第291話 少女、死ぬ
ォォオオオオオオオオオオオオン!
咆哮が響き渡る。
混合魔獣『ザッハナイン』があげたその叫びは歓喜によるものだ。デュナンと共にあった『ザッハナイン』は今まさに解放されたと感じていた。
何しろ彼はここまで身体を弄られ、心を弄られた乗り手を与えられ、枷もかけられていたのだ。彼らが自らを『人間に委ねることを是とした』竜だったとしても、ここまでの仕打ちが『ザッハナイン』の本意であるわけもない。
「嬉しいかいザッハナイン。あたしもさ。だから戻ってきてくれるね」
ベラの言葉に『ザッハナイン』が再度咆哮し、跪く。
それは『ザッハナイン』の中にあるデュナンの記憶がそうすべきと望んだ形に従ったものだ。
イシュタリアから離れたフィロンと呼ばれる大陸、そこに存在している竜騎士たちは竜を使役するのと引き換えに己の知を竜に与える契約を行なっていると言われている。知性を得た竜たちは知というさらなる力を得て己が存在を昇華させていくのだというのだ。
そして鉄機兵と呼ばれている鉄の巨人は人工的に変異させられたドラゴンの亜種であり、実のところ乗り手と鉄機兵の関係は竜騎士と竜のものに近い。何しろ『蓄積された乗り手の経験や知識』は竜心石に残るのだ。それこそが長き歴史を歩んできた騎士型鉄機兵が傭兵型を圧倒する理由のひとつでもあり、進化する鋼鉄の生命たる所以でもあった。
故に竜心石に残っていた残滓のデュナンの気配を感じとったベラは嬉しそうに跪いた『ザッハナイン』の頭を撫でる。奪われたものを取り戻す。それはベラドンナ傭兵団が壊滅したときより彼女がずっと望んできたものでもあった。
『総団長。ローウェンが動き出しました!』
けれども、少女が感傷に浸る時間は今はまだ用意されてはいない。
ひとつの戦いが終わりを告げたが、新たな戦場は今まさにこの場に迫ってきていたのである。
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「ベラ総団長、第四訓練場の混機兵……いや、すでに魔獣となったアレに触るなと連絡を受けていますが」
「まあね。あっちは問題ない。乗り手は始末したし、もう暴れてないだろう? それにアレにはケフィンを向かわせた。下手に触らないでもらいたいね王子様」
混機兵部隊の奇襲からわずかに時間が経ったが、そこに静けさはなく、すべてが戦の準備のために動き出していた。そして要塞アルガンナの入り口近くの作戦室内にはすでに各軍の主だったメンツが揃い、エルシャの王子であるダイズが投げかけた問いにベラが問題なしと返していた。
襲撃により建物は焼けてエルシャ王国の兵の一部が損害を被りはしたが、混機兵部隊の鎮圧はヘイロー軍によって成功している。鎮圧したベラとガイガンがこの場にいることが何よりの証拠であり、訓練場に残された懸案事項についても対処できていると言われてはダイズも頷くしかない。
「なるほど。であれば、事後についてはヘイロー軍にお任せしよう。それで、状況はこの通りで良いのだな?」
それからダイズがテーブルに広げられた周辺の地図と、その上に置かれた自軍と敵軍の位置を示す駒を指さしながら配下に尋ねた。
状況は動き続けている。早朝前の 混機兵部隊の襲撃により混乱状態にある要塞に対し今はさらにローウェン帝国軍が迫りつつあることが知らされたのだ。
叩き起こされた兵たちが急ぎ戦闘態勢を整えつつあり、要塞内は今まさに蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。
「ハッ、現在ローウェン帝国軍獣機兵軍団は総力を挙げてこの要塞に向かっております」
「ふぅん、あのクソ犬はここでケリを付ける気なわけかい。夜明け前を狙うのはまあいいとして、襲撃のタイミングを考えると上手い手かどうかは微妙だねえ」
襲撃の騒ぎが大きくなったことで要塞内ではほとんどの兵が起きてしまったのだ。寝起きを狙うにしてはお粗末ではないかと眉をひそめたベラだが、それにはリンローが「そうでもないでしょう」と笑って返す。
「暗殺の標的は総団長だったじゃないですか。すべての要がベラ・ヘイローって存在だってヤツらも知っている。だからあいつらも暗殺のタイミングに合わせて動いたんでしょう。まあ今回は失敗しましたが……正直に言って混機兵による襲撃は実際ヤバイですよ」
その言葉にはこの場にいる誰もが苦い顔をして頷いた。
4メートルはある巨体が身を隠して要塞内に潜入できるなど誰が想像できようか。ベラが暗殺の襲撃を予測できていなければまともに対処できていたかも怪しい。所詮鉄機兵など乗り手がいなければ人型の棺桶でしかないのだ。そこを狙われてはそもそも戦闘にすらならない。
「そいつは分かってるさ。混機兵による暗殺は今後、対処を考えないといけない。まったく頭の痛いことだねぇ」
忌々しそうに頭をかきながらベラがそう返す。
今後ローウェン帝国と相対する際には、身を隠した混機兵に接近される危険性を常に警戒せねばならない。それは今後の戦場の在り方を変える必要があるファクターであった。
「とはいえ、今は目の前の戦場ですな。ベラ・ヘイロー総団長の暗殺と同時にヘイロー軍のガレージを襲撃。敵もこちらの主力をよりよく分かっているということでしょう」
マガツナ将軍が苦笑まじりに言い、ダイズも苦い顔で頷く。この場はエルシャの地で、本来の主力はエルシャの軍であるべきなのに、戦いの主導権は友軍であるヘイローに委ねられている。その事実にマガツナもダイズも忸怩たる思いはあるだろうが、今はベラに委ねるしかないのも確かだ。
「それは分かっているさ将軍。もっともどちらの襲撃もベラ総団長の手腕により失敗に終わったわけだが……それで兵の混乱はいかほどのものだろうか?」
「混乱はありますが、現在は戦闘準備に追われています。襲撃の情報についてはまだ流しておりませんが」
「流していない?」
眉をひそめたベラの問いに兵が「は、はい」と上ずった声で頷く。
「正確な情報がここに来るまでに把握できておりませんでしたので、ベラ総団長の安否についてはこれより連絡を入れようとしておりました」
「ふぅん。となれば……いっそ殺されたとでも流してくれてもいいんじゃないかねえ。いや、殺されたってことにしておいておくれよ」
「は?」
兵があっけにとられた顔をする。もっともそれの意味するところをすぐに読み取れたダイズが「急ぎ対応せよ」と指示を飛ばすと兵はすぐさま部屋を出ていった。
状況は一刻を争う。ここからの時間は一秒一秒が金の重み以上の価値がある。とはいえ、ベラの指示については室内にいる人間にとっても判断しかねる部分もあった。
「しかし、よろしいのですか。現時点でベラ・ヘイローという存在は兵たちの希望そのものです。偽りとはいえ、それが消えたと伝えては士気に影響がでないのでしょうか?」
「うん、そらぁ出るだろうけどねえ。けど、ウチはあたしだけじゃあないからね。そうだろうガイガン、リンロー?」
ベラの問いにガイガンとリンローが「応ッ」と声をあげる。
「ああ、その意気だよ。何せあたしが殺されたんだ。どうだい? 死ぬ気で仇討ちしたいだろう?」
「総団長の仇討ちとあらば我らが配下一同、すべてを塵芥残さず、鏖殺してみせましょうぞ」
「こっちもだ。焼き尽くて、磨り潰して、総団長が待っている地獄に送ってやりたくて仕方ありませんぜ」
「であれば、我も元婚約者を奪われた怒りを敵にぶつけるとするかな」
ガルドがどう猛な笑みを浮かべながら会話に参加し、その場の笑いを誘った。
「しかしベラ様。敵も要塞内から立ち昇る黒煙を見れば暗殺は成功したと見るかもしれませんが……しかし、果たして本当にそのように見てくれますかね。何しろベラ・ヘイローは一度死んで蘇ったお方ですので」
横から差し込まれたパラの言葉に「ヒャッヒャ」という笑い声が少女の口の中から響いた。
「引っかかりゃあ恩の字程度でいいのさパラ。どの道、相手もこれが終わりって腹積もりなんだろう。だったらあいつらの演出に乗ってこちらも舞台に上がってやろうって話なんだよ、これはね」
そう言ってベラが腰に刺したナイフを抜くと、そのまま振り上げ、
「さあて。帝国の卑劣なる強姦魔の夜這いによってベラ・ヘイローのミルアの門はグチャグチャに破り捨てられたってわけだが……ヨダレを垂れ流して門が開くのを待っていたくせに獲物を横取りされたガーメの首どもにとっちゃあ一大事って話さ。となりゃあ殺るしかないね」
そして地図の上に乗った敵の駒へと勢いよく突き刺した。
その勢いに任せた行動にダイズが呆気にとられ、マガツナが苦笑する。
「怒りを燃やし、おっ勃てたもんで殺して殺して殺し尽くしていくんだ。そうすりゃあ」
それは死したる者の言葉とは思えぬ、躍動した少女の声だ。
「歓喜に震えた亡霊が三つ並んだ犬の首を刈り取ってきてやるさ」
そして、エルシャ王国の戦いは最後の刻を迎えようとしていた。
次回予告:『第292話 少女、亡霊になる』
え、ベラちゃんが……亡くなった?




