第386話 少女、潰す
突き進む。突き進む。多くの亡骸を越えて。多くの残骸を越えて。
ベラ・ヘイロー率いるベラドンナ同盟軍がドラゴンヘッドたちと死闘を繰り広げながら突き進んでいく。ローウェン帝国軍も共闘とまではいかぬが、その矛先はドラゴンヘッドへと向けられていた。
そんな中でももっとも激しい戦闘が行われているのはやはりベラ・ヘイローの周囲であった。もっともそれも当然のこと。彼女は黄金の瞳で元凶に向かって突き進んでいたし、元凶の方も彼女の元へと近づいていたのだから。
故に両者の邂逅はただの必然であった。精鋭と共に身構えるベラの乗る『アイアンディーナ』に対し、無数のドラゴンヘッドを引き連れて『ソレ』が地中より出現したのだ。
『へぇ、アンタがジーンなのかい?』
ベラがソレを見上げながらそう口にする。そこにいるのはさながら巨大な蛇の塊のようだった。けれども各々の頭部は竜のものであり、さらにはビッグドラゴンヘッドと称されているモノよりも大きな竜の頭部が塊の中心から出ていた。
そしてベラのその問いは通信機を通して周囲の兵たちにも伝わり、驚きの声が上がった。普通に考えて目の前の怪物が皇帝ジーンの成れの果てだと気づける者などいるはずもないがベラには確信があった。直接会ったことはない。もはや人の姿をしてもいない。それでもベラは目の前の怪物がジーン本人であると確信していた。
『クィーン……だな』
対して発せられた巨竜の言葉に周囲がどよめく。
ベラが告げた巨竜の正体にも半信半疑ではあったが、巨竜が喋れるほどの知性があることに愕然とした。
『クィーン? 違うねぇ。あたしはベラ・ヘイローだ』
『其方の認識などどうでも良い。我には分かっている。我には視えている。死臭漂う人形とは違う本物の姿がな。認めようベラ・ヘイロー。其方こそがクィーンだ』
有無を言わさぬ強制力を持った声。その魔力の籠った言霊にベラ以外の兵たちの心が揺らぐ。その言葉には『正しい』と思わせる力があった。或いは、その力を用いてジーンが戦争以外の方法で支配を選んでいれば、結果はまるで変わっていたかも知れない。そして、そんな力ある言葉がベラの否定など意味はないと告げている。ジーンにとってはベラがクィーンなのだと。
『話が通じない男だねぇ』
『お前を娶り、世界を統べる。竜なき大陸は竜が統べる大陸へと変わる。暗黒大陸も断崖大陸も我が支配しよう。何もかもを……』
そこまで口にしてから、ジーンは少しばかり口を閉じ『いや、そうではないな』と言葉にした。
ジーンの脳裏に蘇ったのはかつての決戦の時のことだ。老婆は勝ちを宣言し、ジーンに対してウォーハンマーを振り下ろそうとした。それで終わりだとジーンは覚悟していた。あの瞬間が己の終わりで、己の最高潮だったと。
『ああ、そうだ。ただひとつの後悔。人生で最高の刻を己で汚した』
けれども結果は違う。老婆は控えさせていた弓兵たちによって仕留められ、ジーンは生き延びてしまった。その事実にジーンは愕然とし、時を戻せぬことに絶望した。ロイに唆されてジェネラル・ベラドンナを蘇らせたのも失ったモノを取り戻そうと足掻いた結果だ。出来上がったのは紛い物で失望もしたが。つまりはそういうことなのだ。彼にとっての本当の望みは世界でも支配でもなく……
『決闘を。ただ決闘を』
『そうかい。要するにテメェは皇帝よりも戦士だったってこった』
ジーンの一言でベラはすべてを察した。
『ロマンチスト野郎が。あたしが勝ったらその頭、割らせてもらうよ』
『なるほど。それが『お前の心残りかクィーン』。良かろう。それができるのであればな』
次の瞬間、両者は一斉に動き出した。
鋼機兵と竜機兵の両方の特性を持つ『アイアンディーナ』はベラの意志を100パーセントに近い速度で伝達されて動き、巨竜と化したジーンはその圧倒的な質量と数によって攻撃を仕掛ける。それは英雄と怪物の戦いであり、神話の一場面のようでもあった。
地中とジーンの巨体からも無数のドラゴンヘッドが現れ、そこにリンローが、ザッハナインが、ロックギーガたちが挑み、引き裂き、噛み砕き、焼き尽くし、けれども何体かは地に沈んだ。ベラドンナ同盟軍も次第に集結していった。ローウェン帝国軍の一部もその戦列に参加した。敵であった者同士が手を取り合い、殺し、殺された。戦いはさらに激化し、闘争と死がその場に渦巻いていく。誰も彼もが命を燃やして、燃やし尽くすまで駆けていく。
『は、ははははは』
その中をガイガンは愛機『ダーティズム』を駆りながら戦い続けていた。
『ここまで……ここまで来るとはなぁ』
死にかけたドラゴンヘッドに止めの一撃を与えながらそう口にする。
ベラ・ヘイローに導かれ、故郷を捨ててここまでやってきた。
もはや老兵だ。武器を置いてベッドに横になっているのがお似合いの年頃だ。故にいつ死んでも構わぬと思っていたガイガンであったが、生涯最後に仕えるべき主人を見つけ、これまで以上に充実した生をここまで満喫し続けてきた。
『カールよ。愛する息子よ。お前は今どうしておる? ワシは戦っておるぞ。誉ある戦に立ち合えておるぞ。なぁ、アイゼン?』
背を預けていた叔父へと水晶眼を向け、声をかける。けれどもそこにあったのは上半身が食い千切られた『ミョウオー』の残骸だ。いつ殺られたのかは分からぬが、すでにアイゼンは事切れていた。ソレを見てガイガンは笑う。
『ははは、逝ったか。昔から叔父上はせっかちであったな』
その言葉に悲しみはない。ラーサ族の戦士は死など恐れない。戦えなくなるほどに衰えてしまうことこそが恐怖であった。なればこそ今、この瞬間こそが……
『ワシもそろそろだが』
竜が死んでいる。機兵の残骸が転がっている。兵たちだった肉片が無造作に散らばっている。それが戦だ。それが殺し合いだ。どれほどの部下が死んだか、どれほどの友が死んだか、英雄と呼ばれるにふさわしい者たちがただの亡骸となって朽ちていく。ここは地獄であり、彼らにとっては天国であった。
『……見届けねばなるまい』
血反吐を吐きながら、アームグリップを握りしめながら、フットペダルを踏み込んでガイガンは前へと進む。多くの戦友たちが待つ天空の草原へ昇る前に彼は見届けなければならない……と最後の命を燃やしていた。
『あの方の勝利を』
ガイガンは吼えた。力の限り、力を振り絞るために吠え続けた。膝を折らぬようにナイフを足に突き刺して固定した。その先に彼らの結末があるのだ。戦の音は消えていない。まだ戦っている。戦い続けている。そして土煙舞う中でガイガンは見た。
『ォォ、オオオオオオ』
ベラ・ヘイローの乗る『アイアンディーナ』が確かに巨竜の額をウォーハンマーで叩き潰す様を。そのあまりにも鮮烈な光景を目に焼き付けたガイガンは満足した笑みを浮かべたまま、静かに息を引き取った。
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『ハァ……』
ベラが大きく息を吐く。全身全霊を賭けて挑んだ戦いは終わった。
あの巨竜の頭部を破壊した時、ベラは自身の中にあったシコリのようなものがなくなったのを感じていた。けれども、だからと言ってそのことが嬉しいという感じはしない。
(なんというか……終わったって感じかい。そうだね。愉快ってわけじゃあない。ただ、終わったんだろうね)
何が終わったのかはベラにも分からない。けれども、ベラの中にある何かの因縁の決着がついたのだけは感じていた。それはきっとベラ・ヘイローではない別の誰かの決着で、ベラ・ヘイローにとっての決着はまだだった。けじめをつけるべき者がいるのだ。全ての元凶。その男の名は……
『イシュタリアの賢人ロイ。アンタ、まだ残っていたのかい?』
「君が来るんじゃないかと待っていたんだよベラちゃん」
かつて皇帝の柩があった天幕の前に老人がひとり立っていた。
イシュタリアの賢人ロイ。古代文明の生き残りを自称し、獣機兵や竜機兵、鋼機兵などを生み出し、ジーンをあのような怪物に変え、鷲獅子大戦後のローウェン帝国に再度の闘争を唆した張本人。その男は微笑みを浮かべながらベラの乗る『アイアンディーナ』の前にいた。
『アンタはウォートに連れられてケツまくって逃げていると思っていたよ』
「そうかい? でも、君はここに来た。流石の勘の良さだ。ちなみに彼と僕の従者はとうの昔にここから離れたよ。ナレインくんも国に戻った。彼らにはこの後にやるべきことがあるからね」
『それでアンタはどうなんだい? やるべきことは終えたとでも?』
ベラの言葉にロイはパンと手を叩いて破顔した。
「正解だよベラちゃん。そうなんだよ。僕のここでの仕事は終わった。結果は予想外ではあったけどね。鉄機兵よりも強力な鋼機兵。アレのプロモーションとしてはまあまあの結果さ」
ニタリとロイは笑う。彼にとってここまでの状況は想定内だ。ただ、やるべきことをして、ちゃんと終えたのだという充足感があった。
「やがて大陸中の鉄機兵はアレにとって変わられるだろう。既存の鉄機兵からでもアップデートが可能なのは君自身が証明してくれたしね」
すでに『アイアンディーナ』も鋼機兵化している。同じやり方かは不明だが、それは可能なのだろうとベラにも理解できる。同時に鋼機兵へ変える流れを止めることはできないだろうとも。
「種は蒔いた。後は収穫だけど、それには数百年程度は時間がかかる。だから僕はここで一旦退場しようと思ってね」
『ああ、不死身なんだって。古代文明の生き残り』
余裕のある表情のロイにベラはただ告げる。
感情のない声で、決定事項をただ告げる。
『けどアンタはここで死ぬ。未来を見ることは叶わない』
「ねえベラちゃん、輪廻転生って知って」
次の瞬間にはグチャリとウォーハンマーがロイの体を叩き潰していた。
「……転生とかそういう与太話はもううんざりなのさ」
どこまでも冷たい視線を向けながら、もはや人の形をしていない、飛び散った肉片にベラは吐き捨てるように言う。
「喧嘩を売られたら殺す。殺しに来たなら殺す。馬鹿にしてるなら殺す。舐めてるなら殺す。ムカつくなら殺す。あたしらはそういう連中なんだよ賢人さん。生まれ変わりたいなら勝手にしな。次見たらまた殺してやるよ」
そして、その一切の迷いのない一撃がこの戦争の最後の殺意となった。
こうして戦争はローウェン帝国の皇帝の敗走という形からベラドンナ同盟軍の勝利とはなったが、かつての鷲獅子大戦と同様に両軍共に疲弊し、さらには千竜ジーン誕生の波動によって魔獣が活性化したことで国同士が争いを行うのが困難な時代へと突入していくことになる。
その結果としてモーリアン王国を含む周辺国と穏健派である皇帝ナレイン治めるローウェン帝国は自国の立て直しを急務とし、早期に和平を結ぶことで戦争は終結となったのであった。
そして千竜大戦と名付けられた戦争から10年の月日が経過した。




