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第二六話 初泳ぎ(ソフトスーツ、水泳、大気組成)

前話は、第二五話 初慰労会(船長就任の経緯、ドール)です。

「わかったね、今後二度とウカツなからかいを他人様(ひとさま)にするんじゃないよ」

「イエスマム」


 ソフィがライフリーを説教し終わったようだ。微小重力下では足はそれほど圧迫されないので痺れないので、二人は正座の体勢からスクッと立ち上がっていた。もっとも船長はハードスーツを脱いで力加減の勝手が違うのか、立ち上がった拍子に宙に浮いていたが。


「さてお説教おしまい。みんなで鉱山炉行こうか」

「おう!」


 ソフィのその言葉に、みんなが返事をしていた。

 一方返事まではしなかったロリエは、目を輝かせた。しかし表情には出さない。


「んー?ロリっち何か嬉しそうだな」

「なんでもないよ」


 サルバが絡んできたが、ロリエはそっけなくあしらった。今はそれどころではない。


「ちょっとトイレ行くから、先に鉱山炉行っててよ」

「了解」


 ロリエはそう言って、サルバがすんなり流したことをいいことに、バッグを持って立ち上がった。

 視界の隅では、テキパキとハードスーツを着こむ船長の姿がちらついていた。


 トイレから内壁側エアロック付近でみんなに追いついたロリエは、いつものドカジャンに安全帽、顔にはエアーマスク(宇宙服を持っていない者が宇宙で遭難したときに付ける緊急用マスク)を装着していた。

 ロリエの後ろには、バッグと電源ユニットを持ったドールが付き従っていた。


「どしたんロリっち、マスクなんて被ってよ」

「アタシだって生身で中に入りたいって言ったろ、そのためだよ」

「ふーん、スーツのヘルメット付けてくりゃいいのに」


 エアロックを使うのは十七号以外にもいたが、余裕をもって入ることができた。鉱山炉の内壁側エアロックは機材用も兼ねているので、仮にメリ建作業員の三十六人全員が入ったとしても余るほどの広さがあったのだ。

 そして再び目の前に広がる、バナール球構造の鉱山炉内壁と彗星の、圧倒的なパノラマ。


「皆さん、写真撮りましょ!すいません、シャッター押していただいていいですか?」


 浮かれたエリスがコンパクトカメラを取り出して、他の船の人間にシャッターをお願いしていた。


「はいチーズ」


 撮影された写真には、内部の大パノラマと六人分とドール分の笑顔がキチンと収められていた。

 写真の瞬間に目をつぶった者はいなかった模様だ。


 そして全員で内壁まで跳躍した。慣れていないエリスはソフィが付き添い、サポートしていた。とはいえ、普段の仕事でも身のこなしを任せているバディのソフィ相手で、しかも二度目の鉱山炉入りだ。エリスは風以外で恐がることはなかったようだ。


 さすがにマミー・ポコは歳を考えたのか顔を出していなかったが、湖のそばにはほとんどのメリ建社員がいた。しかしそれでもせいぜい三十五人。直径五百メートルのスペースに散らばれば、プライベートビーチも同然だった。


「そんじゃこの場所にレジャーシート拡げておくからね、荷物はこのへんに置いておきな」

「はい」


 男性陣三人とソフィは、キャッホーとばかりに水に飛び込み、荷物を下ろして出遅れたエリスがあたふたしていた。

 ロリエはそんなみんなの様子を眺めてから、レジャーシートに近寄った。この距離では彗星から分離した砂も降ってこない。良い場所にレジャーシートを敷けたものだ。

 ロリエはドカジャンを脱いで、中に着こんでいたカッパを晒した。手足の部分はガムテープでまとめて、中に砂が入らないように処理してあった。彗星から出た砂は風化を経験していないので、太陽光で溶けなかったものはトゲトゲして人体に刺さるのだ。


 静かに湖の水に入って、温度を確かめてみた。体感で摂氏約四十度。ぬるめの風呂ぐらいある。もっともカッパ越しなので正確ではないが、生身で入れない温度ではなさそうだった。

 そうなってくると、水に入りたい欲求がムクムクと湧き上がってくる。ロリエは湖のほとりでひとり前屈の姿勢になって、バネのように思い切り飛んだ。

 ロリエはほぼ水平に飛んだつもりだったが、それでも三十メートルほども滑空して着水した。この辺りは水深約二メートルもあり、ロリエでは背が立たない深さだったが、一切動じていなかった。

 ざぶり。

 エアーマスクがずれないように気を付けて入水したおかげで、ロリエは水中でも息が出来ていた。装着している空気缶の圧力は、すでにほぼいっぱいまで上げてあった。

 水中をバタフライキックで進み、浮力で水面にザバッと出ると、反動で空中に浮きあがりそうになった。水中だけで行動できるように胸に蓄える空気の量を調節して、それでようやく安定した。とはいえエアーマスクに付けた空気缶が抵抗を生んで邪魔だった。

 水の向こうに、派手なスポーツタイプソフトスーツの足が見えてきた。ロリエはその足を水中から突然掴んでやった。足はびっくりしたようにロリエから離れて、その後すぐに全身が水に入ってきた。サルバだ。


『おう、来たかロリっち』

『ああ、やっぱり生身で入るといいな』


 その後しばらく、ロリエはサルバたちと水中で戯れて楽しんだ。


 次には、船に積んであった直径一・二メートルの緊急救命カプセルを膨らませて、ビーチボールのようにして遊んだ。

 コリオリの力を考慮に入れたキャッチボールはなかなか楽しかったが、グーンが空中高くカプセルを投げすぎて落ちてこなくなったときは、どうやれば取りに行けるかみんなで考えた。

 結局グーンをみんなで空中に投げ上げて、取りに行かせた。軌道修正の推進剤を使うなんてまだまだだ。


 ロリエはずっと船の中で寝っぱなしで、ろくに運動ができていなかったぶんを、取り戻すかのように身体を動かした。

 しかしこれはロリエが望んだ本当の欲求ではない。


『ちょっと北側の湖に行ってくる』

『ロリっち、山越えは生身にゃ危険だぜ』

『ああ、だからいっぺん着替えるよ』


 そしてレジャーシートに戻ったロリエは、鉱山炉内壁に来た時と同じく、ドカジャンに安全帽スタイルに着替えていた。今はそれに加えて、大きめのバッグを肩に斜めに掛けていた。


『ちょっと行ってくる』


 誰にともなくそう言い捨てて、ロリエとドールは助走をつけて水面を走り、そのまま小高い山を一回の跳躍でジャンプして超えていった。

 水面に着地したあとも構わず走り切り、対岸に到着したロリエとドールは、北側の湖に誰もいないことを目視確認した。わざわざこちら側に来る奴はいないことは分かっていたが。


 ロリエの心臓は高鳴っていた。

 この鉱山炉のプールを知ってから、そして内部気圧と組成を知ってから、ずっとやってみたいと思っていたこと。この現場に来てから一か月間我慢していたこと。

 でも他のみんなに知られてはいけないこと。

 それがようやく実現する。


 ロリエは、ドカジャンを脱いだ。

 そしてガムテープを再利用できるように丁寧にはがして、カッパを脱いだ。

 続いて中に着ていたソフトスーツを脱ぐ準備をした。サルバの使っているタイプとは違い、インパクトレンチで締め付けるものではなく、ロリエのスーツは体中に一定のパターンで張り巡らされたワイヤーでテンションを得るタイプのものだった。

 両すね、両腕、腰ベルトの背中側、これら五か所に設置されたテンショナーレバーは、一か所当たりテンションワイヤーを三十本近くまとめたもので、インパクトレンチのような工具が必要ない優れモノだった。しかし実はこれは案外力が必要で、本来はひとりで着脱するようには作られていないものだった。しかも体形や与圧を変更するには専用調整具が必要で、むしろ面倒な部類のものだった。ロリエはドールにテンショナーレバーを緩めさせることで、これに対応した。

 追加で締め付けていたベルトも取り外し、ドールに繋がったヘアバンドも外し、ロリエはついにソフトスーツを脱いだ。中から現れたのは、黒いビキニタイプの水着だった。

 お世辞にも肉感的とは言えないロリエだったが、その黒いビキニは、日光にさらされていない白くささやかな胸のふくらみと、メインベルトの常識では細すぎる部類に入るヒップにフィットしていて、その低身長もあいまってむしろ、怪しげな色気と魅力を醸し出していた。人によっては背徳的と表現したがるだろう。

 ロリエの装備パージは止まらない。続いて普段から低い位置で一つにまとめている脱色茶髪のゴムを外し、胸まで程度の長さの髪をほどいた。拘束を解かれた髪のひと房が顔にかかり、ロリエの雰囲気をガラリと変えていた。

 そしてその間ずっと過呼吸気味に吸っていたエアーマスクのバルブを閉めると、ちょっとためらった後に思い切って取り外した。風が頬に心地よかった。


 今ロリエは、地球上のビーチと同じ恰好で、鉱山炉プールにいた。

 そして息を止めたまま、ロリエは静かに水中に泳ぎ出た。

 水というよりぬるいお湯のプールではあったが、ロリエは感動に打ち震えていた。

 生身で感じる水の肌触り。全く焦点が合わない水中の視界。髪の毛のゆらぎ。鼻から吐き出した空気の泡が顔を撫でる感触。身体に余計なモノを着けていない解放感。

 これで遠心重力が九・八メートル毎秒毎秒程度で、大気酸素濃度が二十一パーセント程度だったら最高だった。

 あまり長い時間潜ると、水の中に浮遊している砂が目に入る恐れがあったので、念のため自粛した。


 時間にしてせいぜい六十秒といったところか、ロリエは水上に浮上した。詰めていた息はすこしずつ吐き出され、その余裕は残り少ない。

 そのまま岸に上がり、エアーマスクの酸素を吸った。酸素は体にしみわたり、気だるさを感じていた身体に力がよみがえってきた。

 興味本位でマスクを外して泳いだが、やはり水蒸気百パーセントの空気中では酸欠で即死しかねない恐怖は強く、もう外す気にはならなかった。

 そこに突然通信が入った。


『ロリっち、お前なんて恰好してんだよ』


 エアーマスクを付けてしばらく安静にしていたロリエの耳に、そんなサルバの声が入り、彼女は内心慌てた。

 今彼女は、メインベルト生活気圧の約二倍におよぶ高気圧下で、命の綱であるスーツを脱いでいるのだ。

 さきほどなど、マスクまで外していた。

 自己責任とはいえ、ささやかな満足のためだけに危険な真似を犯している行為に、ロリエは後ろめたさを感じていた。自殺願望者と思われても仕方ないほどの行為だ。

 だからロリエは思わず声を出していた。


『サル?どっから見てんだ?』

『ここだよ、下着だけで泳ぐとか痴女か?』


 見ると丘側の対岸に、派手なソフトスーツが座って手を振っているのが、ようやく確認できた。下着じゃないんだけどとロリエは心の中だけで反駁するが、もちろん口には出さない。

 サルバは水面を走って近寄ってきた。


『盗み見かよ、エロ猿が』

『バッカ、ひとりっきりで単独行動して事故ったらどうすんだ』

『そのためにドール連れてきてんだろ』

『意識喪失したらドールも動かねえだろ』


 そりゃそうだ、意識はあっても身体が動かない事態のために、念のため連れてきているだけだ。


『でどうよ、満足いったか?』

『まだ泳ぎ始めだよ』


 今度はエアーマスクを着けたまま、ロリエは水着で泳いだ。

 たったマスク一つだけで、先ほどまでの解放感はもうなかった。せめて口にレギュレータをくわえるだけのタイプで泳ぎたかった。

 それでもスーツを着ていないことはかなり大きく、自分の中の色々な不満や憤りが、この瞬間だけは水に溶けだしている、ロリエはそんな気がしていた。


 サルバはそんなロリエの水泳を、岸からじっと見ていた。

 ……わけがない。後を追ってサルバも泳ぎ出した。ロリエに教えてもらったバタ足で。

 水中から眺めるロリエは、バタ足ではなく平泳ぎのような足かきで浮遊していた。足を大きく開閉するせいで、小ぶりな尻にどんどん食い込んでいく黒い下着。だからこそ目立つ白く細い肢体。発育不全の小人症と思っていたが、サルバは考えを改めた。


『なぁサルバ』

『なんだロリエ』


 二人は珍しく省略せずに呼びかけ合っていた。

 エアーマスクで顔を覆っているのは煩わしかったが、呼吸と会話ができることは純粋にありがたいとロリエは感じていた。


『もっと気軽に泳ぎてぇな』

『もっとって、そこからさらに脱ぐのか?』

『違ぇよバカ!もっと気軽にこういう所に来てぇって言ってんだよ』

『おぉ、そういうことかぁ。さすがのサルバさんもびっくりしたぜ』

『判れよ、ったく』


 ロリエはくるりと身をひるがえしては赤道の丘方面に、そしてまたくるりと岸方面に、自由自在に泳いでいた。そのたびにひらめく手足。


『ああ、いいなぁ。もっともっと泳いでいてぇ』


 会話の間も、サルバはロリエに置いて行かれそうになりつつも追いすがり、泳ぐ姿をじっと見つめていた。

 しかしサルバはその際どい姿をいつまでも愛でていられないことを知っていた。


『や、俺はもう限界だわ、先にあがってっからほどほどにな』

『あいよ』


 サルバはこう言い捨てて、ロリエからどんどん距離を離していった。

 急がなければいけない。限界は近い。


 直径五百メートルの鉱山炉にたかだか三メートルの水の層では、ちょっと離れればすぐに姿を視認できなくなった。

 しかし空気中は駄目だ。赤道に積もった丘は低く、他のメリ建社員に姿を見られる。

 水中のサルバは、ソフトスーツと同じ柄で一体化していたパンツに手を突っ込み、やはりソフトスーツと同じ柄で覆われた、何か堅いものを水中に引っ張り出し、そして。


次話は、第二七話 初減圧(ソフトスーツ、減圧)です。

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