3.バックス武具店
リオンは目を覚ましてから身動ぎせずに、まだ見慣れない天井をぼんやりと眺める。
蜂蜜亭の二階部分にある宿泊者用の角部屋の一室だ。昨夜は騒ぎが終った後も食事は継続された。というのもあの後、ノエルも蜂蜜亭に宿泊していることが発覚したのだ。帰りの時間を気にしなくてもいいという状況での食事はロイが限界をこえ泥酔するまで続けられた。
窓の外はもう日が昇ってそれなりに経っているらしい。それでも昨夜の調子を見るにロイは当分起きてこないだろう。まさか彼が、同い年で女性のノエルよりもお酒に弱いとは思わなかった。
欠伸を一つ噛み殺して、リオンは立ち上がる。
最低限の身支度を整える。腰にはいつものように剣を佩き、貨幣が詰まった財布を服の中に忍ばせた。
部屋を出てギシギシと鳴る階段を降りたリオンを出迎えたのは店主だ。
店の中には宿泊客や近くの住人が朝食を取りにきており、テーブルは疎らに埋まっている。
「おっはよー!」
「おはようございます、クレアさん。朝食をお願いできますか?」
元気一杯な様子で挨拶をしてくる彼女に微笑みつつ注文すれば、すでに用意していたのか店主が皿をカウンターに置いた。
「ありがとうございます」
簡単なスープに、これでもかと具が挟まったパン。いつもと変わらないメニューだが、具は昨夜の残りの再利用しているようで、飽きないし値段の割には豪華だ。
リオンが大きな口を開けて朝食を食べていると、階段がギシギシと鳴り、それを聞いた店主が手を動かし始めた。
「……リオンさん、おはようございます」
寝ぼけ眼で降りてきたのはノエルだった。流石に寝巻きからは着替えたらしく平服ではあるが、その後頭部には寝癖がついている。
「おはよう。まだ眠そうですね」
「まだ少しお酒が残っているようで…あ、ありがとうございます」
リオンの隣に腰掛けた彼女の目の前に水が入ったコップが置かれた。
礼を言われた店主は特に反応もせずに、朝食作りに戻っている。
「リオンさんは元気そうですね」
「ただ寝ているのは性に合わないので、少し散歩にでも行こうかと……まだ、ロイは寝ているんですか?」
リオンは視線を天井に向けた。その様子にノエルは苦笑する。
「あの様子なら多分昼までぐっすりだと。昨夜はかなり飲んでいましたから…きっとリオンさんと一週間ぶりに会えて嬉しかったんだと思います」
「そうかもね。あれは昔からいつも私の後ろについて歩いていたから」
どこに行くにも親鳥を追う雛みたいに引っ付いていたものだ。
「でもまぁ、まさかロイに先を越されるとは思わなかったけど」
「何をですか?」
首を傾げたノエルにリオンは意地の悪い笑みを浮かべる。
「ロイと一緒の部屋で寝泊りしているらしいですね」
「へ、ひゃ…!?」
爆発したように真っ赤になった彼女はあたふたと手を動かして動揺していた。
「まさかあのロイがこんなにも速く大人の階段を上るとは」
「い、いえ! 特にやましい事はしていませんよっ!? 二人部屋なら金額も安くなるって聞いて、私もロイも、それで!」
「はい、分かってますよ」
「ホントに! 本当にそういうんじゃないんですから」
「ははは」
スープも飲み終わりリオンは席を立つ。
店主に目配せをすれば皿は下げられ、代わりにノエルの前に朝食が出された。
「本当に分かっていますよ。私もここに来た当初は相部屋でしたし」
それも一週間前に辞めたが。
「ではそろそろ行きますね。ノエルさんはゆっくり食べていてください。ああ、ロイが起きてきたら、寝過ぎだと伝えてください」
「…わかりました伝えときます」
僅かに涙を瞳に浮かばせながらコップで口元を隠す彼女にリオンは背を向ける。扉の外は彼女に負けず劣らず喧騒に溢れていた。
◇
ガランガランと扉に取り付けられたベルが音を響かせた。
掲げられた看板には『バックス武具店』の文字と剣が二本交差したマークが彫られている。昨夜ノエルに聞いた店だ。入ってみれば所狭しと武具が並べられ、壁には大小さまざまな剣類が飾られていた。
「おう。らっしゃい」
声をかけたのは店の奥に座っている店主と思わしきドワーフの男。
彼はリオンを一瞥だけすると興味をなくしたように手元に視線を戻した。
店内を見て周る。剣だけでも数えられないほどありどれがいいのかリオンにはさっぱり分からなかった。
「すみません、手に取ってみてもいいですか?」
「…好きにしろ」
試しに今使っているのと似たショートソードを手に取る。鞘から引き抜けばギラリとした刃が光った。
故郷の村では剣に種類などなかった。ただの村に鍛冶師なんているはずもなく、リオンの剣も街で纏め売りされていた数打ちのものだと聞いた。今まではそれで困ったこともなかったので気にもしていなかったが、これからは多少は気にした方がいいのかもしれない。
「決まらねえのか」
男が話しかけてきたのは五本目の剣を手に取った時だった。作業の手を止め、ドワーフの店主はリオンをじっと見ていた。
「そうですね。どれにすればいいのか分からなくて」
「おめえ新参だろ? ちょいとこっち来い。んで、腰のを見せてみぃ」
予想外のことに少し驚く。
入ってきた時の対応から勝手に職人気質の、客商売が苦手なドワーフだと考えていたからだ。
素直に剣を鞘ごと渡せば、店主は顔を顰めて舌打ちをした。
「刃が潰れてやがる。芯も歪んでいるし、こりゃ剣っつーより棒だな。何より元の造りが最悪だ、クソみてえな腕のヒューマンが打った作品だな」
「分かるのか?」
「ドワーフならガキでも分かるさ。それにこれとそっくりなのを最近見たからな。……にしてもよくこんなもんでダンジョンに潜ろうとしたな?」
店主の言葉にリオンは首を傾げた。
「こんな雑な剣じゃゴブリンを何匹か斬ったらすぐに折れちまうだろ。それをこんなにボロボロになるまで折らずにいたなんて器用なもんだな」
「ははっ……そこまで酷いのか」
引き攣った笑みが零れる。
そこまで苦労したつもりはなかったが、これと同じ物を使っていたロイはもしかしたら散々な目に遭っていたのかもしれない。
「最底辺の品質だな、これならドワーフの見習いでもマシなのを打てる。これを不満もなく使っていたなら、この店にあるどの剣を選んだところで満足できるだろうよ。ちょいと待ってろ」
鼻で笑ってから一度後ろに下がると、彼はカウンターの後ろから抜き身の剣が詰められた樽を引き摺って戻ってくる。
「お前さん他に武器は?」
「持っていませんね。これだけでした」
「ならメインに使うのはここから選んで、もう一つサブを持つといい。これは数打ちだがヒューマンのよりは万倍マシだからな」
「選ぶといっても…」
適当に一つ手にとって樽から引き抜く。彼が言うとおり刃の質は棚にあるのと遜色ないように思えた。
「ここにあるのは全部鞘なしだからな、適当に鞘に収まるのを選べばいい」
「ああそう。……ならこれと、あそこに掛けてあるのを買うよ」
ショートソードと目に付いた剣鉈を指差す。
値段を聞けば剣鉈のほうがショートソードよりも幾らか値段が高いようだ。
「あいよ。剣鉈は腰の後ろでいいか? おまけでベルトも着けてやる」
放られた剣帯を取り付け剣鉈を装備する。ついでにショートソードも入れ替え、何度か位置調整を繰り返す。
「どうだ」
「いいと思います。使ってみないと分かりませんけど、違和感はないですね」
腰の重みが心地よく心が弾む。
試しに剣鉈を引き抜いてみればその美しい刀身に目が引き寄せられる。
「手入れも受け付けるが、次は駄目になる前に買い換えるんだな。獲物が折れて食い殺されるなんて嫌だろ」
「そうですね。肝に銘じておきます」
◇
「……なんですか、あれ?」
リオンは咥えていた肉串を口から離し、追加の肉を焼いていた屋台のおっさんに尋ねた。
彼は手元から目を離しリオンの視線の先を確かめ小さく舌打ちする。
「ありゃ奴隷商だよ」
「奴隷、商?」
聞き覚えのない言葉にリオンは首を傾げる。
リオンの視線の先には手足を鎖で繋がれた人たちが列を成して歩いている。ボロ布程度の衣服を身に纏い、頬がこけているその姿はお世辞にも見ていて気分の良いモノではない。比較的年嵩の若いものたちばかりで構成され、種族もバラバラだ。
「身売りやら借金で労働力として売られた奴らさ。ああ、お兄さん奴隷見るの初めて? 都市出身じゃないでしょ、しかも出身はド田舎」
「なんでわかるんだ?」
「大きな都市で過ごしてれば奴隷なんて嫌でも目に付くし、そういう場所の近くの村にいると口減らしだとかで売られるから身近なんだよ。知らないのは奴隷商も寄らないド田舎の奴ぐらいって訳、ほら残りの焼けたよ」
肉汁が滴る肉串を受け取る。
旅をしていた際に何度か馬車で運ばれていた人間を見たのを思い出した。きっとあれも奴隷商だったのだろう。
「ま、探索者なら嫌でも奴隷の話は聞くよ。なんせこの都市はダンジョンを中心に周っているんだ、ああやって大量に仕入れられている奴隷がそれに無関係なはずもない」
「そう、なんですか」
うんざりとした様子で作業に戻る男から視線を外す。
奴隷、鎖、首輪。それらに当てはまる人たちを迷宮内でも見た覚えがある。そのどれもがリーダーと思われる探索者が彼らに向かって嫌に居丈高に命令をしていた。
リオンは離れていく奴隷の集団に視線を戻す。
足を怪我しているのか遅れた犬人らしき少女が大人に鞭を振るわれている。
「彼らはこの後どうなるんですか」
「ん? ああ、運がよければ商家にでも買われるんだろうが、まあ大抵は娼婦かダンジョン関係に回されるらしいぞ。ここじゃあ、見た目がよければ男でも女でも娼館は引き取り手があるからな」
「ダンジョンで彼らは何を」
「ポーター代わりにするだとか、胸糞悪い話だけど場合によれば肉の盾にもするって聞くな。……うぉ、ありゃ大丈夫か? あんなに小さいのにあの子も災難だね」
二度目の鞭が飛ぶ。
どう考えてもやり過ぎだ。鞭を振るった男も近くにいた監督官らしき人間に注意されている。当の本人は痛みを堪えるように肩を震わせている。
その姿はどうにも慣れを感じされた。ここに来るまでに何度も行われていたのだろう。
何事か、監督官の男が少女に向けて呟き、彼女がそれに反応して顔を上げた時だった。
「―――ッ!?」
リオンは彼女の瞳に炎を見た。
ギラリと怪しく光る眼光は決して虐げられた人間のするものではない。闘志を燃やし、今すぐにでも喉笛を噛み千切ろうとする反逆者の瞳だった。
毛を逆立て牙を研ぐ姿は犬というより狼に近いだろう。もしかしたら種族自体|犬人族≪ワードッグ≫ではなく、|狼人族≪ウェアウルフ≫なのかもしれない。
lol版オートチェスが今日からなのでちょっとやってきます