第358話 少女、待ちわびる
死んだ……そう、リンローは自身の死を悟った。
それからリンローの中で思い浮かんだのは人であった頃の自分だった。
半獣人となって仲間たちと暴れていた頃の自分だった。
いくつもの戦場を巡った。人を喰らったし、獣となった仲間を殺しもした。おぞましいこともたくさんしてきた。酷い思いもたくさんしてきた。けれども昔はそんな地上の地獄の中で仲間との絆だけが拠り所だった。
それらは辛い記憶であると同時にリンローという男にとってはとても素晴らしい宝のようであり、けれども今の自分にとっては酷く遠い存在であった。
例えて言うならば砂を噛むようなもの……というところであろうか。それが己にとって大切なものであったとリンローも理解こそできているが、竜の血脈となった後の自分にはそれらに価値を見出せなくなっていた。
それはとても悲しいことのようで、辛いことのようで、理屈では分かっているそうした思いすらも感じられない自分を隠すために、ずっとかつての己の仮面を被ってきたのがここまでのリンローだ。理性によって感情を創った、人間のふりをした人形だった。
その仮面が崩れていく。人であったリンローが消えていく。
だからリンローが今思い出した記憶は人間であった頃の走馬灯のようなものなのだろう。
そしてリンローの魂がレオルフと呼ばれていた機体に宿る魂と融合し、リンローであった肉塊を取り込んだ鋼鉄の身体が目の前の敵に対抗するために変異していく。必要なのは目の前の敵、バル・マスカーを殺せる力だ。
剣で挑むか?
その思考とともに腕であった部分が巨大な刃へと変わっていく。
しかしリンローにバルを打倒するだけの技量はない。ただ刃がでかいだけでは届かぬと思い至り、数を増やしていく。腕に無数に、さらに数を増やすために翼を生やし、その羽を刃へと変えていく。
それで勝てるのか?
自問し、否と答える。
勝てる未来は見えない。だから造り上げたものを崩していった。目の前でリンローの仲間達がバルを止めてくれている。与えられた時間を使って確実に勝つための力を掴もうと模索していく。
そしてリンローは目の前の戦いを見て気付いたのだ。ジャダンの一撃がバル・マスカーに届いていたのを。
無論、その一撃はバルを打倒するほどのものではない。けれども得物を掠らせることすらできなかったリンローにとっては答えのひとつであった。
それで勝てるのか?
自問し、是と答える。
必要なものは持っている。取り込んだ巨獣兵装の因子を発芽させていく。けれども威力は高かろうと避けられれば意味はない。斬って落とされては意味がない。であれば先ほどの手数を増やすという選択は間違っていないのだろうと思い至る。放つ威力は絶大。そして砲身は無数。そう思い描いたリンローは己の体を再構築していった。
それで勝てるのか?
自問し、是と答える。
防がれようが問題ない。避けられようが関係ない。届かぬなら届くようになるまで増やすだけ。左右それぞれの腕に四門づつ、左右それぞれの肩部に小径三門づつ、胸部に獅子の頭を象った大径一門、それでも足りぬと先ほど生やした翼の刃を作り変えて左右それぞれの翼に四門づつ、計二十三の砲身を生み出し、さらには反動を殺すために両足を肥大化させて足裏には鉤爪を造り、尾をアンカーとして地面に突き刺し、頭部は照準を合わせるために六眼に増やした竜のソレへと変わっていった。
そして異形は己の形を確定したのである。
**********
『レオ……ルフなのか、アレは?』
バルの口からからそんな呟きが漏れた。
目の前には彼が見たこともない、異様な姿をした敵が立っていた。
無数の筒を生やした機械と生命の中間のような怪物。そのような相手にバルが次にどう動こうかと思案し始めた次の瞬間、バルは突然感じたプレッシャーに総毛立ち、己の脳裏に死がよぎった。
『クッ』
舌打ちとともに目の前が白く染まる。同時にバルは真横に跳んだが、その回避行動はわずかに遅い。左腕が『溶けた』と感じるほどに一瞬で左腕の反応が消えた。
(これは熱か? ならば)
何が起きているのかをバルは即座に理解する。目の前の怪物は『レオルフ』の装備していた巨獣兵装のようなものを無数の筒から放っているのだと。けたたましい轟音が重なって響き、誰もが驚き、恐怖するような光と音がその場に生まれるが、バルの装備であれば対処は可能だった。
『斬れる!』
渦中にいるバルが必死に片腕でカタナを振り続ける。
炎が舞い、土が抉れ、『ムサシ』の装甲が弾け飛んで、周囲の鉄機兵の残骸が吹き飛んでいく。そして、ついにはレオルフの胸部の大口径砲からひときわ巨大な炎弾が放たれ、
『ォォオオオオオオ!』
それをバルは真っ二つに斬り割いた。
(これで……終わりか? しかし機体もカタナも限界だ)
次の攻撃はなかった。魔力メーターの反応から周囲の魔力濃度も薄く、それ以上の攻撃は行えないのだろうとバルは悟ったが、機体は思うように動かず、持っていたカタナもまた赤く染まりながらパラパラと砕けて焼失していくのが確認できた。
そのカタナは熱を吸収する黒鬼鋼製で、ここまでに炎弾を斬って奪った熱量がついにはカタナのキャパシティをオーバーし刀身を崩壊させてしまったのだ。
『ギ、グガァア……アア』
一方で砲撃を終えた『レオルフ』であったものもまた限界を迎えていた。『レオルフ』であったものの脚部が砕けて機体が崩れ落ち、全身の有機的な肉の部分が溶けてこぼれ落ち、煙を噴き上げながら周囲に異臭を漂わせ始めていた。
(あれは腐っているのか? 竜の生命力があるとはいえ、構築が早過ぎたのか。まあ、戦えぬという点ではこちらも似たようなものだが)
バルの乗る『ムサシ』も左腕と胸部の一部を失い、それ以外にも全身はボロボロで己の武器も目の前で砕けていった。どちらももはや戦える状態ではないことは明白で、であればと、この場に見切りをつけて立ち去ろうとし……
蜥蜴が見ていることに気がついた。
『……ジャダン』
土煙の先にいる火精機は彼のよく知る男のものだ。そして機体越しから感じる気配は、まるでバルがこの場から退こうとしていることを嘲笑っているかのようであった。その気配はまるでバルの心に突き刺さる針のようであった。そのことに苛立ちを覚えこそしたが、バルは足を止めず背を向ける。
(俺がこの場に来たのは主様と戦うため。あのような斬り合うこともできぬ異物や賢しい蜥蜴と戦うためではない)
ジャダンの笑う顔がチラつきはしたが、それをバルは頭の中から振り払うと配下の兵たちに一斉に突撃を指示しながら戦場より去っていった。
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『追わなくていいの?』
亜種竜機兵『ヘッズ』に乗っているマリアがバルが去っていく様子を見ながらジャダンに尋ねた。
己の命を顧みずに特攻するローウェン帝国軍の鉄機兵の壁は厚く、周囲のオルガン兵団の戦力ではそれらを突破してバルのもとに向かうのは難しそうだった。けれども竜翼を持つ『ヘッズ』ならば鉄機兵の頭上を越えて追いつくことも可能だ。今のバルと『ムサシ』ならば『ヘッズ』と『エクスプレシフ』で討ち取ることだってできるだろうとも。けれどもジャダンは『いいんですよ』と返した。
『あれだけ自信満々にやってきて説教垂れた挙句にボロボロにされて尻尾巻いて逃げてるんですよ。そんな人に追い討ちをかけたら可愛そうじゃあないですか?』
『そうは言うけど、あの男は総団長を狙っているんでしょう?』
マリアが不満げな声を出しながらそう返す。
現在のマリアにはもう四王剣であった頃の面影はなく、周囲からは狂戦士のような存在として見られている。もっともベラ・ヘイローと、自身のパートナーであるジャダンの指示だけは彼女も従っていた。ベラは言うまでもないが、危機感知に優れたジャダンの判断をマリアも頼りにはしていたのである。
『ええ、バルの旦那はご主人様だけを求めて動いているようですし。ただ、ご主人様のことを考えるなら優先はこっちでしょうマリア?』
ジャダンがそう口にして視線を背後に向けると、ボタリと何かが崩れ落ちる音が聞こえた。それは『レオルフ』であった異形の体が崩壊している音だった。
『チッ、仕方……ない』
マリアが苦虫を噛み潰したような顔で頷く。
ベラが仲間を大事にしていることはマリアも理解している。ベラは一度相手を身内として認識すると切り捨てられない甘さがあった。それは欠点でもあるし美点でもあり、だからこそ彼女に多くのものが従っている理由でもある。だからジャダンからベラのことを引き合いに出されては頷くしかなかった。例え、心は今からでも追いかけて殺すべきだろうと訴えていたとしても。
(危なかった……バルの旦那はとりあえず逃げきれそうですか)
一方で、ジャダンの心中はマリアとは真逆であった。
この場でバルを殺せたか否かといえば殺せただろうというのはマリアと同じだったが、今この場でバルを狩るつもりはジャダンにはなかったのだ。
そう思わせてしまうほどに、ジャダンにとってこの再会は久方ぶりに『心踊らされた』出来事であった。
(今、あの人に死なれるのは面白くないですからねぇ)
チロリと舌を出してジャダンが笑う。
バル・マスカーはかつての仲間だ。命を助けられたことは一度や二度ではないし、当時のベラドンナ傭兵団の中で団長であるベラを除けば、もっとも頼りになる男だった。
そして、そのバルが裏切ったのは純粋にベラ・ヘイローと戦いたいがため。そのためだけに仲間も、一族も、妹も、あらゆるものを彼はこそぎ落としている。余人の理解を得られぬものだろう、愚行と切り捨てられるような道をバル・マスカーという男は今、歩んでいる。
その一途な想いがジャダンには愛おしかった。
純粋なる想いは何にも勝る。ジャダンが子供が好きな理由もソレだ。夢をいだく若者が好きで、恋する少女が好きで、互いを愛おしむ親子が好きだ。それらを火で燃やして炙るのが大好きなのだ。綺麗だったものが炎に焼かれて悲鳴をあげながら壊れていく様を愛していた。
恋人の前で暴力によって純潔を散らされ絶望する乙女のようにアレを陵辱できたなら……ジャダンはそう思うだけで鼻先から尻尾の先までに電流が走ったかのような感覚に支配される。それは久しく覚えがなかったものだ。
ここしばらくの自分が穏やかであったことをジャダンは理解している。ベラの下にいる自分は特別だった。無論、己の有り様が人に嫌われていることも理解はしていたが、それでもここは居心地が良かった。マリアと組んでからは戦力としても認められ、ある種の敬意も払われるようになった。
(けれどね。こればかりはあっしの性分なんでさぁ。でなきゃあ戦奴隷なんざに落ちちゃぁいねえんですよ)
いきり勃つ股ぐらの熱を感じながらジャダンがヒヒヒと笑う。
久しく枯れていた情欲が蘇った蜥蜴はこうして戦士を見逃し、自爆すらも行うローウェン帝国軍による被害はあったものの混成軍のディアナの門奪還はその日の内に成功することとなった。
そしてイシュタリア大陸南方ヴェーゼン地域の情勢はこれより大きく変わり始める。それはモーリアン王国と『クィーンの生まれ変わりが支配する』ベラドンナ自治領を中心とした反ローウェン帝国連合、かつてのドーバー連盟が再び世に生まれ出たためであった。
次回予告:『第359話 少女、支配する』
いずれ蜥蜴の毒は回り、屈強な戦士は望みを叶えることなく絶望の中で死に至るでしょう。
そしてお待たせいたしました。次回、ようやくベラちゃんが帰ってきます。




