第197話 少女、取り逃がす
『マズダ団長、我が方と敵は現在膠着状態のようです』
『ふむ、間に合ったか。しかし、見事に囲まれているな』
ムハルド王国東部軍アイレーン騎士団。その団長を務めるマズダが目を細め、鉄機兵の水晶眼を通してその先を確認している。交易都市レオールより来た彼らの前にはドルドリアムの砦があり、その周囲にはヘイロー大傭兵団と見られる兵たちが取り囲んでいた光景があった。
『あの囲いでは、まったく外に出れそうもありません。連絡が取れぬのも無理はないかと』
『そうだな。しかし、それだけならば良いが』
部下の言葉にマズダはそう返す。彼らの目には自軍の兵たちの駐留している砦が今尚ヘイロー大傭兵団の攻撃に耐えているように見えていた。もっとも、であるにしては微妙に勢いというものがないとマズダは感じた。
『不安がありますか?』
『当然、それはある。我ら東部軍の腹を食い破り、ダール将軍をも退かせた相手だ。どれだけ警戒しても警戒し過ぎということはないだろうさ』
『確かに』
神妙そうな部下の返しに少しだけマズダは笑い、己の考え過ぎかという思いも脳裏に過ぎった。
『それにしても、獣人たちを使うのを禁止されたから偵察もままならんのが厄介だな。それに恐ろしいのは本当にあの砦が』
それからマズダが己のもっとも最悪な想像を口にしようとしたときだ。『敵襲! 敵襲!』と通信兵から緊急の報告が入ったのだ。
『マズダ団長、これは!?』
『ふん。やはりか。嫌な予感は当たるものだ』
苦々しい顔をしながらマズダはその状況に目を細めた。
『獣機兵です。高機動型のウルフタイプとジャガータイプが一斉に左右の森から攻めてきています』
『団長。砦の兵たちも一斉に動き出しました。内部からも敵の鉄機兵が出てきています。罠です。膠着状態に見えるのは擬態。連中は我々をハメようと待ち構えていました』
次々と続く報告にマズダは舌打ちする。
『なるほどな。実際には完全に乗っ取られていたわけか。恐ろしい相手だ』
『敵の巨大な鉄機獣モドキが突撃して、獣機兵部隊があとに続き、前衛が瓦解し始めています。このままでは『予定以上の損害』が』
『分かった』
マズダがそう口にして己の鉄機兵を動かし、その場で踵を返させた。それに合わせて後衛のさらに殿にいた『傭兵型』鉄機兵に偽装した『騎士型』鉄機兵が一斉に後退を始めていく。
「彼らの手を見るだけとしては高くついたが、まあ仕方ない。あとはせいぜい同士討ちで数を減らしてくれるのを祈るばかりだ』
砦から一番離れた場所にいる鉄機兵の中からマズダの声が響いてくる。
『では、すぐさまレオールに戻るぞ。ザモス将軍にあのヘイロー大傭兵団の状況を報告せねばならないからな」
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『リンロー団長。こいつら、本隊じゃあないですぜ』
『クソが。鎧はハリボテか。しかもこいつら、まさか』
敵の本隊へと突撃したと思っていたリンローたちが戸惑いの声を上げながら、迫る敵を排除していく。森の中に隠れていたリンローたちはムハルド王国東部軍の増援へと攻勢をかけたのだが、襲撃した相手の様子が明らかにおかしかったのだ。見た目こそ正規の騎士団に見えた彼らの装備は実際には見た目だけだ。操る鉄機兵も想像以上にくたびれたもので、並んで突撃してくる歩兵たちも疲れきっているように見えた。けれども、その眼だけはギラギラとしていた。殺気というには生易しい、死に物狂いの人間の表情がそこにはあった。
『団長、こいつらラーサ族だ。それもこいつら北部族の奴隷兵団ですぜ』
部下の言葉にリンローが眼を見開かせる。
『チッ、奴隷印付きか。不味いな。こいつら、死ぬ気で来るぞ。油断するなよ』
『おい、大丈夫かリンロー』
機竜形態から鬼神形態へと変わって鉄球鞭を奮い始めたリンローに、オルガンのオーガタイプ獣機兵が近付いてくる。移動速度が遅かったために出遅れたが、オルガンの指揮の下でそれらはすぐさま敵の制圧に乗り出していく。
大型の獣機兵は機動力こそ低いものの、その殲滅力の高さは鉄機兵を大きく上回っている。もっとも、だからといって敵の攻撃が弱まるということはなかった。文字通りに死ぬ気で彼らは挑んできているのだ。
『おう、オルガンか。助かったぜ。けどこりゃあ総団長に連絡だな。こいつらは囮だ。それも厄介なタイプのな』
『見れば分かるさ。それに後ろの本隊は……随分と離れたな。もう追いつけないぞ』
オルガンが眉をひそめてそう口にする。
『つくづくやられたな。こいつは総団長にどやされるかなぁ。ともかく、目の前の敵だ。油断すんじゃねえぞテメェら』
攻め続ける前衛部隊の奴隷兵団とは違い、ムハルド王国東部軍の後衛部隊は追いつくのが難しい距離にまですでに下がっている。無理をすれば追いつけるかもしれないが、それには目の前の奴隷兵団を倒す必要があり、それを為すにはまだしばしの時間を必要としていた。
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『ベラ総団長。リンロー団長より連絡です。敵退却せり。置き土産に北部族の奴隷兵団が置かれているとのことです』
そして、ベラたちが控えている砦の内部にリンローの部隊からの報告が届き、それにザワリと部屋の中で動揺の気配が広がった。今この場にいる多くは待機組であるラーサ兵団に所属する北部族の面々だ。
「クソがッ! あいつら。どこまでも俺たちを弄ぶ!?」
なかでもカールの憤りは非常に激しいものがあった。
奴隷印を施された奴隷は、主人から離れれば拘束魔術が発動して気が狂うような痛みを味わいながら最終的に死に至る。故に置いていかれた彼らは降参もできず、退却することも許されてはいないのだろう。つまり、彼らが生きる道は殺す気で敵を殲滅し戻らねばならないはずだった。
そのカールの様子を見ながらベラが「落ち着きな」と声をかける。
「しかし!?」
「で、敵はどうなんだい。戻ってくる気配もないかい?」
カールの声を無視してベラが連絡に来た兵に尋ねると、兵が頷いた。
「ハッ、すでに随分と距離が離れていますので、少なくとも再合流の可能性は薄いかと」
「砦が落とされたのが分かれば、勝ち目はなしと理解もできるか。となれば問題は置き土産だけかい」
そう口にしてベラが頭をかきながら少し考え、それから横にいるカールへと視線を向ける。
「仕方ないね。カール、出陣を許すよ。リンローは下がらせる。今度ばかりはアレも文句は言わないだろうしね」
今回の戦いはリンローの獣機兵兵団が主導する話であったが、それをベラはカールに任せると口にしたのだ。
「総団長……」
「せめてもの情けだ。奴隷印が発動する前に殺してやりな」
ベラの言葉に頭を下げたカールが、その配下たちが鬼神のような形相でその場から去っていく。
その様子に父親であるガイガンが眉をひそめる。
「我が息子ながら青い」
「あれはあれでいいんだよ。泣いてくれるヤツの方が支えがいもあるんじゃないかい」
「さて、それでは泣けぬ我らは支え甲斐がないと?」
ガイガンが苦笑しながらそう返すと、ベラは肩をすくめた。
「あたしゃ若いからね。誰かに支えさせるほど老いちゃいない。けど、あんたの方は息子ほど憤っちゃいないようだね」
そう返すベラにガイガンが目を細めながら、頷いた。
「ラハール領にいたアレとは違って、こちらは奴隷印こそ施されてはいませんが似たような扱いを受け続けてきましたからな。見飽きましたよ」
「つまりは、年の差ではなく経験の差というわけかい」
「かもしれませんが。しかし、今回のこれは短慮……とは、まあ言い難いですかな」
「実際、連中には逃げられたからねえ」
そう返したベラが少しだけ悔しそうな顔をする。
追いかけて止めることができぬ以上は、このまま敵は交易都市レオールへと戻るだろう。そしてヘイロー大傭兵団の現状を報告し、万全の準備でもって待ち受けるはずなのだ。想定内のこととはいえ、相手に対してしてやられた感があるのはベラにとって屈辱的であった。
「この現状を知られれば北部族の反抗はより大きくなるだろうに。ヤツらは私を殺せば他の連中も意気消沈して帳尻が合うとでも思ってるのかねえ?」
「やもしれません。ヘイロー大傭兵団はムハルドに抵抗する者たちの希望。それが敗れれば、一度は立ち直った心とて折れましょうな」
「ハッ、言うじゃないか。まあ焚き付けてくれるんならこちらも利用するまで。ガイガン、このことをまだ尻込みしている各地の同胞にも教えてやりな」
「ハッ」
こうした戦時下においてもサティアや獣人の魔鳥などといった空からの伝達便は生きている。レオールでの戦いに間に合うとはベラも思わぬが、その次の戦いならば影響を及ぼしてくるはずである。それから部屋を出ていったガイガンの背を見送りながらベラが呟く。
「ふん。獣人を使わず、北部族も捨てに来たか。随分と不信感を募らせてるじゃあないかザモス。さっさと迎えにいって将軍の座を引き摺り下ろしてやるのが楽しみになったよ」
そして、砦の前の戦場はカールたちラーサ兵団が参入したことで一気に終息していく。結果として生き残った奴隷兵団はゼロ。やはり全員が奴隷印を刻まれており、彼らには生き残る手段がそもそもなかった。そのことに怒りを燃やした兵たちの足取りは荒く、早々に砦を出立したヘイロー大傭兵団は交易都市レオールまでの進軍をさらに早めたのであった。
次回予告:『第198話 少女、遠征する』
リンローお兄さんがひとりでご褒美を食べてしまった場合、そのご褒美に思い入れの強いカールお兄さんの心に大きなわだかまりが残ったかもしれません。だからふたりでならば共犯意し……いえ、 一緒に頑張った達成感があるはずだとベラちゃんは考えたようですね。このちょっとした心遣いがベラちゃんの優しさなのでしょう。




