第97話 幼女、お姫様と話す
「へぇ……」
ベラが興味深そうに自らの視線をエーデルに向けた。それは予想していなかった答えで、それから少しだけベラはそのことについて考えた後に口を開いた。
「あたしゃ、このラハール領を売る気はあったし、ベンマーク商会にそのための準備を頼んではいたんだけどね」
ベラも貴族になったとはいえ、伝手があるのはコーザとの縁によるベンマーク商会のみだ。故にベラはラハール領を買い取る相手を、ベンマーク商会を通じて探していた。しかし、それを知ってからエーデルたちが来たというのでは時間的な辻褄が合わない。
「けど、それを聞きつけてここに来るにはいささか早すぎる。これはどういうことだろうね?」
早馬を使った伝令を動かしていたとしても、そもそもモーディアス家の鉄機兵たちも併せてやってきたのである。明らかにおかしい状況に対してエーデルは気負うことなくその答えを口にする。
「元々わたくしたちは『ジェド・ラハール』にこの交渉を持ちかける予定であったのです。こちらに来て、それが不可能となっていることを知りましたが」
それはもちろん、ベラがラハール領を乗っ取ってしまった件のことである。交渉相手はすでに死んでいた。その事実を前にエーデルたちが困惑したのは間違いないだろう。
「とはいえ、ベラ・ヘイロー、あなたがどう出るかについてはこちらのコーザより聞いておりましたので、ここまで来ることにいたしました。正直に申しまして半信半疑ではあったのですが……状況は彼の言葉通りになったようですね」
その言葉にコーザが軽く会釈をする。ベラの今回の動きとその結果についてコーザだけがある程度の予測を以て対応できていた……ということのようであった。
「そしてベラ・ヘイロー、あなたがこの地を欲していないだろうということは旅の途中で彼の所属するベンマーク商会を通じて聞いております。また我々はこの地を欲している……であれば話し合う余地はありますね?」
真剣な眼差しのエーデルの問いにベラが頷く。
「ああ、問題はありませんよお姫さま。これ次第にはなるけどね」
そう言ってベラは親指と人差し指で輪を作ってニタリと笑った。それからベラは今の話を頭の中で吟味する。
(ま、ジェドと直接交渉するも良し。もしくはあたしらがジェドと戦闘に入っていれば、状況次第ではどちらかにも介入する気だった……てぇところかね。あっちの坊ちゃんはあたしらを潰したかったんだろうけど)
ベラの視線がエーデルの横にいるヴァーラに向けられると、ヴァーラは苦虫を噛み潰したような顔をしながら睨み返してきた。それ見てベラが「ハッ」と呆れたように笑うと、ヴァーラはさらにその視線を強めてきた。
(……ガキだねえ)
それがベラにとってのヴァーラの評価で、ベラの目には肩書き以上に見るところのない相手と映っていた。それからベラはエーデルに視線を戻して口を開く。
「で、どうであるにせよ、お姫さまはラハール領を手に入れようとしている。その理由は……聞いてもいいのかい? まあ、想像は付くけどね」
「そのご想像、お聞きしてもよろしいですか?」
逆に問い返したエーデルに、ベラは少しだけ目を細めてから「答え合わせというわけかね」と呟きながら頷いた。
「別に対した想像じゃあないよ。要はここをムハルドにくれてやるつもりなんだろうってだけの話さ?」
その言葉にベラの後ろにいたパラがぎょっとした顔をする。対してエーデルも、ヴァーラたちも言葉を返さない。その無言、その視線を見てベラは己の言葉が正しかったようだと理解する。
「元々この地はルーイン王国のものではあるが、ジェドのおかげでルーインかムハルドかよく分からない状態になっていたからね。かといって明け渡す……なんてのは業腹ものだろうが、今回はそれを良しとしてでも背中から斬り付けられるのを防がなくちゃならないほどに切羽詰まってるんだろうね。或いはこの地を担保に加勢でも頼もうってつもりなのかね?」
そう口にしたベラに対してエーデルは、少しばかりため息をついてから真剣な表情で頷いた。
「そこまで知られていますか。どうやら話はこの地まで届いているようですね」
エーデルの言葉にベラがヒャッヒャと笑う。
「パロマ王国とローウェン帝国が攻めてきてるんだろう? よほど、危ない状況みたいじゃあないか。なあ、パラ」
ベラが後ろにいるパラに声をかける。ローウェン帝国がパロマ王国と組んで攻めてきているとの情報をベラに伝えたのはパラである。そして、突然振られた話にパラも戸惑いながらも答える。
「え、ええ。しかし、ジェドがそれを受けるかというと……いえ、すみません。言葉が過ぎました」
己の頭の中にある疑問を口にしたパラが、慌てて謝罪する。だがエーデルはその言葉に対して少し微笑みながら口を開いた。
「ジェド・ラハールは引き受けるだろう……と、ガルドは言っておりましたわ。わたくしもよくは存じ上げませんが、根拠はあったのだろうと思います」
その言葉を聞いてベラはジェド・ラハールという男のことを思い浮かべる。戦いを経て、またこの館に来て、ジェドという男のことをベラもある程度は理解したと思っている。
くすぶり続けた男……それが、ベラのジェドに対する印象であった。戦士として高い技量がありながら、自らをこの地に縛り付けた男は、ムハルドと組んでルーインへと攻め込もうと考えるほどに戦いに餓えていた。
「まあ金か、新しい領地か。見合うだけの対価に、餌は戦線への参加か。アレは戦場でなら英雄になれる男だ。後はムハルドの件さえクリアできたなら受けた……だろうね」
そう呟いたベラの言葉にエーデルが「そうですか」と頷く。
「ベラ・ヘイロー。実際に相対したあなたが言うならばそうなのでしょう。彼は中央へ招く予定でした……が、もう過ぎたことではあります。今の領主はあなたですし」
エーデルの言葉に「まあ、そうだね」とベラが返した。
「いいだろう。交渉についてはパラ、アンタが対応しな。後であたしも見るから資料も用意しておくんだよ」
「はい。了解いたしました」
ベラの言葉にパラが恭しく頭を下げて、返事をする。それからベラはエーデルへと向き直して尋ねる。
「それで、他に何かあるかい? それとも話は終わりかい?」
「いえ。ガルド・モーディアスからあなたに言づてがあります」
その言葉にベラが目を細める。
「此度の戦。パロマの侵攻軍に対しての戦線への参列を期待していると」
「へぇ」
そう口にしたベラに、ヴァーラが立ち上がった。
「ヴァーラ」
咎めるエーデルにヴァーラは「申し訳ございません」と答えながらも、行動を止める気はないようだった。
「エーデルさま。これはモーディアス家の問題なのです。ベラ・ヘイロー、私と戦ってもらおう。モーディアスの宝剣を賭けて」
エーデルの苦い顔の横でヴァーラが叫ぶ。対してベラはそのヴァーラを一瞥してから一言口にした。
「断る」
「なんだと?」
勢いよく叫んだヴァーラをベラは笑顔で拒絶した。
「子供の遊びに付き合うつもりはないよ。遊びたいならガキ同士で遊んでな」
「お前の方がガキだろうがッ!」
目の前のテーブルに対してガンと手を叩きつけたヴァーラを無視しながら六歳児はエーデルを見る。その仕草でもはやベラがヴァーラを気にも留めていないのだとその場の誰もが分かった。
「このっ」
それに激昂したヴァーラが飛びかかろうと動こうとした時にはバルの手がカタナの柄にかかっていた。同時に護衛騎士がヴァーラの両肩を抑えて止める。
「ドーアン叔父上ッ!?」
「姫様の御前ですヴァーラ様」
そう口にした護衛騎士の視線はエーデルではなくバルに対して向けられていた。それからバルは護衛騎士とヴァーラの双方を見比べてから、残念だという顔をした後、鞘から手を離した。
「もう良い。離せっ」
ヴァーラはドーアンの腕を強引に払って、また席に着いた。
そして、ベラはエーデルに視線を向けたまま何も言わず、バルと護衛騎士、ヴァーラの動きも止まり、パラとコーザが緊張に顔を歪めていた。それからわずかな時間の後、エーデルが頷いた。
「こちらとしては以上となります。具体的な交渉についてはこちらのコーザにお任せしておりますので、良いお返事を期待しておりますわ」
さしものエーデルも自分の横でギリギリと歯軋りしているヴァーラには思うところもあったが、ベラが拒絶して終えている以上は何も言えることはなかった。
それからヴァーラはベラを睨みつけてはいたものの、それでは……と立ち上がったエーデルと共に部屋を出ていったのであった。
次回更新は12月18日(木)00:00予定。
次回予告:『第98話 幼女、気付く(仮)』
女の子は男の子に比べて早熟であると言われています。
ベラちゃんは六歳にしては大人っぽいと言われることもある子ですから、おバカな男の子なんて子供過ぎて相手にしていられないのでしょうね。




