侯爵家のアルフレッド 1
年頃の貴族の令嬢にとって、夜会とは極めて重要な意味を持つ。ここでどんな男性を捕まえるかによって、彼女達の未来が決まるからだ。その為、爵位を将来受け継ぐことが決まっている貴族の男達をめぐる女の戦いは、熾烈を極めている。
しかし、そんな女性達よりも更に過酷な戦いに身を投じる者達がいた。
その中の一人であるアルフレッドは、バルコニーの手すりにもたれながら大きなため息をついていた。
「はぁ。ホントついてないよね。絶対に落ちたと思ったんだけどなぁ。結構尽くしたたつもりだったんだけど」
「世の中そんなに甘くないって! 年上の未亡人に遊んでもらえただけでもよしとしろよなアル坊!」
薄墨色の軍服に身を包んだ隣の男が元気を出せとばかりにアルフレッドの肩を叩くと、反対隣に立つ夜闇の色に染まる軍服を纏った青年も、
「諦めろ、アル。所詮十も年下のお前なんて火遊び相手にしかならないだろう」
そう言ってこちらも同じくアルフレッドの肩をばしんと力強く叩いた。
しかし、アルフレッドは尚も浮かない顔である。
「あーあ、もう一回初めから仕切り直しかぁ。どうしよう、あと一年しか期限はないっていうのに」
「なあ、アル坊。無駄な足掻きはやめてさ、俺達と一緒に仲良く筋トレしようぜ? 団員達は皆気のいい奴ばかりだし宿舎は意外に快適だし。お前もすぐ馴染むって」
「やだよ! 体動かすとか疲れるじゃん。僕はガイアみたいに筋トレは趣味じゃないし。それに女っ気もないしむさ苦しいし暑苦しいし男臭そうだから絶対に嫌だね」
確かに、ガイアの体は灰色の服の上からでも分かる程、筋肉が盛り上がっている。ついでに言えば、彼は頭の中まで筋肉で支配されているともっぱらの噂だ。
「だがこのままだと、お前の行く末は騎士か聖職者だぞ」
「だから、そうならないように今頑張ってるんじゃないか。僕はバルト兄さんやガイアみたいに騎士団に入団するのはごめんだし、ましてや修道院行きなんて冗談じゃない。……絶対に貴族のままで居続けてみせるんだから」
兄であるバルトの言葉に、アルフレッドは瞳に強い光を宿らせてそう言った。
アルフレッドは侯爵家の四男である。その為生活に困ることはなかったが、生まれついた順番が悪かった。
侯爵家を継ぐことができるのは長男である兄のみで、それ以外の兄弟は自身で生計を立てなければならなかったからだ。実際、二番目の兄は商才があったのか商売人になり、三番目の兄であるこのバルトは、ここ王都で腕っぷしの強さを生かせる騎士団に入団した。
だが、アルフレッドはそのどれも嫌だった。できることならこのまま、貴族として生きたいと。裕福な侯爵家での暮らしにどぶどぶと漬かってしまった苦労知らずのアルフレッドに、それ以外の生活など考えもつかなかった。
そうなってしまったのは、彼が周囲の者にとんでもなく甘やかされて育ったことにも一因はあるだろう。
四兄弟の中で唯一、美しい母親に似たアルフレッドは、それはもう皆に可愛がられた。両親や兄達、屋敷の使用人まで、アルフレッドのどんなわがままも叶えてくれた。
結果、将来の進路を決めなければならない年齢になっても、何もすることなくいつまでもフラフラ遊び呆けているような人間になってしまった。さすがにこれはまずいと考えた両親は、アルフレッドに苦渋の選択を突きつけたのである。
『一年以内に自身の身の振り方を決めなければ、強制的に修道院か騎士団に送還する』と。
得意の泣き落としを使ってなんとか説得を試みたがアルフレッドだったが、二人の決心は固かった。
そこで彼が考えた末導き出した答えは、入り婿作戦であった。
標的は、男子のいない家の令嬢か、夫に先立たれ爵位を受け継ぐことになった未亡人。この国では男子がいない場合、女性でも爵位を受け継ぐことができる。しかし血を残す為には必然、彼女達も相手となる伴侶が必要である。
そんな彼女達と婚姻関係を結べば、アルフレッドは面倒な当主としての仕事もしなくていいし、今のように貴族の立ち位置で楽しく遊んで暮らすことができる。
ということで早速彼は、社交界を渡り歩き相手探しを開始した。
顔立ちの良さと人懐っこい性格から遊び慣れしているアルフレッドは、特に年上の女性に取り入るのがうまかった。今回も己の武器を最大限に利用し、若くして夫に先立たれ、子供もいない美しい未亡人の女性を口説き落としたのだが、相手の方が上手だったようで振られてしまったのだ。
仕方がないのでアルフレッドは、新たな標的を探すべく、再び社交の場へと足を運び、現在に至るという訳だ。
しかし。
アルフレッドのような考え方をする人間はたくさんおり、なおかつ条件に当てはまるご令嬢や未亡人というのは、爵位を受け継ぐ長男よりも数が圧倒的に少ない。その為、競争率が半端なく高いのだ。
「今回の夜会も、ぜーんぜん、条件に当てはまる人いないんだけど」
アルフレッドが頬を少し膨らませながら、不満げにそう言った。するとバルトが、
「大体都合よく相手が見つかるはずがないだろう。諦めて腹をくくれ。それにガイアの言う通り、騎士団はそう悪いものじゃない。俺やガイアのような貴族出身者は一般兵と違って部屋は個室があてがわれるし、給与もいい。それに規律はあるが、修道院に比べれば大分緩い」
「それでも嫌なものは嫌だよ! 第一まだ期間に猶予はあるのに、そう簡単に諦められるもんか。それよりさ兄さん。兄さんからも父さん達に、もうちょっと猶予を伸ばすようにお願いしてよ。今まであんなに僕のわがままを聞いてくれてたのに、二人とも全然取り合ってくれないんだ」
「お前って奴は本当にもう……」
頭を抱えるバルトをよそに、ガイアは身体つきに見合った豪快な笑いを飛ばす。
「しゃあねぇよ! お前含めて侯爵家全員がげろ甘の砂糖菓子に更に粉砂糖をたっぷり振りかける程甘甘に育てちまったんだからな! こんな風になったのはバルトにも責任はあるんだぞ? 俺がアル坊の兄貴だったら、そりゃあもうビシバシ鍛えて、そんな口きけないように育ててやったのに」
「ガイアの弟に生まれなくて本当によかったよ。ガイアなんかに育てられたら、全身ムキムキになっちゃって、絶対今より女の子にモテないもん。今のガイアみたいに」
「お? そんなこと言っちゃうか? 言っとくけどこれでも俺、街では女の子にキャーキャー言われる口だぞ? この前だって暴漢に襲われてた女の子助けたら、その子に一目惚れされてな……」
「確かに声をかけられることは多いが、その後すぐに振られるんだけどな。外見も内面もあまりに暑苦しいという理由で」
「余計なこと言うなよバルト!! 折角このアル坊に、騎士団に入ればいかに女の子にモテるかっていう話をして少しでも嫌悪感を取り除こうとしてたのに!」
弟の育て方に口を出され、仕返しのつもりなのかそんなことを言ったバルトにくってかかるガイア。
だが、確かに女の子にモテるかどうかも重要ではあるが、それよりもアルフレッドにとって大事なのは今のような生活ができるかということだ。なので、いくらガイアが騎士団の良さを力説しようと、貴族の生活に勝るものはないのでアルフレッドが説き伏せられることはない。
「はぁ。本当にもう嫌になっちゃうなぁ」
アルフレッドを挟んで尚もやいの言い合う二人をよそに、彼は碧の瞳をやる気なさげに会場内へと向けた。
と、その時、一人の男が手を振ると、アルフレッドに向かって駆け寄ってきた。
「アルじゃないか! なんでこんなとこにいるんだよ。ついこの間、羽振りのいい未亡人を捕まえたって言ってなかったか?」
彼は伯爵家の三男で、アルフレッドと同じ野望を持つライバルであり同志でもある。男の言葉に、アルフレッドは何も答えず、代わりに曖昧な笑みを浮かべると、状況をすぐに察したらしい。
「そっか。アルでもあの女性は落とせなかったか。さすがは気位も家柄も高いお人だよな。ま、高嶺の花だたって思ってすっぱり諦めろよ。……それよりさ、ビックニュース!! 今この会場にティール伯爵が来てるらしいぜ? お前も噂は知ってるだろ? 西の領地を牛耳る未婚の女領主。これってチャンスじゃない?」
「嘘!? 本当に!?」
男の言葉に、アルフレッドの瞳の奥に生気が宿る。
広大な敷地を持つティール家。男子が生まれず、爵位を継いだのが、その家の長子であったティール家の娘だと聞く。確かまだ未婚で、結婚適齢期は過ぎているがこの前の未亡人よりは若いはず。伯爵としての仕事が忙しいのかなかなか夜会には参加しないせいで、情報があまり伝わってこない謎の人物でもある。
「これを逃す手はないよな。な、お前も参戦するだろ?」
同志の言葉に、アルフレッドは勿論と一つ、頷きを返した。
「当たり前じゃないか。で、どこにいるの?」
「あそこあそこ、ほら、ちょっとした人だかりができてるだろ? あの真ん中にいるってさ」
「早速行かないと」
「お互いに頑張ろうぜ! 目指すは甘い汁を吸い続ける貴族としての生活を確立すること、だぜ」
爽やかな笑顔を見せると、男は再び会場の熱気の中に姿を消した。そんな彼を見送ったアルフレッドは、後ろで諍いを終えたらしいバルトとガイアに視線を戻す。二人は複雑な表情でアルフレッドと彼の友人が消えた先を見つめていた。
「類は友を呼ぶ、ってまさにこのことなんだな。アル坊みたいなめでたい脳味噌持ったお気楽な貴族の甘ちゃんって、他にいたんだな」
「ガイア、あいつの周りは、あんなのがごろごろいるんだぞ……」
「めでたい脳味噌持ちで悪かったね。まあとりあえず、そういう訳だから、僕ちょっと行ってくるね」
酷い言い草に一瞬むっとした表情を浮かべたアルフレッドだったが、今しなければいけないことは一刻も早くティール伯爵の元へ行き、周りのライバルを蹴散らし彼女の視界に入ることである。
すぐに苛立ちの感情は体から追い出すと、女性が一発でとろける彼の一番得意な笑みを浮かべ、軽い足取りでアルフレッドはごった返する会場の中へ足を踏み入れるのだった。