第361話 少女、嫁候補にされる
ローウェン帝国。
イシュタリア大陸南方ヴェーゼン地域にあるその大国はかつて大陸全土の覇を握らんと隣国への侵略を繰り返していた。
対して周辺国は周囲を山々に囲まれた天然の城塞を持つ傭兵国家モーリアンとその主たるクィーン・ベラドンナを中心に互いに手を組み、ローウェン帝国と刃を交えることとなった。彼らはドーバー連盟と呼ばれ、ドーバー連盟とローウェン帝国はヴェーゼンのあらゆる地で戦を繰り返し、最終的にモーリアンの強固な守りであったディアナの門を落としたローウェン帝国と、それを見越して門の先にあるゼーラ高原で待ち構えていたドーバー連盟が激突し、その死闘の末にクィーン・ベラドンナが討たれ、また勝利こそ収めたものの疲弊したローウェン帝国は連盟外の国からの攻撃を恐れて自国内に退くこととなった。それが鷲獅子大戦と呼ばれた戦いの結末だ。
数多の戦士たちの血が流れたその大戦で帝国が得られたのは勝利のみ。彼らは勝利者の権利を行使できぬほどに弱り、周囲の憎悪に怯えて自国内に篭もらざるを得なかった。しかし戦後に生まれた赤子が少女へと変わるほどに時が過ぎた今、ローウェン帝国は再び力を得て大陸に覇を唱えんと戦いを繰り返している。
そのローウェン帝国皇都トラギオンの中心にある皇城ラグーン内を老人と、銀の鎧を纏う騎士と、異形の顔を持つ女が歩いていた。老人の名はロイと言い、古代文明の生き残りであるイシュタリアの賢人を名乗っていた。その後ろに続くのはロイの助手であるナスタシア、八機将のひとりである銀光ウォート・ゼクロムだ。
一定間隔で黒騎士が配置されたその通路の先にあるのは皇帝の間であった。常人であれば通路を彩る装飾や堅牢なる黒曜石の壁の圧迫感に抱くだろうが、ロイは鼻歌交じりにその道を進んでいく。緊張感の欠片もない。或いは、この老人は心臓に毛でも生えているのかとウォートは訝しみしたが、老人の正体とその中身の異様さを考えれば毛が生えていたとしても別段不思議でもないとも考えて、ひとり納得していた。
ともあれ彼らが皇帝の間にまで辿り着き、物言わぬ黒騎士が扉を開けると、室内には玉座の代わりに緑の液体の入ったガラス容器があるのが見えた。そして、その中には老人の域に差し掛かっている男がひとり、浮かんでいた。
『よく来たなロイ博士』
容器の中から男の声が響く。
それは鉄機兵に用意されている通信機と同じものであった。
「やあ皇帝陛下。どうかな、具合は?」
『すこぶる健康……と言えれば良いがな。少々ダルい』
緑の液体の中の男がそう言葉を返す。
男の名はローウェン帝国皇帝ジーン。その眼光は鋭く、かつてクィーン・ベラドンナと戦った頃と変わらぬ光を今なお宿している。
その様子にロイはわずかに笑いながら「もう少し我慢してもらわないとね」と口にした。
「しばらくしたらその怠さも落ち着くはずさ。今は竜血剤を用いて変化している君の肉体を人工の機誕卵で緩やかにしているところなんだ。まあちゃんと己の意思だけはしっかりと持っていないと自身の境界線が崩れてしまうから気を付けなきゃいけないけどね」
『我が崩れると?』
「まあ最悪は……だよ。皇帝陛下の精神力を考えれば問題はない。それにこちらも結構な出費をしているから成功してくれないと困る。じゃあ、ナスタシアくん。頼んだよ」
「はい、ロイ博士」
ロイの問いかけに頷いたナスタシアが持っていた鞄から緑色の結晶を取り出すと、周囲に並ぶ黒騎士たちと共にジーンの入ったガラス容器の前まで進む。それからナスタシアが容器の下にある小さな窪みに結晶にセットするとスルリと結晶が容器内に落ちて液体に溶けていった。
『魂力の結晶か。以前よりも小さいようだが?』
「賢者の石、アイテール、創世の土などとも呼ばれているものだね。前のは僕が昔から保管していたものだけど、これは鋼機兵の製造が上手くいってようやく抽出に成功したものだよ」
ロイが満足げな顔をしてそう口にした。
『鋼機兵、貴様の用意した鉄機兵の上位種。しかし、その実体は貴様のための働き蜂……か』
「元々鉄機兵がそういうものなんだ。ただ抽出方法は鉄機兵を造り出した同胞しか知らなかったのが厄介だったわけで。まったく、ここまでずいぶんと苦労したよ」
かつてイシュタリアの賢人が手に入れた大量の竜の心臓を用いて生み出した鉄機兵なる存在。それは巨獣を、魔獣を、人間を、あらゆる命を殺すことで魂を喰らい、魂力として自身に蓄える竜の亜種だ。人がいる限り争いは尽きず、戦の道具に落ちた竜の末裔は瞬く間にイシュタリア大陸全土に広がっていった。
「もっとも彼が生きていれば、僕がこれを手に入れることも難しくはあったのだろうけどね」
ロイがはにかんだ笑みを浮かべた。それはようやく己の目的に到達した者の笑みであった。
鉄機兵を生んだイシュタリアの賢人はすでに死んでいる。彼の目論見は確かに達成はしたのだが、肝心の本人は同族を人の奴隷に落とされたことで怒り狂った蒼竜王によって殺害されてしまった。そして鉄機兵から魂力を抽出する方法は今なお失われたままなのだ。
「鉄機兵に用意された魂力を外に出す蛇口は彼にしか使えない。だからこそ僕は僕の蛇口を用意した鋼機兵を世に放つわけだ」
『そして我がいる限り、戦乱は広がるであろうな。鉄機兵に代わり鋼機兵が増え、我がイシュタリア全土を手に入れる過程で鋼機兵も必然的にイシュタリア全土へと広がる』
それこそが皇帝ジーンとイシュタリアの賢人ロイが交わした契約であった。力を欲したジーンはロイの甘言に乗った。それは悪魔の誘惑に等しきもので、だからこそジーンはここまでロイに対してあらゆる便宜を図ってきた。かつての頃ならば忌避した畜生の所業も是としてきた。
そして、その甲斐は確かにあったのだろう。何しろ、かつての頃を超える軍勢を生み出し、今こうして己も新たなる存在へと昇華し、不老不死にまで手が届きかけている。
『それどころかイシュタリア大陸の後に海を越え、暗黒大陸、断崖大陸、黄金諸島をも我は手に入れるであろう。時間はこれまで我の天敵であったが、これより未来は朋友となる』
「そう願うよ。だからこそ、僕もこうして君に貴重な魂力を注ぐことも厭わないんだから」
その言葉にジーンが笑うと目を細めてロイを改めて見た。
『ところでだ。アレはどうなった?』
「アレ? ああ、『彼女なら』ベラドンナ自治領を掌握したようだね」
その言葉に後ろに控えていたナスタシアとウォートがわずかに反応を示した。アレ、彼女……そう呼ばれた人物はふたりにとっても知らぬ相手ではない。
『やはり彼女なのか?』
「さて、転生というのは確かに存在するけど……僕には大元が分からないからハッキリとは言えないかな。ただ、あの紛い物よりは真に迫っているようには感じるよ」
『紛い物か。あれほどに献身的なものを我は知らぬ。が……やはり違うのだ。であれば……』
「まあ、そうだね。けれども本人か否かはどうでもいいんじゃないかな?」
ロイの問いにジーンが頷く。
『確かに。我が番、竜の花嫁に相応しいか否か……重要なのはそれだけだ』
「そうだろう? 彼女が君の運命であるのは疑いようもない。最終的にパズルのピースは彼女を観察したことで手に入った。君を導いたのは間違いなくあの娘なのだからね」
その言葉にゴポリと緑の液体の中を空気の泡が昇り、ジーンの口元が三日月のように広がって瞳は黄金の輝きを帯びる。
「未だ捕獲できていないのは残念だけれども、彼女と彼女の鉄機兵を観察して鋼機兵は生まれたし、君の竜人化も機誕卵も同様だ。けど……」
ロイが口元を吊り上げてジーンに口を開いた。
「アレは相当の暴れ馬だよ?」
『暴れるようなら四肢を千切ってしまえば良いだけのこと。竜人であれば早々死にはすまい』
「まだ子供なのだけれどね」
『何、話の通りであればアレの心は折れぬだろうさ。そうだな。手足をもいだ後は聖杯の如く飾り付け、玉座の横に並べて置いてやろう。我が子を孕めば宝玉の如く映えもするであろうが……ふむ。少々外が騒がしいか?』
ジーンがわずかに眉をひそめながら部屋の入り口を見ると、次の瞬間に扉が勢いよく開いて外から剣を携えた男が、その後ろを騎士たちがズラズラと部屋の中に入り込んできた。
『ナレインか』
「父上!」
見れば外で警護に当たっていた黒騎士はすでに屍となって転がっており、入ってきた騎士たちの後ろには精霊機 が三体並んでいた。鉄機兵と違い、精霊機 の全長は2メートルから3メートル程度で小型であれば城内でも活動が可能だ。だからこそ精霊機 乗りの入城には様々な制限が課せられるのだが、どうやらそうした約束事は目の前の彼の息子の手引きによって無視されてしまったようだとジーンは理解する。
『どういうつもりだ我が息子よ?』
「今日をもって皇帝の座を明け渡していただきたく、参りました」
ナレインがそう言ってさらに一歩を踏み出す。皇帝ジーンの息子。王位継承権第一位にあり、帝国内でも絶大な人望を持つその男は鋭き眼光で父であるジーンを睨みつけた。側から見れば両者は写し鏡の如く見えただろう。もっとも猛るナレインに対してジーンの方はといえば、落ち着き払っており、笑みすら浮かべている。
『中々に愉快なたわ言ではあるが、なるほど。流石に我が息子、ここまで見事に我が護りを抜けてきたものだ』
当然のことながらこの皇帝の間までの警備は厳重だ。例え皇帝の息子であろうと容易に抜けられるものではない。ともあれ、そうした状況をジーンも理解はしているが、だからといって未だ彼にとっては危機感を感じるほどのものではないようだった。
『ロイよ。以前に話していた素材だが、これでどうだろう?』
「うーん。そうだね。血縁というのは悪くはないよ。魔術的にも繋がりもあるし、彼自身も素材として優秀なようだし」
「詐欺師ロイ。貴様がこの場で口を開くな!」
ナレインがジーンに対してよりもさらに鋭くロイを睨みつける。その瞳に宿るのは怒りだけではなく嫌悪と憎悪。唾棄すべき邪悪を見る目であった。
「興奮しないでくれるかなご子息様。大きな声で吠えられると老骨には少々響くんだよ」
「黙れ。全ては貴様がこの国に来てから狂った。貴様という存在が帝国を狂わしたのだ。何もかも貴様が元凶なのだろう?」
「おやおや、僕が来たからこの国は力を取り戻したのだろう? でなければ敵を作りすぎた君たちは取り囲む国々に怯え、領土を啄まれて朽ちていく定めのはずじゃあなかったかい?」
「ああ、それは認めよう。しかし、だからと言って何をしても良いというものではない。民を実験体として扱い、怪物を生み、先日は我が兵を洗脳して自爆まで強要したな?」
ギリギリと歯ぎしりするナレインの様子にロイがやれやれという顔をして肩をすくめる。
「この間のバルくんの件かな。ちゃんと口止めはしていたはずだけど、どこで漏れたんだろうね? あとで確認をしておかないと」
「黙れ、詐欺師。貴様にこの国をこれ以上歪ませることは許さん! 為政者としての資格を失い我欲に走る父もろともここでまとめて葬ってくれる!」
そうナレインが叫んで剣を振り上げると騎士たちが左右に展開し、ジーンとロイたちを取り囲んでいく。
「仕方ありませんね」
対して一歩前に出て剣を構えたのは銀の装甲に身を包むウォートであった。
「皇帝陛下、私がこの場をお収めいたします」
「侮られたものだなウォート・ゼクロム。如何に八機将といえど、鉄機兵なしでこの数を相手にできるとでも思っているのか?」
ナレインがそう言って剣をウォートに向けた。所詮鉄機兵乗りは鉄機兵がなければただの人。それは八機将とて同じだろうと。故にその認識が誤りであることを示そうとウォートが動き出そうとしたところに……
「いやいや、駄目だよウォートくん」
ロイが片手を上げてウォートを制止した。
「バルくんを意識しているのだろうが止めてくれないかな? 君は僕らの護衛だ。ちゃんとお仕事をね。してくれないと困るんだよ」
「博士……しかし、この状況ですよ?」
不満そうな顔を隠しながら踏み止まったウォートにロイが笑いながら前に出る。
「こんな相手はね。こうすればいいのさ!」
そう口にしたロイの瞳が見開かれると、まるで時が静止したかの様に取り囲んでいた騎士たちの動きが止まった。その様子にナレインが目を丸くし、それから自身も動けぬことに気付くと驚愕の顔でロイに視線を向けた。
「な……にを?」
「僕の保有している能力のひとつ『金縛り』だ。ま、ただの手品と思ってくれればいいよ」
「こ、これが手品……だと?」
ナレインが絞り出すような声でそう問う。体は動かない。首や目もわずかにしか動かせず、声を発するのも難しい。さらには彼の連れてきた騎士たち、それに精霊機までもが同じようになっているのだ。そんな力がただの手品であるなどとは到底ナレインには認められない。
しかしロイにとってナレインの心情などどうでも良いことだ。せっかく許可の降りた素材をどう扱うか、今のロイの頭の中にあるのはそれだけだった。
「じゃあ、ナスタシア。後は頼んだよ」
「はい、ロイ博士」
名前を呼ばれたナスタシアがロイの前に立つとメキリと何かが軋む音がした。
「異形……キメラ……あ……あああ!?」
ナレインだけではなく周囲の騎士たちからも動揺の声が、悲鳴が漏れる。彼らの前でナスタシアが肥大化していく。それは巨獣よりもはるかにグロテスクな、内臓を積み上げて人型にしたかの様な異形。ソレが無数の眼球をギョロギョロと動かしながら、脈打つ赤い爪を広げていく。
「ナレインくん以外はいらないからね。綺麗にお掃除しておくれよ」
そしてロイが気軽な口調でそう命令を下すとナスタシアであったものはまるで飛蝗の如く飛び跳ねて動き出し、命という命が瞬く間に刈り取っていった。
次回予告:『第362話 少女、婿候補と会う』
アンチエイジング中のジーンお祖父ちゃんでしたが息子さんが激オコで、家庭内不和が深刻です。
今回、王将になれず飛車取りされてしまった息子さんですがお祖父ちゃんの元で竜には成れそうです。これからはずっとお祖父ちゃんと一緒ですよ。良かったですね、ナレインオジさん。




