第02話 幼女、阿婆擦れと呼ぶ
「あー、食ったーー」
そう言ってゲップと口から漏らすのは、褐色の肌をあられもなく晒している全裸の少女だった。少女ベラ・ヘイローは川の横に転がっている大きな岩のひとつの上に座っていた。そこで川で泳いでいた身体を乾かしながら食事をとっていたのである。ベラの乗っていた鉄機兵『アイアンディーナ』もそのすぐそばに立っている。
ここはヤルケの街から少し離れた場所にある河原であった。
ベラは先ほどミランから受け取った金で昼食を購入した後、盗賊たちの血に汚れた身体を洗う目的もあって街の外の河原にまで鉄機兵でやってきていた。
着ていた服も岩の上に張り付けて干しているのだが、さすがに時間が経ちすぎているようで、盗賊団の返り血の跡は消えなさそうだった。
「しかし、やっぱり村の外ってのはいいもんだね」
ベラは青空を見ながらそんなことを口にする。
ベラが、生まれ育った村を出てもう一週間は経つ。ミランは先ほどベラが書いて手渡した組合登録用の書類の記入内容は嘘だろうと考えていたが、ベラがライラの村という場所で産まれ、つい一週間前に奴隷として売られるまでその村で育っていたことは紛れもない事実である。
ここから西にあるライラの村に行けば、確かにベラの両親はいるし、実際にベラという少女が暮らしていた記録もある。村を出るときに一緒にいた奴隷商や他の奴隷たちがどうなったかまでは分からないだろうが。
そしてベラの声にあわせて胸に垂れ下がった首飾りの赤い石が淡く輝く。
「ハッ、あんたも薄情だね。仲間ぁ、ぶっ殺したあたしにすり寄って来るんだからさ」
そのベラの言葉に呼応するように赤い石はさらに輝いた。まるで喜んでいるかのようである。それは鉄機兵の心臓部であり本体でもある竜心石と呼ばれているものだった。
3~4メートルの鉄の巨人、鉄機兵に意志があるのは鉄機兵乗りのみならずこのイシュタリア大陸においては常識的な話だ。
そして鉄機兵は時折、自らの意志によって主を乗り換えることがある。特に産まれて日の経っていない若い機体にはその傾向が強い。
ベラとしても実際には盗賊団の何人かを狩って小遣い稼ぎで終える予定だったのだが、それを全滅に切り替えたのも、この鉄機兵の裏切りがあってこそであった。
「まあ、あんたもまだ若いみたいだし、一緒に楽しく戦場を巡ろうじゃあないか」
とびっきりの笑顔でベラはチュッと竜心石に口づけをする。成長期である若い鉄機兵だ。ガチガチに成長しきった鉄機兵に比べれば頼りないが、ベラの意志に併せて成長してくれるという大きなメリットがある。この鉄機兵の今後の成長が楽しみだった。
「なんだよ、やっぱりいるじゃねえか」
「ガキが乗ってたのを見たって聞いたが、この裸のヤツか?」
と、ベラがノンビリと空を見ながら思惑に入っていると、後ろから声が聞こえてきた。
「あん?」
そしてベラが振り向くと、河原から離れた木々の合間から3人の男たちがこちらに向かって歩いてきていた。いずれもチンピラか、あぶれた傭兵と言った風体である。
「ヤツって……おい、ついてねえぞ」
「雌かよ。まあ、女にしてやるにゃあ、ちと小さすぎるわな」
男たちの下卑た笑いが起こるが、ベラは特に気にした風でもなく、その場で立ち上がって巨岩を降りた。それに対し、男たちは走って鉄機兵との間に回り込んだ形でベラを取り囲む。鉄機兵を操れるとは聞いていたし、悠長に鉄機兵に乗るのを待つほど彼らもバカではない。だが、鉄機兵がなければ目の前の少女などどうということはないと判断したのは早計であっただろう。
「へ、なんだよ。素っ裸じゃねえか。鉄機兵の竜心石はどこよ」
「おいよく見ろ。首に下げてるって」
そのまだ膨らみのない胸の真ん中には、鎖で吊り下げられた竜心石があった。
(金はなさそうか)
男たちの会話にまるで興味を感じないベラは、身なりだけを見てそう判断した。彼らの会話に意味はない。一方的に鉄機兵の鍵とも言える竜心石を奪い、ベラを殺すか売ろうと考えている輩と分かれば十分だ。交渉の余地など最初から存在していないのであれば排除するだけだろう。幸いなことに街の外は魔獣の闊歩する暴力がすべての治外法権だ。遠慮の必要もない場所である。
「そんじゃあ、それ頂戴よ」
ベラの脳内で今後の行動が決定されたことにも気付かず、男の一人がベラに向かって手を出す。だが次の瞬間には、ゴキッと音がしたかと思えば、大きな悲鳴が上がった。
「ヒャッ、女の胸に手を出すんじゃないよ。この助平野郎が」
そして、ベラの胸に手を伸ばした男が崩れ落ちていた。ベラは大岩に立て掛けてあったウォーハンマーを持っていた。対してベラの胸に伸ばそうとした男の手があらぬ方向に曲がり、赤い液体をダクダクと流していた。
「テメェッ」
男が痛みを堪えて、無事な方の手で、腰の剣を抜こうとするが、それは叶わない。理由はその頭にウォーハンマーの一撃を入れられたためである。男は見事にその頭部を叩き割られ、脳漿をぶちまけながら地面に崩れ落ちた。
「こんのクソガキッ」
「なんてことをッ!」
頭を割られた男の仲間たちが、その光景を見て飛び出すが、ベラは後へと下がりながら、竜心石をかざした。
「殺れ『アイアンディーナ』!」
「バカかテメェ。鉄機兵なんかに乗らせるかよ」
鉄機兵は人が乗らねば、ほとんど動けない。それは乗り手でなくとも知っている常識である。だがベラは男の言葉を笑う。
「あん? 乗るのはアタシじゃあないさ。『ディーナ』だよ」
叫び声が上がったのはベラから見て左にいた男からだった。
突如として3メートルはある鉄の巨人が後ろから倒れ込んできたのだ。ベラの視線から右にいた男は、唐突に空中から落ちてきた物体に対し避けることも出来ず、「ぶべっ」という豚のような声を出して潰された。
そして地面に真っ赤な花が咲いた。その感触を感じたのか鉄機兵『アイアンディーナ』は興奮したように背中のパイプから銀霧蒸気を噴き上げた。
「あ……ああ」
残った一人はその場で倒れた『アイアンディーナ』を見ている。あと一歩近ければ自分も潰れていただろうと、恐怖を感じていた。
「うちのディーナはさ。乗られるより乗る方が好きなんだってさ。男ぉ、裏切る阿婆擦れだからね」
呆然とする男にヒャッヒャとベラは笑う。そして男の恐怖に濁った視線がベラに向けられる。
「それにしても戦場未経験者とはね。鉄機兵ってのは歩兵にとっちゃあ擦り潰し機って言われるぐらいに近付いちゃあいけないもんなんだよ。例え離れていたって、竜心石があれば多少は動かせるしね」
そこにいたのは若いと言うにしても余りにも幼い子供だ。血に染まった褐色肌の裸体からは性の臭いはまるで感じられない。それぐらいに幼き少女だった。
ただ首より上、その目はまるで無数の戦場を渡り歩いた戦士のソレであり、その口元の歪みは肉食獣の笑みそのものであった。
「ま、あんたにゃもう関係ないか」
そして男が最後に見たのは少女と重なり合うように笑っている老婆の姿だった。
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「あー冷たっ」
そう言いながらもベラはまだ湿っている服を着る。
ここまで着ていた服は血の跡が全く取れなかったため、今ベラが来た服はさきほど仕留めた男の服を洗ったものである。ズボンもいくらヒモで結んだだけとはいえ、子供には大きいため、半分ほど切ってベルトで留めた。
併せて軽鎧もバラしてプロテクターとして使えそうな部分だけ外してベルトで縛って使うことにした。
(おのぼりさんだったのかねえ。使い込んだ跡がありゃしない)
身につけた装甲を見ながらベラがボヤく。
そのおのぼりさんたちは今は仲良く川に流れているだろう。持っていた金も大した額ではなかったが、ありがたく使わせてもらうことにする。死人が銭を持っても棺桶を買うぐらいしか使い道はないし、今の彼らには棺桶を注文することも出来ない。
そして着替え終わったベラは、彼女の後ろで立っている鉄機兵『アイアンディーナ』に向かう。
この鉄機兵の大きさは3メートルほど。通常の鉄機兵に比べてまだ小さく、状態からして生後1年程度の若い鉄機兵だとベラは見ている。
そして腰を下ろしてしゃがんだ姿勢になった『アイアンディーナ』の胸部ハッチが開く。ベラは「よっこらしょっ」と声を出しながらハッチの先の操者の座に乗り込んで、そのまま座った椅子からベルトを出して身体を固定し、フットペダルに軽く足を置いてグリップを握った。
同時にベラの胸に下げられている竜心石が輝きだし、操者の座の横にあるメーターの針が動き出して鉄機兵の背部のパイプから銀霧蒸気が噴き上がった。
この鉄機兵という鉄の巨人は、大気中のナーガラインと呼ばれる魔力の川から魔力を吸収して動くシロモノだ。現在の『アイアンディーナ』の魔力循環率は各部位ともに安定値を越えている。ベラはそれぞれの計測器のメーター針を確認し、問題なしと判断するとフットペダルをゆっくりと踏んで動かし始めた。
(ふん。癖がなくて扱いやすい。若いってのはいいねぇ)
そしてベラはそんなことを考えながら街に戻り始める。傭兵組合所を出て既に3時間。そろそろ賞金首の鑑定も終わっている頃だろう。