第305話 少女、想われる
そこにいたのはまるでひとつの頂点のようであった。
たかだか鉄機兵一体に何を戸惑っているのか?
誰かがそう口にした。甘く見た代償は当人を含む無数の命で支払われた。
剣戟は止まず、血飛沫は止まらず、悲鳴は止まらず、咆哮は止まらず。
それは例えるなら知性ある鋼鉄の竜巻のようであった。
獣機兵のように散漫な動きではない。
竜機兵のように空も飛ばない。
混機兵のように無数の異能を使うわけでもない。
そこにいたのはただの黒い鉄機兵で、その機体が振るっているのはただの人の業だ。けれども誰にも止められない。
味方とは随分と距離が離れ、敵陣に踏み込み過ぎているのだ。取り囲めばすぐに終わる。そのはずなのに誰もが止められない。
しかし、黒い鉄機兵を見た誰もその状況を不思議とは感じなかった。
その立ち振る舞いを見れば、戦士であるならば誰もが納得するだろう。ソレは特異なことなどせず、ただ最善を行なっているに過ぎなかった。当たり前のことをただ行い続けているのだから誰も止められない。本当にただそれだけなのだ。だからこその異常なのだ。
『囲い込んだ側が次々と斬られていくだと』
『ははは、見ておけ小僧ども。あれこそが本当の戦士だ』
『あんなもの、どうしろというのだ!?』
その光景を見て戦意を喪失する者も多かったが、まるで篝火に群がる羽虫のように向かっていく戦士たちの数も多かった。
一歩踏み出せば首が飛び、二歩進めば腹が裂け、三歩過ぎれば亡骸が三つ転がる。その動きに一切の無駄はなく、流水の如く、舞うが如く。けれども流れ落ちるはすべて赤き血。それはある種の剣士の到達点であるかのようだった。であれば、それにそれを見た強者が挑もうとするのも当然のこと。
『我が名がヴォルゾイ・オーグ・リッテンバーグ。ザラ王国の破槌のヴォルゾイなり』
戦場に猛き声が響いた。それを聞いた鉄機兵たちの動きが止まり、ズラズラと海が割れるかのように黒い鉄機兵とヴォルゾイを名乗る男の鉄機兵の周囲から離れていく。
『ウォーハンマー?』
対して、黒き鉄機兵の中にいる男がそう呟いた。その視線はヴォルゾイの持つウォーハンマーと呼ばれる武器に向けられていて、それから男は何かを思い出したのかわずかに憧憬を帯びた目をしながら微笑んだ。
そしてふた振りのカタナを構えながら、周囲を見渡しながら、剣気を周囲に発しながらも呼び止めた声の主と向かい合う。
『……面白い』
男がそう呟いた。このザラ王国の騎士と大立ち回りを演じている男はローウェン帝国の戦士であった。
ローウェン帝国軍とザラ王国、マザルガ聖王国の連合軍の戦争は今まさに激戦の一途を辿っていた。戦況は徐々にローウェン帝国が押しつつあったが、それを良しとしない周辺国が連合軍への支援を開始したために一進一退の泥沼に陥っていたのである。
当初のローウェン帝国の戦力を考えればすでに目的は成っていたはずだったが、獣機兵に対する戦略が想定よりも早く確立し、さらには南部の状況がローウェン帝国の想定をはるかに上回る速度で悪化していた。
支援していたムハルド王国と新生パロマ王国がなくなり、エルシャ王国も撤退せざるを得なくなった。エルシャ王国に関しては国土を蹂躙したことで当面は自国の復興に力を注がねばならずしばらくは脅威とはならないだろうし、それはルーイン王国も同様ではある。いずれは処分したであろう獣神アルマと獣魔ドルガの獣機兵軍団がこうも容易くやられたことは想定外だったとしても、北部を攻略する上で南部の動きの多くを止められたことは大きい。
問題は新たに生まれた傭兵国家ヘイローであった。
新興国である柔軟さか、ヘイローはローウェン帝国の生み出した獣機兵や竜機兵をも扱い、またドラゴンすら使役する。厄介なのは反ローウェンを掲げており、モーリアン王国の内乱に手を貸すという話もあがっていることだ。そのうえにヘイローはエルシャ王国内で、まがりなりにもローウェン帝国の軍を撤退させたという実績があった。
特に八機将をふたり、あるいは三人仕留めたという赤い魔女ベラ・ヘイローの存在は今やどこの勢力にとってもあまりに大きくなっていた。
最悪、彼女を旗印としてかつてのドーバー同盟を復活させようという動きもあるのだから全く笑えぬ状況だ。
ローウェン帝国が南部を軽く見ていたのは鷲獅子大戦後の各国の情勢故だ。それぞれが建て直しに奔走し、欲目をかいて内乱や国境付近での紛争を繰り返し、それでも彼らはローウェン帝国も同じ状況だろうとタカをくくって月日を歩んできた。四、五年前までローウェン帝国は一切動きを見せなかったのだから、それもやむを得ぬことかもしれないが、南部の国々の多くは危機感が薄れていた……というよりは目の前の問題に対処することだけに奔走し続け過ぎていたのだ。
ともあれ、今更どう考えようと時計の針は戻らぬ。それにローウェン帝国は決して順調とは言えぬ様子ではあったが、それでも未だ天秤はローウェンの側に傾いている。その要因のひとつが敵陣の只中にひとりいる、この黒い鉄機兵であった。
『受けよう、戦鎚使いヴォルゾイ』
黒い鉄機兵を駆る男が戦鎚という言葉に力を込めてそう返す。けれども……と続いて口を開いた。
『わざわざひとりで戦う意味があるのか?』
状況からすれば囲い込んで倒してしまう方がまだ勝ちの目はあろう。ここは戦場で、騎士道などがまかり通る場ではない。一対多数で挑むことに何ら引け目を感じる必要もない。けれども戦鎚持ちの騎士型鉄機兵乗りは首を横に振った。
『おかしなことを申す。それほどの武を見せられて……何故我が昂りを抑えられようか。何人たりとて邪魔をさせるつもりはない。この瞬間だけは国ではなく、我の刻よ』
『ふっ、なるほど。失礼した。お受けしようヴォルゾイ・オーグ・リッテンバーグ殿。さあ、殺ろうか』
そう言って男が刀を鞘に収めた。その様子にヴォルゾイが眉をひそめたが、相手が己を侮ってのものではないのは理解していた。何しろ発せられている気配だけで心胆弱き者なら命を絶たれそうなほどの圧力が込められているのだ。
そしてウォーハンマーを構えたヴォルゾイに男が口を開く。
『我が名がバル・マスカー。八機将がひとり、刀神バル』
今や、北部の戦いにおいてその名を知らぬ者はいない。
ラーサ族と呼ばれる戦闘民族の男バル・マスカーとふた振りのカタナを振るう黒き鉄機兵『ムサシ』。奴隷の身でありながら、その腕ひとつで帝国の八機将にまで登り詰め、ジェネラル・ベラドンナの右腕になった最強の刀士。
『『いざ尋常に勝負!』』
そして両者から同時に声が発せられ、戦場に再び剣戟の音が響き渡った。
次回予告:『第306話 少女、向かう』
ベラちゃんとお別れした楽しい仲間たちの最後のひとり、バルお兄ちゃんがついに帰ってきました。ベラちゃんを巡る愛の駆け引きはいよいよ最後の刻を迎えようとしています。一体誰がベラちゃんの心を射止めるのか。
次回、第二部最終話(※予定)です。
そして戦いの舞台はいよいよモーリアンへ……




