第352話 少女、ゴロゴロする
リンローたちが急ぎオーガロ渓谷に向かっているのと同じ頃、彼らの目的地であるオーガロ渓谷のディアナの門では、とある異変が起きていた。
このオーガロ渓谷はベラドンナ自治領とローウェン帝国との間にある谷で、枯れた川底のみが両国を移動する唯一の移動経路として利用されていた。そして川底の途中にそびえ立っているのがディアナの門と呼ばれる国境門である。
門は左右の断崖絶壁の間に川を塞ぐような形で存在していて、元々は川の水量を調整するための『水門』であったのだと言われている。
そもそもの話ではあるがオーガロ渓谷自体が古代文明が水路として造り上げたものであるという話だ。
「かつての文明の名残……か。恐るべきだな」
窓の外の断崖絶壁を見たバル・マスカーがそう口にした。
そびえ立つ断崖絶壁はあまりにも平坦で、まるでまっすぐ切り取ったようであり、それは数十キロメートルも続いている。
(一体いかなる手段を用いたのやら。あの老人に聞いてみてもよいな)
イシュタリアの賢人を名乗るロイのことを思い出しつつ、バルは血に濡れた刀を振るって飛沫を飛ばすと周囲を取り囲んでいる者たちを見た。精鋭とまではいかぬが彼らは熟達のベラドンナ自治領軍の兵たちだ。
この場はディアナの門と呼ばれる建造物の中にある通路で、構えている兵たちの目には怒りと怯えがあった。怒りは招き入れたローウェン帝国軍から襲撃を受けているが故に、怯えはたったひとりに仲間がすべて返り討ちにあっているが故に。
その相手はローウェン帝国軍の八機将がひとり刀神バル・マスカー。協力関係にあった国の将軍がただひとりでここに来て、招き入れた途端に殺戮を開始してきたのだ。
「どういうつもりだバル将軍?」
「血迷ったか狂人め!」
数十の仲間の死体を背にしたバルに対して自治領軍の兵たちが咆哮しながら斬りかかる。けれどもバルはまったく表情を変えず、迫る敵を見据えながら口を開く。
「残念なことだがな。先に手のひらを返したのはそちらなのだ。お前たちはまだ知らぬだろうが」
バルが一気に駆け、襲いかかる十の兵たちの間を縫うように通り過ぎると、次の瞬間に兵たちの首筋から一斉に血が噴き出て崩れ落ちていく。
「あ、あれが刀神」
「八機将のバル・マスカー。化け物が」
目の前で行われている凶行を前にして後方に控えていた自治領軍の兵たちがたじろぐ。彼らには一対多数であろうともまるで勝てる想像ができなかった。鉄機兵の有無など関係なく、そこにいるのは確かにローウェン帝国軍が誇る力のひとつであると理解できた。
対してバルは気負うことなく、さらに敵へと攻撃を仕掛けようとして……
『死ねェエエエッッ』
バルの真横の壁を破壊しながら鉄機兵の斧が通路に飛び込んできた。それをわずかなバックステップでバルが躱すと周囲の壁が崩れて中庭に集まった鉄機兵たちの姿が見えた。そして最前面に立つのは先ほどの戦斧を携えた鉄機兵だ。そしてその姿をバルは知っている。
『避けおったか。よくもやったな。やってくれたなバル・マスカー!』
「自治領軍ディアナの門司令官、ザナック・パラディス殿だな。久しいな」
凄まじい怒気を放つ鉄機兵を前にしてもバルの表情は変わらない。けれどもその身に纏うものは闘気。戦いに興じることだけを是とする鬼がそこにいた。
『バル・マスカー。何故に狂乱した? これはローウェンの意志なのか!?』
「俺の独断だ」
『この戦狂いがぁああ!』
戦斧がバルに向かって振り下ろされる。
次の瞬間に火花が散って地面が割れた。その様子を見たザナックが目を見開く。
『馬鹿な。我が一撃をそらしただと!?』
ザナックの視界に映ったのは頭から潰された哀れな男の亡骸……ではなく、まったく無傷のままのバルであった。カタナを構えながら、まるで変わらぬ表情でザナックの鉄機兵へと視線を向けている。状況からすれば振り下ろされた戦斧はバルの持つカタナによって受け流されたのだろう。
『チィ、さすが八機将というだけはあるか。しかし』
「させんよ」
ザナックが再度攻撃を仕掛けようとしたところをバルが一気に距離を詰める。
『寄るなバル・マスカー!?』
ザナックが相手の意図に気づいて機体を退がらせようとするがすでに遅い。バルの振り上げたカタナの一撃は鉄機兵の関節部の一部を正確に狙って斬り飛ばすと右腕の機構が軋んで戦斧が地面に落ちた。
『くっ、右腕が……動かんだと? ヤツはどこだ!?』
ザナックが左腕を振り回しながら水晶眼を通して周囲を見渡すがバルの姿はない。であれば、どこに……そうザナックが思った時、わずかに背よりカツンという音が聞こえた。
『クソッ、後ろか!?』
「遅いな。鉄機兵は視界が悪い。纏わり付かれては分からぬだろう」
直後に鉄機兵の頭部がカタナの一閃によって斬り落とされ、操者の座の中から外の景色とともに褐色肌の男の姿が見えた。
『バル・マスカー。こいつ、生身で鉄機兵を……ぐ、ガァアア!!!』
バルが操者の座に向かってカタナを突き刺し、鉄機兵の内部より鮮血が飛ぶ。
そしてザナックの絶叫と共に鉄機兵が崩れ落ちた。その様子に周囲の鉄機兵からは一瞬音が消え、それから怒号が響き渡る。
『ザナック将軍を。貴様ぁあ』
『取り囲め。所詮は生身。鉄機兵で取り囲めば』
『そうだ。八機将といえど……ギャアアア!?』
すぐさま複数の鉄機兵がバルを取り囲おうと動き出したが、後方より何かが迫り、そして鉄機兵の一機を背から斬り裂いた。
『なんだ? 新手か?』
『見張りはどうした?』
『おい、アレはバル・マスカーの鉄機兵じゃあないのか!?』
『ヤツはそこにいるぞ。だとすれば誰が乗ってるんだ?』
兵たちが動揺の声を上げる。このディアナの門に来たのはバル・マスカーただひとりのみ。彼の鉄機兵は離れたガレージに置いてあり、彼に従うはずの兵すらも一緒には来ていなかった。そもそも鉄機兵とは竜神石を通じて選ばれた乗り手しか操作はできないものだ。乗り手と離れては動くはずもないのだが……
「来いムサシッ」
しかしバルの声に従って鉄機兵『ムサシ』はほかの鉄機兵を飛び越えてバルの前に躍り出た。そして勝手に開いた胸部ハッチの中、操者の座を見た兵たちが驚きの声をあげる。
『誰も乗っていない……無人だと!?』
『そんな芸当が可能なのか?』
自治領軍は動揺を露わにするがバルは知っている。それが可能な少女がいることを。であれば、己にもできるはずと考え、結果として彼はソレを会得していた。
(俺だけではないのだがな)
バルの脳裏に今もなお、彼が主人と考える少女の姿が浮かぶ。
それからバルが『ムサシ』の中に飛び込むとすぐさま戦闘が開始された。
もっともそれが戦いと言えるものだったかは難しいところだろう。行われたのは一方的な蹂躙だ。まるで風の如く疾駆した『ムサシ』は案山子を斬るが如く、麦を刈り取るが如く、ただの一振りで鉄機兵たちを次々と斬り裂いていく。
逃げ出そうにもこの場はディアナの門。ローウェン帝国領に逃げるわけにもいかず、左右の断崖絶壁には登れず、ベラドンナ自治領の側に逃走しようとした者も背中から斬られて死んでいく。こうしてバル・マスカーたったひとりの襲撃によりディアナの門は瞬く間に陥落していった。そして、翌日には遅れてローウェン帝国軍が到着。さらに同日の夕方にリンローたち混成軍はすでにローウェン帝国軍に占拠されたディアナの門に辿り着いたのであった。
次回予告:『第353話 少女、ステーキを食べる』
今日のベラちゃんは一日ゴロゴロしていました。
集めた宝石などを磨き、ご満悦のようです。
バルお兄さんはボッチのようですね。可愛そうです。




