第369話 少女、視る
もう間も無く太陽が地平線から姿を見せようというそんな頃合い。
周囲には黒々とした雲が点在し、或いは昼頃には雨が降るかもしれない……そんな日に二つの軍隊がゼーラ高原には存在していた。
片や各国からローウェン討つべしと集結したベラドンナ同盟軍。
片や前日の夕方に到着し、その場で陣を張ったローウェン帝国軍。
戦は即座には起こらなかった。
昨夜はローウェン帝国軍の使者がベラドンナ同盟軍へと赴き、戦争は翌日の朝より双方同時に開始するという取り決めを行なっただけであった。
そもそもゼーラ高原には遮蔽物はなく、どちらかが動き出しても、すぐさま対応することが可能な地だ。奇襲という選択が選べない以上は、正面より力でぶつかり合い、相手を屈服させることをどちらもが望んだ結果であった。
決戦。
死力を尽くし、多くの屍を積み上げ、血の一滴までもを絞り尽くして殺しあう戦いがこれから始まろうとしていた。そして……
『始まるぞ』
未だ光の届かぬ暗がりの中で影が呟いた。
『おお、再び屍山血河が築かれるのだ』
無数の影が震え、各々が言葉を紡いでいく。そこに宿るのは歓喜、狂騒、憎悪。
『我らが女王が戻ってきた』
血まみれの兵の影が、首のない兵の影が、首しかない兵の影が、モツを垂らす兵の影が、地平線より伸びてくる日の光に薄くなりながらも騒めいている。
『紛い物を殺し、皇帝の成れの果てを殺すために』
光に当たって自らの体を散らしながらも影たちは湧き立っていた。
彼らはずっと待っていた。この血の染み付いた大地で、無念に沈んだ泥の墓標で、ただひたすらに待っていたのだ。この時が来るのを。命を賭けた戦が再び始まるのを。
『御方の旗の下に集まれ。今度こそ勝利する為に。今度こそ終わらせる為に』
その声は風に乗って幾人かの兵たちの耳にも入ったが、昇り始めた太陽を前に揺らめく影はすでに姿を消し、兵が視線を向けた時にはもう声も聞こえなくなっていた。
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「ハァ……落ち着きがないねえ」
愛機『アイアンディーナ』の操者の座の中でベラがそう呟く。
ローウェン帝国軍が来てからベラは『アイアンディーナ』の中で眠りについていた。棺桶とも称される操者の座は3メートルから5メートルの鉄の体の胴体部のほとんどを占めており、防御力の低さは元より、その劣悪な乗り心地は乗り手の長時間搭乗に多大なストレスを与えるのだが、ベラにとってはそうではない。それは彼女自身が小柄で圧迫感が少ないことも理由のひとつだが、それよりもベラと『アイアンディーナ』は親和性が高く、一体化している感覚があるために乗り続けることに嫌気が差すことがなかったのである。
ともあれ、ベラは黄金の瞳を淡く光らせながら、胸部装甲の先、ゼーラ高原内で発生していた魔力の揺らぎを見ていた。
特に誰かに話したわけではないが、この地に来てからベラの竜眼にはずっと『ソレ』が視えていた。それは魂の残滓。意識の残留。この地にこびりついた負の想念といったものだ。
戦場にはままある光景だが、ここは他に比べても些か以上に濃い。そうした存在に生者が触れれば通常は呪となって災いを為すことも珍しくないのだが、それらの半分はベラたちに対して好意的であるとも感じられていた。
そしてローウェン帝国軍が来てからそれらの騒めきはさらに大きくなっていた。
半分は敵意を示し、半分は動揺に近い。ローウェン帝国に向けられた敵意は元ドーバー連盟軍であった者たちによるもので、動揺は元ローウェン帝国軍の成れの果てによるものなのだろう。
何しろ今のローウェン帝国はかつてとは違う。使役したドラゴンと機械竜、竜機兵と獣機兵などの異形の群れが並び、かつてのような皇帝に注がれている熱量もない。何よりも……
「怯えてる……か」
ベラはそう呟きながら昨夜のことを思い返す。
昨夜にやってきたローウェン帝国の使者はナレイン皇太子の代理を名乗っていた。つまり此度の決戦は皇帝ジーンではなく、その息子のナレインの指揮の元で行われる……ということらしかった。
けれどもそれは妙な話だ。ベラたちの掴んだ情報によればナレインは皇帝ジーンに対して反逆を企てて失敗し、今なお投獄中のはずなのだ。そんな人物が何故に皇太子に返り咲けるのか。そもそも皇帝ジーンはどうしたというのか。
「一体何がどうしたのやら。実はクーデターは成功してましたってぇオチじゃあないよね?」
そう嘯くもののベラの竜眼はしっかりと捉えていた。ローウェン帝国軍の後方に控えているとある場所に何かが存在しているのを。そしてベラが視ているのと同時に相手もベラを、ベラドンナ同盟軍を視ていることを。
その視線に元ローウェン帝国軍だった者たちは怯えて、戸惑ってもいるようだった。
『ォォオオオ』
「リンロー。起きてたかい。そんな吠えるんじゃないよ」
ベラと同様に視線を感じているのか『アイアンディーナ』の横に鎮座しているリンローが唸っている。もはや人の頃のように喋れぬが、意思疎通のできるベラにとっては以前と『それほどの違いはない』。
一方でザッハナインは気性の違いか落ち着いているが、ロックギーガをはじめとする他のドラゴンたちもリンローに近い状態であった。憎悪に近い感情をローウェン帝国に向けて興奮している。
(こうなるとジーンが竜人になったかもしれないという予測は当たったようだね。いや本当に竜人で収まっているのやら?)
『ベラ将軍閣下。もうまもなくお時間です』
ガイガンから通信が入る。
「ああ、分かってる。起きてるよ。そっちに何か問題はないかい?」
『ローウェンもお行儀がよろしいようですし特には……いや、高原に人影らしきものを見た兵がいるようで、魔術でも使われているのではないかと不安に感じている者もおるようですが』
「魔術ねぇ」
イシュタリア大陸の戦場において魔術師が活躍できる場はそう多くはない。
そもそも魔力の川より魔力を供給されている鉄機兵という兵器によって戦場の魔力は乱れて魔術が扱い辛い上に、十全に力を行使できたところで戦力として鉄機兵には及ばない。また魔術師というのが才能によるものが大きい上に長い年月をかけて習熟してようやく使いものになるため、数を揃えにくいという問題もあった。
故に鉄機兵の台頭と共に戦場における魔術士の需要は激減し、今では後方支援か初手の奇襲、或いは搦手の戦術と合わせて使われることもある……という程度に留まっているのがイシュタリア大陸での常識だ。
「ああ、アレは問題ない。半分は敵だが半分は味方だ」
『は?』
呆けたガイガンの問いにベラは「なんでもないさ」と笑って返す。悪さはするかもしれないが祓うには濃すぎるし範囲も広すぎる。あと一歩を踏み越えればこの場は異界化し、大地そのものを封印せざるを得ないようになるだろうとも理解していた。けれども今の状況ならアレらは自分たちの側に有利に動くという確信がベラにはあった。
「こちらも機体を動かすよ。予定通りに出撃の準備は進めておきな」
『ハッ』
ガイガンの返答に頷くとベラは目を細めて、再びローウェン帝国軍の奥の方へと視線を向ける。魔力の流れが、その有り様が自分に似ている。自分と竜たちとの関係に近いものだとベラは感じている。
(同じ? いや……アレは違うねぇ。あたしとは別だ)
心の中で呟きながら、『アイアンディーナ』を一歩前に進ませる。
太陽はすでに昇り始め、そして沈む頃には全てが終わっているだろう。
次回予告:『第370話 少女、激突する』
反抗期だったナレインくんがこんなに立派になってベラちゃんも驚いています。お父さんもきっと誇らしげにしていることでしょうね。




