挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
しおりの位置情報を変更しました
エラーが発生しました

ブックマークしました。

設定

設定を保存しました
エラーが発生しました

カテゴリ

ブックマークへ

以下のブックマークを解除します。
よろしければ[解除]を押してください。

ブックマークを解除しました。

ブックマークする場合はログインしてください。

絶命日

作者:阿井 りいあ

 おばあちゃんが、来週末70歳の誕生日を迎える。
 その数日後、「絶命日」を迎えるんだそう。
 私はそれを、喜んで良いのか悲しんでいいのかわからないんだ。



 いつからだったかはわからない。だって私は世の中の事に疎いから。でも、70歳になったらいつでも死んでいいんだよ、という法律が出来たのが、割と最近だという事くらいは知っている。

 昔は、おじいちゃん、おばあちゃんになったら、自分の死後の事を考えて「終活」というのをしてたらしい。これでいつお迎えが来ても大丈夫。とはいうものの、それがいつなのかわからない恐怖。事故や病気で苦しみながら死ぬのは嫌だって、人は思い始めた。

「病院代だって馬鹿にならないもの。それに、病気にビクついて、好きなものを食べられないとか、やりたい事が出来ないなんて勿体無いわ」

 おばあちゃんは、そんな風に言って滅多に病院には行かなかったな。

「この歳になったらあっちこっち悪くなるのはわかってるの。病院に行ったら、あっちも悪いこっちも悪いって余計な薬買わされちゃうじゃない。生活するのに問題なければ必要ないわ、そんな薬」

 今より楽になるならもらっておけばいいのに、と私は言った。けど、おばあちゃんは長生きしたいわけじゃないのだから好きに生きるわ、と顔を綻ばせて言っていたっけ。

 「死んでもいい権利」が出来る少し前は、自殺者多数でそれが社会問題になっていた。これは私も何となく聞いた覚えがある。
 天寿を全うしたとしても、それがいつになるかわからない恐怖。覚悟が決まる前の突然死。室内なのか、外なのか。事故で怪我に苦しむのか、病で苦しむのか。先のわからない苦しみの恐怖に耐えられない人が多くなって、自殺者が増えたんだそうだ。

 増え続ける税金。老人向けの政策。減っていく子どもと既婚者。

 それらを解消するために定められた法律が、「70歳を迎えたら死んでも良い権利を持つ」というもの。……だった気がする。たぶんね。

「未来を作っていくのは若者なのに、当選したいがために老人に優しい世の中を作り過ぎなのよ。選挙権も老人は剥奪したらいいんじゃないかしら」

 おばあちゃんはおっとりとした優雅な雰囲気を漂わせつつも、こうして時々過激な事を言う。私は曖昧に笑いながらそれはどうだろう、としか答えられなかったな。

 70歳の誕生日を迎えた人は、その後いつでも死んで良いし、そのまま生き続けても良い。もちろん、死ぬ事を選んだ人は、然るべき場所で、然るべき手続きをしなければならないけどね。恐怖のあまり適当な場所で自殺し、人様に迷惑をかける人はかなり減ったみたいだった。70歳まで耐えれば、楽に死ねるからって若者の自殺者も少し減ったらしいよ?

 ちなみに、その死ぬ手続きっていうのは中々に面倒なものらしい。戸籍を辿ったりだとか、遺書の用意とか、遺産相続とか? あまり詳しくは知らないけどね。
 だというのに、面倒な手続きをしてでも眠るように最期を迎えられる安楽死を求める人は多かった。いつ死ぬかわからない恐怖に晒されるより、自分の死ぬ日を決められるなんて最高じゃないかって。

「老人は暇なのよ。そのくらいの手間なんかどうってことないわ」

 なるほど、一理あるけど。老後の楽しみってやつとか友達とのお茶会とかしないのかな?

「老人の暇な時間は通院に使われるのよ。勿体無いと思わない? 私はそのくだらない通院用の時間を使って遊んでるから平気よ」

 おばあちゃんの病院嫌いは筋金入りだった。



 そういえばこの前朝のニュースで言ってたな。最近では自分のお葬式に本人が参加するのが流行してるとか。……それ、泣けるの? とんでもない自虐ネタにしか思えなくて、笑えもせず、泣けもしない混沌とした葬式になる未来しか見えないのだけど。いわゆる渾身の「老人ギャグ」ってやつだ。周囲の迷惑考えた方がいいし、その案を実現した企画者は少し考え直した方がいい。少なくとも私はそう思ったよ。

 こうして、「死」に対するイメージが少し明るくなっていったんだ。楽に終われる、その事実が人々の心を軽くしたんだろうね、きっと。

 だけどね、死ぬのは権利であって、義務じゃない。
さっきも言ったように、いつか来るその日まで、生きたいと思う人は生きていても構わないのだ。運命に身を任せ、それが事故や病気、寿命かもわからないけど、死ぬ時がその時なのだ、と考える人もたくさんいる。
 残される家族は引き止めるも勧めるも、色々あるだろうけど、死ぬかどうかを決められるのは本人のみ。そりゃそうだよね。権利があるんだから。でもね、例えばもう寝たきりで意思を伝えられない人なんかは、事前にその意思を示した決められた書類がなければ家族が決めなきゃいけないんだって。……随分な重荷を背負わせることになるよね。だから、大体の人はその意思をちゃんと残してたりするのだ。

 そうして、死ぬ事を選んだ人は、死ぬ日も自分で決められる。誕生日の真逆であるその日を、人は「絶命日」と呼ぶようになったんだって。

「おじいちゃんは70歳になる前に病気で亡くなってしまったでしょう? おじいちゃんの事は大好きでしたし、私がそうしたいから自宅介護をしたけれど、そりゃあもう大変だったもの。その時にね、思ったのよ」

 おばあちゃんに、誕生日に死ぬ事を選んだと告げられた日、おばあちゃんはそんな風に語り始めていたっけ。

「私は、家族にこんな苦労をかけたくないわって思ったの。いつまで続くかわからない病の苦しみを味わうくらいなら、眠っているうちに気付いたら死ねる安楽死を選びたいもの。私は臆病者ですから、出来れば痛いのも苦しいのも嫌なんですよ。そう、ただそれだけですよ」

 そうやって嬉しそうに微笑んだおばあちゃんを見たら、私はもう何も言えないって思った。
 だけど、みんなは引き止めてたな。楽しい事いっぱいあるかもしれない、とか、病気になってからでもいいんじゃない、とか。おばあちゃんは、愛されているからね。

 でもおばあちゃんは元来頑固な性格で。
 自分の意思を曲げる事はなく、1人で着々と準備を進めてついにこの日を迎える事になったのだ。


 ※ ※ ※ ※ ※


「ふふ、綺麗な絶命院でしょう? どうせなら奮発して素敵なところで死にたいと思ったの。近場にあってラッキーだったわ。最期の運をここで使えたのね」

 おばあちゃんの誕生日当日。この日からおばあちゃんは入院する事になっていた。絶命院には3日間お世話になる。2日目は段取りの確認の為に。そして最期の1日に安楽死する。
 え? 絶命院が何かって? そんなの決まってる。安全に安楽死出来る施設だよ。……安全に安楽死ってすごい字面だけどね。

 病院でも安楽死は出来たんだけど、それだとどうしても追いつかないからって新たに建てられるようになった施設が絶命院。お医者さんも絶命科なる分野が出来たらしい。一体どんな勉強するんだろう。まぁ私には無縁だろうけど、医者である事に違いはないからさほど内容も変わらないだろうな。倫理観なんかは変わりそうではあるけど。

 で、おばあちゃんは今やたくさんある絶命院の中でも高級な場所を選んだみたいだった。その代わりお葬式はしなくていいと言い張った。知人にも説明済みだ。でも、どうしてもという家族の意見に珍しく折れたおばあちゃんは、それなら近しい身内だけで、と妥協案を出した。しんみりしたお別れは嫌なのにって文句を言っていたけど、お葬式の日くらい残された遺族にしんみりさせてやってほしい。

「だって、せっかくだもの。最期まで心から笑っていたいじゃない」

 おばあちゃんの死に目標は「明るく笑顔で」らしいからね。それ、家族の負担の方が大きくない? と思ったけど、そのくらいのワガママは許せるかな?

 その日の夜は、みんなで誕生日ケーキを囲んで楽しく過ごした。おばあちゃんの大好きなイチゴのショートケーキだった。



 そうして2日目の段取りも問題なく終えた絶命日の前日。少し2人で話したくなって、私はみんなが家に帰ってから1人おばあちゃんの元へと訪れた。

「……本当にいいの?」
「なぁに? 今更よ」

 それはそうだろうけど。直前になって怖気付いて、やっぱりやめた、ということが出来ないように、入院前に契約書を書かされるから本当に今更なんだけど。
 それでも聞きたかったんだ。どうしても。

「死ぬのは、怖くないの? 寂しくないの?」
「やだわ、おかしな事を言うのね?」

 コロコロと笑いながらおばあちゃんは朗らかに言った。

「死が終わりだとは思わないの。私にとっては新しい出発なのよ。そりゃあ怖いわ。でもね、それは入学式や、入社式、結婚式の時と同じ怖さなの。新しい環境に立たされる前は、いつだって怖いものなのよ」

 おばあちゃんはそんな風に言うけれど。
 私はやはり死ぬのは怖いと思う。自分がこの先どうなってしまうのか、このまま消えてしまって、無になるだけなんじゃないかって。

 死んでも、残された人の中に思い出は残る?
 きっと生まれ変わる? なぜそれを知り得るのだろう。

 成仏した後のことなんて、誰にもわからないじゃないか。

「私は……死ぬのが怖いよ」

 素直にそう溢せば。おばあちゃんはそうね、と一言答えて、それから穏やかに微笑んで私に言ったんだ。

「それはきっと、1人になるからだわ。本当の1人に。孤独に。だから、お願いするわ」

 ーーーー私の最期の瞬間まで、側にいてちょうだい。



 おばあちゃんの願いを叶えたいから、私は今日の朝からずっとおばあちゃんの近くにいた。

 朝ごはんを食べ、歯磨きをして、顔を洗って。
 それから……死化粧をして。

「生きてるうちの死化粧も悪くないわね」

 そう言って微笑んだおばあちゃんは、確かにいつもより綺麗に見えた。

「じゃあ逝くわね。今までありがとう。しっかりやるのよ?」

 別れ際のおばあちゃんは、ちょっとそこまで行ってくる、くらいの気軽な態度だった。だけど家族はそういうわけにもいかない。
 やっぱりやだよ、とわんわん泣いたり、何も言えずに黙って涙を堪えていたり。

 私はその様子を、ただぼんやりと眺めていることしか出来なかったから、1番薄情者かもしれない。

 それでは離れてください、と医師が言うのでみんな部屋の外へと出て行った。ちゃんと最期は看取れるように、ガラス張りになっているけど、おばあちゃんの近くには絶命科の医師と看護師さんしかいない。
 昨日言っていた、「本当の1人になる。孤独になる」という言葉の意味を、なぜか今深く理解出来た。

 こうしておばあちゃんは、自らの望み通りに息を引き取った。苦しむ事もなく、眠るように。

 ちょっとそこまで行ってくる、といったように。








 ※ ※ ※ ※ ※



「やっと、貴方と触れ合えるわね」

 おばあちゃんは、それはそれは嬉しそうに言った。

「ずっと、私が貴方を導いてあげたいと願っていたの。待たせてごめんなさいね?」

 そうして差し出された手を、私はやれやれといった気持ちで見つめ、そして手を取る。

「君は本当にやる事なす事突拍子もなくて。だから心配だっただけだよ」
「そうかしら? 楽に死にたいと思っただけの、ただのぐうたらですよ、私は」

 ぐうたら、ね。私には、そうと決めたら一歩も譲らない頑固なおばあちゃんとしか思えないけど。まぁ、そこが素敵なところでもあるんだけどね。

「君だけ楽に死ぬなんて狡いな。私はかなり苦しんだのに」
「貴方のおかげで私は死ぬ権利を使う事を決められたのよ? 貴方の苦しみとの戦いは、貴方の妻を苦しみから救ったのよ」
「物は言いようだな」

 まったく、私は昔からずっとおばあちゃんには敵わないのだ。死んだ後の今もそれは変わらないようだ。まぁ、そんな所に惹かれて一緒になったのだけどね。

「さぁ、逝きましょう? 決して手を離さないでくださいね」
「どうしたんだ? そんな可愛らしい少女のような事を言うなんて」

 ちょっと悔しかったので、そうからかって笑えば、彼女は頰を膨らませて言い返してきた。

「確かに私はいつの間にか貴方よりおばあちゃんになってしまいましたけど、女の心にはいくつになっても乙女が住んでいるものよ」
「悪かったよ。少し意地悪してみたくなっただけさ。君はいくつになっても可憐だよ」
「またそうやって誤魔化すんだから」

 じとりとした横目で私を睨むおばあちゃん。でも、私はそれすら愛おしく感じた。

「手を離さずいたら」

 おばあちゃんは睨むのをやめて、ポツリと呟いた。

「生まれ変わった時、また近くにいられるかもしれないでしょう?」

 ーーーーああ、それはいいな。

 私の返事は空気に溶け込み、互いの手を強く握る感覚だけが残る。

 「死」とは、孤独だ。その筈なのに私は今2人で一緒に消えようとしている。おばあちゃんのおかげで。



 今日はおばあちゃんの絶命日。
 喜んでいいのか悲しんでいいのか。相変わらずよくはわからないけど。

 今消えて逝くこの瞬間、私は確かに幸せだった。

評価や感想は作者の原動力となります。
読了後の評価にご協力をお願いします。 ⇒評価システムについて

文法・文章評価


物語(ストーリー)評価
※評価するにはログインしてください。
感想を書く場合はログインしてください。
お薦めレビューを書く場合はログインしてください。
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ