第32話 幼女、微笑む
「お邪魔するよジョン様」
ベラがそう口にしながら天幕に入る。そこは天井部の開いたところから光こそ入っていたが他は締め切られて薄暗かった。
「だ、誰?」
そしてその真ん中ほどのところに置かれているベッドの布団の中から声が聞こえたのだ。それはまだ年若い、少年の声だった。
(それで、隠れてるつもりなのかねえ)
そうベラは考えるが、布団の中の人物にしてみれば真剣なものなのだろう。その様子にベラが肩をすくめながら再びジョンへと声を掛ける。
「あたしだよ、ベラだよ。ジョン様」
「あ、ああ、ベラちゃんか。良かった。他は誰もいないかい?」
ベラの言葉に、ジョンがそう返した。その『他の誰か』とはベラにとっても明らかではあったので、後ろにいるマイアーに視線で合図して声を掛けさせた。
「マイアーです。私もいます」
その言葉に、ジョンの声が明るいものに変わる。そして布団を這い出し、ジョンは外へと出てきた。その視線はどこかうつろだが、ベラではなくマイアーにのみ注がれていた。それは戦闘時にマイアーがジョンを庇って撤退したことに起因する。有体に言って懐かれたのであろう。
「おお、おお。マイアー、ああ、良かった。君がいなくなったらどうしようかと思ってたんだ。他の連中はいないかい? 弟の手のものは? またパロマが襲ってきたりはしてないかい?」
そう矢継ぎ早に言いながら、ジョンはマイアーに抱きついたのである。
「はい。いないし、大丈夫ですよ。来てもあたしらが護りますんで」
「ああ、もう君たちだけが頼りだ。もう僕には君らしかいない。ダグラスは死んだ。モルボもザクバーもだ。パロマのゴミ屑共が僕からすべてを奪ってしまった」
マイアーはジョンに見えないように苦笑いしながら、ジョンを抱き締めた。そしてベラを見る。ベラはその様子を満面の笑顔で見ていた。
「はぁ、暖かいな。マイアーは僕の女神のようだ」
そして笑いそうになるのを必死に堪えながら、ベラはマイアーの胸にうずくまっているジョンを見る。情婦を届けに来たわけではないのだ。言うべきことは言わねばならない。
「それでジョン様。デイドン様もいらしてましたが、とりあえずはあたしらがジョン様を守ることは許可してもらいましたんで。それで宜しいですよね?」
ベラのその言葉にジョンは必死に頷いた。
「ああ、そうだね。デイドンは頼りになる男だ。うん、彼が良いというなら、もう問題はない。ほかの連中はダメだ。奴らはこのモーディアスの僕を助けにこなかった。弟の、ヴァーラの仲間なんだ。きっと。お父様に言って死罪にしてやる」
さすがにあの貴族連中をすべて死罪にするのは難しかろうなとはベラは思ったが、ともあれ、それは自分の関知するところではない。そう考えて、続けて口を開いた。
「それと回転歯剣も正式にいただきましたんで。まあ、言われた通りに連中をモーディアス家の名の下に潰すのもそのまま引き受けましょう。ジョン・モーディアスの名の下に連中を皆殺しにしてやりますよ」
「そ、そうか。まあ、父上も許してはくれよう。大丈夫だ。うん」
多少ドモリながら言うジョンにベラも笑顔で頷いた。
もっともベラはその言葉をまったく信じてはいなかった。それはジョンが嘘をついているというわけではない。そんな余裕が目の前のボンボンにあるわけがないとはベラにも分かっている。だからこそ、こうして回転歯剣やら何やらを好き勝手に頂戴できるのだ。
(あれはアンタんところの家宝だろうにね。それに、あのガルド・モーディアスが許すとは思えないけどね)
ベラが考えているのは、目の前のジョンではなく、その裏にいる男のことである。
回転歯剣はルーイン王国でも上級貴族に該当するモーディアス家の宝剣である。とはいえ、次期当主であるジョンとデイドンの承認を得ている以上はベラに譲渡する約束は有効ではある。故に正当性はベラにあるのも間違いはない。しかし、ガルドが奪い返すために強引な手段に出てくる可能性もなきにしもあらずだった。デイドンもそれは指摘していた。そしてベラはあることに気付く。
(ふん。ガルド? あの? 何を言ってるんだろうね。誰だい、そいつは?)
一瞬の記憶の混濁がベラを襲った。戦闘中や無意識に言葉が出ることは時折あるが、こうして地に足が着いた時にそれを意識的に感じたのは久方ぶりのことであった。
ジョンの父でありモーディアス家の当主であるガルド・モーディアス。大戦期を生き抜いた生粋の武人であるとはベラもデイドンから聞かされていた。しかし、ベラはガルドという人物を見たことはない。知っているはずもない人物のはずだ。
(まあ、いいさ。今は目の前のことだからね)
そうベラは自らの思考を切り替えて、ジョンを見た。そしてジョンは怯えの混じった顔でベラを見て尋ねる。
「そ、それで、ベラちゃん。連中を殺すのがいつかは決まったのかい?」
「ええ、明日に仕掛けるってぇことみたいですよ。はは、忙しい話だ」
その言葉にジョンがビクッと固まる。自分から尋ねてはみたが、まだジョンが自分の配下の者をすべて失ってから数時間しか経っていないのだ。心の傷が癒えているはずもなく、その目には戦いへの覚悟もなかった。
「そ、そうか。それじゃあ、明日は……が、頑張らねばな」
「ヒャッヒャ、まあ殺すのはあたしらがやるんで、大将はドンッと後ろで構えててくれりゃあいいのさ。首ぃいっぱい取ってくるから、そんときゃお褒めの言葉でもくれりゃあ満足しますよ。あたしらは傭兵なんでね」
「ま、任せよ」
ベラの言葉に顔を強ばらせながら、ジョンはそう口にする。
「ええ、頼みますよジョン様」
そしてベラはそう言って満面の笑顔でジョンを見たのであった。
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「おや、マイアーはまだ中ですかい」
天幕の中から出てきたベラに、番をしていたゴリアスがそう声を掛ける。
ベラが天幕から出てきたということはジョン・モーディアスとの話は終了したのだろうとゴリアスは考えたのだが、一緒に入ったマイアーが出てきてはいなかった。それにはベラがニタリと笑いながら、天幕に視線を向けて答える。
「ああ、マイアーはあの坊ちゃんに気に入られたらしいね。はは、今は乳繰り合いたいから下がれだとさ。あの入れ込みようだ。マイアーはもしかすると貴族の奥方様にでもなっちまうかもしれないよ?」
そのベラの言葉にゴリアスが苦笑いをする。
「年が倍離れてますぜ。恋人と言うよりも母親の方が似合っていそうですが」
その言葉にはベラがヒャッヒャと笑う。
「ママのおっぱいが恋しい年頃なんだろう。それにママと違ってぶち込んでもなーんも問題ないじゃないか。母親をよがらせて抱きしめてキスまでしてもらえるんだ。なんだい。あのマザコンのガキにゃあ最高の女だとは思わないかい?」
さらに笑うベラに、ゴリアスは乾いた笑いしか出ない。その言葉は、マザコンのガキの半分以下の年頃の子供のものでは決してない筈だからだ。
「つーても、マイアーには災難じゃねえかと思いますがね」
「どうかねえ。色街にいかなくても、ただで若くて綺麗な男を咥えられるんだ。あの女にとっても満更でもないと思うけどね。まあ、人を近づけさせないようにしておきな。犬と違って蹴っぽるどころか、物音一つで小さくなっちまうだろうからね」
そして「了解」と口にするゴリアスに手振りで別れの挨拶をして、ベラは己の鉄機兵の元へと向かうのであった。
次回更新は4月16日(水)0:00。
次回予告:『第33話 幼女、強化する』
愛って素晴らしいですね。
ベラちゃんは年の離れたカップルも応援します。
次回はベラちゃんの自慢のお人形がちょっとおめかしします。




