第一六話 初筋肉痛(男性生理)
前話は、第一五話 初見学(ドール、鳶仕事)です。
〇四〇〇。第二食の時間だ。
それまでドール視点モニターを楽しんでいたグーンは、いつのまにか鉱山炉ランニングの筋肉痛が襲っていたことを自覚した。
「あ、あいででで」
「どしたん?」
「痛くて力が入んないッス」
「……具体的にどこの部位だ!?」
「すねと太ももと腹筋と背筋ッス」
「なーんだ、急病心配して損したぜ。どうせ鉱山炉ではしゃいだ筋肉痛だろ」
ギャレー(調理室)の床でゴロゴロと筋肉を弛緩させたことが引き金になったのだろう。グーンは役立たずな自分に恥じ入ったが、サルバは特に気にせずこう言った。
「筋肉痛ほぐすにゃ体操が一番だ。船長帰ってくるまで体操やっとけ」
「了解ッス」
痛む筋肉に無理をさせないように注意しつつ、その場で学校に伝わる体操を行った。
その間にサルバは、一班の船長とロリエと彼ら自身の、四人分の食事を用意して、ギャレーのテーブルに配膳していた。
「イチ、ニッ、サン、シッ、ニイ、ニッ、サン、シッ」
だんだんと身体がほぐれて動くようになり、痛みは残るものの動作に支障が出ない程度になった。
体操が終わりきる前に、船長が帰ってきてエアロックから顔を出した。
「たでぇまー、って何やってんだ」
「あ、お帰んなさいッス、筋肉痛ほぐす体操ッス」
「なんだよ筋肉痛とかよ、若ぇのに」
「や、しばらく資格試験勉強で身体なまらせったんで」
グーンに声をかけた船長は、そのままトイレに直行していた。その間にキャビン(乗務員室)からロリエがひょっこりと顔を出してきた。
「ロリっちおっつー。今回はタラのムニエルとフランスパンだ。好物だろ」
「ロリっち言うな。まぁ嫌いじゃねぇけどさ」
ロリエが来たことに気が付いたサルバが、そう声をかけていた。ロリエはその切れ長の目でサルバをひと睨みしながら声を返した。
グーンが体操を終えて、ひとしきり体の具合を確かめてからテーブルに着いたあと、船長がトイレから出てきた。
ゴツい手袋を小脇に抱えながらウェットティッシュで両手をぬぐい、船長はテーブルにゴトゴトンと手袋を置いて口を開いた。
「まずは食事にしちまおう」
「そっすね、いただきます」
「いただきます」
タラのムニエルは小麦の衣と塩コショウがほどよくマッチして、これもまた美味しかった。
食事をつづけながらも、船長によるサルバへの作業進捗の報告が続いていた。
「足場はあらかた組みあがったぞ。あと残ってる区画がどのくらいかだけど、お前ら三班の出番まで残ってないはずだな」
「ありゃ、新人の初仕事なくしてきちゃったんすか、意地悪っすね」
「馬鹿おめぇ、ちゃんと仕事は残ってんだろ」
「確認作業って、一番新人に任せらんない部分じゃないっすか」
「レンチあてる練習にゃ最適だろ」
船長の報告にサルバが返事している横では、グーンがロリエに話しかけていた。
「ロリエ先輩、見学させて貰いました、ありがとうございます」
「ああ、どうだったよ」
「いや凄かったッス。空間遊泳作業中にどこを注意しとくべきかとか、参考になりました」
「そりゃ良かった」
「ドール視点モニター映像、録画して何度も見返したいところッス」
「新人、アンタあれを真似すんじゃないよ。経験不足なんだから」
「はい、サルバ先輩にも同じことご注意いただきました、気を付けます」
「ふぅん」
ロリエはサルバをチラリと横目で見て、再び口を開いた。
「ちゃんと新人教育してんじゃん、サルも」
「当ったり前だろ、信頼してよロリっち」
「信頼はできっけど、信用おけねぇのが問題なんだよ、お前の場合」
この二人、案外仲が良い?グーンはふと思った。
そして全員の食事が終わった。
ロリエは今回の食事は残さず、食後の薬を飲んでいた。
「ごっそさん。さーて残りの仕事すっかぁ」
「ロリエ先輩、またドール視点で見学したい時は、どう操作するんスか」
「あ?んじゃさっきの画面出しといてやるから、貸しな」
「アザッス」
グーンは壁のモニターをはがしてロリエに手渡した。ロリエがそのモニターをちょいちょいと操作すると、動かない宇宙空間の表示が出てきた。
その画面をブックマークすると、「ロリエドール見学」の名前に変更して、ホーム画面トップにアイコンを置いてくれた。
その作業が終わり、ロリエは船長に声をかけた。
「そんじゃ船長、向こうでね」
「おう」
そして船長はグーンとサルバの三班に向き直り告げた。
「行ってくるわ」
「いってらっしゃい、ご安全に」
「ご安全に」
船長を送り出して、ロリエがキャビンに引っ込むのを確認したグーンとサルバは、食器の後片付けをして休憩に入った。
あとは〇六〇〇の就寝時間まで自由時間。とはいえそれまでに、起床する二班のために食事の準備だけしておいてあげるのが、通例となっていた。
サルバは食事前まで見ていた配信ムービーの続きを見はじめていた。
一方グーンは、ロリエのドール画面を見ていた。
視点ばかりに驚いていたが、そういえばロリエのドールは、空間遊泳中に無用な回転モーメントがなく、取っ散らかることがない。記憶の中の自らの空間遊泳とくらべて、グーンはここでも技量の違いを感じていた。
分かっていたことではあるけど、船長、ソフィ、サルバ、ロリエのいずれにも、技量の違いを感じてばかりだ、と感じていた。
今はロリエ先輩の視点を見て、修行しなきゃ。
…………。
そしていつのまにか、時刻は〇六〇〇間際となっていた。
動かずにドール視点ばかり見ていたグーンは、また身体に痛みが走っていることを自覚して、そういえばと気が付いた。人力リアクションホイールをやったエリスもきっと、筋肉痛だろう。
グーンはサルバに声をかけた。
「先輩、時間なんで二班の二人を起こしてくるッス」
「おう、そんじゃ俺がモーニングコーヒー淹れとっかぁ」
グーンは薄暗いキャビンに降りていくと、まずエリスから起こした。
「エリス、朝だぞ、エリス」
「う、うーん」
天井に貼りついた寝袋から、そこだけ丸く出ている顔。すぅすぅと安らかに眠っていたエリスに声をかけると、その目元がぎゅっとしぼみ、形の良い眉が少し寄り、眉間にしわができた。声を上げるために少し開いた桜色の唇から、白い歯がわずかに見えた。
うん、美人さんは眠っても美人だ。吸いつきたい。グーンはそう思うだけで我慢した。
「奥さん、起きてください、奥さん、朝ッス」
「んー……」
一方ソフィは、寝袋に顔を引っ込めて横寝をしていたらしい。前髪が顔にかかって良く見えないが、きっと色っぽい寝顔なんだろうなとグーンは想像した。
「あー、おはようございます……」
「エリス、俺グーンだよ。敬語になってんぞ」
「え、あ、おはようぐっ!?」
なんだ、どうした?
「身体痛い……」
「あー筋肉痛か、俺もさっきなったよ」
「寝袋のファスナーに腕あげられない」
「んじゃ俺が開けてあげっか?良い?」
「うん、お願い……」
グーンはエリスの胸に触らないように、寝袋のファスナーを下げた。すると外気が入った拍子に中のエリスの体臭がふわっと香り、めまいに似た感覚を覚えた。これは強烈だ。エリスの寝姿は色気のないジャージのはずなのに。
グーンは頭の中がお花畑になりそうなのをグッとこらえて、エリスに声をかけた。
「大丈夫かぁ?」
「うん、開けてくれたから……あ」
「どした?」
「私ここから降りらんないかも……自信ない」
「え、俺、手伝う?」
「うん、じゃ悪いけど手を」
「了解」
エリスはグーンの手を支えに降りようとして、筋肉痛に反応した拍子にバランスを崩しそうになり、やっぱり無理!と身体を引いたことで余計バランスを崩して、転倒落下してしまった。
「イタッ!あわわわっ!」
「おおっと!」
グーンは変なところを触らないように気を付けながら、落下するエリスの後頭部を押して空中で回したあと、柔らかい肩を両手で押さえて回転を押さえて、コックピット(操縦席)そばの床にそっと降ろした。
役得とはこのことか。グーンはこの一連のやり取りで、すでに脳を勃起させていた。
「大丈夫かぁ?」
「イターイ……ありがと……」
一方ソフィは、自力でファスナーを少し開き、逆さまになってぼりぼりと頭を掻いていた。
ソフィはベストだけ脱いで、銀色のソフトスーツのまま寝ていたようだ。もっともソフトスーツは素材圧で空気与圧と同じ効果を得るために伸縮性がないだけで、空気や湿気は通すので一応普段着にできないことも……人によってはないスーツだ。
問題は、身体のラインがモロに出るほどフィットしていることで、ソフィのガッチリしつつ豊満なバストラインは、グーンの視界の中で圧倒的な存在感を放っていた。グーンは見つめないように自制することに苦労した。なおこの時点ですでに物理的にも勃起していた。
ソフィの隣に位置したロリエの寝袋がゴソッと身じろぎした気配があった。
「筋肉痛かいエっちゃん」
「そうみたいです」
「そんじゃゆっくり起き上がったら、体操でもして体をほぐせば楽になるよ」
「はい、そうします」
エリスはそう返答してゆっくり立ち上がった。微小重力だから立ち上がること自体は難しくない。
ソフィは寝袋からするりと抜け出し、壁を蹴ってギャレーに向かった。きっとサルバのコーヒーが出迎えてくれるだろう。
「そんじゃ起き抜けの体操、始めっか」
「うん」
グーンとエリスは向かい合って体操を始めた。エリスの学校に伝わる体操も、同じものだったようだ。
なおグーンは勃起を隠すために前かがみになったりせず、むしろ胸を張って平静を装うことにした。ただしシャツはズボンの上に出して、シルエットを隠すことは忘れない。
「イチ、ニ、サン、シ……エリス、腕上がってねぇよ?」
「痛い」
「痛くてもスジ伸ばさなきゃ。ホラ俺が手伝うから」
「あーイタイイタイイタイ」
「我慢我慢」
我慢は自分だ。グーンはそう嘆いた。
体操がひととおり終わったあとには、多少身体がほぐれて楽になったエリスの姿があった。
「ギャレーまで飛び上がれっか?」
「うん、多分大丈夫。付き合ってくれてありがとね」
「なんもなんも。このくらいいつでも付き合うって」
グーンは、エリスの後を追ってギャレーに飛び上がった。またラッキースケベの恩恵にあずかることは、全く期待していなかったわけではない。
エリスを出迎えたのはサルバだった。横にはコーヒーをすするソフィの姿もあった。いつものベストは着けておらず、豊満なバストラインが目に入った。二人の目が笑っているのが、グーンにはまるで勃起がバレているようで居心地が悪かった。
「エっちゃんおはようさん。コーヒーはいってるぜ、飲みな」
「ありがとうございます、あイタ」
「エっちゃんも筋肉痛かよぉ」
腕を伸ばせないエリスのために、サルバはエリスの手元までコーヒーを渡していた。
すでにグーンも筋肉痛であることを聞いてあったのか、ソフィはコーヒーから口を離さずつぶやいた。
「その日のうちに筋肉痛が出るなんて、二人とも若いねぇ」
「二人ともって?」
「俺も筋肉痛真っ最中」
グーンが会話に割り込んで現状を言うと、エリスはサルバとグーンの両方に目をやりながら言った。
「サルバさんとグーンも筋トレやったんですか?」
「んいや、停泊中はアレ出来ねぇからさ、別口」
「鉱山炉に入ったんだ、すっげえ面白かったから、エリスも一緒に行こうぜ」
サルバの返答にグーンも続けた。それを聞いたソフィが呆れたように口を出した。
「アンタら早速行ったのかい、好っきだねぇー」
「ロリエ先輩と三人で行きました」
「へぇ、ロリエがねぇ」
そんなソフィの言葉のあと、エリスは誘いの返事をした。
「それじゃグーン、それにサルバさん、そのうち連れて行って下さいね」
「おう、任しとけ」
サルバはそう返して、さらにソフィにも視線をめぐらせた。
「そん時ゃソフィ姐さんもどっすか?」
「考えとくよ」
ソフィはそう返し、続いて微笑みながら指示を出した。
「さぁもう時間だから寝な」
「了解っす、おやすみなさい」
「おやすみなさい」
というわけで、二班が起床したので、入れ替わりに三班は就寝だ。
ん?ということは……
「おい新人、誰がどの寝袋で寝るか勝負だ」
「望むところッス、サルバ先輩の毒牙にゃ、エリスは晒さねッスよ」
「おぉ勇ましいねぇ。最初はグーからで、一本勝負だ」
「負けねッスよ、最初はグー!」
エリス、俺は守り切ったぞ。グーンは寝袋の中のエリスの体臭に包まれながら、そう心の中で高らかに誇った。同年代の女子の香りは、とてもとても甘美だった。
三つ並んだ真ん中のシュラフでサルバは、なにやら非常に満足そうだったが、その場でオナニーはさすがに自粛していたようだ。
何故ならサルバのさらに横には、ロリエがドール操作で仕事中だからだ。
やはりソフィ奥さんの匂いに喜んでるんだろうか。グーンはそう解釈した。
二十分後、サルバはトイレに行き、五分後にスッキリした顔で帰ってきた。手には消臭スプレーを持っていた。
人妻の匂いでも構わずオカズにしちゃうサルバ先輩、半端ねぇッス。
ロリエのため息が聞こえてきた気がした。
次話は、第一七話 初遊泳(ハードスーツ、ゴンドラ)です。