第233話 少女、空から燃やす
エルシャ王国。
それはかつて傭兵国家モーリアンの同盟として名を馳せた騎士の国だ。もっとも近年では鷲獅子大戦の最終決戦となったボロニア王国を占領して隣国となったローウェン帝国の猛攻に押されつつあり、現時点では国土の三分の二を占拠され、滅びの刻を迎えようとしていた。
そのエルシャ王国の南部。旧ムハルド王国、現在では傭兵国家ヘイローと呼ばれる国との国境に近いマルカスの町にもすでにローウェン帝国の魔の手が伸びていた。
「お願いです。話を聞いてくださるというのであれば息子を返してください! 住人はみなローウェンに従っています。人質の意味もないはずです!」
そしてマルカスの町の中心にある町長の家の中では、ひとりの女性が狼の顔をした男に訴えていた。女性は町の住人であり、昨日に町を占拠したローウェン帝国の軍勢に連れ去られた子供を返すよう訴えにここまで来ていた。門前払いか、或いは殺されるか、犯されるか。だが体を許せば情に訴えて子供を取り戻すこともできるのではという打算もあった。だが彼女は特に拒絶もされずに獣機兵部隊の隊長であるモルディフのもとへと案内されていた。
「お願いします騎士様!」
その女の訴えをモルディフは生の肉をカチャカチャと切り分けて口に運びながら聞いている。その様子から女性は、相手が理性的な相手であろうと判断していた。
彼女は半獣人なる存在は知らなかったが、獣人は昔からこの地にいたし、だからモルディフが狼の顔をしていることに違和感を感じていなかった。ただ、ひとつ気になっていたのはモルディフが口に運んでいる肉だ。そんな女性の様子も特に気にせず、モルディフは食事を終えて口をハンカチで拭う。
「ああ。味はまあまあだったな。それなりのものを食べてたということだろう。見ろバクゥ。その女の血色も悪くない。餌がいいんだろうな」
「ですな。国境沿いだけあって物資の融通がある程度きいていたにせよ、ムハルド王国がエルシャ王国を支援していた可能性はやはり高いかと」
その言葉のやり取りの意味は女性には分からない。
ただ、目の前のふたりが自分の訴えを聞くためではなく、自分の様子を観察するために家に入れたのだろうということは察せられた。
「ムハルドはやはり帝国を裏切る予定だったか。ラーサ族、確かに戦士としての奴らは厄介ではあるが、本気で帝国に対抗できると信じていたのかね。ま、今さらではあるが。もういい。そいつを下げろ」
「はい。ほら、出ていけ」
「ちょっと待ってください」
唐突に言われた女性が狼狽えながら、声を張り上げる。
ここまで来て何も得られずに帰れないという思いがあった。何よりも彼女にはどうしても気になることがあったのだ。
「私の話は……いや、そもそもその肉は、あの……まさか?」
あれがいったいなんの肉だったのか。女性の疑問にモルディフは狼の顔で笑う。
「ふん? 俺はこれがどこの誰のガキの肉なのかは知らないさ。こいつは昨日の戦勝祝いの残りもんだ。あんたも食べたかったか? 残念だな。今ので最後だ」
「なんということを。嘘でしょ。人でなし。あんたらはッ」
「うるさいぞ」
飛びかかろうとした女性に対し、モルディフは無造作に横にかけてあった槍を取って女性の腹を突き刺した。そして、女性が驚きの顔とともに床に崩れ落ちる。
「ああ、勿体無い。まぁだ若いのに」
「バッカ。俺は今性欲より食欲の気分なんだ。テメェの生蝋蜜を腹に入れたのなんて喰えるかよ。気持ち悪い。ま、そいつは冷室にでも入れて夜に調理させろ。俺たちはここの拠点化を進めなきゃならんからな。まったく手間ばかりかかりやがる」
モルディフがそう口にする。彼らの任務は自領から旧ムハルド王国領までのルートを確保することにあった。
かつて協力関係にあったムハルド王国はすでになく、新たに生まれた傭兵国家ヘイローはローウェン帝国に対して明確に敵対を宣言しており、対ローウェンとしての自らの戦力を周辺国家に売り込みにかけていた。またヘイローの総団長であるベラ・ヘイローはドラゴンを使役しており、帝国上層部がそれに注目してもいた。いずれにせよ、帝国にとって傭兵国家ヘイローは対処すべき国として狙われていたのである。
「ヘイローはまだ内部が不安定。今のうちに潰すべきとの判断ですから」
「そうだな。パロマ王国も裏切り、新生パロマももうルーイン王国軍によって終わろうとしている。残念だがザッカバラン山脈を経由して軍を送るにはリスクが大きすぎるから見捨てるしかないしな。故に我らの任務が重要となるのだが……なんだ。騒がしいな?」
話している途中でモルディフが眉をひそめて窓の外を見た。何か妙な音がした気がして、その次の瞬間に振動が家の中にまで響いてきた。
「モルディフ隊長!? これは?」
「分からんが、まさかエルシャの軍勢の襲撃か? 早過ぎるが……言っても仕方がない。俺はガレージに行く。お前は先に向かい、指揮を執れ!」
「分かりました隊長!」
バクゥの言葉に頷いたモルディフは、急ぎ家を出て隣接しているガレージへと駆け出していく。
「しかしここを占拠したのが昨日だというのに……なんだ、あれは!?」
通りに出たモルディフは一瞬ではあるが、街の外で大きな炎の球が宙を舞ったのが見えた。
「今のは巨大な火球? ギミックウェポンの威力じゃないぞ? いや、だがそれよりも」
今火球が飛んでいたのは南の方だ。エルシャの本隊は北で、南はヘイローの……その事実に驚くモルディフが地面に何かの影が通過したのに気付いた。
「ヒャハッ」
そしてわずかに少女の笑いが聞こえた後、モルディフはその場で炎を浴びて悲鳴すらあげられずに絶命したのであった。
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『総団長、街内部の掃討は完了。獣人部隊から逃げた者もすべて捕らえたとの報告が来ています』
「あいよ。ご苦労。すでに連中はここに根を張っていた。どっかに隠れているのもいるかもしれない。もうちょいしらみ潰しておきな。ケフィンにも言っておいておくれ」
ベラの言葉にガイガンが『承知いたしました』と返して通信を切った。ベラたち竜撃隊が行なったマルカスの町での戦闘は、周辺警護で起動していた獣機兵以外の機体をベラが上空から機竜形態の炎のブレスで破壊し、戦力を大幅に削ったことで一方的な勝利に終わっていた。
「さて、街の住人の方はどうだいリンロー?」
『はぁ、まあ……積極的に喰ってますね。半獣人としちゃあ、衝動に任せる方が生きやすいんでしょうがね』
そして機竜形態の『アイアンディーナ』に乗ったベラの問いに、同じく機竜形態の『レオルフ』でこの場に戻ってきたリンローが言葉を返した。
以前とは違い、背に壺のような大砲が装着されて重々しい雰囲気を纏うようになった『レオルフ』だが、中にいるリンローも同じくらいに重々しい気分になっていた。
現時点において竜人と呼ばれるものに変わっているリンローは半獣人からはすでに脱している。だが、かつての自分たちの別の未来を見ているかと思うと彼の気は晴れなかった。
『エルシャを襲っているのはローウェン直属の獣機兵部隊だからねえ。この先もこんなんばかりだろうさ』
ベラの言葉にリンローがさらにため息をつく。その様子を無視してベラが「ま、幸先は良いんじゃないかい」と口にした。
「ひとまずはエルシャに対して手土産はできた。制圧後は街の人間を集めて状況確認だ。いいかい。今回あたしらは町を救った良い側なんだ。少々いただくもんはいただくにしても、あんま乱暴を働くんじゃないよ」
そう言ってベラが笑う。
傭兵国家ヘイローがムハルド王国を侵略し終えてから二ヶ月あまり。そして今、ベラと新たに編成され直された竜撃隊は傭兵国家ヘイローの北に位置するエルシャ王国内への潜入を果たしていた。
次回予告:『第234話 少女、手土産を用意する』
これからお友達になろうと会う相手には手土産を用意する。
こうしたさりげない気遣いからもベラちゃんの社交性の高さがうかがえますね。




