第375話 少女、そこには居らず
『ゾーンとネアのどちらも戦闘に入ったか。予想よりも戦場の動きが早いな。この場の空気がそうさせているのだろうが』
鉄機兵『ムサシ』を操り、バル・マスカーが戦場を駆けていく。通信機からは逐一戦場の情報が流れ、その内容にバルはわずかに眉をひそめていた。
ローウェン帝国軍とベラドンナ同盟軍の戦闘の火蓋は切って落とされ、戦場は即座に熱を帯び始めていた。それがこの地に染み込む怨念たちの後押しがあることをバルは理解していたが、だからといって忌避するわけではない。
敵を殺せと怨念が望むのであれば殺すだけのこと。錯乱し味方に斬りかかる場合もないわけではないが、こうした場合、それぞれの陣営にそれぞれの怨念が憑くのが常だ。そして無念を晴らそうとするかつての同胞の魂は戦士にとって戦友に他ならず、戦場を有利に動かす劇薬ともなり得る。それはかつて鷲獅子大戦のあったこのゼーラ高原であれば尚更だった。
『とはいえ即座に戦場に変化を及ぼすほどでもないか。ならば、今はこのまま突っ切るのみ』
その足取りに迷いはない。お目当ての相手がどこにいるのかをバルは奴隷紋の反応でおおよそ把握できている。これはモーリアン王国内でベラの軍と衝突した後に気付いたことだ。
(密集しているエリアが多い…しかし、機体に不調なし。魔力メーターも安定こそしていないが、操作に支障はない。かつての大戦の地……というだけではないな。より魔力の川に近い高地だからこそか)
鉄機兵をはじめとするこの世界の機体は魔力の川下にある大気中の魔力を吸収し動いている。機体が集まると大気中の魔力が薄くなり、場合によっては機能不全を起こすのだが、彼らが戦っているゼーラ高原は平地よりも1000メートル以上も天に近い。それは鉄機兵たちにとって活動しやすい環境であった。
(もっともそれは敵味方問わず。さすがに巨獣兵装は距離を開けているようだが)
そんなことを考えながら、バルは『ムサシ』の中でフットペダルを踏んで機体を走らせていく。このバルの操る『ムサシ』は外観こそローウェン帝国軍の八機将に相応しい装飾で飾られてはいるが、ギミックウェポンの怪力乱神と抜刀加速鞘を搭載し、黒鬼鋼で造られたカタナ『オニキリ』とワキザシ『ヒゲキリ』を装備……と、ほとんどかつての頃そのままである。
魂力を用いた強化もバル・マスカーの動きに寸分違わずついてこれるようにすることを重点に置いており、己を限界まで鍛え上げ、自身が最強であることがイコール鉄機兵の強さとなるように調整してきていた。それは全てただ一つの願いのためにだ。
(ついに今日、あの人に届く。最強に俺の刃が)
ただ、その一念がバルを八機将にまで上り詰めさせていた。今のバルに心の歯止めは存在しない。妹も、一族も、かつての仲間も、己が主人に対しても背を向ける行為であると理解してなお、バルはそれを選択した。
元より強者と戦うために一族を抜けた戦闘狂。首輪が外れてしまえば噛みつこうとするのはある意味では必然と言える。その牙はただ『死合いたい』という純粋な想いでできていた。そのためならば外道と謗られるような行為すらも厭わず、ここまで来た。それほどまでにバルはベラ・ヘイローという光に魅せられ、一途に狂っていた。
(位置は奴隷紋で把握できている。主人と奴隷の絆を辿り、そして……今こそ)
有象無象の敵味方をかき分け、誰もが予想だにしないほどの速度で『ムサシ』を先頭にした刀神の軍勢はその場に現れた。
今のバルの技量は大陸随一といっても過言ではないほどのもの。そこにベラ・ヘイローがいたのであれば間違いなく彼女にとって最大の危機となっていただろう。いたのであれば……だが。
『な……に?』
突如、バルの目が見開かれ、瞬時にフットペダルを踏んで、その場を跳び下がった。
その反応速度は彼の技量の高さを表しており、機体もまったく遅延なく動いている。けれども遅い。それでは遅いのだ。そもそも『今迫っている攻撃』を避けるには認識してから動いたのではあまりにも遅過ぎた。
『ぬ、ウォォオオオオオオオオオオオ』
爆発が起こる。そして刀神の軍勢に鉄の杭が降り注ぎ、毒の霧が、風の刃が、氷の塊が、炎の球が降り注いだ。
それは無数の巨獣兵装からなる全方位一斉攻撃であった。
『これは……まさか!?』
バルも咄嗟にカタナを抜き、炎球を斬り裂いた。けれども無差別に降り注ぐ様々な攻撃のすべてを防ぎ切ることは叶わない。衝撃を受けて揺れる機体の中でバルは必死に攻撃を避け、受け流し続ける。
(しかし、攻撃のすべてに殺意がないだと? これではどこから来るのかが分からん)
バルの表情に焦りが見える。迫る攻撃からは己を殺す意思を感じない。それはこれまでの戦場ではなかったことだ。
自身に向けられた殺意であれば、それを察知して避けることも容易いのがこの世界における戦士というものだが、この攻撃には彼を害しようという意図が感じられなかった。それ故にバルも攻撃をさばくことが困難になっており、またバルですらそんな状況であるのだから、数合わせの洗脳された兵たちの軍勢では抗することもできず一方的に打ち倒されていく。
(何故だ? 何故、全方位から? 何が起きている!?)
それはバルが体験したことがない数の暴力だった。
普通に考えれば密集したこの場で巨獣兵装が複数発動することなどあり得ない。魔力の川からの魔力供給は有限であり、大量の魔力を喰らう巨獣兵装持ちの獣機兵など、距離を大きく開けて配置しなければ動かなくなるのが現実だ。
(しかし、今の状況を踏まえれば、敵はソレをしている。これでは……)
バルがギリギリと歯を食いしばりながら猛攻に耐える。土煙が舞い、視界は最悪だ。けれども、もしバルがその土煙の先の、ベラドンナ同盟軍の鉄機兵や兵たちの後ろに隠れて配置されている獣機兵たちの姿や数を確認できていれば得心がいったはずだ。
そこにいるのはベラ・ヘイローが保有する巨獣兵装持ちの約半数であった。そして、そのいずれもが予め魔力を補充した増槽を搭載していた。故に彼らは魔力の川がなくとも数発は巨獣兵装を撃てるのだ。その運用は巨獣兵装よりもギミックウェポンの増設を前提としていない巨獣機兵を多く抱えるローウェン帝国軍にはない発想だった。
『やらせるかァアアア!』
もはやバルは無心で剣を振るう。火花が散り、鉄芯が跳ね、岩弾が砕かれる。絶体絶命とはまさにこのこと。けれども、バルの表情には険しさこそあるが絶望はない。
もはや確定的だった。今攻撃している相手はバルをハメたのだ。自らを囮にバルの行動を誘導してこの場に導き、巨獣兵装持ちに合図と共に『ただそこに撃て』と命じた。であれば、殺気などあろうはずもない。殺意なき引き金を彼らは引いているのだから。
ともあれ、普通に考えれば有り得ない話だ。たかだか一部隊に向ける戦力ではない。相手が狙い通りに動くのかも分からない。どこかひとつ噛み合わなければ、何の意味もない行為となるだろう。いや、意図した通りであったとしてもその後、この場は魔力濃度が低下し、付近の機体の多くは機能不全に陥りかねない。一部隊の壊滅と引き換えがこの数の巨獣兵装持ちではまったくコストに見合わない。けれども、それは現実に起きていた。
『ハ……ハァ、ハァ』
やがて砲撃も収まり、周囲の魔力濃度が低下していくのを魔力メーターで把握したバルは攻撃が終わったのだと理解した。
そして恐るべきことに、息も絶え絶えになりながらもこの破壊の嵐の中でバルは生き残っていた。配下のほとんどは壊滅したが、彼は愛機の『ムサシ』を操り、巨獣兵装の攻撃を凌ぎきっていたのだ。無論、無傷ではない。動けぬわけではないが、傷のない箇所などひとつもないほどに機体は損傷していたし、魔力が薄くなったせいで動きも鈍ってきている。
『終わったか……であれば、このまま』
猛攻を耐え抜いた『ムサシ』の中でバルは高揚していた。自分の行動を読み、圧倒的な火力で制圧しようとした相手がいる。そんなことが可能な人物はひとりしかいない。すべてはベラ・ヘイローの……
『遅かったっすねぇ。『バルの旦那ぁ』?』
しかし、脳裏によぎった人物とは別の、妙に気安い声が通信機を通して聞こえてきたことでバルの表情は固まった。それは望んだ相手からの言葉ではなかったから……というだけではない。彼は気が付いたのだ。刻まれた奴隷紋が反応を示す相手がベラ・ヘイローではなく、その声の主であることに。
『何故だ?』
故に思わず問うた、掠れるような呟きは声の主を興奮させるのに十分なほどの失意の臭いを発していた。
『何故、主様のいるべき場所に貴様がいる?』
そして土煙が晴れ、彼の視線の先には赤い火精機が立っていた。その機体の名をバルは知っている。爆破型火精機『エクスプレシフ』。その搭乗者の名は……
『なぜ貴様なのだ!? 答えろジャダン!』
バルの咆哮に反応したのか、蜥蜴男の特徴的な笑い声がけたたましくその場に響き渡った。
次回予告:『第376話 少女、心に冷たい風が吹く』
転がり落ちた小石はポチャンと水の底へと落ちていきました。もう2度と浮かび上がることはないのでしょう。




