5.医務室
その日終わらせるべき仕事を終えてフィオナはホッと息をついた。
探索ギルドの職員はどの部署でも激務だ。なにせここはダンジョンを中心に成り立っている都市であり、利用者である探索者には昼夜も関係ない。それに朝一にはここから買い取られた資源が各地に運ばれるのだ。暇な時間なんて昼時ぐらいだ。
この仕事に就いてからもう四年は経ち、業務には慣れていたがそれでも忙しさには慣れない。
「ねえ、フィオナこの後ご飯食べに行かない?」
後ろから声を掛けてきたのは同僚のクリスタだ。彼女は肩口で切りそろえた金髪を揺らしながらデスクに手をついた。
明日の予定は休暇でこの後も空いている、フィオナは頷こうとして固まった。
「なに、やり残したことでもあった?」
「うーん、そういうのではないんだけど……」
頭に過ぎったのは新人探索者の問題児のことだった。昼間にパーティを紹介して見送ってからまだ帰還の報告は聞いていない。新人にしては実力もあり、下手なことがなければ死ぬことはないとは思っているが、自分が紹介した手前気にはなっている。
「昼間担当した探索者がまだ帰ってきてないのよ。それが少し気にかかって……」
「あら、貴女にしては珍しい」
「そう?」
「ええ、いつもはそこまで気にしてないじゃない」
そうだろうかと考えるがその通りかも知れない。
彼らは皆、自分の命を賭けて危険な場所に飛び込んでいるのだ。怪我をするのも、命を失うのも彼らの選択の結果。冷たいかもしれないが、一々個人を気にかけていてはギルド職員なんてすぐにノイローゼになってしまう。
この前も探索者が亡くなり、その彼に懸想していた職員が失意に沈んで退職していった。
フィオナはそれを冷ややかな視線で眺めていた側だったはずなのに。
「……確かに私にしては珍しいです、ね」
「おお、ついに冷血女に春が来たのかも」
「それはないです」
ふざけた冗談に即座に断言する。
あんな箍≪たが≫が外れた男なんて好きになるはずも無い。
「確かに顔は良いですし、探索者にしては物腰も柔らかいですが、それだけはないです」
「ほほほ、そうですかそうですか」
「もうっクリスタ」
「続きはお酒の席でじっくりと聞かせてもらいますね」
「絶対に嫌です」
ケラケラと笑う彼女を放って立ち上がった時だ。入り口に見覚えのある青みがかった黒髪が映った。
「リオンさん遅かったで…どうしたんですかその怪我!?」
ギルドに入ってきた五人は誰もがどこかしかに怪我を負っており、その中でもリオンは一番重症に見えた。濃い血の匂いにギルド内が騒めき出す。
それにも関わらず、彼は幼馴染の少年に肩を貸しながらこちらに歩いてきている。その姿にフィオナは慌てて駆け寄った。
「思わぬハプニングに遭いまして、手持ちのポーションを使い切ってどうにか誰も死なずに帰っては来れたんですけど、怪我が酷くて……確かギルドって医務室もありましたよね?」
「すぐに手配します。クリスタ!」
「もう伝えたよ、ベッドも空いてるって、ほらこれポーション」
「助かります」
カウンターの奥から投げられたポーションを空中で掴み蓋を外す。
平然とした顔で話してはいるが、今もリオンの傷からは血が流れ出ており、放っておけば取り返しがつかないことになる。
「ギルドで常備してある治癒ポーションです、早く飲んでください」
「私は大丈夫なので、他の人から……」
「っ正気ですか!? この中で一番重症かつ治療を必要としているのはリオンさんですよ。見える限りだけで全身に裂傷、腕は折れていますし背中には大きな穴が開いています。手当てしなければ、この中で誰よりも早く死ぬぐらいには酷い負傷ですよ」
「そう、でしたか」
「そうです。なので速く飲んでください」
「んぐっ」
まだ何か言いそうだった彼の口に無理やり瓶の口を突き刺す。そのまま溢さないように押さえていると観念したのか喉が動き始めた。
「……僕たちがモンスターハウスを開けちゃってリオンたちを巻き込んだんだ。群れは何とかみんなで倒しきったけど、ノエルとかライラさんが怪我をしちゃって、その時はポーションがあったから何とかなったんだけど……」
「帰り道でも襲われてな、最後まで俺たちを守って戦ってくれたのはリオンだ」
途切れたロイの言葉を続けたのは悔しげに顔をゆがめたアーロンだ。
「そう、でしたか。モンスターハウスに遭遇するとは運が悪い。ですがここまで帰って来れたのです。この後のことは安心してお休みください」
「……ああ、すみません」
フィオナの耳元で呟いたリオンはそのまま気絶した。少しだけドキリとしたけども、呼吸はしていたことにホッとする。
担架で運ばれていく彼らを他の職員に頼み、フィオナはじっとりと血で塗れた己の手を見つめる。彼が怪我を負って戻ってきたのは二回目になる。そのどちらも何とはない顔で、彼はフィオナの前に立っていた。
「……これだから探索者は嫌いなんです。待っている人たちの気も知らないで…」
「フィオナ?」
「ああ、すみませんクリスタ。食事には遅れそうです」
「いいよ、書類なら私も手伝うし、二人でやった方が早いでしょ。彼らも明日の朝には起き上がれるように良いポーションを使うって治癒士も言ってたから」
心配するなと言うもののフィオナの心は晴れない。
いくら魔法薬を使おうとも人は死ぬ時は死ぬのだ。命からがら、ダンジョンから逃げることが出来てもベッドの上でそのまま息を引き取る探索者たちを何度も見てきた。仮に生き残っても取り返しのつかない後遺症を抱えることになった探索者もいた。
なのに治癒士でもない一職員では怪我を負った彼らにしてやれることはない。あるとすれば彼らが残していった戦利品を精算し、煩わしい手間を減らすぐらいだ。
「それにしてもすごい量だね。あんなに怪我をしていたのに、これだけでそれなりの財産になるんじゃない?」
彼が置いていった背負い籠の中身は零れそうなほど詰まっている。
それでも入りきらなかったのか、中身の入った袋も横に置いてあることを見るに、相当な激戦だったのだろう。
「私たちだけでは絶対に持ち運べませんね。他の人を呼んでくるので見張っていてください」
「はいはーい」
せめて同僚のためにも残された仕事は速く終らせようとフィオナは小走りに駆けていく。
◇
いつになく不快な目覚めにリオンはベッドの上で呻いた。
記憶はしっかりと残っている。モンスターの大群に襲われなんとか撃退したものの、その帰り道で不覚を取り、一撃を貰うなど唾棄すべき失態だ。
意識すれば身体中が軋みを上げ鈍い痛みが襲ってくる。外傷は全て塞がっているが全身の疲労は抜けていない。
身体を起こしながら周囲を見渡せばどうやらここは医務室のベッドの上らしい。部屋の中には幾つもベッドが置かれており、近くは空いているが数個挟んだ先のベッドは布で仕切られ使用中のようだった。
リオンが首に手を伸ばし固まった筋を解すように撫でていると、いつのまにか一人の男性が傍にまで来ていたことに気付いた。
「おはよう、調子はどうだい?」
「……ぼちぼちですね。身体は重いけどきついって程ではないです」
「それは結構。昨夜君が運び込まれた時は数え切れないほどの裂傷とそれに伴う出血で危ないところだった。もう少しでも遅ければどこかに障害を負っていただろうね」
治癒士の男性はリオンの体を触診しつつ、穏やかな微笑を浮かべる。
治癒のポーションは外傷には効くが、体内の傷には効果が薄い。それこそ直接見ることもできない脳にでも異常が出てしまえば取り返しがつかないのだ。
処置に対し素直に感謝を述べ、リオンは今後のことを尋ねる。
「普通の人ならもう何日かは経過観察をみたいので入院してもらうけど、君は探索者だからね。ふらつきもなく歩けるならこのまま帰ってもらっても構わないよ。勿論少しでもおかしいなって思ったらまた来てくれればいいから」
「そうですか。あっ、お金は?」
「もう貰ってるよ。これからはいくら優秀でも自分の身体は労わるべきだね」
男は紙切れを一枚差し出した。
見ればダンジョンの成果物の清算書だ。驚くほどの数字の羅列と裏には見慣れた筆跡による文字。手紙によれば報酬は等分にしたようで、怪我も一番酷かったのはリオンだけで、ロイやアーロンたちはその日のうちにホームに帰ったと書いてある。
「彼らには迷惑をかけたかもな」
「……そういえば君は探索者が亡くなる要因はご存知かな?」
紙切れに落としていた目線を男に向ける。
彼は物思わしげに窓の外を眺めていた。
「探索者が死ぬのはダンジョンの中でしょう? あそこには罠も敵対的なモンスターも沢山だ」
「そうだね。彼らが命を落とす多くは魔窟の中さ。でも要因はそれだけじゃないんだ」
振り返った男と目線が合う。その眼にはどこか諦観と悲しみが溢れているように見えた。
「彼らが死ぬのは仲間のせいだよ。人間関係の不和、実力の差異、目標の違い。日々の擦れ違いが魔窟の中では大きな障害に成り得るんだ。その壁が極限状態になって始めて浮き彫りになる。田舎から出てきて仲良し小良しで探索者になったは良いものの、恋愛沙汰で全滅…なんてこともよくある話だしね」
「……よくご存知なんですね」
「これでも治癒士だからね。今まで何度も見てきたさ。それこそ命を助けたはずの患者が翌日、仲間だったはずの人間に刺し殺された、なんてこともあるよ。……これはなんてことはない忠告だよ。君が独り身だって聞いてね、ソロの人には毎回言ってるんだ。仲間選びには気をつけろって。まぁ、一人で潜り続けて死んだ探索者も同じように見てきたけど」
そういい残し男は風のように医務室を去っていく。
「……変わった人だ」
名前も聞いていなかったが彼は一体何者だったのだろうか。
包帯塗れの身体を隠すように、血だらけでボロボロの服を纏いつつ息をつく。
頭に過ぎるのは臨時でパーティを組んでもらったアーロンとライラの姿だ。運よく大きな怪我は負わなかったとはいえ命を落とすかもしれなかったのだ。モンスターの集団を引き連れてきたのはロイだが、彼は自分の幼馴染であり、巻き込まれるのはいい加減慣れている。だが彼らには今回の出来事が相当堪えたらしく色々と憂慮していた。
今回の一件はリオンにも考えさせる出来事であった。
ダンジョンでは突然の出来事は日常茶飯事だ。歩いているだけで死の危険があるダンジョンで更に危険な下層へ降りるということはより危険度が増す行為であり、上層での狩りだけでもそれなりに食っていける現状では命を賭けるのは余程の物好きしかいない。
そんな環境で先に進むにはただ只管に強くなるか、それとも志を共にする仲間を見つけるしかないようだ。
受付嬢の提案は実に有意義なものだった。大怪我という結果に終ってはしまったが、先のことを考えるとこれも自分にとっては良い出来事だったのだろう。
リオンは思案に耽ながら身支度を整えると医務室を出る。
一先ずは身体の怪我を癒すのが先決だろう。痛みは動きを阻害し、怪我は動きに癖をつける。こんな状態で剣を振るうのはあまり意味を為さないのは流石のリオンでも理解している。
この間に何かする事はないかと思案すれば、どこかの屋台で聞いた話題が浮かんだ。
「……ああ、そういえば奴隷なんてものもありましたね」
ダンジョンで働く者もいると聞く奴隷は、田舎育ちのリオンには余り耳覚えのない言葉だ。買うかどうかは置いておいて、一度見学するのも悪くない。
「……あの野犬を見に行くのも面白そう」
脳内に浮かんだのは飢えた狼のような眼をした狼人族の小娘の姿。アレを運んでいた商人の様子もよく覚えている。適当に聞きまわれば店ぐらいは特定できるだろう。出来なければそれまでだ。
上機嫌に剣を撫でながらリオンはギルドに背を向けて歩き出した。
何度もフィオナをフィオラと打ち間違えたので今後も間違えるかも