第353話 少女、ステーキを食べる
『妙……だな』
ディアナの門までもう間も無く……というところで、リンローがそう呟いた。
正面にはマイケルとアーネストに率いられたビヨング騎士団が並んでいて、その後方には彼らに隠れるようにヘイロー軍、ルーイン王国軍、モーリアン王国軍、マザルガ聖王国軍のそれぞれも続いているが旗印は掲げていなかった。
それは現在のディアナの門はベラドンナ自治領軍が護っているため、彼らにいらぬ警戒をさせぬための行動であった。ビヨング騎士団が直接ディアナの門にいる自治領軍を説得できれば良し。最悪はディアナの門を占領する予定だが、現在のディアナの門を守護している自治領軍の司令官ザナック・パラディスはアーネストと共にローウェン帝国を快く思ってはいない派閥にいる。
それ故に何かしらのトラブルでもない限りは容易に目的を達成できるはずだった。
『リンロー団長、ありゃあ良くねえぜ』
『ゼック将軍。分かってますよ、静かすぎる』
ビヨング騎士団の後ろにいてモーリアン王国軍銀光戦士団を率いているゼックの言葉に、同じく並んでいるリンローが同意の言葉を返す。
オーガロ渓谷の断崖絶壁の中間にあるディアナの門。その門前に並ぶ兵たちは確かにベラドンナ自治領軍のものであったが、予定もない軍勢が近づいてきているというのにまるで反応がない。
例えドラゴンは後方で待機していて見えず、見知ったビヨング騎士団が前面にいるとはいえ、何のリアクションもないというのは明らかにおかしい状況だった。
『マイケル・ビヨングだ。火急の様につきザナック将軍にお目通り願いたい!』
マイケルが前に出てそう叫ぶと、兵たちが動き出した。
そしてディアナの門の正面が動き出して内側から軍勢が出てくると、マイケルやアーネストのみならず全軍が息を飲む。何故ならば出てきたのはいずれもローウェン帝国軍であったのだ。数こそアーネストたちに劣るものの、不気味な静けさに包まれた鉄機兵を中心とした軍勢。そして最前列にいるのは漆黒の鉄機兵だ。
『マイケル・ビヨングか。ザナック将軍ならばすでに死んだぞ』
『なん……だと?』
そんな光景を前にしたマイケルは続いた言葉に目を見開かせた。
その言葉からローウェン帝国はこの数日で起きたベラドンナ自治領の状況を把握しているようだった。マイケルを含む自治領の兵たちはすでに『ひとつの約束』を得てローウェン帝国と袂を分かつことを決意し、ベラに敗れた後にアーネストによって説得されたマイケルたちビヨング騎士団が此度の遠征の先導役となっている。けれどもそうなってから一週間も経っていない。例えどのタイミングでこの情報を知ったとしてもここまで用意を整えられるのか……そう考えたマイケルの頰を冷たい汗が伝う。
『お前たちがすでに帝国の手を放したことは把握している。智者の眼はどこまでも広い。そのことをお前たちは知っておくべきだったな』
『バル・マスカー……貴様か』
マイケルの横にいたアーネストの言葉に周囲がざわつく。
刀神バル・マスカー。ローウェン帝国軍の最も新しき八機将のひとりにしてジェネラル・ベラドンナの戦奴隷。ただの奴隷が戦働きによって将の地位にまで昇り詰める。強者こそを絶対とする帝国の特異性がなければあり得ぬ立場を手に入れた男の武力は尋常ならざるものだと彼らは知っている。共に戦った者も、実際に対峙した者も、伝聞で知った者も、彼を侮ることなどあり得ない。何よりも鉄機兵から伝わる鋭い刃の様な殺気がそれを許してはくれなかった。
そしてリンローとゼックがそれぞれ己の部隊を率いて前へと進み、ビヨング騎士団に並んだ。すでに状況は変わっている。バレているのであれば、もはや自治領軍であるという体を維持する必要もない。そしてバルの鉄機兵『ムサシ』が先日に対峙した相手に水晶眼を向けた。
『リンロー・レオブラントだったか。いつぞやぶりだな』
『おうよバル・マスカー。テメェがここにいるってことはローウェン帝国軍はこちらの動きを把握していたってことかよ?』
リンローはそう言いながら相手を観察する。
何しろ事前に自分たちの動きを察知して対抗するために動いたにしては兵が少ない。となれば察知はしたが、対抗できるだけの数が集まらなかったのか。
(すました声してやがるが、つまり連中も存外に焦ってるってぇわけだ)
そうリンローは考えたが、対してバルから告げられたのは
『……ベラ・ヘイローはいないのか?』
『はっ?』
全く予想していない言葉だった。それは一体何を狙ってのものだったのか。だが己の主人を名指しされたリンローの中の何かが癇に障った。
『ケッ、総団長なら来てねえよ。あの人は忙しいからな。テメェに構ってる暇なんぞねえんだよ』
『……そうか。当てが外れたな』
淡々と口にはするものの、リンローはその言葉の中に落胆の感情が込められているのを感じた。親愛の情すらも浮かんでいた様な気がしたのは勘違いか……とも。
『で、そいつを聞いてどうするんだ?』
『ここで主様と刃を交えられれば……と思っていた。が、儘ならぬな』
『主様だと。テメェの主人はジェネラル・ベラドンナだろう?』
『はは、あの老婆が俺の主人?』
リンローの問いにバルが心底可笑しいとばかりに、嘲るように笑う。
『我が主人は変わらない。それはお前とて理解していると思っていたが?』
その言葉に絶句したのはリンローだけではないはずだった。バル・マスカーのかつての主人など知っている者は知っていることだ。そして、知っている者ならば、今の状況こそがまったく意味が分からない。だからリンローは苦々しい顔をしながら口を開く。
『お前……今もまだ総団長の奴隷のままだとでも言うつもりか?』
『さて、お前たちを殺せば……主様は俺に刃を向けてくれるだろうか?』
バルがそう返すと『ムサシ』を操って左右の鞘からカタナを抜いた。
『何を言ってやがる?』
『身内には甘い人だからな』
『だから何を言ってやがるテメェはよ!?』
苛立ちを露わにしたリンローが構え、両軍ともに一歩踏み出した。
『ベラ・ヘイローは我が主人だ。刻まれた奴隷紋はそのまま。そういえば満足か?』
『だったら何故お前は生きている? 何故だ!?』
奴隷紋がある以上、奴隷が主人より離れれば恐るべき苦痛が襲い、いずれは死に至るはずだ。もっとも奴隷紋自体の解除は可能だ。実際ベラドンナ傭兵団の面々はそうして離れ離れになり、今はベラの元に戻るか葬られることとなった。けれども目の前の男は己は違うという。で、あるにも関わらず生きているし、敵対もしている。何かが決定的にズレている。価値観に相違があると目の前の男に対してリンローは感じた。
『何故だろうな?』
そして、そううそぶいてバルが一歩を踏み出した。
『燻っていた己を導いてくれた主人に対しての敬意は俺にもある……が』
黒い鉄機兵から殺気がさらに広がっていく。カタカタと鉄機兵が揺れ、馬たちがわななく。兵たちの顔色は青く、その腕には汗がベトついた。たかだかひとりの男の意志が戦場を支配していく。
『しかし、俺は戦士だ。目の前に挑むべき相手がいて、それを見て見ぬということはできない』
『それだけのために……お前はそれだけのためにそこにいるというのか?』
『そうだ。お前も見ていたはずだ。あの人の背中を。眩すぎるあの有り様を! であれば、己を誤魔化すことなどできようものか!』
『戯言を言うなよバル・マスカァアアア!』
そして両軍が一斉に動き出した。
次回予告:『第354話 少女、昼寝をする』
今日のベラちゃんはステーキを食べました。
ベラちゃんはお肉が大好きですが、お野菜もしっかりとります。
ただ緑色の中身がないピマはあまり好きではないようです。




