第307話 少女、北へ向かう
モーリアン王国。
それは北にマザルガ聖王国、西にローウェン帝国、東にシンラ武国、南にエルシャ王国に囲まれた国である。
モーリアン王国が四方を強国に囲まれたにも関わらずひとつの国としてあれたのは、周辺国が睨み合い、牽制していたことと、周囲が山脈に覆われた天然の要塞の如き地であったためと言われている。
またモーリアンの兵たちはその土地柄からか、非常に強力な戦士たちであることも知られており、その勇猛さは鷲獅子大戦を経てなお健在であった。
そのモーリアン王国だが、かつてこの国は傭兵国家モーリアンという名で呼ばれていた。正確にいえば王国が名を変え、そして元に戻ったというべきではあるが、傭兵国家の名はクィーン・ベラドンナ、つまりは先代の女王ベラドンナ・ジオ・モーリアンが付けた名だ。
クィーン・ベラドンナ。彼女の出自については諸説ある。ローウェン帝国の皇帝の隠し子であったり、元奴隷の庶子であったり、或いは暗黒大陸と呼ばれるフィロンの地より流れ着いた異邦人であるとも。本人曰く帝国の娼婦から生まれたとのことだが、それもやはり酒の席での話であり、事実か否かは不明である。
ともあれ、彼女が若き頃より戦場で名を馳せ、大傭兵団の団長となり、最終的には王族を夫にして、国を手に入れたのは確かなことだ。
であるにも関わらず彼女は王政を望まず、在りようを傭兵団の如きものとしようとした。そうして付いた名が傭兵国家であった。
けれども鷲獅子大戦後のモーリアンでは王政が復活している。それは当時まだ幼かったクィーン・ベラドンナの嫡子べリス・ゼルフ・モーリアンを王位に付けるためのものであり、結果としてクィーンの意志を受け継ぐリガル宰相側と、血筋を受け継ぐべリス王側とで国が分かれて内乱が始まり、やがてはローウェンと周辺国の代理戦争に近い形となっていった。
元より王政である周辺国、シンラ武国、マザルガ聖王国、エルシャ王国は当然のごとくべリス王を立て、対してリガル宰相はあろうことかローウェン帝国と手を組んだ。クィーンの気性からすれば大きなこだわりがなければ使うものは使う……という性格であったのは確かだが、年月も浅からぬ時期に帝国を招いたリガルの目論見は上手くいくはずもなく、王政派に追いやられつつあった。
それが劇的に変わったのはジェネラル・ベラドンナが現れてからだ。当初ただの偽物かと思われたジェネラルではあったが、実際にその戦いぶりから本物だと認識した反王政派が勢いを取り戻していった。対してベリス王率いる王政派にも鷲獅子大戦を生き抜いた猛者たちがおり、両者の戦いは今なお膠着状態となっている。
「マザルガ聖王国は自分たちも今、ローウェンと戦っているんだよねぇ」
停まっている魔導輸送車の中で、ベラがテーブルの上に置いた地図を見ながらそう口にする。そこはイシュタリア大陸南方のヴェーゼン地域が描かれており、モーリアン王国が書かれている周辺にはそれぞれの国軍を意味する駒が配置されていた。
「はい。一年ほど前の大敗退によりザラ王国が自国の南部を奪われ、マザルガ聖王国もローウェンに追いやられ始めていますから余裕はないのでしょうが……かといってモーリアンを落とされれば、二方向から一気に攻め込まれる可能性も出てくる。辛いところでしょうね」
従者のパラがそう返す。その言葉にベラが笑いながら、エルシャ王国領のヘイローの駒をスッとモーリアン王国領へと動かした。
「で、そこにあたしらが参戦する。連中にしてみればあたしらは救世主ってわけだ」
「この一年でベラ様こそがクィーン・ベラドンナの生まれ変わりとの噂は随分と流させていただきましたからね」
ニヤリと笑みを浮かべるパラの言葉にヒャッヒャとベラが笑う。ジェネラル・ベラドンナは偽物であり、ベラ・ヘイローこそがクィーンの生まれ変わりである。それはエルシャ王国のダイズ王が公言し、今やヴェーゼン地域一帯に知れ渡っていた。またジェネラル・ベラドンナなど認められぬ反ローウェンの国々でも好意的に受け止めているようだった。
「婆ァの生まれ変わりとか面白くはないが、死んだ英雄は利用されてなんぼさ。モーリアンにはクィーンの帰還として精々歓待してもらおうじゃあないか」
その言葉の通りにベラたち竜撃隊は今エルシャ王国内を通りモーリアン王国へと入ろうとしていた。
すでにエルシャ王国をローウェン帝国の侵略から救い出してから一年以上が経過している。その間にベラたちがしたことといえば、一度ヘイローに戻っての戦力の拡充であり、エルシャ王国の戦後処理であった。結果から言えば、傭兵国家ヘイローが得たのは戦時に占拠したエルシャ王国領の南方の一部であり、またすでに国としての機能が死にかけているエルシャ王国の救済という名の実質的な属国化であった。もっとも現時点においてはヘイローの支出の方が多くデメリットの方が大きいのだが、再びローウェン帝国に攻め込ませないだけの対応が急務であるために致し方のないことではある。
「ま、本音を言えばあたしとしてはリガルに肩入れしたいがね。帝国が後ろ盾じゃあなければ……だけど」
ベラがモーリアン王国領内のリガル宰相の駒をトンと叩く。
クィーン・ベラドンナの意志はまちがいなくリガルにあり、王政を敷く周辺国の力押しがなければ実際にモーリアンはいまのヘイローに近い体制になっていたはずだった。
とはいえ、大陸に覇を唱えようと動くローウェン帝国と手を組んだことは売国行為以外のなにものでもなく、またローウェンと敵対しているヘイローとしても容認できることではない。
『総団長、巨獣の方は片付いたぞ』
それからベラとパラが今後の打ち合わせを行っていると、通信機からリンローの声が響いてきた。それを聞いてベラが窓の外を見る。その先は山脈が広がり、すでに日は沈み始めていた。
ここはエルシャ王国の北でモーリアン王国の国境手前であり、巨獣の出る危険地帯でもある。少し前に斥候より巨獣の群れを発見したために、ベラは部隊に討伐に当たらせていた。そして、それが完了したというのがリンローの通信であった。
「そうかい。ケフィンにはご苦労だったと伝えておくれ。それから今夜はここで夜営だ。警戒を怠るんじゃないよ」
ベラの言葉にリンローが返事をして通信を切ると、ベラがやれやれと肩をすくめながら椅子に深く座りこんだ。
「今日で二度目の巨獣との遭遇。帝国が攻めきれないというのも分かるねえ」
モーリアン王国の周辺は山脈で囲まれており、上空の魔力の川が濃いために巨獣の生息地が多く存在する。敵は互いの軍勢だけではないのだという事実をベラたちはモーリアン王国に入る前に知ることとなったのである。
「移動中に全滅する傭兵団も少なくはないのだとか」
「怖いねえ。とはいえ、このままジッとしてるのも性に合わないし、次はディーナも出すかね」
その言葉にパラがわずかに顔をしかめたが、言葉には出さない。
己が主人の気性は知っているし、巨獣相手でも遅れをとるとは思わない。ただ、ベラの率いている軍勢はさらに大きくなり、その立場も以前とは全く違う。であれば多少は落ち着いて欲しいともパラは思ったが……それから今のベラの年齢がまだ十二だったことを思い出し、落ち着くというのもおかしいだろうと少しだけ苦笑した。
次回予告:『第308話 少女、試される』
ベラちゃん、十二歳のお誕生日おめでとうございます。




