最後の戦い-1
俺にはその屋上での光景は信じられなかった。
海奈が、今にも殺されそうになっていた。未来に。
「やめろー!」
ビクッと、未来が反応する。
「お兄ちゃん…」
「未来! 何やってんだ!」
「止めて…」
「え?」
「私を止めて!」
何を言っているんだ? どうにも矛盾している。もしかして、もうそのもう一人に取り込まれた?
「ったく、小娘がでしゃばりやがって…。死ね綺無海奈」
未来がナイフを掲げ振り下ろすまで。それはもうほとんど一瞬のことで、でも、俺には数十秒にも感じられた。
「やぁぁぁ!」
「うおっ!?」
「千秋!!」
千秋が動いていた。タックルを未来にくらわせた。
「綺無海奈、だっけ? 大丈夫?」
「あ、ありがと」
「んだよ! そいつを殺せば、俺の…いや、この身体にあるどす黒い感情は少しは消える。それと、紅莉栖川アリスの殺害。これが今回の主人の願いだ」
「…嘘だろ?」
「本当だよ。ついでにお前らも殺しとくか? いや、お兄ちゃんには手ェ出すなって言われてるからな。手ェ出さねえようしねえとな」
未来が黒い笑みを浮かべる。いや、もう未来でも無いのか?
「しかし、だ。月見里千秋、お前にはあの神からの忌々しい加護がついてやがる…そして綺無海奈、やはりお前を殺すのは惜しい。不知火未来という身体があったからこちらに入ったが、こいつがいなければ、お前の身体を奪ってたよ。ならこの二人しかねえよな?」
二人…未来が指差した二人とは、俺が連れてきた二人だった。
「…トランジェディー。ここでみんな死ねば完成だな」
トランジェディー…惨劇、か?
「さて、殺すか。おおっと、動くなよ。動いたら死ぬのが早くなるだけだぜ? 助けを待つなら動かないほうがいい。来るかどうか知らねえけどな!」
「くっ…」
「はっ、ざまあねえな。どっちから殺そうか…ん? このガキ、まさかな。が、すぐに殺すことに越したことはねえ、死ねっ!」
パァン。
耳の痛くなるような銃声が聞こえた。まさか…未来が殺ったのか?
違った。未来は手を抑え蹲っていた。誰が撃った? 海奈か? 違う。千秋か? 違う。誰だ?
「違うでしょ。未来の願いはそんな悲しいことじゃない! あの子はあの子は誰よりも平和を願って、誰よりも人を愛してた」
紅莉栖川アリス…一度目の原因。
「アリス! だめ! やめて! 来ないで。私は、私はあなたを殺したくない!」
見ると、未来が必死に叫んでいる。
未来についてるやつはどこだ?
「え? 未来……爆峰グレイは?」
「ここだぜ?」
声はどこからした? 辺りを見渡す。
「紅莉栖川! やつはどこ…だ…」
「グレイ! やめて…私を操ってどうするのよ…」
紅莉栖川は胸を押さえ蹲っていた。
何かに…見えない何かに抵抗している。ように見える。
「お前が一番、操りやすくて強いからだ」
その声とともに紅莉栖川は蹲るのをやめた。
「いいねえ…。未来よりも使いやすい…」
「紅莉栖川が乗っ取られた?」
「返して」
紅莉栖川…いや、爆峰の前に立っていたのは…未来だった。
「未来! なにしてんだ!」
「返して。私を返して…紅莉栖川アリスを、私の愛を返して!」
愛? 紅莉栖川は未来の愛?
「…未来。俺はお前にどれだけ協力したと思ってんだ。恩を仇で返すのか?」
「違う。違うよ。グレイ、あなたは間違ってる。私を勘違いしてる」
「どういうことだ?」
「私は別に世界を壊したいとか変えたいとかそういうことを思ってるわけじゃない。私が願ったのは…紅莉栖川アリスに会いたいだけ」
「……………」
「会って、仲直りしたかっただけ」
「そうか。それは…残念だな」
「え?」
「俺が望むのはトランジェディーだ」
爆峰の殺気が一気に膨れ上がる。
未来が殺される…させるかよ。
欲望が膨れる。無力な俺に力を…未来を守るだけの力を…。
「未来から離れろよ」
「嫌だな。こいつはここで殺す。黙って指をくわえて見てな」
突如として、視界が動く。爆峰が近づいてくる…蹴りを入れるか。
「よっと」
「ぐっ…!?」
爆峰の表情は歪み飛ばされていった。
いや、ちょっと待て。いきなりどうした俺の身体。
…考えるだけ無駄だろう。そういうものなんだ。何か分からず渡されて、用途も分からず使い回すのが人だ。…たとえ悪魔の力だろうとなんだろうと。
「未来、空と栞を助けてやれ。俺が食い止める」
「う、うん」
たったったと未来は駆けていく。
「非情だな、本当に」
「俺はそうは思わない」
「…うるせえな。少し未来の身体借りただけだろ?」
「あ? どうやら、もう少しいたぶられたいらしいな」
俺は胸倉を掴み、そのまま持ち上げる。
そこはやはり、紅莉栖川アリスの身体なだけあって軽い。
「や、やめてよ…私が死んだら未来が悲しむよ」
紅莉栖川の声を使って爆峰が話しかけてくる。
「未来が悲しむ? だからなんだ?」
「え? ど、どうしたの…? 私を殺すの?」
「…っ!? ああ! 欲望が膨れたのはお前のせいか!」
ニタァと紅莉栖川の表情が黒くなっていく。
「欲望のままに殺してよ。私を」
「……………」
「未来のために殺してよ?」
「未来のために…?」
「そ。殺そう? ね?」
「そうだ…俺は…未来のために……うわっ!」
俺が紅莉栖川の喉に手をかけようとしたその瞬間に横から何かに突撃され、倒れ込んだ。
「暁! 何してんの!」
「千秋」
「いいんだよ殺しても。別に誰でも構わない殺せ! この俺を、爆峰グレイを!」
「煩い」
冷や汗が垂れ、空気が重く、息ができない。誰かの放ったその一言はそんな風に場を一瞬で支配した。
「爆峰、お前煩いよ。お前を迎えるためにわざわざ、私が登場してあげてたのに。そんな私を殺そうとするわ、他の人からは疑いの目をかけられるわ、散々だよ。トランジェディーがお好きなら、しちゃってもいいよ? 悲劇的な終局に」
言っていたのは綺無海奈。この物語の唯一のイレギュラーな存在。
「殺せとか殺すとか、物騒なことばっかり言って、なんなの? かまってちゃんですか? いや、そんなことどうだっていい。とりあえず、元の箱に戻ろう? 爆峰」
元の箱? なんだ、それは。
「そうだ。それがいい…とここで言えたらどれだけいいことか。物語は全てを隠し、読者の知る権利を放棄して終幕だと? ふざけるなよ。俺の知ってる俺の物語は、語られて終わる。例え、主のオーダーだろうが、俺は知ったことじゃない。全てを語ってもらう。」
「…もうすでに語る権利は誰にもない。私以外には」
「じゃあ、主でいい。あんたでいいから語ってくれ。俺を。爆峰グレイを」
「私のペットだよ」
「…そんな語りがあるか」
二人が笑っていることに狂気を感じた。いや、それに似た何かかもしれない。とりあえず、この屋上から出なくてはならない。そんな気がした。
「んー! よく寝た。あれ? お姉ちゃんこんなところでグレイと何してんの?」
空が起きたのか。うん? なにか違和感を感じた。
「…空。おはよ」
明らかに綺無海奈の声が震えていた。
昼間とは態度が違う。
「うん? ああ、おはよ。で、グレイはなにしてんの?」
「グレイは、反抗期かな?」
「へえ…。それは、お姉ちゃんに対して?」
「…いやまあ、グレイなんにも知らなかったっぽいし」
「えー? 僕が親なのに? 心外だなあ」
空…? 親?
「おい、親ってどういう」
「どういうことだと思う?」
俺の言葉を遮って、空は聞いてきた。
「分かんねえからきいたんだろうが」
「そう。残念だね。もう少し、期待してたのに」
「…お前らは、なんなんだ?」
「なにって聞かれても、僕は、擬似悪魔の製作を研究してたんだよ。それで、偶然グレイが出来た。それなりに強い人じゃないと憑依できないようだったから、強い人を待ってたんだけど、未来は最適だった。一回目の話を聞いた時、未来なら大丈夫だと思った。結果として大成功じゃん? まあ、産みの親を忘れるなんて、計算外だったけど。お姉ちゃん、どうする? この人たち。殺しちゃう?」
「空…、悪いけど、私は貴方にはついていけない。呼ばしてもらう。あの人たちを」
「…父さんたちを呼ばれると、面倒なんだけどなあ。まあいいや。お姉ちゃんには攻撃できないから、呼ばれるのを邪魔できないし、どうせなら、できるだけ相手は少ない方がいい…」
空は、こちらを見て、ニヤリとした。
「爆峰! 今すぐ、紅莉栖川から離れろ!」
「あぁ!? なに言ってやがる」
「俺がお前を語ってやる! だから、離れろ!」
「言ったからな!」
ゆらりと紅莉栖川が落ちていって、踏みとどまった。
「グレイ! 未来に憑け!」
「え? お兄ちゃん、なに言ってっ!? ああ…この感覚…嫌いじゃないかも」
…なんか、グレイが遠慮したのか、未来が主権を握ってるようで。それにしても、目が据わっていて、やたら恐怖を感じた。
「あはは。はは。は。ああ、いいねえ。これ。なんか、力が有り余るって言うか。今ならなんでもできそうって言うか。そんな感じ」
「み、未来?」
「お兄ちゃん。なんか、私、大丈夫そう。心配しないで」
「そうか。なら、千秋は俺の後ろに隠れてろ」
「ちゃんと守ってよ?」
「分かってるよ。あん時みたく守ってやるよ」
「! 覚えてたんだあの時のこと」
「まあな」
さて、戦闘開始か。
まさか、爆峰グレイというボス戦の後に、軌妃空とかいう隠しボスなんて聞いてねえっての。
嫌だなあ。戦いたくない。
誰かトリガーいないかな。この戦闘を終わらせてくれるような。そんなトリガー。
「全く。みんなして僕を虐めるんだ。まあ、分かってたことだけど」
「今回は、普通に恋愛するかと思ってたのに」
「お姉ちゃん。僕は悪魔への興味でいっぱいなんだ。人を愛す暇なんてないよ」
「変わったね空。あの頃の空はもっと人間だった。だけど、もう変わらない結末には飽き飽きしてるの。終わらせよう。なにもかも!」
そう言い放って、海奈は空にグーを喰らわせようとする。
「お姉ちゃん? そんな鈍い攻撃が当たったら、人類苦労しないよ?」
と、物の見事に避けられる。
「悪魔研究者が、人類を語るな!」
また、海奈はグーで殴りかかる。
「うざったいな。お姉ちゃん、僕に勝てないの分かってるでしょ? なんで戦うのさ」
「悪魔より人が好きだから」
「そう。じゃあ、殺すしかなさそうだね」
パァン!
銃声が響いた。
「くっ…」
見ると、空の手が、撃たれていた。手のひらが鮮血で染まっている。
「離れてください。その人は殺させません」
…未来? いや、未来は横にいる…あれは、まさか、後輩の…
「栞ちゃん! ダメ!」
「海奈さんも、すこし黙っていてください。私は今、怒り心頭なんです」
軌妃栞が、紅莉栖川アリスの使っていた拳銃を構えていた。
「ねえ、まだチョコ食べてるの? 昼間私が当てたチョコ。匂いがまだするんだけど」
「もしかして、そのチョコって150%とかいう規格外のチョコレートか?」
野太い声とともに、俺と千秋が登ってきたところから、一人の男と、一人の女が登ってきた。
「あ、おう、海奈。酷いやられようだな。おい」
「あ、あ…お父さん!」
「全く。どうして、お兄ちゃんの子供の不祥事を私たちが片付けなきゃなんないのか。ほんとわかんない」
「お母さん!」
どうやら、海奈の両親のようだった。
「どうするよ彼方」
「どうするもこうするも、海奈をここまでされて、私が黙ってると思うの? 遥」
「ないな。俺だって、腸煮え返りそうなんだ。海奈、こっちこい」
タッタッタッ、と海奈は身軽にも、駆けて行った。
「あ、んーっと、栞ちゃん?」
「お久しぶりです。彼方さん」
「あなたもこっち来てたら?」
「はい。あ、先輩たちも来てください」
「お、おう」
栞に言われるがままに俺たちも海奈の両親の方へ行く。
「え? なになに。栞ちゃんそっくりな子がいる。すごいよ遥」
「うわ、ほんとだ。そっくりだな」
まじまじと見られ、未来は困惑していた。
「アガァァァァア!」
その声の出処は、やはりというか、空だった。
「…なんだありゃ?」
「遥、あれ、多分もう手遅れ。お兄ちゃんには悪いけど、どうしようもないよ」
「じゃあ、どうするんだよ彼方」
「うーん。懲らしめよっか」
二人はそんなことを話し合いながら、俺たちの方を向いた。
「空は任せて。海奈、みんなと一緒に帰ってて。そうだな、栞ちゃんのところがいいかな。一番、安全そうだし」
「で、でも!」
海奈の母さんの言葉に海奈は異議を唱えたが、大丈夫だ、と言い返されるだけだった。
「じゃあ、海奈、俺たちは大丈夫だとは思うが、一応燕真さんたちを呼んでおいてくれ」
「…うん。うん。分かった。みんな、逃げよう」
「ああ」
俺たちは、海奈とともに階下へと逃げた。