第302話 少女、凱旋する
『カァ、やられちまったってか。となりゃあ降参していいかい。ガルドの旦那よぉ?』
双蛇の陣の片頭を担っていたローウェン帝国軍獣機兵軍団の将軍ロッグ。彼はそう言って目の前の敵からわずかに退いて、攻撃の意思はないとばかりに武器をすこし振り上げた。
すでに遠く離れた戦場から勝鬨の声が聞こえてきている。通信による報告からそれが『どちらからのもの』かをロッグは知らされていた。
それは赤い魔女ベラ・ヘイローとの一騎打ちにて獣魔ドルガが殺された……というもの。
両軍立ち会いのもとでの言い訳しようがない敗北であり、すでに通信を送ってきた親衛隊もほとんど壊滅状態にあるようだった。あのデュナン隊もその場に参戦したとの報告もあったが、勝鬨があげられたということはすでに負けたのだろうとロッグは理解していた。
そして今や獣魔ドルガの率いていた軍勢は潰走を始め、この戦場における獣機兵軍団の頂点はエルダーキャットと呼ばれる魔獣の血を投与された半獣人ロッグとなっていたのである。
けれどもロッグはこれ以上の戦闘継続を望まない。己の力量は知っている。ここから獣機兵軍団を再編して、新たに八機将となって戦い続ける……などということを己が可能であるとは思っていない。ドルガの方の戦線が崩壊し、巨獣機兵も戦闘用ではないクラッシュワームタイプ以外が撃破されたうえに、ロッグは目の前の相手に勝てると思っていなかった。
『ふん。せっかく楽しめる相手と出会えたのだがな。まあ我もここで残った指揮官を潰して収拾がつかなくなるような愚を犯すほど血に飢えてもおらん。であれば、機体から降りろロッグ将軍。少なくとも我らルーイン王国軍は降伏した者に無体はせん』
ビッグサラマンダータイプの巨獣機兵を単独で破壊し、今まさにロッグと対峙していたガルドがそう口にする。その戦いはまさしく獅子奮迅というべきものであった。また彼の配下の騎士たちも精鋭揃いであり、それはルーイン王国が短期間に新生パロマ王国から国土を取り戻せた理由をロッグに感じさせたほどのものであった。
『へっ、そう願いたいね。よし、お前らも戦いは終わりだ。全軍にそう告げろ。それで動く連中は俺は知らねぇ。勝手に殺されて、勝手に死んでろ』
ロッグの言葉が通信を通じて獣機兵軍団全体に広がっていくと、徐々に戦場の戦闘音が止み始めていった。
もっとも降伏をせずに逃げ出す者は多い。エルシャ王国内での己らのしてきたことを思えば、降伏したところで見逃してもらえるとは逃亡者たちは思っていなかったのだろう。逃げた者はドルガが率いていた部隊に多く、元々はアルマに率いられていた、比較的統制の取れていた者たちはその場に留まっている者の方が多かった。
**********
「ボルドの旦那、終わったみたいですぜぇ」
「おう、ジャダンか。お前、持ち場を離れていいのかよ?」
戦場でロッグがガルドに対して降参を申し出ていた頃、要塞アルガンナのヘイロー軍に割り当てられたガレージ内ではボルド率いる整備班が戦闘後のために待機しており、そこにジャダンが舌をチロチロとさせながら訪ねてきていた。
「ご主人様が勝ったらしくてですねえ。城壁の上でのお務めはもう終わりなんですよ旦那。ハァ、あっしが高いところ嫌いなの知っててああいう役割持ってくんだから……まったく」
ジャダンは遠距離攻撃も可能な爆破型火精機『エクスプレシフ』の乗り手だ。精霊機 は移動後に呼び出すことが可能なために、ジャダンは要塞まで攻め込まれた際の用心として上から攻撃するために城壁に待機していたのであった。
「壁の上でも駄目なのかよ、オメェは」
「飛ぶよりはマシですけどねぇ。落ちたら死ぬ程度に高いですから。ああ、ヤダヤダ。潰れて死ぬなんて最低でしょう」
そうジャダンは言うものの、ボルドはベラがジャダンをドラゴンと組ませて空からの攻撃に使おうと画策していることを知っている。そして、それは否応なしに実行されるだろうということも。とはいえ、今はジャダンが持ってきた情報の方が重要だ。
「それでご主人様が勝ったってことは、戦いも終わりか?」
「まあ、そうっすねぇ。追撃戦はあるけど……さすがにエルシャも自分たちが仕事してるってことみせるために動いてますよぉ。だからご主人様の凱旋は結構早いと思うし、実際それを伝えてくれってパラ様から連絡があってあっしが来たってわけでさぁ」
「なるほどな。おし、お前ら。休憩は終わりだ。準備しろッ」
ボルドのかけ声にガレージ内が一斉にざわめき出し、待機していた者たちが動き出していく。ボルドの身分は戦奴隷だが、ベラ・ヘイローの所有物である彼を侮る者はここには存在しない。それどころか『アイアンディーナ』のもうひとりの育て親であり、ヘイロー軍においては代えの利かない重要人物として扱われていた。
「で、巨獣機兵や混機兵の残骸もあるって話だからマギノの爺さんにも声をかけろってパラの旦那から言われてんすけど、爺さんはここにはいないんですかい?」
「ああ、あの人なら、ほれご主人様に懐いちまった『ザッハナイン』を調べてるところだぜ」
混合魔獣『ザッハナイン』。もはやかつての鉄機兵の面影もほとんど残っておらず、乗り手もいないのに勝手に動く巨獣に近しい怪物は鉄機兵魔術式研究者としてのマギノの興味を惹くものだったようである。
「ああ、あのゲテモノ。ボルドの旦那はいかないんですかい?」
「おりゃあ仕事があるし、ありゃもう鉄機兵どころか獣機兵の分類ですらねえ。ナマモノは論外なんだよ」
そう言って肩をすくめたボルドは『アイアンディーナ』が戻るであろう作業台へと向かい始め、ジャダンもすぐさまマギノの居るであろう場所へと向かい始めた。そして……
**********
「勝った……のだな」
勝敗を決したという知らせはエルシャ王国軍の後方に控えていたダイズ王子にも届いていた。現在、起きているのは小競り合いと追撃で大勢はすでに決していた。待ちに待った勝利。少し前の状況を考えればこれはもう奇跡に近いことだった。けれども、彼の表情は決して純粋に勝利に喜べてはいない。
「はいダイズ王子殿下。勝利を収めました。勝ちましたぞ。我が国は滅亡を免れた。ようやく、ようやくです」
「そう……か。ああ、そうだな」
配下の騎士の興奮した声にダイズはわずかばかり苦笑しつつも頷く。それに怪訝な顔を浮かべる騎士に対して、ダイズは首を横に振った。
「いや、喜んでいないわけではないさ。我が国とローウェン帝国との戦争もこれでひとまずは終わりを迎えるだろう。連中の敗北という形で」
八機将ふたりを倒し、獣機兵軍団も退けた。
国境を面しているために再度の侵攻の可能性は当然あるが、ローウェン帝国も一枚岩ではない。鷲獅子大戦から時を経て再び動き出したローウェン帝国であったが、現在各国への侵攻は難航していた。
当初こそ圧倒的優位であった獣機兵や竜機兵という新兵器も徐々に対策が練られたということが大きく、加えてモーリアン王国の内乱への介入も長期化し、帝国より北方の国への侵略も遅れているようだった。ともあれ、今の帝国の主戦場は北方であり、南方であるエルシャ王国にさらなる戦力の投入を行う可能性は低いと見られている。もっともダイズの懸念は別にあった。
「だが、この勝利は我々がもたらしたものではない。分かるだろう、お前たちならば?」
その問いに、この場にいる全員が言葉を返せない。
言われるまでもなく、彼らはこの戦いに参列していない。ダイズと共にここにいる者たちは高貴な血に連なる者たちであり、普段であっても戦場で直接刃を交えることはほとんどない。だが、この度の戦はそもそもがエルシャ王国軍はほとんど前線に立っておらず、援軍として来たヘイロー軍とルーイン王国軍によってもたらされたものなのだ。
さらに言えば、その多くはベラ・ヘイロー自身によってもたらされている。そうした事実が、勝利を得たと実感できた今だからこそダイズには重くのしかかっていた。
「ですが、四王剣のマガツナ将軍とマリア将軍は最前線におりますぞ」
「特にマリア将軍は報告によればベラ総団長がドルガを討ち取った際に巨獣機兵を倒しているとも」
「マリア将軍はこの後、ベラ総団長の配下となる。この勝利に関しては我らの面目のためにエルシャの勝利として差し出すとのことですが」
「であれば、総団長にマリアについては再度交渉を……」
騎士たちから口々にそのような言葉が告げられていく。憎き獣機兵軍団の首魁を倒した戦場にて巨獣機兵を破壊したのはマリアの亜種竜機兵『ヘッズ』であるとの報告は入っている。戦後の御輿は望まれていたし、そもそもが彼らの最高の栄誉である四王剣の一振りを渡すことは本来ならばあり得ないこと……なのだが、ダイズはその提案に対して首を横に振った。
「無理だ。マリアの心はもう我らにはない。差し出したが故に得た力だ」
マリアは『ヘッズ』という力を得る代償として、すでに人という枠組みから一歩を踏み出し、今はベラの眷属となっている。もはやエルシャ王国への忠誠はないとダイズは理解していた。
「それにだ。今の我々がヘイローと一度決めた約束を違えることができると思うか? 何もかも。そう、何もかもを救われた。その上にこの後のことを考えれば傭兵国家としての彼らの力は必ず必要となる。そんな状況下で不義理を我らが彼らに働けるとでも? アレに対して?」
そう口にしながら向けられたダイズの視線の先を騎士たちが追うと声が聞こえてきた。それは彼らを讃える声だ。勝利を告げる歓声だ。先ほどから届いてはいたがそれはもう間近に迫っていて、彼らの瞳にもその姿は見えつつあった。
「まあ、今は素直に喜ぶべきなのだろうがな。見よ。私はあんな光景を見たことがない」
近付いてくるのはドラゴン二体と機械竜一体、さらには竜に連なる機体二機を従えた赤い鉄機兵だ。さらにその背後にはヘイローの戦士たちが続き、ダイズたちに向かって凱旋してきていた。
「我が国が救われたのは事実なのだ。そして英雄たちは彼女らだ。ああ、そうだ。それを忘れてはいけないのだな」
ダイズの言葉はただしく彼の心情を表したもの。懸念はその姿を目にしたことで今は霧散していた。また、彼の目には羨望もあった。ああ、なるほど。英雄とは即ちアレなのだと。同時に今は亡き忠臣の言葉をダイズは思い出していた。
(ああ、そうだなアルマス。お前の望むものがアレにはあった。ならば私も躊躇している場合ではない。クィーン・ベラドンナの再来。いや、もはや我らにとっては……それ以上の)
もはや騎士の国として名高かったエルシャは存在しない。捕虜となった、或いはここから逃げ出した獣機兵への対応もあるだろうし、何より疲弊した国の立て直しは困難極まるだろう。
けれども長きに渡る歴史と国々との繋がりをエルシャ王国は持っている。それは傭兵国家ヘイローにはないものだ。
(であれば我らがするべきことはベラ・ヘイローを中心としたドーバー連盟を再び作り上げることだ。クィーンを上回る英雄と国々を繋ぐ架け橋となって、その戦列に加わることこそが我が国にとっての最善……そうだ。それこそがローウェンを倒す唯一の……)
ダイズの脳裏にまるで神託の如く、ひとつの構想が生まれていく。
ドーバー連盟。それは、かつてイシュタリア大陸南方のヴェーゼン地域一帯を支配せんと動き出したローウェン帝国に対抗すべく周辺国が集結した軍勢の名だ。最終的には敗北して解体こそしたものの、勝利したはずのローウェン帝国も再侵攻の中止を余儀なくされるほどに国力が衰え、事実上の痛み分けに終わった。それは侵攻された側からすれば実質的な勝利であった。
そして時は経ち、その中心を金色の光から紅蓮の炎に変え、歴史は再び動き始めることとなる。
次回予告:『第303話 少女、始まる』
それはつまり、ベラちゃんのファンクラブ……ということでしょうか?




