第383話 少女、本物と向き合う
「全く、こんなになってまで……本当に仕方のない子だねぇ」
意識が覚醒し始めたベラの耳に老婆の声が聞こえた。
それは先ほどまで耳に届いていた声と同じようではあったが、どこか別人のようでもあった。
そしてベラが目を開くとそこには予想した通りについ今まで戦っていた老婆の姿があった。もっとも額から血が流れ落ち、その顔は死人のように白い。それからベラが周囲を見渡すとそこは『アイアンディーナ』の操者の座の中で、胸部ハッチがこじ開けられて老婆が入って来たようだと分かった。
(無理矢理というより、ディーナが入れたのか。外は暗いし、臭いし、グラグラと揺れているし、魂力の輝きがなければここも真っ暗だったかもねぇ)
この場を照らしているのは鉄機兵を仕留め続けた『アイアンディーナ』が吸収しきれない魂力を漏らしている光であった。また開いた胸部ハッチの先にはひしゃげた黄金の機体の姿もあった。それを目を細めて見ながらベラが目の前の老婆に尋ねる。
「ここはどこなんだい?」
「ドラゴンの腹の中だろうね。或いはジーンの腹の中とも言えるかもしれないが」
その言葉にベラは納得したと言う顔をしてから、続けて老婆に鋭い視線を向けた。
「それでアンタは誰だい?」
ベラの問いを受けて老婆が笑う。見た目は全く変わらぬが、ベラはその老婆が先ほどまでの人物とは別人であると確信していた。
「へぇ、よく分かったね。ちなみに気づいた理由を聞いても?」
「あたしには魔力が視えるんだよ。さっきまでのアンタは赤と金の混じった色だったが今は血のように赤い。それに纏う空気も違う。それで同じ相手だと言われてもねぇ」
金色に輝く瞳を向けながらベラがそう口にした。それは魔力を視ることが可能な竜眼と呼ばれる眼であり、そこにベラがここまで培ってきた感覚がプラスされることで目の前にいる老婆が先ほどまでのジェネラル・ベラドンナとは違うと気づいたのであった。
「なぁるほど。よく視えてる眼だ」
そう口にした後、老婆はベラにこう告げた。
「あたしゃ魂の抜けたババァってところかねえ。ロイのヤツが言うにゃあ、魂と肉体ってのは重なり合う対の生物みたいなもんらしい。そんで、あたしの身体からは随分前に魂が抜けて、それをあの金色の機体、ディアナの魂が入ってくれたことで生き永らえていた。まあダメージを喰らい過ぎて今は分離しちまったがね」
「ハッ、つまりはご本人てぇわけかい。クィーン・ベラドンナ」
その言葉に老婆がニタリと笑う。その反応でベラは己の推察が正しかったと理解した。同時に呆れた顔をして老婆を見た。
「なるほどね。今更よくもまあしゃしゃり出てこれたもんだ。恥ってもんを知らないのかい?」
「ヒャッヒャ、気にしていることをズバズバと言う。敬老精神てものがないのかね」
「うっさいねえ。唾と血を飛ばすんじゃないよ」
老婆は喋りながら血を吐いていた。その顔色は悪く、そもそも機体のパーツらしきものが体に突き刺さっていた。そしてそれが自分を庇ってできたものだともベラは理解していた。
「ふん。どうやら助けられたようだが、なんでだい?」
「あの子が望んだからさ」
胸部ハッチの外にいる金色の機体にクィーンが視線を向ける。なるほどとは思うが、同時に疑問も浮かぶ。目の前のクィーンからはベラに対する執着は感じられないが、ジェネラルは違った。それがどういう感情からきているのかが分からなかったが、何かしらの特別な感情を自分にむけていたのは理解していた。
「殺し合おうとしたり、助けたり……あいつは結局何がしたかったんだい?」
「戯れ合いたかったんだろうよ。殺す気ではいたが、殺せるとは思っていなかった。あんたが本物なら自分に負けるはずもない……と、まあそんな感じでね」
「自分が死んじまっても構わなかったと?」
「死ねば魂力はそっちの子に流れる。アンタと一緒にいられるのには変わりがないのさ。あの子にとってはねぇ」
魂力とは文字通り魂の力だ。鉄機兵、それに鋼機兵は竜の化身であり、そのウチに宿る意志の死生観も人とは違う。より強き存在の一部となれるのであれば、それが己が望んだ相手であるのならば、それは彼女にとっては幸いであったろうと。
「ふん。本物ならずっとそばにいたじゃあないのさ。なのに出てこなかった理由はなんだい?」
「あたしゃ死んだんだよ。負け犬がどのツラ下げて戻ってこいって……」
そこまで言いかけて首を横に振った。
「いや、違うね。ただ自分を負かした男の顔を立てたかったのかもしれない」
そう言って苦笑する老婆にベラは「しおらしいこった」と返した。
クィーンが生き返ったのなら、彼女はモーリアンに戻るしかない。けれども自分を負かした相手が再び吹き込んだ命である以上は義理は立てたい。結局のところ、クィーンは目覚めずジェネラルとなった彼女が意識を表に浮かび上がらせた。それがジェネラル・ベラドンナという存在だった。
「アレに頭をかち割ってやろうってくらいの気概もなかったのかい?」
「そうだね。ああ、そうだ。あたしならそうしたはずさ。けど、もしかするとそういう気持ちは魂と一緒に天に昇っていっちまったのかもしれないねぇ」
そう言ってからクィーンがベラを改めて見た。そしてベラの頬に手を当てる。
「それにしても」
「なんだい?」
「散々似ていると言われていたが、あたしとアンタは全く似てないね」
「ハッ、負け犬に似てると言われても」
ベラの言葉に「全くだ」と返してクィーンが笑う。
そして外の『ゴールデンディアナ』の残骸を、それからベラへと視線を向けた。
「なあ、今際の際のババアの頼みだ」
「あん?」
「あの子を一緒に連れて行ってはくれないかい? 少々こじれちゃあいるが良い娘なんだよ」
「あたしが受ける義理はないんだがね」
ベラはそう言いながらも操者の座を、自分が乗っている『アイアンディーナ』を見る。
「うちの子は優しいからね。どうだいディーナ。仲良くやれそうかい?」
その問いに対して『アイアンディーナ』が目の前の金色の機体へと手を伸ばしていく。
「だそうだ。良かったじゃあないか」
「くっく、ようやく肩の荷が降りた気がするよ」
「そうかい」
そう返してからベラが口を開く。
「で、死ぬのかい?」
「そうだねぇ」
ベラを庇ったことで満身創痍ではあったが、それ以前の問題として彼女には生きる力がすでになかった。もとより本来は死人。生き永らえさせてきた原因がなくなれば屍に戻るのが道理だ。
「あたしゃ、ディアナの魂と重なることで生きてこれた。どのみち限界だったんだ。ただ……」
「うん?」
「ちょいと気にはなってた。魂は天に昇って天空の草原に至る。けれども魂の抜けたあたしはまだ生きてる。そうなるとあたしはどうなんだろうってね」
老婆の命の炎が消えていく。
「私も昇れるのか、それとも消えるのか」
ゆっくりと、終わりが近づいていく。
「……どうなんだろうね。ちょいと怖いんだよ。笑うかい?」
その問いにベラは肩をすくめて「別に」と返し、それからこう口にした。
「まあ、けど……死ってのはそんなもんなんじゃないのかい?」
「確かに……ねぇ」
その言葉に納得したという顔の老婆はゆっくりと座り込み、やがて瞳に宿る生命の光は消えた。それから胎動する肉の壁の中で赤と金色の光が満ち溢れていった。




