彼等の日常と緊急事態
栃木県宇都宮市
陸上自衛隊宇都宮高等学校
7月初め 午前6時
もうすっかり慣れきった起床ラッパでもぞもぞとベッドから起きて、下にジャージ、上に迷彩の作業着に着替えて居室とよばれる部屋ごとに廊下に整列する。
そのまま寮の外へ出て朝礼。そのまま食堂へ行き、ハイカロリーな食事をたらふく胃袋に詰め込んだ後、生徒舎へ戻り清掃、着替え。課業の準備をして課業行進--------
これが小笠原達、自衛隊高校の生徒達の当たり前の日常生活だった。
フツーの高校に通っている者からみれば、非日常な生活もここではそれが常識なのだ。
逆を言えば遅刻しそうになり幼馴染の女子と一緒に通学路をダッシュし、教室に滑り込むというような生活は小笠原達にとっての非日常だ。
なにしろ彼らは高校生でありながら特別職国家公務員なのだから。
小笠原はいつも通り教室に入り、指定されている入口側の一番前の席に座る。背の低い彼は教官に当てられることも少ない。それでもキッチリ第二種夏制服を着こなし、気合い十分である。
「小笠原、うーっす!」
聞きなれた声に入口に目をやると、友人……というより悪友に近い同期、井本翔である。
「悪いけど昼飯までに英語の課題写させてくれ」
「また? いい加減自分でやってきてよ」
「俺は生粋のジャパニーズだからな。英語が出来ないのは仕方がないことだ」
そんな会話をしているうちに教官がやってきて早鳴きのセミの声を聞きながら今日の課業が始まった。今日始めの課業は『総合安全保障について』だ。
「おい! お前、普通の安全保障と総合安全保障の違いが分かるか!? 分からねえって!? 予習不足だな。
いいか? 安全保障っていうのは一方の国が攻められたら、その国と安全保障条約を締結している国が助けに行く……つまり、売られた喧嘩は一緒に買いましょうっていうことだ!
逆に総合安全保障ってのは外交、経済といった軍事以外の面で戦争を抑止し、いざドンパチ始まったら有利に国際社会が動くよう手回しすることだ! 分かったな!? じゃあ、今言ったこと最初からもう一度言ってみろ!」
というような具合で日々の怒涛の授業は過ぎていくのだ。
そんなある日。
いつもであれば定刻通りにやって来る教官が遅れてやってきた。なんとなくだがいつもと様子がおかしいと多くの生徒が直感で感じ取った。
「全員講堂へ、駆け足!」
理由は話されなくとも先ずは命令通りに行動する。それが身に染みている生徒達はまごつくことなく講堂へ走り出す。
「各教育隊ごとに整列! 点呼とれー!」
「連れてこられたのは俺達第二教育隊と第三教育隊だけみたいだな」
「そうだね。朝の教官達の雰囲気といい……物物しいね」
整列が終わると照明が落とされ、プロジェクターでスクリーンに映像が投影され始めた。そこに映っていたのは、よくテレビで見ることが出来るブルーのカーテンが特徴の首相官邸の記者会見室であった。
西条清憲内閣総理大臣が入室してきた。昨年の衆議院選挙で勝利し、捻じれ国会を修正したとして、高い評価を受けた我が国のトップにして自衛隊の最高指揮官である。
西条総理はスピーチ台に立つと咳払いを1回して喋り始めた。
『先日X日、東富士演習場において陸上自衛隊高等工科学校生徒が現在日本で生息していない謎の生物に襲われ負傷するという事故が発生しました。謎の生物に関しては現在調査中であります。
またこの生物の足跡を追跡した結果、あるほら穴から出てきたことが分かっています。』
そういうと脇からほら穴の写真のボードを抱えた職員がで出てくる。
『こちらのほら穴ですが調査の結果、太平洋戦争末期に日本軍が本土決戦に備えて掘った司令部壕であることが判明しました。
壕内部を捜索しましたところ……とりあえずこちらの映像をご覧ください』
すると会見室に液晶テレビが持ち込まれ、ビデオがつけられた。記者はまなじりを上げて、カメラマンはカメラの砲口を一斉にそちらへ向ける。
そこには北海道のような広い平野、突き抜けるように青い空が広がっていた。
『これは決して造り物でもなく、北海道の宣伝でもありません。単刀直入に言いますと、我々が今まで知り得なかった未知の土地が広がっていることが分かりました。
日本政府はこれを調査する方針を決めました。この調査は再度獣害が発生しないように、またもし仮にこの未知の土地に我々と交渉できる知的生命体が存在するのであれば、今後のトラブルを防止するうえでも接触することが必要になります。
当然この壕を埋めてしまえば諸問題は全て排除出来るでしょう。しかし、もし向こうに友好的な知的生命体が存在し、そこから何らかの利益が得られるとしたら? 我々がこの世界では得られないものが向こうに存在したら?
調査しない理由が見当たりません。
もちろん非武装というわけにはいきません。現地にどんな危険が潜んでいるのか分からないからです。
その為に現在、防衛省・自衛隊に災害派遣要請を出すことを発表します。その他関連法は現国会に提出する予定です』
総理はここで言葉を一旦切り、質疑応答へと移行した。記者達からは「異世界へ取材に行けるのか?」とか「なぜ自衛隊を派遣するのか?」とか矢継ぎ早に質問が飛んでいる。
『この未知の土地への取材は自衛隊を派遣後、安全が確認されたならば当然これは取材を許可しなければならないし、国民の皆さまにも情報を提供しなければならないと考えています。
また、警察では対応できないような事象が発生する可能性も十分あり得ます。起きて欲しくないですが、現地で交戦する可能性も考慮しなければなりません』
「ははっ、新しい映画の宣伝の割には気合い入ってんな……」
「だね……なんていう映画だろ……」
小笠原と井本のこの会話は全生徒の心を代弁していた。皆、この記者会見を本気になどしていなかった。そこへ館内放送が入った。
「発、放送部、佐藤士長。宛、第二、第三教育隊総員。
現在時における状況を第二、第三教育隊総員に達する。
災害派遣要請が発令。本校訓令に基づき出動する。
生徒は各個に戦闘装着セットを装備。搬出物品、64式小銃及び銃剣を携行。
すみやかにグラウンドに整列のこと。なおこれは訓練にあらず……」
放送部員の嫌に落ち着いた声が講堂に響きわたる。
『訓練にあらず』、放送では確かにそう言っていた。つまり---------
「マジかよ!」
小笠原達は一斉に生徒舎に全力疾走を始めた。
迷彩作業着に背嚢、鉄帽、半長靴といった必要な装備品は生徒舎に置いてあるからだ。走り去る生徒達に放送の声が追いかける。
「現在時、 〇九一五。
〇九三〇までに集合完了せよ」
自衛隊では数字の聞き間違えが無いように、 〇とか、一とか特殊な呼び方で24時間を表す。
スクリーンの中の総理が生徒の居なくなった講堂に向けて質疑応答の声をこだまさせていた。
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