第211話 少女、夢を見る
「やあ、ベラさん」
そこがどこかということに意味はないように感じられた。広い空間のような気もするし、ひどく狭いような気もした。そんな場所で、ベラ・ヘイローはひとりの男と対峙していた。
「おや、久方ぶりに見る顔だね。黄泉路から戻ったのかい?」
「いえいえ、実はずっと一緒にはいたんですがね」
そこにいたのはデイドン・ロブナール。
かつてルーイン王国を裏切り、ローウェン帝国側に付いて、最後にはドラゴンとなって死んだ男だ。その男がなぜかベラの前にいたのだが、そのことについての違和感をベラは感じない。
「何しろ、君が竜人となったのは私の血を浴びたからだ。言ってみれば私の因子を取り込んで君は竜に連なる存在となった。その過程で、主体は君だとしても、血の中に込められた僕の魂の欠片も融合するはずだったんだが……」
「一緒になったつもりはないねえ」
ベラの言葉にデイドンがニヤリと笑って頷く。
「そうだ。君は力こそ受け入れたが、私という存在を受け入れることはなかった。君の内にある魂は金剛石のように強固で、その輝きに私は近付けなかったわけだ。君の血を取り込んだリンローは君の因子に影響を受けつつあるというのにね」
その言葉に思い当たる節があったベラがなるほどと頷く。目覚めた後の無鉄砲さはそういうことかと思い、それからベラとしては珍しく苦笑いをした。
「そういうところだけ真似されても困るんだけどね。で、アンタはおしゃべりをしに来たのかい? それとも何か別に用でも?」
「さすがに察しがよろしいですね」
「死人が夢に出たんだ。何か思い残したことでもあるんじゃないかと思ってね」
なんとなくではあるが、ここがどこかをベラは理解できていた。それはどこでもない、ただ己の内。つまりここは夢だと……俗に羊飼いの迷宮とでもいうべき場所に己が迷い込んだのだろうという感覚があった。
「ここまでに時間は多く流れ、もうまもなくデイドン・ロブナールという自我の染みはベラ・ヘイローの自我に完全に塗りつぶされる。だからディーナくんに頼んで、君にお別れを言いにきたんだ」
「ディーナに?」
「ははは、竜となった私は今や彼女とも同胞ですよ。だから、多少の融通も利かせてくれる」
その言葉にベラが目を細めるが、鉄機兵も元を辿ればドラゴンであることはベラもマギノから知らされてはいた。だから言葉の意味もなんとなくではあるが理解できた。
「とはいえ、今の私はただの残滓。根幹たる魂はすでに魔力の川に昇り、今はどこかで新しい生を迎えているかもしれない。だからこの私はただ消えるのみですが、そうなると、あのデイドンハートと君が呼んでいる竜の心臓も今よりは馴染むことになるでしょうね」
「そいつはありがたいね。じゃあ、さっさと消えてくれないかい? さすがのあたしも自分の中に男を受け入れるにはまだ早い歳でね」
「では手早くすましましょうか。実はここに来たのは、老婆心ながらの忠告を伝えたかっただけでね。ところでベラさん、君は転生という言葉を知っていますかね?」
「馬鹿にしてんのかい?」
その言葉にデイドンが首を横に振る。
「正しい理解があるかの確認ですよ」
「ハッ。死んだ魂は魔力の川ラインに昇って、そんでまたどっかのミルアの門から出てくるっていう与太だろう。時々記憶が残ってるなんてヤツもいるらしいが……実際のところはどうだか」
懐疑的なベラの言葉に苦笑しながら、デイドンは話を続けていく。
「ええ、その転生です。魂が魔力の川に昇るのは確かなようで、転生した人間というのもある程度の確度で検証をして存在はしているようだという結論が出ているそうです。身に覚えは?」
「いいや。それで?」
ベラの再度の問いにデイドンが首を横に振った。
「思い当たることがないのであれば、それはそれでいいでしょう。ですが、魂が離れた後に残された肉体が仮に蘇ったとしたら、どうなるのかベラさんに分かりますか?」
「死んだ身体なら、死霊が乗っ取ることもあるね」
死んだ肉体に宿った死霊が食人鬼となって戦場をさまよう。それは戦場でも厄介な問題のひとつであった。
「そうですね。ですが、死霊に侵されることなく、無理矢理生き返された空っぽの器がひとつ存在していた。だがそれは空っぽであったが故に本物であろうとして……実際私には本物に見えていたんです」
そう言ってデイドンがベラを見る。
「空っぽの器か、新しい皮袋に入れた魂か……肉質か霊質か、ふたりがぶつかればどうなるのか……それが見れなかったことが純粋に私は悔しい。だから、せいぜい頑張ってくださいよベラさん。私を殺したあなただ。負けてほしくはないと思う気持ちがあるのは、嘘ではありませんから」
「ふん。知ったことかい。けど、まあ……」
デイドンの瞳に老婆の姿が映されている気がしたが、ベラは気にせずこう告げた。
「あたしゃ、好きにやって、好きに生きて、好きに死ぬのさ。どうであれ、あたしゃ負けないさ。相手が誰であろうとね」
**********
『おい、ご主人様!』
『あん?』
ハッとなったベラが目を開けた。
意識が覚醒し、自分がどこにいるのかをベラは即座に把握する。
ベラは今『アイアンディーナ』の操者の座内にいるのだ。そして、聞こえてくるのはボルドの声だった。
『おいおい。寝てたのかよ?』
ボルドの呆れたような声が聞こえる。それからベラは自分がたった今まで意識を失っていたことに気が付いた。
『ボルド、あたしはどれぐらい返事してなかった?』
『二、三十秒かそこらだな。疲れてんのか?』
『ああ、ちぃと懐かしい顔を見た気がするんだが……夢でも見てたんかねえ』
そう言いながらベラはつい数秒前のことを思い出そうとするが、何も思い出せない。だからそれを泡沫の夢だろうと結論付けるとひとり頷きながら、アームグリップを握って『アイアンディーナ』を再び操作し始めた。
この場はガレージの中で、これから行うのはただの動作チェックだ。ベラは背に意識を集中させ、新しく手に入れた『竜翼』を広げていく。それは二対四枚の翼で、以前のモノよりは小さいが元の持ち主の戦闘記録では小回りが利く動きをしていたのだという。
『ほぉ。やっぱりすげえな。久方ぶりでも上手く動かせてる。調子も悪くないようだ』
そう口にしたボルドは自分の地精機『バッカス』の中でその様子を見ていた。また、ただ見ているだけではなく『バッカス』から伸ばしたコードを『アイアンディーナ』に繋ぎ、魔力の流れなどの計測もその場で行っている。
これは地精機のみならず、精霊族の扱う精霊機に備わった機能であり、鉄機兵を調整するのに精霊機乗りが必要な理由でもあった。
そして計測しているボルドの目が細められる。
『ふぅむ。竜の心臓の出力が急に安定し始めたな。こりゃあ、この新しい竜翼の影響か』
『ああ、そりゃあ……』
ボルドの言葉に、ベラはなんとなくではあるが理由を理解して口を開いた。
『そいつは馴染んだからだろうね。あたしに』
最後の壁が消えた感覚がベラにはある。己の中の不純物が消え、すべての通りが良くなったと感じていた。そして、ベラが続けて翼を動かそうとしたとき、通信機からパラの声が響いた。
『ベラ様。ルーイン王国からの使者がお見えになりましたが』
『おっと、もうそんな時間かい。仕方ないねえ。すぐ行く。ボルド、あんたはディーナの再チェックをしておきな。若干だが左の方が重い。違和感がある』
『あん? んなはずは……いや、見ておくわ。鉄機兵に関してご主人様の感覚が間違うこたぁねえだろうしな』
ボルドに言葉にベラは『頼んだよ』と返すと、胸部ハッチを開けて床に降り、そのままガレージを出ていく。外ではガイガンと竜撃隊の護衛が待っていて、先へと進むベラの後ろに付いて歩き始めた。
そして、その姿に通りがかった誰もが足を止めて頭を下げ、その歩みを邪魔するような者は誰も存在しない。
何故ならば現在の彼女は傭兵国家ヘイロー、その中核であるヘイロー大傭兵団を治める総団長だ。今やベラ・ヘイローの名は、このイシュタリア大陸における新たなる支配者として急速に広まりつつあった。
次回予告:『第212話 少女、会談をする』
あの小さかったベラちゃんが今ではこんなに立派になりました。
まるでシンデレラストーリー、女の子なら誰もが一度は夢見る光景ですよね。




