第364話 少女、準備をする
「それで……どうでしたか?」
「どうもこうも、十二歳の年頃の娘をママと呼ぶヤツは普通にヤバいだろ」
モーリアン王国のベリス王との会見後、一度はベリス王に付き添って部屋を出たニオーが再びベラの元に戻ってきて尋ねた問いへの答えがソレであった。
ベラも困惑顔なのは当然だろう。出会って直後に良い年頃の中年にママ認定されたのだ。背後に母親の影が見えるとか、ベリちゃんと呼んでくれだとか、なんだかよく分からないがベリスのベラへの印象はバブみが深くてオギャるが如く尊きものであるようで、それは十二歳の少女にとっては気色悪いことこの上なく、如何にその辺りが寛容なベラといえども引いていた。ニオーも苦笑いである。あれを王と仰ぎ、仕えてきた日々が走馬灯のように蘇り、それをすべて否定したくもなった。
ニオーとてベリスもベラと顔を合わせれば何かしら感じいるところがあるかもしれないとは思っていた。しかし、ベリスの反応はあまりにも激的過ぎた。
ともあれ、表向きのベラとベリスの関係性は良好と言っていいだろう。であるならばニオーも何も言わない……が、先の会見の中で持ち上がった問題のひとつにニオーは懸念を抱いていた。
「ところでベラ将軍、あのことはよろしかったのですかね?」
「んー、そりゃあベリスのガキたちのことかい?」
あのこと……だけでベラが即座に反応できたのはその件の話が出たときだけニオーの反応が鈍かったためだ。そして眉をひそめながら言葉を返すベラにニオーが頷く。
先ほどの会見では今後についての正式な話し合いをする前に軽い打ち合わせをしてある程度のコンセンサスを取るという意味合いが大きかった。
傭兵団としてモーリアン王国に雇われたことの報酬としてベラドンナ自治領軍内に将軍として収まったベラへのバックアップの約束をすること、その後のベリスとベラの婚姻を基にモーリアン王国とベラドンナ自治領の合併と傭兵国家モーリアンの復活を行うこと、その辺りの流れについてはベリスが思いの外、乗り気で問題も生じなかったのだが、ベリスが己の子らへの庇護を主張したことでニオーの表情が硬くなったのだ。
もっともベリスの要求に対してベラは特に反対することもなく頷き、了承していた。傭兵国家となる際に王政を廃するのだから王族ではなくなるが、それ以外で特に制限も設けず、危害を加えぬことも約束したのである。未だ主君であるベリスの前で表立った反応は見せなかったし、背を向けていたベリスには気づきようもなかったが、向かい合うベラにはニオーがわずかに苦い顔をしたのを見逃しはしなかった。
「ふん。将来的な不安の芽は潰しておきたいかい? あんたの主君の子だろうに」
その問いにニオーは苦笑した。すでに心の内の忠義を向ける相手は変わっている。けれども、だからこそ不安ではあった。
「この十年以上、それで手痛い目を見てきたあんたがそう考えるのも無理はないが……繰り返されるのが怖いのかい?」
「それは……そうですね」
ニオーが素直な気持ちを吐露する。鷲獅子大戦終了後の、現在の王政派閥の動きは素早かった。瞬く間に彼らに担ぎ上げられたベリスは王国を取り戻して今に至っている。歴史にイフはないし今がすべてだ。けれどもあの時、自身の判断の如何によってはまったく違う未来が待っていたかもしれないと考え、その心の内の動きを察したベラが「ヒャッヒャ」と笑う。
「辛気臭いねニオー将軍。けどね。私が生きてるうちにその懸念が顕在化するようなら迷わず潰すし、あたしが死んだとしてもその後のこたぁ残った連中が決めればいいだけさね。それでモーリアン王国が再び復活するってんならそれはそれでひとつの判断だ。違うかい?」
その言葉にニオーがわずかに動揺した顔を見せるがベラは気付かない。
ニオーにとってベラの放った一言一句はすべてニオーが過去に聞いたことがあるものなのだ。だからこそモーリアン王国が復活したことに対してニオーは自治領軍のようにベラドンナの意思を継ぐという大義をかざして反発はできなかった。当の本人からすでに答えは聞いていたニオーは動けなかったのである。
それがなければ、今頃ニオーはベラドンナ自治領軍にいたか、そもそもモーリアン王国の復活など許していなかっただろうと。
(いや、それも言い訳か。クィーンの言う残された者には私も含まれていた。傭兵国家……あの人を継ぐという意志を示せさなかったのは私自身だ)
だからこそ王政派の後ろ盾あってのこととはいえ、ベリスが王として立とうとしたことをニオーは支持した。
(だが次は……次こそは……)
ニオーが目の前の少女を見る。ニオーは再び残された側に回るつもりなど毛頭なかった。残すために己の命をすべて使おうと決意していた。
「ふふん、情熱的な視線だね。あたしのミルアの門もそろそろ開きそうでね。使えるようになったらアンタのも試させてもらいたいんだが」
「お戯れを」
再び苦笑いをするニオーに肩をすくめたベラが視線を鋭くして口を開く。
「まあいい。それで本題に入るよ。状況はどうなんだい? ザラ以外は問題ないとみていたがね」
「はっ」
返すニオーの態度はすでに臣下のソレだ。
「マザルガ聖王国、シンラ武国、エルシャ王国からはそれぞれ色よい返答をいただいております。期日までに合流は可能かと。ザラ王国はお言葉の通り、参戦は見送られましたが」
「ザラ王国は仕方ないところだね」
モーリアン王国に対して北に位置するマザルガ聖王国、東に位置するシンラ武国、南に位置するエルシャ王国は、西にあるローウェン帝国と同様にモーリアンの地に隣接した国であり、モーリアンがローウェン帝国に奪われた場合の次の標的となる運命にあった。
エルシャ王国は国土を一度は奪われ取り戻した経緯があり、マザルガ聖王国は隣国でありローウェン帝国の北にあるザラ王国と共に今現在、帝国軍から侵略を受けている最中だ。
シンラ武国は直接的な被害はないものの、国内にある有数の鉱山をローウェン帝国が狙っているのは前々から理解していたしモーリアンの次の標的が己の国となる可能性が高いことを察している。
そして参戦できないと返答したザラ王国はバル・マスカーの快進撃により南の領地の大部分を奪われて現在は苦しい状況にあり、むしろ協力を求めたい側であった。
「マザルガ聖王国もそちらに兵を割いております故、想定通りの数が揃うかという問題もありますが」
「北からの圧力は必要だ。そっちに注力してくれればローウェンは戦力を分けざるを得ないしそれはそれで助かる。それに」
テーブルの上にベラが手紙をポンポンと置く。それぞれの蜜蝋の封には違う国家の紋章が描かれていた。
「ヘイロー、ルーイン、パロマからの増援も約束させた。その周辺国からも物資と戦力を寄越すと来てる」
「おお!」
「連中はやり過ぎたのさ。南方の国はローウェンの糞の垂れ流しに未だ怒り心頭だ」
そのベラの言う糞の垂れ流しとはローウェン帝国がエルシャを含む南方を獣機兵の実験場としていたことを指している。獣機兵軍団でエルシャ王国を襲い、旧ムハルド王国に協力し、無差別に野盗などへと獣血剤をばら撒き、南方の国々の治安を乱していた。その間にローウェン帝国は北方へは己が戦力で挑み、モーリアンは自治領を使って封じてきたのである。
「まあ糞の片付けが終わる前に北もモーリアンも手に入れて、南の怒りすら侵略のキッカケにして喰らい尽くすつもりだったんだろうが……世の中上手くはいかないもんさね」
そのベラの推測は正しい。帝国の計画はすでに大きく狂っていた。
キッカケはどこだったのだろうか。ドラゴンとして完成された八機将デイドンが討ち取られたときだろうか。大局的に見ればムハルド王国が無名の傭兵によって奪われた時になるのだろうか。後年における叙事詩はいつもそこから始まっているのだから。
「で、だ。すべてを取りまとめる旗印が欲しくてね。とりあえずは『ベラドンナ同盟』って名付けようと思ってる。悪くはないだろ?」
「ベラ……ドンナ」
ローウェン帝国の計算は狂っていく。
ムハルド王国とパロマ王国とエルシャ王国によって繋ぎ止められるはずだった南方は傭兵国家ヘイローが生まれ、新生パロマ王国が破れてルーイン王国が復活し、エルシャ王国が奪われていた国土の大部分を取り戻してしまった。
「そうさ。ドーバー連盟のドーバー。そいつはローウェンによって滅び、吸収された国の名だったそうじゃあないか。だから旗印として都合が良かった。今回も同じだ」
対してローウェン帝国の動きは鈍くなりつつあった。
南方の多くが奪還され、満を持して表舞台に出した獣機兵は乗り手の制御が難しく、竜機兵は数が少ない。ようやく次世代型の鋼機兵が開発されたが次の大きな戦争までに全軍に行き渡らせるのは不可能だ。
「確かに……今更ではありますか」
「英雄の使い道なんざ死んだ後からが本番だ。だからクィーンの生まれ変わりが持て囃され、クィーンの死体が利用され、クィーンの鉄機兵が使われる」
クィーンの生まれ変わりと称されるベラも、クィーンの息子のベリスも、クィーンの意志を謳う自治領も、本人だと言われている帝国軍のジェネラルも、かつてのクィーンという威光を利用して成立している。
「大いに結構じゃあないか」
そう、ベラは言い切る。ベラドンナ傭兵団。最初のキッカケからしてこの少女はそうだった。使えるものは使うし、戦いよりも勝利こそを望む。所詮はゴロツキ。所詮は人殺し。騎士の矜持などには縁もないし、己が欲のために刃を振るうのみ。
「ま、名前の使用料は皇帝の首でチャラにしてもらおうじゃあないか。それで供養にもなるんじゃあないかい?」
それは最初からそうだった。そして彼女は探していた。砕きたい頭がどこかにあるはずだった。年を取るにつれ、衝動よりも理性が強くなってなおソレは燻っていた。
その衝動の源泉を、自身の背後にいるソレをベラも全く自覚していないわけではなかったのだ。きっとそれはただの負け犬の心残りで、果たすべき義務ではないと考えていただけで。
けれども恩義はあった。遠い昔の記憶。最初に鉄機兵に触れたあのときだけは自分の力ではない、別の意思を感じていた。
(借りを返さないと座りが悪いし、何より糞を垂れてまだ腹に残っているような気持ちのまま生きていくのはウザったいからねえ)
そう考え少女は突き進む。自らが生み出した血の道を歩んでいく。屍山血河。命奪われた数多の兵たちの血はかの国の玉座のすぐそばにまでついには流れ着き、それはもう間も無く皇帝の首に届こうというところにまで近付いていたのであった。
次回予告:『第365話 少女、突き進む』
ベラちゃんは皇帝のお爺ちゃんにご執心のようですね。
ベラちゃんを取り巻く男たちの戦いもいよいよクライマックスです。




