第266話 少女、門をくぐる
「これは……随分とやられましたな」
要塞アルガンナ内のガレージで整備兵が苦い顔をして運ばれてきた機体を見ていた。その鉄機兵は全体的に破損している箇所が多かったが、中でもとある一点は無残なまでに破壊されていた。
「どうだ。治りそうか?」
そして、その側にはこの機体の乗り手である四王剣のマリア・カロンドがいた。
獣魔ドルガ率いる獣機兵軍団が再び要塞アルガンナに来襲し、そして嵐のように去っていったことで戦いはあっけなく終了した。結果としてマリアも命を奪われることなく要塞に帰還していた。もっとも彼女に関しては敵の撤退によって救われた……というよりも、ドルガの気まぐれで生かされただけではあったのだが。
「そうですね。股関節のパーツは総とっかえが必要ですが、この戦の後です。交換用なら事欠きません。もっとも分かってはいるでしょうが、拒絶反応はなかったとしても以前と同じように機敏には動けませんよ。それにしても敵さん、何を考えてこんな真似を」
「戦えるのであればいい。頼んだぞ」
整備兵の問いを無視してそう返したマリアは青アザだらけの全身を引きずりながらガレージを出ていく。今の己の機体を視界に収めることはマリアにとって苦痛でしかなかった。いたぶられ尽くして機体の全身がズタボロになったのはまだいい。それは戦いの傷だ。だが機体の下腹部からは、まるでそそり勃つかのように父の槍の柄が伸びていた。それは獣魔ドルガの『サーヴァラス』によって槍の先を下腹部に突き刺されたためで、すぐには抜けなかったので彼女の機体『ディーアロンゼ』は今も仰向けに倒されて槍をおっ勃てる形で置かれていた。
まったくもってタチの悪いジョークだ。まるで笑えない。父親の形見をガーメ扱いされ、それを使って己の機体が強姦され、今は晒しものにもされている。それは彼女にとって屈辱の極みであった。
「クソォッ」
ガレージを出た先の誰もいない通路で、マリアが外していたヘッドギアを床に叩きつけた。そしてゴロゴロと転がっていくソレを睨みつけながらマリアは壁に己の拳を振るう。腕の痛みなどどうでも良かったが、口に出しても拳を振るっても憤りは収まらない。
このマリアは父のあとを継いで四王剣となることを求められた人物であるだけに、その地位に見合った実力を持っているわけではなかった。求められたのは士気高揚のための神輿だ。もっとも彼女に実力がないわけではない。むしろ才覚はあり、特にこの数年で多くが亡くなったエルシャ王国軍内では優秀な人材であったし、父親の配下も彼女に付き従ってよく動いてくれてはいた。
「何もかも……何もかもが失われたか」
その父親の配下ももういない。
突出し過ぎた彼女の騎士団は獣機兵軍団に囲まれて皆殺しにされていたのだ。それは若さゆえのミス……とも言えない。
相手が誘いをかけたとはいえ、彼女は敵の総大将に肉薄できたのだ。まぎれもなく刃を届かせられる距離にまで近付けていた。それは明らかに獣魔ドルガの遊びであったのだろうし、本来であれば危険を冒す意味のない所業であったのだろう。だが獣神アルマが死んだ今、あの場で獣魔ドルガを殺せていればこの戦争は一時的とはいえ、エルシャ王国の勝利にできたのかもしれない。
そんな機会に巡りあいながらもみすみす取り逃がしたという事実が彼女の心に重くのし掛かる。この、あらゆる意味において最後のチャンスであったかもしれない場面で彼女はしくじったのだ。
「私はどうすればいいんだ、父上?」
いつしかマリアの瞳からは涙がボロボロとこぼれ落ちていた。
彼女が頼っていた存在はもう死者の中にしかいない。誰にももう頼れない。そう考えたマリアは、けれども少しばかり冷静になり始めていた。どうしようもないという事実が一種の開き直りに転じ始めていたとも言える。それと同時に彼女の中に、とある疑問が浮かんでいた。
「それにしても……連中はなぜ、あのとき撤退をしたんだ?」
敵は明らかに優勢だった。ローウェン帝国獣機兵軍団が要塞アルガンナに到着してすでに四日が経ち、その間に三度の戦いがあった。
過去二度は本気の攻めではなく、エルシャ王国軍の戦力の把握と誘いのための仕込みの意味があったのだろう。けれども巨獣機兵と呼ばれる巨大な獣機兵も五機稼働していて、それらによって要塞アルガンナの城壁は相当に破壊されており、保つのも残り数度、或いは今日の戦闘で破壊し切られたかもしれないという状況だった。
マリアはその勢いの隙をついて獣魔ドルガに迫り敗れたわけだが、その後の行動は不可解で……であれば、と考えたマリアの耳にどこかしらから歓声が聞こえてきた。
「負け戦の後に何故?」
その思いは当然のもの。そして、マリアの足は自然と声の方へと向けられて、通路を越え、扉を抜けた先で見たのは正門より入ってくる一団であった。
「戦闘の跡がない? ということは今辿り着いたと……それにあの旗印はまさか……」
やってきた一団が掲げていた旗印は三つあった。そのどれもマリアは知っていた。
ひとつはエルシャ王国軍のものだ。フォルダム騎士団。それは乗り手を失った鉄機兵をかき集め、ろくに訓練もしていない若い従騎士たちを乗せて、大きな戦果こそないが堅実な用兵と評判のあったフォルダムという男に任せた騎士団とは名ばかりの寄せ集めの集団だ。
ひとつはルーイン王国の紋章が掲げられた旗であった。そして並ぶのはモーディアス騎士団と呼ばれるルーイン王国内でも名高き騎士団の紋章。それにはマリアも目を見開いて驚いたが、南より来たということはザッカバラン山脈を越えてやってきたのだろうと理解はできた。新生パロマ王国との戦争が終わったのか、或いは亡命してきたのか。どちらにせよこの場に辿り着いたということはここで戦う意志があるのだろうと。
そして最後のひとつ、彼らの中心にいる軍が掲げているのは傭兵国家ヘイローの旗印であった。であれば歓声の理由は明らかだ。
6メートルはある巨大な竜機兵らしき機体と、噂では聞いていたドラゴンであろう10メートルはある巨獣が並び、その前を『赤い機体』が進んでいる。
「あれが赤い魔女、ベラ・ヘイロー」
マリアがそう呟く。
その名は滅亡に瀕したエルシャ王国にあって今や唯一の希望の光の名であった。それはシュミラ王子が殺され、四王剣であるマリアが敗退したという影が生まれたことでより強く輝きを放っていた。
敗北した我らに勝利がやってきた。兵たちがそう声を上げている。
その言葉を聞いてマリアの瞳からはまた涙がこぼれ落ちた。なんと情けないことだろう。その言葉を受ける相手がエルシャ王国の騎士であったのならばまだしも、他国の、それも傭兵としてきた者に全てを委ねるしかない現状に彼女は涙した。それほどに我が国は弱いのかと。
かつては騎士の国として名を馳せたエルシャももはやギリギリを踏みとどまっているに過ぎない状況なのだ。そもそも己という存在が四王剣に数えられている時点でどうしようもなく終わっているのだと……
「ふ、ふふふ……」
けれども、マリアの口から漏れたのは笑みだった。
どうしようもない感情だとは理解しているが、込み上げてくるものは隠せない。誰でもいい。何でもいい。すがれるのであれば藁にでもすがりたいのが今のエルシャ王国軍であり、マリア・カロンドだ。
そう、誰でもいいのだ。私たちを喰らおうとするあのケダモノたちを殺してくれるのであれば誰でも。それをこの場の誰もが願っていた。
しかし……とマリアは思う。
あの赤い機体、話に聞いていたものとは少し違っていると。
ベラ・ヘイローの機体は竜機兵の一種だとマリアは聞いていた。或いは竜機兵の特徴を持つ鉄機兵なのだと。
しかし、あの先頭を進む機体は『ただの鉄機兵』だ。
特徴的なレッドカラーと右腕にウォーハンマー、左腕には小振りな盾、腰にはドラゴン殺しとも言われている回転歯剣が下げられ、また確かに尻尾らしきものが臀部から垂れ下がっている。だが、右腕にドラゴンの頭部は付いておらず、空を舞うことが可能になるという翼もなく、そこにいたのは細身の軽量ボディの、ただの鉄機兵であったのだ。
次回予告:『第267話 少女、伝言を受け取る』
ベラちゃんが来ましたよーというお知らせ回でした。
あとディーナちゃん、いつの間にか起きていたみたいです。
少しダイエットしてスリムになったみたいですけど、個性がちょっと消えてしまったようです。
一体どこにいってしまったのでしょうかね?




