第331話 少女、元椅子を試験する
アーネスト・ビヨングが一騎打ちでベラ・ヘイローに敗れ、彼女の奴隷となってから一週間が過ぎた。
当初は専属の椅子になることをベラに熱望されていたアーネストだったが、これはニオーの懇願により現在は回避されていた。それはニオーがアーネストを哀れんだためであることも否定はできなかったが、モーリアン王国軍の士気低下を防ぐためという意味合いの方が強かった。
元々モーリアン王国のベラドンナ自治領に対する心情は複雑なものだ。そもそもがベラドンナ自治領をモーリアン王国のベリス王が一度は認めてしまった経緯があり、その上にクィーンの意志を継ぐという意味ではベラドンナ自治領の方に正当性がある。背後にローウェン帝国の存在がなければ、或いは戦うまでもなくモーリアン王国内部で瓦解が始まり、ベラドンナ自治領がモーリアンの地の正当な国家に変わっていた可能性すらもあった。
そんな自治領軍の将であり、今でもかつての英雄のひとりとして知られているアーネストを椅子代わりにするなど正気を疑うと言われてしまえばベラとしても退かざるを得ない。また、座り心地があまり良くなかったということもベラの心変わりを推していた。
そうした事情もあってアーネストも現在ではベラ・ヘイロー個人の所有物という体は変わらぬものの、その扱いも改善はされていたのである。少なくともアーネストが待遇への不満を口にしたり、自害に走ろうとしたり、或いはその場から逃げ出そうという様子はなかった。
なお奴隷紋というのは主人か代理人から距離を取った時点で発動し、刻まれた者に発狂死するほどの頭痛を与えるのだが、奴隷商などの一部の人間ならば解除、或いは発動を抑制することは可能であった。そして、先に述べたようにモーリアン王国内のベラドンナ自治領に対する心情は大変複雑なものであったのだ。そのためにモーリアン内にいながらアーネストの隠れたシンパが軍内にも少なからずおり、彼の逃亡を幇助するために接触を図ろうと動いた者もいたのだが、アーネストはそれらをすべて拒否していた。
武人として敗れた彼にとって敗者とは潔くあるものと心得ていたし、何よりも彼はベラ・ヘイローという存在をもう少し見ていたかったのだ。そして観察し続けて一週間たった今、アーネストのベラ・ヘイローに対する考えは極めて複雑怪奇なものとなっていた。
(あまりにも『似過ぎて』いる)
何に……と問うのは無粋であろう。彼がベラ・ヘイローと比較したのはクィーン・ベラドンナだ。当然のことながらクィーンとベラの外見はほとんど似ていない。北方の血を引くクィーンと南方のラーサ族のベラではそもそもが人種が違うし、クィーンの幼き頃を知る者は存在しない。けれどもその表情や立ち振る舞いはまるでかつてのクィーンの生き写しのようであるようにアーネストには感じられた。
また、当初はモーリアン王国軍の中にあった『ベラがクィーンの生まれ変わり』という虚構に対する憤りはすでになりを鎮めてもいた。大戦以前を知らぬクィーンを神聖視している若い世代の中には反発する者もまだ多いようだが、大戦帰りの古参ほどベラの有り様は眩しく映っていた。
(まったく、なんということだろうか。アレはそういう風に誰かが育てたのか……いや、あの武勇は養殖でできるものではないな)
アーネストもここまでのベラ・ヘイローの戦歴を知っているため、あの少女が御輿のために作られた存在であるという推測は頭から追い出さざるを得なかった。
もっともひとりだけ可能そうな人物に思い当たりもしていた。それはイシュタリアの賢人と呼ばれているローウェン帝国のロイ博士である。ジェネラル・ベラドンナの背後にいるあの人物ならば……と考えたのだ。実際、ベラの軍隊には獣機兵やドラゴンや機械竜、巨獣兵装などローウェン帝国由来の戦力も多い。
(けれども……あまりにもローウェンにとって脅威的過ぎる)
アーネストはジェネラル・ベラドンナを通じてロイという老人と何度か顔を合わせたことはあった。現在の帝国を生み出した知恵の怪物。古代文明イシュタリアの生き残りという騙りもあながち冗談とも言えぬほどの相手だ。しかし、それでも現状のローウェン帝国に対して敵対し過ぎているベラの状況を考えれば、その線はないだろうとアーネストは考え直す。
そして、そんな思惑の海にアーネストが沈んでいると……
『アーネスト、どうだ? 何か違和感はあるか?』
『む、いや』
通信機からの突然の声にアーネストの意識が現実に戻された。
彼は今、愛機である『ラハトゥ』の操者の座の中にいたのだ。
『若干の鈍さは感じるが……まだ接続直後だからだろう。動かすのに支障はない』
そのアーネストの返事にボルドが『了解。あとで一応見ておくぜ』という言葉が返ってくる。最初はぎこちなかった両者のやり取りも今では気後れしない程度に会話が成立していた。
この一週間でアーネストがもっとも話した人物が誰かと問われれば、それはボルドだった。ニオーやゼックなどといったかつての仲間も訪ねに来たりはしたが、先日まで敵対していた身であるためにどこか歯に物が挟まったような会話にしかならなかった。
だからヘイロー軍に置かれていたのはアーネストの心情的にもありがたく、またヘイロー軍の気質は彼に合っていた。
なお、ボルドと同じ奴隷仲間であるジャダンともアーネストはすでに対面していたが、舌をチロチロとさせながら笑顔で燃やしたかったと心底本気で言ってくる相手を好意的になれるほどアーネストの心は寛容ではなかった。
その様子にはボルドも苦笑いをしていたし、実際ジャダンを好意的に見ているのはヘイロー軍の中でもベラとマリアぐらいであることをのちに知ったアーネストはなるほどと頷いていた。
ともあれ一週間たった今、モーリアン王国軍もベラドンナ自治領に攻め込むための準備が整い、またアーネストの鉄機兵『ラハトゥ』の修理も終わっていた。そのためアーネストは試乗のために、ヘイロー軍が用意した鉄機兵の訓練場へと来ていたのである。そして、そこにはベラやヘイロー軍の面々も揃って取り囲んでいた。
『ガイガン、あんたの方はどうだい?』
『問題ありませんな。いや、大戦帰りの猛者と打ち合えるとは胸が踊る』
対して『ラハトゥ』の前にいるのは竜撃隊隊長ガイガンの乗る鉄機兵『ダーティズム』であった。無骨なその鉄機兵はウォーハンマーを手に取り、闘気を放って『ラハトゥ』へと向かい合っている。
ヘイロー軍にとって重要なのは過去ではなく今。必要なのは戦いに使えるか否か。それを示すためにアーネストはガイガンとの模擬戦闘を行うことになっていたのである。
次回予告:『第332話 少女、元椅子を観戦する』
ジャダンお兄ちゃんは相変わらずモテモテですね。
けれどもジャダンお兄ちゃんの熱い想いは相手を焦がしてしまうほどに情熱的なので付き合っても長続きはしないのだとか。大人の恋愛は難しいものですね、ベラちゃん。




