』


 そんな話をしていると、ロリエからの通信も入ってきた。


『会議室にあがるなら、先に向かってていいよ』

『おう、んじゃ減圧症対策終わったら向かうわ。ロリっちは対策どうする?』

『アタシはドールがあるから』

『そんじゃこっちはこっちで進めてるぜ』

『あいよ』


 エリスとグーンは初めて聞いた単語を質問し始めた。


『サルバ先輩、減圧症対策って何するんですか?』

『そうそう、つか何でそんなの必要になるんスか?』

『あーそっか、お前らハードスーツしか着た事ねぇもんな』


 この鉱山炉内部は大気圧が約千二百ヘクトパスカル、南ベイ事務所は約六百ヘクトパスカルであった。

 ハードスーツは、鉱山炉内部であってもスーツ内気圧は六百ヘクトパスカルに、つまり体内圧を六百ヘクトパスカルに保つことができる。これはスーツが密閉型だからだ。

 だから南ベイ事務所に戻っても、六百ヘクトパスカルは変わらないので、今回のケースでは減圧症にはかからない。

 一方でソフトスーツは、外気圧が千二百ヘクトパスカルの環境で呼吸するには、身体の中の内圧も千二百ヘクトパスカルにしなければならない。だからこそ空気缶の流量をいっぱいに上げて、内圧を高めていたのだ。

 すると鉱山炉内部から南ベイの事務所に来ると、気圧が六百ヘクトパスカルに下がる。身体の内圧が千二百ヘクトパスカルに慣れているのに六百ヘクトパスカルに下がるので、そのままでは減圧症にかかる。


 人間は薄い空気から濃い空気へは結構簡単に順応するが、逆への順応には時間がかかる。徐々に身体を慣らしていくしかないからだ。

 この減圧を急激に行って身体にかかる気圧が急激に下がると、血液中に気泡が生じて血栓となり、減圧症(ベンズ)になってしまう。これは、蓋を開ける前と開けた後の炭酸飲料によく例えられる、自然界では一般的な現象だ。

 生じた空気血栓は、例えば毛細血管ではかゆみやだるさを引き起こし、脳ではめまいや頭痛、肺胞では摂取できる酸素量が減るなどの症状を起こす。体のあちこちに不具合を発生させ、重篤な場合は失神や脳障害にまで発展する、宇宙時代では案外身近で、恐い症状だ。

 これの症状緩和には、時間経過、酸素吸入、減圧促進薬の服用などがあるが、応急処置として「元の気圧に加圧する」というものがある。


 すなわちソフトスーツでは応急処置として、加圧して千二百ヘクトパスカルに体内圧と呼吸気圧を上昇させて、時間経過とともに徐々に六百ヘクトパスカルまで下げること、これが有効である。

 そしてソフトスーツで加圧するとなれば、コレだ。


『そこでグーンに指令だ。十五号クルーんとこ行って、電動インパクトレンチ借りてこい』

『サーイエッサー』


 しばらくしてグーンが帰ってきた。


『インパクト現在混雑中ッス、借りれませんっした』

『あっちゃー、出遅れた』

『そんかわり普通のトルクレンチ借りてきたッス』

『いやいや、インパクトじゃなきゃ無理だっつの。借り直してこい』

『ウイッス』


 サルバのタイプのソフトスーツでは、身体にかかる圧力の調整はスーツから飛び出たタグの引っ張り度合いによって行うので、全身に均一に圧力をかけるためには部位によって引っ張り度合いを変える必要がある。そのためタグの引っ張り度合いは、締め付けボルトのトルクで調整できるようになっていた。

 そのトルクは、普段の倍の数値だ。そんなもんを手動トルクレンチなんかで締めたら、回転しないように抑えつけた場所の骨が折れる。締めた場所も折れる。

 だからこその電動インパクトレンチ(中に仕掛けたハンマーで芯を叩き回す方式の、トルクを得やすいレンチ)なのだが、当然ソフトスーツ着用者はみんな借りたがり、順番待ちが発生するのだ。

 結局グーンが借りることができたのは、三十分後のことだった。


『あー腹減った腹減った』


 一四〇〇(ヒトヨンマルマル)。鉱山炉のプールでたっぷり遊んだ十七号クルー一行は、エアロックを超えて会議室に戻ってきていた。他の船のクルーも続々戻ってきていて、あちこちから談笑が聞こえてきていた。

 グーンは傍らのサルバに話しかけた。


「それにしても、ロリエ先輩大丈夫ッスかねぇ」

『ああ、しっかり準備してきてるみてぇだかんな、大丈夫だろ』


 ロリエはドールに抱えられた大きなビーチボールの中で、直径五センチほどのビニール窓から目を覗かせていた。

 鉱山炉プールではビーチボールとして膨らませて遊んでいたそれは、直径約一・二メートルの銀色に塗装された樹脂製ボールで、直径三十センチ程度の金属輪が付いている以外はただのボールだった。

 本当は船据え付けの緊急救命カプセルだ。スーツを着ていない者が宇宙に放り出されたときに中に入り込み、救助が来てくれるのをビーコンを発しながらじっと待つためのものだ。

 ロリエはこれを大きなバッグに入れてドールに持ち運ばせていたのだ。ヘアバンドは短時間なら無線でも脳波を送信可能だった。有効範囲はたった五十メートルしかなかったが。


 現在ロリエはその中に入って、減圧の真っ最中だ。

 エリスは中のロリエに声をかけた。


「ロリエさん、お弁当ですけど、カプセル開けられますか?」

「弁当いらないけど、空気缶は入れて、足りなさそうだから」

「はい、用意してあります」

「開けたら缶を中に置いて、すぐ閉めて。三、二、一、ナウで開ける」

「はい」

「三、二、一、ナウっ、あー」

ジッ、パフッ、ピーーーーーーーーーーー

「はいっ」

ジッ、シュー、ピーーーーーーーーーーーッ。

「あーーーーー、圧力……規定値。ありがとね。あと寝るわ」

「はい」


 サルバはその様子を見て言った。


『カプセルん中で寝るんだな、二一〇〇(フタヒトマルマル)の時間いっぱいまで』

「狭そう……でもないか」

『普通サイズのカプセルだからな、ロリっちにゃ大きすぎるな』

「ところで先輩弁当ッスけど、どうします?」

『んー、無理だなー。流動食にするわ』


 ソフトスーツのフェイスガードの場合、ものを食べるにはグラスを開けなければいけないが、加圧治療をするにはグラスを閉めなければいけない。

 グラスを開けるたびにせっかく加圧した空気が減圧してしまい、しかし耳を覆うイヤーパッド部分は減圧しないで残るため、そのせいで様々な不都合が生じる。

 息は止めておかなければならず、同時に鼓膜を守るために鼻も塞がねばならず、眼球を守るためまぶたも閉じねばならず、閉めた後も再度加圧されるまでタイムラグがあり、おまけに食べ物の香りが感じられなくて美味しく感じず、加えて一口ごとにその騒ぎなので食べ終わるまでに何千秒かかるかわからない。空気缶も何缶必要かわからない。

 弁当を諦めて流動食で済ませたほうがマシだった。


『ここの鉱山炉に減圧室がないのが、問題なんだよなぁ』


 とはいえ、よほど頻繁に減圧を行わない限り、減圧室を設けている施設のほうがまれだった。だからそのサルバのぼやきは、明らかに不当なものだった。

 もっとも普通のエアロックには減圧治療ができるモードも付いていたが、その間エアロックが使えなくなるオチがついていた。減圧促進薬を飲めば六百ヘクトパスカル程度なら六時間で減圧できるとはいえ、普通は行わなかった。

 そう、普通なら。


 一五〇〇(ヒトゴーマルマル)

 ソフトスーツの圧力を徐々に緩めるため、三十分ごとにインパクトレンチを借りては緩めて締め直す作業に辟易(へきえき)したサルバは、面倒臭くなって「自分もカプセル膨らませて減圧する」と言い出した。

 救命カプセル自体はどの船の荷台にも積んでいるので、入手は簡単だった。

 ところが、そのカプセルを誰が船まで持っていくのかという問題で揉めた。小柄なロリエなら減圧中でも船に持っていけるが、それなりに図体の大きいサルバを船以外で減圧し始めたら、持っていくのはグーンひとりの役目となる。ロリエドールはロリエ自身を持ち、エリスは弁当の残りやレジャーシートを持つ。グーンとしては御免だった。

 そんなわけで、「あらかじめ船の中でカプセル減圧しよう」と主張するグーンと、「中は無理だ、そんなに言うなら行ってみろ」と主張するサルバと二人で、桟橋係留中の十七号船にやってきたという訳だ。

 グーンは壁に耳を当てたサルバに声をかけた。


『先輩どうッスか』

『ほらな、姐さんの減圧中で入れねぇ』


 サルバは壁から耳を離して、そう言った。確かにエアロックには使用中のランプが灯っていた。

 南ベイに戻って大人しく二一〇〇(フタヒトマルマル)まで待つのが得策なんだろうか。


『船長はどこ行ったんスか?』

『一緒に中で減圧してるに決まってんだろ』

『え、あの狭いエアロックに二人?無理っしょ、事故ってませんよね?』


 しかしエアロックの中の物音は、再び壁に耳を付けたサルバの骨伝導マイクを通じて、グーンの耳にも届いていた。

 ペッタン、あん、ペッタン、あん、ペッタン、あん。


 大宇宙に、サルバとグーンの生唾を飲む音がこだました。



次話は、第二八話 初提案(定番の遊び、スポーツ)です。

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