第二話 入社式(礼儀作法、商談会)
前話は、第一話 集団就職(居住ブロック、交通)です。
「失礼します」
グーンは港湾区画にある古びたコンクリート造りビルのドアを、緊張して開いた。
メリーズコンストラクションカンパニー。略称メリ建。今日からグーンが働く職場だった。
「今日から新しくお世話になる者です、ご案内いただけますか」
「あーはい、新入社員さんね、左手の通路を奥に行くと案内がいるから」
「はい、それでは失礼します」
グーンは学校で習った通り、言葉を相手に向けてハッキリ発声してから頭を下げる、正しいとされる答礼をした。
テレビなどでおなじみの発声しながらお辞儀をするやり方は、教官から徹底的に矯正された覚えがある。曰く、お辞儀で前かがみになると腹が押されて声がこもる。そのせいで意思が伝わらなくなることは、先方への失礼にあたる、だそうだ。
とはいえ上手くやれた自信はない。我ながらガチガチだな、グーンはそう心の中でつぶやいた。右手と右足が同時に出ないように内心気を付けたが、そんな事態には至らなかった。
気慣れないスーツの身のこなしに戸惑いながら、通路の案内係に導かれ、会議室のドアを開けた。
思っていたよりも広いその部屋にはずらりとパイプ椅子が並んでいて、その真ん中におおむね同年代の男女が二十人ほど、やけにちんまりと座っていた。
港湾区画は微小重力なので、パイプ椅子に座る必要もないのだけれど、たぶんこれが改まった席での形式ってやつなのだろう、そうグーンは理解した。
控えていた係員は、部屋に入ったグーンを誘導し、席へと導いた。
「それじゃそこの二十一番の席に」
「ありがとうございます」
二十一番と札の着いた席を見つけた。通路側の隣は女の子で、もう一方の隣りは空席だ。
「お隣失礼します」
「あ、はい、どうぞ」
女の子は、グーンが前を通り抜けやすくなるように、ちょっと足を引いた。
足にぶつからないようにとグーンが視線を落とすと、ダークグレーのリクルートスカートから生えた肌色のストッキングが目に入り、グーンは少しだけドキリとした。
グーンはパンパンに膨らんだバッグをパイプ椅子の下に置いてから、スーツの膝のあたりをクイッとつまみ、出来るだけ静かに素早く腰を下ろした。
とはいえ椅子に座っている安心感はない。微小重力のせいで、立っても座っても疲れ方は一緒なのだ。
一息ついても周りに特に動きはなく、手持無沙汰になったグーンはちらりと隣の女の子を覗き見た。
女の子はダークブラウンのゆるい巻き毛をうなじまでのショート気味にして、ヘアピンで留めていた。白人種特有の彫りの深い眼もとがスッキリとしていて、薄い化粧も相まって美人さんだった。
グーンは、少しだけ羨んだ。浅黒い肌に黒い縮れ毛、ご先祖様を恨んでも仕方ない。
彼女はグーンの視線に気づいたのか、こちらに眼だけを動かした。
「緊張すんね」
「うん」
グーンも背筋を伸ばして前を向きながら、そうこっそり口にしたら、彼女からの返答がすぐに続いた。
そのやり取りからほんの少しの時間の後、会議室には何人かの新入社員が入ってきて、隣りから順番に座っていった。
それが済んだころ、年かさの男女がどしどし入ってきて、新入社員たちを挟むように整列しだした。
その数、二百人前後か?とにかくいっぱいだった。
部屋に咳払いや鼻をすする音が目立つが、それは私語がないせいだ。
そのざわつきが収まってきた頃、最後に一人の中年男性が入ってきた。入社試験の面接で会った、この会社の社長だ。
「それでは入社式を始めます。一同、起立」
マイクの声に全員一斉に起立。しかし勢いあまって宙に浮くものは一人もいなかった。
「敬礼」
号令のもと、一斉に頭を下げた。無帽での敬礼は十五度の会釈、そう決まっていた。手の指は伸ばして太ももの真横に、中指がズボンの縫い目に触れるように。
全員の衣擦れの音が一致し、ザッという音がやけに大きく聞こえた。
「なおれ、着席」
再び号令があり、やはり一斉に会釈した頭を上げ、着席した。
こういった所作は、三年間の訓練校生活で繰り返し叩きこまれていたので、別業種からの途中入社じゃない限り、全員が当たり前に行えていた。はず。たぶん。
隣の女の子の敬礼のキレがイマイチだった気はするが、グーンは気にしないことにした。
社長の入社祝いの言葉が聞こえてきた。
「えー諸君、入社おめでとう。社長のリリーフ・ロワデフルールです。当社メリーズコンストラクションは初代社長メリーが創立して以来、一貫して人を育てることにこだわり続けてきました。その一方で、今日までの宇宙開発の一翼を担ってきた確かな技術も、自慢とするところであります。これから諸君は人類による宇宙開発の最前線にたち、諸先輩方と同じく……」
メリーズコンストラクション。この界隈では中堅どころの宇宙鳶の会社で、創業四十年ほどだ。
人を育てるという会社の特徴も本当のことで、裏を返せばここで腕を磨いて独立開業する者が多いということでもある。
そのため規模にしてはまとまった数の求人を採用してくれるし応募者も多いが、求人倍率が高いためそれなりに狭き門で、グーンの訓練校から採用通知が届いたのはグーン一人だけだった。
「……これをもって祝辞といたします」
「一同起立!敬礼!なおれ、着席!」
「続いて、辞令書の授受を行います。第四十二期新入社員、主席アンネ・エルディ」
「はい」
その後、一人一人が社長の前に呼び出されて、辞令書と社員証と記念品の名刺百枚小箱が手渡された。
グーンは卒業証書授与のときと同じ立ち居振る舞いを心掛けた。左手を先に辞令書にかけ、次いで右手。受け取ったら胸の前に引き寄せて、一歩下がって一礼。
席に戻って辞令書を読んだら、どうやら十七号船付きらしい。
辞令を受け取った後は、引き続いて社員向けの辞令授受が行われた。年度の切り替わり時期なので、異動となる者が多いのだろう。二十人に少し足りないほどの男女が前に出て、社長からの辞令書を手渡されていた。
そして社長が退出して、式次第は終わった。
先輩方もスーツを着慣れていない様子に、グーンは心の中だけでちょっと苦笑した。滅多にスーツを着ない職種だもんな。
式が終わった会議室のあちこちには、少人数の集団ができていた。
いくつか新人に対して呼びかける声が響く中、ひときわ目立つ女性の声が響いた。
「十六号船から二十号船の者、こちらに集合ー!」
グーンは椅子の下からバッグを取り出して肩に担ぎ、その声のほうに近寄った。
声を上げていた女性は、二十代後半ほどのキャリアウーマン風な人だった。
「私は十五号船のサラ・コバヤシだ。十五号から二十号のチームを統括する現場監督をやっている。以後よろしく。これから各船で初顔合わせを行う。以後は各船長の指示に従うように」
「はい」
ここに集まった新人八人が同時に返事をした。
隣に座っていた女の子もここに来ていた。
見ると、コバヤシさんの後ろには六グループに分かれた男女がいた。順に何号船かの名乗りを上げていて、十七号船は金髪を短く刈り上げた大男が船長のようだった。
全グループの名乗りが終わってから、新人はそれぞれのグループに合流した。
来てみれば驚いたことに、隣に座っていた美人の女の子も同じ船のクルーとなっていた。
六人の男女が輪になって並んでいる中、先ほどの大男が口を開いた。
「入社おめでとう。俺が十七号船長のライフリーだ。これからよろしく頼む。こっちはマイワイフのソフィだ」
「会社ではワイフ呼びやめろって言ってんでしょ。ごめんね、うちのバカが。アタシがソフィだよ」
そう言って笑ったのは、互いに二十代後半に見える男女だった。
ジーアイカットの短髪男性が船長、赤毛のストレートボブが奥さん、グーンはそう覚えた。
「ありがとうございます、ダェ・ヴォン・グーンです。よろしくお願いします」
「ありがとうございます、エリス・ザグレートです。よろしくお願いします」
グーンと、エリスと名乗った同期の彼女が、揃って挨拶を返した。
「おー、二人ともガチガチだねぇ。初日だから仕方ねぇけどさ、もちょっと肩の力抜きなよ」
「は、はい」
ソフィさん……船長の奥さんがそう言ってくれたが、二人は苦笑を返すことしかできなかった。
「アタシはロリエ。エリス、アンタの教育係になるよ」
次に自己紹介したのは、十歳程度しか背がないくせに妙に蓮っ葉な態度が見え隠れする、脱色茶髪をオールバックに結んだ黄色人種の女性だった。
グーンは一瞬「子供?」と思ったが、そうではないようだ。身体に比べて頭が大きく見えるうえ、声もまた見た目通り少々高いが、化粧とスーツをしているおかげなのか、小さくても二十代前半に見えないこともない。
「あーロリエ、事前に言い忘れてて悪ぃんだけどよ、ソフィに教育係まかせて、俺と組んでくれ」
「へ?なんで?」
船長がロリエの言葉を遮り、エリスの教育係をソフィに替えることを告げた。
「教育係は新人と同性じゃねぇと色々まじぃべ?でも俺とソフィはバラケろって指示が出てな」
「あーやっぱり」
ロリエは船長の言葉に、色々察した表情をした。
「そうすっと、俺かソフィを教育係にするしか選択肢ねぇんだよ。両方教育係に回ってサルバと組むの、お前やだべ?」
「やだ」
「うわ傷つく」
さして傷ついてもいない表情で、男性の先輩は突込みを入れた。
もちろん船長としては、自慢のマイワイフを他の男とバディにするつもりはサラサラないらしい。
「了解、船長のバディね」
「悪ぃねロリエ、教育係の役目横取りしちゃってさ」
「いいよ姐さん、会社からの指示じゃね」
「うん、っつーわけでエリスの教官役はアタシ、ソフィな。よろしく」
「はい、よろしくお願いします!」
ソフィとロリエに挟まれたエリスは、けなげに頭を下げていた。
「んで最後に、俺がサルバだ。……ダイ?ダエ?発音難しいな、お前の教育係になる。よろしくな」
「あ、はい、よろしくお願いしゃす。ダェ・ヴォンは姓なので、グーンとお呼びください」
その後に続けて挨拶したのは、サルバと名乗る男性だ。ラテン系っぽい見た目で、黒髪ソフトモヒカンをしている。
ほぼ平均身長なグーンとくらべて、ちょっと背が高いくらいでそれほど違わないはずなのに、やけにひょろ長く見えた。
これでひとまずの顔合わせは終わったらしい。
その矢先、船長の一声があった。
「さてと……っと。みんな、そろそろ行くべ」
「あいよ。ああ、新人の二人はここに残りな」
それにソフィがそう続けた。
残れという言葉に新人二人は、不安感をにじませた視線をしていた。
「入社式の後にゃ、銀行だの保険だのの営業が来ることになってんだよ」
「え、新人だけで対応するんスか」
「相手も長い付き合いになるんだから、強引な真似はしないよ、きっと」
「はぁ、そうなんスか……」
船長の後について部屋を出ていく一行。
「俺たちゃ外にいるけど、そんなに急いで出てくる必要はねぇぞ。ほどほどにな」
「お待たせしてご迷惑をおかけしゃす」
最後尾にいたサルバにポンポンと肩をたたかれ、グーンは不安が増したことを感じていた。
ほどほどってなんだよ……。
やがて三十人弱の新人だけになった部屋に、スーツ姿の男女がぞろぞろと入ってきた。
先ほどまで見ていた先輩方と違って、スーツを着慣れている様子のその集団は、いずれも美男美女ぞろいだった。見覚えはない。
高そうなスーツをバリっと着こなしたイケメン中年が一団から前に出て、口を開いた。
「皆さん、ご入社おめでとうございます。私どもはファーストバンク株式会社です。コマーシャルなどでお馴染みかもしれません。さて、社会人となられるにあたって預金口座を持つということはとても大切で、社会的信用を得るということでもあります。本日はクレジットカード付きのプランを中心に、各種取り揃えてまいりました。この機会にぜひお話をお聞きください」
「皆様、新社会人おめでとうございます。インディペンデント生命保険と申します」
「紳士婦人服の」「国民共済の」「資格学校」「プロ向け工具」「宇宙服」「自家用車」
うわああああああああ!
きっと彼ら営業マンにとって、新入社員が集まるこの場は美味しい狩場に見えていることだろう。
人当たりの良い営業スマイルの奥に捕食者の目をぎらつかせながら、彼らはエサを蹂躙していった。
経験の少ない新人などは、彼ら経験豊かな狩人の前には無力だった。
何分、何時間がたったか、よく分からない。
グーンはクレジットカード付き銀行口座、積立型生命保険、財形貯蓄一口、共済一口、礼服一式を契約して……契約させられて?いまだ居残る同僚を尻目に、ほうほうの体で社屋から逃げ出していた。
一つ分かったことは、このために新人の名刺百枚を会社が用意した、ということだった。
なおエリスは、グーンに先立つこと一時間前に、すでに狩場から脱していたことは、ここに特記しておこう。
次話は、第三話 入寮式(施設)です。