第70話 幼女、見つめられる
モーガン・テイザーという男がいる。
その男はラハール領の東の玄関口として知られるミハイルの町の警護隊長であり、実質的な町の支配者でもあった。
なぜならばジェド・ラハールの部下の一人である彼に町長は従うことしかできぬし、何よりも鉄機兵二十機という暴力を前に逆らえる者などいなかったのである。
「良い娘だったぜ。おめえの種で生まれたにしちゃだがよ」
モーガンは寝室から出て、隣の部屋で待機していた男に声をかけていた。そしてモーガンの姿を見た中年の男は耐えるような顔でモーガンを出迎える。部屋の奥からすすり泣く女の声が響き中年男の表情をさらに暗いものとなったが、今はモーガンにへりくだって話をするしかない。彼らが救われるためには目の前の男の許しを得なければならないのだ。
「それでは……その私どものことは」
「けどな。まあ、罰は罰だ」
そして、鈍い音がした。それが自分の頭部が陥没した音だとは中年男が最後まで気づけなかっただろう。そうなる前にもう、その頭は完全に潰れていたのだから。
「お父さん。お父さん!?」
その音を聞き、部屋から裸の女が飛び出した。ガランと鉄の塊であるメイスが床に転げ、その横に今や哀れな肉塊と化した中年男が転がっている。その様子に女が絶叫した。
それを見てモーガンが笑う。
「おいおい。そいつは俺らの眼を誤魔化して荷物をチョロマカそうとした上に、自分の娘まで売るような男だぜ。何を怒っているんだ?」
「あんたはっ」
衝動的に女が飛びかかろうとしたところをモーガンは「馬鹿か?」と口にしながら殴りつけた。女は悲鳴をあげながら吹き飛び、それから床に落ちて転げていった。
「あ、やべ。やっちまった」
「モーガン様。いかがしましたか?」
激しい音が続いた部屋に、さすがに外に控えていた警護団の部下が入ってきた。
「いんや。なんでもねえよ。ちと処分と教育ってヤツをしただけだ」
モーガンが入ってきた部下に対してバツの悪そうな顔をしながらそう返した。それから少し考えて口を開く。
「そうだな。ズバロ、とりあえずこいつをミーチェんとこに売ってこいや。歯ぁ折れてっかもしんねーけど、あんま気にしねえだろ。後は俺もここを出るから戻ってくるまでにそこのゴミも片付けさせとけよ」
「あーはいはい。そんで外の積み荷の方は回収でええんですよね?」
ズバロの問いにモーガンは笑って手を振る。
「たりめーだろ。おっさんが死んで娘も売られちまうんだから、持ち主不在だぜ。勿体ねえから俺らでもらっておくしかねーだろ」
「この人でなッ」
床に倒れながらも叫びかけた女をモーガンはその場で蹴り飛ばすと、ゆるんだ自分のズボンをあげてベルトを締めながら上着を羽織る。
「まったく、これだから田舎娘はいけねえや。ズバロ、それ持ってく前に使っても良いぞ」
「こんな鼻血まみれの女いらんですよ。おりゃあ、夜にはキャシーんとこに飲みにいくんすから」
「はっはっ。あの女んところか。まあ、頑張りな」
悪態付く部下とうずくまって泣き続ける娘を後目に、モーガンは外へと出ていった。そのモーガンのいる建物は街の入り口近くの詰め所である。モーガンは建物の横に止めてある己の鉄機兵『ラーガ』を頼もしそうに見ながら、建物の外に設置してある階段を使って一階へと降りていく。
「まったく仕事熱心だねえ、おりゃあ」
そう口しながらモーガンは建物の横に置いてある荷馬車を見た。さきほど始末した男の荷物の乗っている馬車だ。
床には二重底の積み荷の水増しがしてあり、その中身はモヘーロ草という魔薬の原材料であった。ムハルド王国では戦意昂揚のために使うものだが、それをラハール領を経由して密輸しようとしたのだからその罪は実際に重かった。
(つーか、殺っちまったのは拙かったかもなあ。まあなんかあったら、あの娘を差しだしゃあいいか)
荷物の送り先や背後関係を考えれば男を殺すべきではなかったのだろうが、モーガンもそこらへんを深く考えずにノリで殺してしまった。とはいえジェドに知れたとしても、さきほどの娘が何か知ってるだろうと言って差し出してしまえば、ひとまずは面目も立つ。そう自分を納得させて、モーガンはその件を綺麗さっぱり忘れることにした。
そして、モーガンが詰め所を出てふらりと門の前に近付いていくとざわめく声があがっているのに気付いた。
「なんだぁ、この騒ぎは?」
「あ、モーガン隊長」
モーガンの声に気付いた部下の一人であるゴッツが近付いてきて、声をかける。
「よお、ゴッツ。なんだ、この騒ぎは?」
「いやー、あれです。あの巨大なトカゲ」
モーガンの問いにゴッツが門の外を指さした。
「おお、でけえ……」
モーガンもその姿を見て思わず呟いた。そこにいたのは鉄機兵を載せた鉄機兵用輸送車と、それを牽いている巨大なトカゲだったのだ。
「なんとも立派なもんじゃねえか。翼まで生えてやがる。なんだ、ありゃあ。ドラゴンみてえだな」
「でしょう? 合成獣にしてもデケエですし、やけに大人しいんですよ」
ゴッツにそう言われると、モーガンもますます気になって、目を細めて巨大トカゲを観察する。
「巨獣使いの腕がいいのか。そういう種類なのか。なんにせよ、砂漠のフレイアリザードよりもデケエってのはすげえな。おっそろしいもんだな」
そう感心するモーガンにゴッツがさらに笑みを浮かべて口を開く。
「けど、中身もすげえんですよ。あの鉄機兵用輸送車の上に立ってる嬢ちゃんがどうも頭らしいんですがね」
その言葉に、モーガンの視線の先が鉄機兵用輸送車の上に立っている奇妙な子供へと向けられる。
「あれが団長だと?」
明らかに子供である。着ているものこそ明らかに良いものだとは見てすぐに分かるが、それでもただの幼女であるようにしか見えない。
「なんでも、連中は傭兵団ってことらしいです。それで団長があのガキらしいんですが……その、ラーサ族です。ムハルドの偉いところの娘かなんかですかね」
「出身については言っていたか?」
「いえ。男爵位の貴族印を持ってますが、どこのというのは……」
その言葉を聞きながら、モーガンの視線は子供の身につけているものに向けられている。そこそこ良いものだろうとモーガンも見てすぐに分かったが、それにしても普通ではないことに気付いたのだ。
(なんだ、あのガキ? 腕に宝石をゴロゴロさせてやがる。ネックレスにイヤリングも……安物じゃあねえぞ)
「中身って言ったな。積み荷は鉄機兵か?」
「ええ、後は食料などもあるんですが……その」
ゴッツがボソリと口にする。
「連中、かなりの量の宝石やインゴットを積んでます。ちょっとやそっとの額じゃねえんですよ」
「身元は確かじゃねえんだな」
部下の意図を察して、モーガンはにやりと笑いながら尋ねる。
「へえ。それはもう」
ゴッツの言葉に「なら、問題ねえな」とモーガンが言葉を返す。
「連中はこれからどうする?」
「あの娘と護衛は街に泊まるらしいですね。当然鉄機兵やあのトカゲ車は外ですが」
鉄機兵や巨獣を街に連れ込むことは、戦時下などの緊急時でもなければラハール領でなくとも普通は許可されない。貴族であるならば特例も通るだろうが、それにも町長などの許可は必要なのだ。
「鉄機兵は三機。精霊機は三人ですね。後はあのトカゲですが巨獣使いの姿が見えんのです」
ゴッツの言葉にモーガンは少し考え込むが、すぐに何かを考えついたのか頷いて、口を開いた。
「ガキが護衛を連れて街に入るんなら都合がいい。夜にどちらにも仕掛けるぞ」
「よろしいんで?」
持ち掛けてきたゴッツだが、相手は一応の貴族だ。対するモーガンはすでに乗り気であった。目の前にある宝石箱を開けたくて仕方がないという顔をしている。
「なあ、あのガキの身につけてるもんを見てみろ。指輪ひとつでてめえが何年も酒浴びて生活できんぞ」
「でしょうな」
ゴッツも少し離れた先にいる褐色肌の幼女をチラリと見た。
「おまけに身分を隠してるんだか、明かしてもいねえとくりゃ、旅の途中で何者かに襲われて、姿を隠したとしても仕方のねえことよ」
「そうですね。そいつぁ、仕方ありませんよね」
モーガンの言葉にゴッツも嬉しそうに首を縦に振る。
「こりゃあ俺らにもらってくださいって神様がよこしたプレゼントに違いねえ。今まで生き残ってるのが不思議なくらいだが……ま、ルーインの温い土地を回ってたんなら仕方がねえわな」
モーガンのような発想を他の街の連中が本当に考えなかったのか……という当然の疑問に対する答えをモーガンは持っていない。何故、彼らがここに来るまでに無事だったのかの理由を知ればモーガンも考えを改めただろうが、それをモーガンは知らなかった。
ある傭兵団が通り過ぎた街で、いくつかの武装集団が潰され、全滅している。そんな噂はまだミハエルの町には届いていなかった。
そして、モーガンとゴッツの欲に走った視線など、疾うの昔に鉄機兵用輸送車の上に立つ幼女は感じていて、それをせせら笑っていた……などということもまた、当然モーガンたちは理解をしてもいなかった。
次回更新は9月1日(月)0:00予定。
次回予告:『第71話 幼女、狙われる(仮)』
新しい町でさっそく熱い視線を受けてしまったベラちゃん。
ベラちゃんはまだ小さいのにモテモテです。
それに、どうやらサプライズパーティも計画してくれているようですよ。




