第30話 幼女、挨拶する
ルーイン王国 モロ地方前線基地。
その本部となるテントの中には、この地に集められた各団の団長や貴族たちが揃っていた。それは4時間前に受けた奇襲に対して、今後の対応が話しあわれるための会合の場であるはずだった。
(……胃が痛い)
そんな場の中でマイアーがそう思い、おなかをさすりながら、顔を引くつかせていた。場違い……という思いが、マイアーの中に強くあった。本来であれば自分は、あの端の方に陣取っている傭兵団の団長たちの中にいる筈だった。しかし今、自分はこの会合のほぼ中央に立っていた。
対してマイアーの横にいるバルは特に気にした風でもないようである。その胆力を自分にも分けてほしいともマイアーは少し思ったが、そうなったらそうなったで生き残れる気もしなかった。恐らく身の程知らずと手打ちにされて終わりだろうと。
そして、体調不良を理由にすでにこの場から下がっているジョン・モーディアスのことを考えて、自分も一緒に下がるべきだったとため息が出たのだ。共に出て行ったゴリアスこそ英断だった。
そして、マイアーの前にはデュナンという男がいた。
元はブラウンであったらしいその髪の色は恐怖で色が抜けたらしく、今では白くなっていた。目は見開いたまま固まったように閉じず、涙と鼻汁と涎が混ぜ合わさったままの顔は、恐怖というものを誰の目にも分かるように体現していたのである。
ジャリッと誰かが足を動かした音にも「ヒィッ」と反応し怯えるデュナンの姿に、その場にいた者の大半は男に哀れみを感じ、そしてそれを成した者への恐怖を抱いていた。
そう、いるのだ。それを為したという、自称6歳の悪魔がデュナンの横に。
「せっかく生かして捕まえたんだしね。とりあえずはお優しく質問して情報をもらっておいたよ。もちろん、蒼竜協定の捕虜の扱いにも違反はしちゃあいないさ」
そう快活に答える褐色の子供に、周囲は変わらず何も言えないでいた。接し方が分からない。腫れ物のような相手だが、しかしこの場の中心は間違いなくその子供なのである。
なお、蒼竜協定とは蒼竜王アオと呼ばれるドラゴンを中心とした竜族が起こした600年前の戦争の際に結ばれた協定のことであり、現在のイシュタリア大陸の国家に所属する者はこの協定を基本的に遵守することになっている。
「で、どんな情報をもらえたのかな?」
この場において、幼女に対して動じずにいるわずかとなる者たちのひとりであるデイドン・ロブナールがベラに尋ねた。
実のところ、デイドンもつい先ほど前線基地にたどり着いたためにまだ詳しい状況は聞いてはいなかった。
ここに来るまでにデイドンが聞いていたのは、増援に偽装したパロマの鉄機兵が強襲し、基地が被害を受け、ベラドンナ傭兵団たちの参戦により強襲してきたパロマの鉄機兵が追い払われたというところである。
そして、主に被害を受けたのは貴族たちだった。
傭兵たちを嫌う傾向にある彼らは、奇襲してきたパロマの鉄機兵に重点的に狙われた上に、己の矜持を固持するために傭兵たちの協力も当初は拒んでいた。
正面切っての戦いこそ鉄機兵の性能で圧倒する貴族率いる騎士団ではあったが指揮官である貴族の技量不足により不意を打たれると弱い傾向がある。奇襲してきた敵はそれを狙って仕掛けてきたということだ。
そこに『モーディアス家の宝剣』を譲り受けたというベラドンナ傭兵団長ベラ・ヘイローがジョン・モーディアスの名の下に、なし崩し的に傭兵団を貴族の陣地に参戦させたのだ。
かくしてその対応は成功し、パロマの傭兵たちは追い払われた。挟撃にならぬのであれば、砦から攻めてきた兵たちも引き返すしかなかったのである。
そして戦闘終了後ではあるが、貴族たちは立つ瀬がないままに救われた事実を否定することも出来ず、招集されても話が進まずに膠着状態が続いていたというわけだった。
そうして時間が経ち、デイドンが間に入ることでようやく状況は動き出したのだ。そこでデイドンはベラが得たという情報が何かを尋ねた。
「簡単に言うと、敵は間諜からの情報であたしやデイドン様がこっちに来ることを掴んでたみたいだねえ」
その言葉にデイドンが「ふむ」と口にした。仲間内に情報を流した者がいるというのも厄介だが、デイドンやベラが来ることを正しく伝えた者がいるとなると、非常に面倒ではある。
(逃げられている……でしょうなぁ)
と、デイドンは考える。今回の情報流出はルーイン側にしてみれば相当に致命的なものではあったのだ。それを流した者がまだのんきに残っているとは考えがたい。
とはいえ、内部洗浄を行う必要性はあるだろうともデイドンは考えている。膿がまだ残っているかもしれない。血を流すことにはなるだろうが洗い落とさなければならないだろう。
「それと、山脈の迂回ルートもだね」
続けてのベラの言葉に周囲がザワッとなった。それは、ジリアード山脈のルーイン王国側に位置するババール砦を奪われた原因ともなったものだ。
「やはり、あったというわけですか」
ギョロッとしたデイドンの視線がデュナンに突きつきられる。それを「ヒッ、ヒィィイ」とデュナンが叫んでベラの足の裏に隠れる。そこにはもう、かつて騎士であり、傭兵団の団長であった男の面影はなかった。小さな子供の影に隠れて怯える狂人がいるだけである。
「落ち着きなデュナン。もう少しの我慢だからね」
そうベラが頭を撫でるとデュナンは何度も何度も強く頷いていた。その顔に恐怖を張り付けたままで笑顔を浮かべる。それを周りの男たちが気味悪そうにみるが、口には出せない。まるで赤子のようになった屈強な男に対しては哀れみしか出ない。
そのデュナンをあやすベラにデイドンが問いかける。
「それで、いかがします?」
「あたしに聞くのかい?」
ベラの問いにデイドンが頷いた。
「『今回の戦いの立役者であるジョン・モーディアス』の名代であるアナタです。口を挟む権利はおありでしょう」
その言葉に貴族たちが唸る。その建前があるからこそ、貴族たちは何も言えない。デイドン・ロブナールに次いだ立場であるジョン・モーディアスの名代である幼女は、言うなれば周囲の貴族連中より現時点においては発言権があった。
「ま、予定通りでいいんじゃないか。どうせ、もう襲ってこないだろうしね」
「そんなことを貴様が分かるのか?」
脳天気とも言える言葉に貴族のひとりが声を上げた。さすがに耐えきれなかったのだろう。
「そりゃあ、砦という盾に護られずに戦うなら、そうするに足るだけの別の条件が必要となるからだろうさ。それが今の連中にはない」
「そんな保証がどこにッ」
そう激高する男にデイドンが口を開いた。
「バドロム卿、お静かに願います」
「しかし……いや、そういうことも……あると」
デイドンのにらみにバドロム卿と呼ばれた男の声が小さくなっていく。砦に護られながら戦う方が何倍も安全だというのは常識以前の話である。故に警戒を緩める気はないが、実際その通りだろうとはデイドンも思う。
声を上げたバドロムもそれを分からぬはずはないが、自分たちを翻弄する目の前の少女を前に何かを吠えずにはいられなかったのだろう。
「ま、いいでしょう。あちらの準備が整うのを待つのもアレですし、明日にもう一組増援が来ます。2日早いですが、それが合流次第、仕掛けようと思います」
その言葉にはどこからも異存は出ない。今回の損害を考えれば、立て直す時間は欲しいが、それは相手も同じ事だ。むしろ今回の失態を挽回する機会をこそ彼らは求めていた。
「それじゃあ、こいつにはもう用はないってことでいいかねぇ?」
「ええ」
そのデイドンの頷きを見て、ベラがバルを見た。
「バル、お引き取りだ。持って帰るよ」
「了解した」
そしてバルがデュナンを支えながら後ろへと下がらせる。仮にも傭兵団の長である。デュナンの鉄機兵『ザッハナイン』は切り刻まれて凄まじい惨状だが、竜心石は破壊されていない。身代金交渉か奴隷にするか、どちらにせよベラの懐には多額の金が転がり込むはずだった。
(ま、身請けしても良いけどね)
貴重な騎士型鉄機兵乗りだ。自分で使うのもありではある。そしてデイドンがさらにベラに尋ねる。
「それでベラさん。今回の報酬はアレで良いのですか?」
その言葉にはベラが強く頷いた。
「ま、当然、働いた分は相応に払ってもらうとしてだけどね。功績の報酬というなら、アレをいただく許可をもらえればいいさ」
アレとは『モーディアス家』の宝剣『回転歯剣』だ。ベラがその剣を得るには、ジョン・モーディアスだけではなく、別の上級貴族の承認印も必要だった。それをベラはデイドンに求めたのだ。
「よろしいので?」
護衛騎士がそうデイドンに尋ねる。
「今回の件、彼女がいなければこの基地自体が終わっていた可能性がありますからね。それに今後の活躍も期待する意味で、悪い話ではないでしょう」
そして「『モーディアス家』も彼女には借りができましたしね」と付け加える。今回の件でもっとも救われたのはジョン・モーディアスであるには違いなかった。家臣すべてを失ったが本人は生きているのだ。その報酬として考えれば決して高いものではない。
「そう言って貰えると助かるよ」
デイドンの言葉にベラが頷いた。
そして「ヒャッヒャ」と笑うベラに周囲はもう何も言えない。
戦場を制した幼女に口を挟める者はこの場には存在していなかった。
次回更新は4月09日(水)0:00。
次回予告:『第31話 幼女、指示をする』
無事、大きなお友達への挨拶も終えたベラちゃん。
お気に入りの玩具も手に入ってご満悦です。
続いてはお隣にご挨拶をするための準備をしなければなりません。




