第210話 少女、話題になる
交易都市レオールがヘイロー大傭兵団の手に落ちた……という事実はすぐさま周辺各国へと伝わっていった。無論、それは自然に伝わったものだけではなく、ヘイロー大傭兵団のプロパガンダであり、主にカール・カイゼルと獣人たちの通信網によって行われているモノだ。
ムハルド王国はその情報の歯止めをかけることはできなかった。すでにレオールが落ち、自国外に止めるすべがなかった。
また生半可な戦力で取り戻そうとしても返り討ちにあうのは東部軍の敗退により目に見えている。現時点においてダール将軍を中心に討伐隊が編成し始めているが、各地で起こりつつある反乱の影響によりそれも遅れている。
そうしてムハルドの対応が遅れている間に、ヘイロー大傭兵団の勢力は膨れ上がっていく。そこには北部族のみならず、かつての戦いでのローウェン帝国の介入を良しとしなかったムハルド王国の一部の有力者も加わっている。
反ローウェン派とでもいうべき彼らは戦後に冷遇されてここまで燻っていた者たちであり、そうした勢力も加わることで現時点でのヘイロー大傭兵団の規模はムハルド王国領東部全域とラハール領を含んだムハルド王国の三分の一に匹敵し、現時点では傭兵国家ヘイローなる国が生まれるに至っていた。
それは新生パロマ王国との戦争を継続中のルーイン解放軍改めルーイン王国や、その裏にいるパロマ王国も承認し、アイゼンたちドーマ族を追いやろうとしていたアルタゴニア王国も中立を宣言し、事実上の国家認定を行っている。
それらの動きに周辺国も同調し、今やムハルド王国は内乱ではなく『傭兵国家ヘイロー』と国を分けたことを周知されてしまう。
それはローウェンに付いた勢力と反ローウェンの勢力との微妙なパワーバランスの下、さらなる傾きすらもあり得る事態となっていた。
それらは交易都市レオールがムハルド王国の手を離れてからわずか三ヶ月の間に起こり、現在も状況は流動的だ。
故に、全面的な衝突はないものの水面下の戦いにおいては敗北を喫し続けていたムハルド王国は国全体が緊迫した空気に包まれていたのである。
(まさか……まさか、ここまで状況が悪化するとはね。アレが野に放たれれば、ここまでになると……ああ、さすがだわ。まったく嫌になるくらいに)
ムハルド王国王都ゼッハナーン。その中央にある王宮ナハカルガの王の間にいるエナは静かにそう呟いた。
もっとも誰も彼女の呟きなど聞いてはいない。
何しろ王の前であるにもかかわらず、この場に集まった者たちは各地の状況報告に対し叱責と罵声が飛び交わされており、エナの小さな言葉など耳に入れられる状況ではなかった。
かつてこの場でヒステリックに叫んでいたエナは今では現状について諦観の念すら感じており、かつての己の心中を代弁するかのような目の前の者たちを哀れんですらいた。
夫であるオマール・ドーン・ムハルド王もその状況には苦い顔をしているが、それは罵倒し続ける配下に対してではなく、苦々しい想いをさせている報告に対して怒鳴りたい気分を抑えているためだ。感情のままに声を上げぬのは理性的といえなくもないが、ただ何も考えず怒りを抑えているだけならば愚かなだけだ。
そんな夫を冷ややかな目で見ながらエナは考える。
自分の夫の程度が知れているのは、会った瞬間から分かっていた。前王が死に、繰り上がりで王になっただけでオマールという人間はありていに言えば凡庸、平時であれば賢王ともなれようが弟のハシドが生きていれば王の座を奪われていたとも言われている男だ。なんともつまらない男だとエナは思う。当然愛してもいないし、抱かれていても快楽をむさぼるための子ガーメの玩具程度にしか感じない。ところが本人は己のソレをギル・ガーメの化身などと思っているのだから手に負えない。
そんな夫も含め、かつての己の懸念はもはや正しくこの場の者たちに伝わっているのだろうが、すべては遅いのだ。状況は最悪に近いところにまで一気に転げ落ちている。
(もはや功名心だけでアレに挑もうという者は出てこないわね。私の権限も使ってダールには軍の再編を行わせているけど、各領地の反応が鈍い。敵対はしないが、積極的な協力も得られない)
領主たちには様子見に徹している者も少なくない。各地の反乱も痛い。中央に軍を集め過ぎれば、端から食いつぶされかねない状況だ。だからこそエナは自らの役割を全うするために『彼ら』を呼んだ。ダールからの要請があったために、周囲からの反発も少なかったのも助かった。
何しろエナは彼らの用意した監視役として王妃の座を得たと疎まれているし、それは厳然たる事実なのだ。
「それでエナ王妃。ダール将軍のご様子はいかがなのですか?」
そして、この場の言葉の矛先がエナの方へと向けられる。ダールが敗北し戻ってきたときに真っ先に庇ったのがエナではあったが、当然ダールはエナの部下ではない。だから問いに対して答える言葉も本来は持たぬのだが、エナは「今はまだ、準備の途中ですわね」と返した。
「何を悠長な。こうしている間にもあの鬼子は汚い言葉でムハルドの醜態をさえずり、我らが同胞の血を流し続けているのですぞ」
「落ち着いてモンデ卿。各地の反乱が思いの外、足を引っ張っていて兵が集まらない。逆に出さなければならなくなっている。それにあなたのように功名心から挑んで返り討ちにあっている者も少なくないのよ」
「私は返り討ちになど……来たるべきダール将軍の出陣前に敵の疲弊を狙ったまでだ」
顔を赤くしてそう抗弁するモンデに周囲から苦笑が漏れるが、さりとて笑えぬ者たちも少なくはない。
「ダール将軍の花道を作ってくれたというわけね。きっと将軍も喜びましょう」
「喜ぶ必要はありません。であればこそ、急ぎ軍を送るべきだと!」
ローウェンに飼われている女狐として蔑まれているエナだが、皮肉なことに今では彼女がムハルドを動かしていると言っても過言ではなかった。彼女の気性は王よりもはるかにラーサ族のソレであったし、彼らもこの状況では決断の鈍い王よりも王妃をこそ頼るしかなかった。
もっとも、それでも頼りたくないのは彼女個人……よりも、その背後にいる存在によるところが大きい。そして、その背後にいる者たちは今、この部屋の中に存在していた。
「騒がしいところだねえ」
「まあまあ博士。国の存亡がかかっているわけですから仕方がないんじゃないですかね」
王の間の壁際にいる老人とエルフという二人組。口こそ出してはこないが、本来であればすでに軍議の場となったここに他国の者がいることなど許されるはずもない。だがふたりは咎められることなく、この場にいる。
「とはいえ、それももう終わるでしょう。我々が来た。であれば、準備は整ったということ。後は彼らに急かされたという名目を得たエナ王妃が我らの介入をひと押しすれば終わりです」
「うんうん。そうだねウォートくん。それにしても早くベラちゃんに会いたいねえ。それに大きくなったドラゴン、楽しみだねえ」
それはローウェン帝国の研究者であるイシュタリアの賢人ロイと、その護衛を務めるローウェン帝国の八機将ウォート・ゼクロムであった。かつてベラと一相対した彼らはこのムハルド王国へとやってきていた。
そう、ローウェン帝国の兵たちを引き連れて……
次回予告:『第211話 少女、国を興す』
謎の理不尽なdisりが王様を襲う今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。
時が流れるのは早いもの。ベラちゃんもそろそろ十歳ですし、ちょっと国を興したくなるお年頃のようです。




