第324話 少女、狙われる
「ああ、たく。しんどいねえ」
そう口にした老婆が薄布を纏った巨体を揺らしながら豪奢な椅子へとドサリと座り込んだ。海月の如き柔い贅肉の塊の豚とは一線を画した、鍛えあげられた戦士の肉のつき方をしたその老婆はジェネラル・ベラドンナであった。流れ出る汗を冷水で洗い流した彼女はようやくひと心地ついたようで、軽く息を吐いてだらしなく椅子にもたれかかると、彼女の前にいる男が笑みを浮かべた。
「おやおや、ずいぶんと苦戦したようですなぁ」
「ハッ、言うんじゃないよ。酒を出しなマルコ」
ヘイロー・モーリアン混成軍との戦闘から三日後、ベラドンナは配下の道化師マルコとともにゾールダン領の領主の館の己に割り当てられた一室内にいた。
そしてベラドンナはマルコがボトルから注いだグラスを受け取ると一気に飲み干した。
「あたしの勝負に水を差したんだ。時間をかけて罰としてしっかりと調教してやったよ。しばらくは足腰立たないだろうねぇ」
そう言ってベラドンナがひゃっひゃっひゃと笑うが、対するマルコの視線はやや悪戯めいた色を含んでいた。
「罰としてはいささか緩いようにも思えますが」
「もう少し虐めてやろうかとも思ったが、興が乗ってね。どれだけ攻め立てても落ちないし、逆にこっちがフラフラになっちまったよ。ラーサ族の男ってのはなかなかにいいモノを持っている」
「ま、ラーサ族はその手の奴隷市場でも人気はあるそうですがね。とはいえ戦目的で売るほうが儲かりますから、よほどの貴族のババア……おっと失礼。性欲溢れるご婦人でもなければ買えないそうですが」
「その言い直したのはあたしに対する当てつけもあるのかね」
目を細めて睨むベラドンナにマルコが肩をすくめた。
「はっはっは、敬愛する大将軍様にそのようなことはなさいませんとも。ただ、情勢は少々厄介ですね。何かしら目に見える成果があれば良かったのでしょうが」
「はたから見れば、どちらが勝ち筋だったのかは分かり辛いからねえ」
バル・マスカーによる密やかな仲裁があってのことではあるが、先の戦いにおいてベラドンナはベラと引き分けて兵を引き上げる形になっていた。元よりベラドンナとバル以外の戦力は巨獣との戦闘用に連れてきた、本来の彼女たちの戦力の中では二線級の兵たちだ。だからこそそのままであれば精鋭のヘイロー・モーリアン混成軍と引き分けた……ということに対する面目も保たれるはずだった。
しかし後に判明したことだが、ベラドンナたちに置いていかれたゾールダン騎士団は混成軍の別の部隊に襲撃を受け、当領地の領主にしてゾールダン騎士団の団長であるライノス・ゾールダン、及び鉄機兵と乗り手がのきなみ捕虜となっていたのである。またベラドンナは二将を討ち取ってはいるが首級を取ってきてはおらず、それを成果として見せることもできない。
それらをトータルで見れば、今回ベラドンナたちはベラたちに負けたと言われても否定できない状況となっていた。
「それにだ。ディアナがしばらく使えない。あたしも本国に戻らないといけないよ」
「それほどにやられた……ということですか」
「ヴァルドルを使ったのが不味かった。まだ慣らしも済んでいなかったのに全力でぶん回しちまったからね。まったくディアナにもヴァルドルにも悪いことをしたよ」
「かと言って使わぬのは無理な状況でしたしなぁ」
マルコの言葉にまったくさ……と返してベラドンナが笑う。
「ロイのジジイは喜ぶだろうが、一旦は調整し直さないといけないね。まあ、あんだけガチでやり合ったんだ。今回の件をフィードバックすれば次は完璧に仕上げられるだろうがね」
「しかし……あなたとそこまでやり合えるとなれば、やはり本物なのでは?」
マルコの言葉にベラドンナが目を細めて逡巡する。
「感じるものは確かにあった。奴隷紋が双方に干渉しあっているのも確認が取れた。けれども奴隷紋に関しては波長があう相手なら共有できてしまうこともあるんだろう?」
「そうですねぇ。実際にそういう事例もあるとのことですし」
奴隷紋は契約の魔力パスによって繋がっているが、主人の魂の質が近ければ奴隷への命令権が横入りできてしまうという欠陥が実は存在していた。もちろん、そう滅多にあることではなく、問題が表面化することもないのだが。
「けれども……ベラ・ヘイローがあなたの半身だとすれば、アレを鋼機兵で殺すことで魂力を吸収することが可能でしょう。魂力とは魂そのもの。竜心石を介してベラ・ヘイローの魂を取り込めばあなたは本来の状態に戻れる。『肉体』と『魂』を兼ね備えた普通の人間にね」
その言葉にベラドンナが自分の胸にある竜心石を見た。
その竜心石は一部を除く竜機兵の乗り手と同じように胸に埋まって癒着していた。それこそがベラドンナが生き永らえている理由であった。
「それとも幼き少女の命を奪ってまで生き永らえようなどとは思っていない……などと言い出したりしますかね?」
「馬鹿をお言いでないよ。生き意地の汚さは戦士の嗜みみたいなもんさ。それに幼き少女? あのクソガキには似つかわしくない言葉だね」
ジェネラル・ベラドンナ。
目の前にいる人物がかつてクィーンと呼ばれた者と同一人物であることは確かであった。鷲獅子大戦の後に帝国は鉄機兵『ゴールデンディアナ』を自国に運び、イシュタリアの賢人であるロイによって肉体を蘇生させることには成功した。ただし、それは『肉体だけ』だったのだ。
魂はすでに抜けており、文字通りの抜け殻と化した肉体はしかし竜心石を通して『ゴールデンディアナ』の魂を共有させることで繋ぎ止めることには成功した。
故に今のジェネラル・ベラドンナは肉体が『クィーン・ベラドンナ』であり、魂が『ゴールデンディアナ』としてある存在だ。もっともクィーンの肉体に宿る記憶故か、或いは『ゴールデンディアナ』がクィーン足らんと擬態しているのか、主体はクィーン・ベラドンナとなっていた。
(或いはあたしの中のディアナが求めているのかもしれないね)
ベラドンナが心のうちでそう呟いた。
戦っている最中も『ゴールデンディアナ』の反応はいつもと違っていた。それを言語化すれば歓喜、そして嫉妬であろうか。それが意味するところをベラドンナも理解していないわけではない。何しろ、それはベラドンナの中からも湧き上がってきていたのだ。凍っていた何かが溶けていくような想いがあった。
「ま、あのクソガキを殺さないように……なんて言っている余裕はあたしらにはないさ。あれはこれから即座に動くだろうし」
「ほほぉ、動きますか?」
興味深そうな顔をしたマルコの問いにベラドンナが頷いた。
「ああ、稲妻の如くね。放っておけば誰も彼もが殺される。あたしがそうしたように……ね」
ベラドンナが窓の外を見る。確証はない。だが確信はある。身体が求めているのだ。失ったものを取り戻したいと欲求しているのだ。
(まあ、それでも……あたしかバルじゃあなきゃ、アレには勝てないだろうが)
そしてベラドンナが笑う。人間に戻るために、或いはかつての主人を取り戻すために……ジェネラル・ベラドンナは再び少女と邂逅を果たすことを渇望していた。
次回予告:『第325話 少女、火の海を生む』
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