第195話 少女、ドラゴンを向かわせる
「ふぁ」
その場にいる兵士の口からアクビが漏れた。
そこはムハルド王国の北東に位置するアッダの砦という要塞。兵士はそこの見張り台のひとつを任されていた。
名をマハイン・ハーベイというその兵士は、つい先日にこの砦に配属となったばかりであった。そして彼の視線の先にあるのは竜の墓所と呼ばれる谷。彼を含む、彼の所属するムハルド王国東部軍がこの砦へとやってきたのは、その竜の墓所に住むジルガ族という獣人たちの監視のためだ。
「しかし……ダール将軍の雇いが裏切っただけで、ここの獣人たちが何かしたというわけでないのにな」
マハインはどうにもこの任務については懐疑的だったし、ヘイロー大傭兵団に備えて戦力を分散させるべきではないと考えていた。
また元より獣人という種族との接点はあまりないマハインではあったが、彼らが戦場において非常に役に立つ存在であることは当然のように知っていた。直接的な戦闘にこそあまり関わらないものの、魔獣を使った斥候は非常に有用で、ムハルド王国軍も多くの戦場で獣人たちを雇って使っているし、それは他国においても同様であった。
国を保たず、国に吸収されることもなく、どこの国においても自治を続けている獣人たちと国との接点がそうした金銭による雇用だ。それを裏切り、獣人が反乱軍に付いたということ自体はマハインにとっても驚きではあったが、だからといって裏切った獣人とは関係のないジルガ族までも監視対象とは神経質すぎるのではないか……と、それはマハインだけではなく多くの兵たちが感じていることでもあった。
「あんまり、それ口にするなよ。隊長にドヤされるぞ」
「おっと。聞こえてたか。もう交代の時間か」
後ろからかけられた声にマハインがしまったという顔をしながら、そう返す。
「ああ、そうだよ。寝ぼけてたか? ほら、これでも飲んでさっさと寝な」
「あいよ。サンキュウ」
交代の兵が近付き、マハインに寝る前の一杯用の酒瓶が渡される。
「それで、連絡事項は? 何か変わったことでもあったか」
「あるわけがない。獣人たちも大人しいもんさ」
「ま、そうだろうが。猫どもが俺らムハルドに逆らうとも思えないしな」
交代の兵がそう言って竜の墓所へと視線を向けながら笑う。
谷の獣人たちは臆病者で知られる猫人族だ。もっとも隠密に長けている評価がそうした揶揄に繋がっているだけで犬人族に劣るかと言えばそうではない。
「そりゃあな。ダール将軍のところはともかく、竜の墓所のジルガ族はウチに協力してカイゼル族を襲撃したんだぞ。むしろヘイロー大傭兵団にとっては敵だろう?」
「分かっているさ。昨日に送った使者からの返答も問題なしとのことだった。まあ、砦の前任者どころか顔の見知った相手がひとりもいなかったことで、あちらも対応には少し躊躇していたそうだが」
その言葉にマハインが苦笑する。
元々このアッダの砦は、モーザン・ノードと呼ばれる指揮官とその部下たちがいたのだが、その全員がヘイロー大傭兵団との繋がりを疑われ、交代に必要なわずかな人員以外は砦から交易都市レオールへと戻され、代わりに東部軍本隊である彼らがこの砦に配属されていた。
「猫人は情が深いって聞くぜ? 何人か呼んでくれないかね」
「バーカ。連中、里から出されたハグレでもなきゃ身体は売らんよ。猫を抱きたきゃ街に戻って娼館にでも行ってくるか、ペットショップにでも行くんだな」
「いや、そこまでガッ付いちゃいないさ。じゃあな」
マハインはそう言って見張り台の梯子から降りていく。そして、梯子を下りたときに上で何かしらの物音がしたことに気付き、顔を上げる。
「ん、何だ?」
不審に感じたマハインだが、上から「だ、大丈夫だ」と少しだけ上擦った声が返ってきたために怪訝には思いながらも「そうか」とだけ口にして、寝所へと戻り始めた。
その途中、マハインは妙な静けさを感じた。夜半過ぎであれば当たり前かもしれないが妙な、例えるならば肉食獣が密やかに近付き己の首を狙っているような、そんな感覚があった。
或いはマハインの中に流れるラーサ族の直感が働いていたのかもしれないが、けれどもマハインは己の危機感知能力に気付けない。或いは危険を本能的に避けたのかもしれなかった。ともあれ、妙だな……と思う程度でマハインは再び廊下を歩き出し、二度ほど前兆のあった異変に彼がようやく気付いたのは寝所に到着する直前であった。
「は?」
本当にソレは唐突に起きたのだ。目の前の廊下に並ぶ扉が爆発音と共に内部からの炎によって吹き飛ばされ、中からは火達磨となった同僚たちが一斉に飛び出てきた。
その光景にマハインの頭は真っ白になった。近い扉の中は彼を含む一般兵のための大部屋であったが、その奥は鉄機兵乗りである騎士たちの個室も並んでいる。そのどちらからも炎が上がっており、中の人間の命はもはやないとしか思えない。そして鉄機兵乗りの大半を失ったということは、この砦内の戦力の大半が失われたということでもあった。
「ヒッヒヒヒヒ、いいですねえ。人の焼ける匂い、そそりません? 勃ちません?」
その状況をマハインが愕然とした顔で見ていると、轟々と炎が上がっている廊下の先にマハインの知らぬドラゴニュートが歩いている姿が確認できた。
「ジャダン、イカレトカゲめ。目的は果たした。いくぞ」
「へいへい代理のご主人様。と、おんやぁ……あそこにもまだいますよ」
さらにはドラゴニュートと共に隠密らしき黒い服装の者たちもその場にはいて、マハインの知る限り彼らはこの砦に配属された者たちではなかった。であれば、結論はひとつしかない。
「て、敵か?」
「やあ、夜遅くにお勤めご苦労様です。おひとつどうぞ」
身構えたマハインに対し、ドラゴニュートは義手らしい金属の大砲をマハインに向けてその場で砲弾を撃った。
「うわぁああ!?」
それにはマハインが驚きの顔を見せたが、噴き出た炎に反応したのか途中で爆発し、その衝撃でマハインは吹き飛んで壁に叩きつけられた。それを見てドラゴニュートが「ヒヒヒヒ」と笑う。
「おやおや、ぶっ飛んだ? ケフィンさん。念のため、もう一発いきます?」
「いや、もう十分だ。さっさとここを退かねば囲まれるぞ」
「仕方ないですねえ。勿体ない」
そんな会話を交わしながら、炎の壁によって遮られた通路の先にいるドラゴニュートと黒装束たちはマハインの前から去っていった。その様子を痛みで意識が朦朧としているマハインは見送ることしかできない。
(なんだ今のは?)
ようやく痛みが引いて立ち上がったマハインには何が起きているのかがまったく分からない。
しかし窓の外から悲鳴と叫び声が聞こえてくるのが分かれば、これが敵の襲撃であるということぐらいは察せられる。咆哮のようなものも聞こえ始め、それが巨獣のものであると考えたマハインは「それでは本当に獣人たちが」と口にしながらもすぐさま動き出した。向かう先は指揮官室。状況不確かながら、指示を仰ぐためにも、砦の守りを固めるためにも彼が向かうには順当の目的地だ。もっともその判断も神の視点からすれば、すでに遅きに失していたという話にはなるのだが。
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「こっちも!?」
そしてマハインが指揮官室の直前で立ち止まり、通路の角に逃げ込んだ。幸いなことに気付かれてはいないようだが、その先の通路には先ほどの黒装束とは違う、ラーサ族の戦士たちがいたのが見えたのだ。
「あれは、まさかカイゼル族?」
チラリとではあるが鎧に描かれている部族の紋様を見た限り、そこにいるのはカイゼル族の戦士であるようだった。そして彼らが先にいることが意味するところはすでに指揮官が取り押さえられているという事実だ。であれば、どうするべきかと悩むマハインに背後から声がかかる。
「おい、マハイン。こっちだ」
「え? た、隊長生きてたんですか?」
「お前もな。しかし、してやられたぞ」
「それはどういう……」
「獣人はカイゼルと組んでいた。お前がいた見張り台もすでに」
その言葉にマハインの目が見開かれる。
去り際に交代の兵の様子がおかしかったことの意味に気付いたのだ。
「まさかあのとき、すでに?」
「なんだ? ともかく俺は今から寝所に行って騎士たちの護衛をする。鉄機兵さえ動かせれば、こんな状況すぐにでも」
「駄目です隊長」
隊長の誤解にマハインが首を横に振る。
「寝所は焼かれています。就寝していた騎士たちは恐らく全員殺されました」
「なんだと? 相手は巨獣とドラゴンだぞ。ガレージで待機していた乗り手以外に鉄機兵が動かせないというのであればそれはもう……」
「ど、ドラゴン……ですか?」
マハインの返しの言葉に反応したかのように、窓の外で咆哮が響き、噴き出ている炎の柱がその場からでも見えた。その様子をマハインと共に強張った顔で見ている隊長が口を開く。
「ああ、砦内部の構造は連中にすでに知られているようだ。指揮官の引き継ぎもろくにできていない我らでは知らぬ隠し通路でもあったのだろう」
「魔獣使い による潜入かもしれませんが」
「あり得るな。ともかく、闇夜に乗じて巨獣も接近しているんだ。鉄機兵や鉄機獣の姿も遠目に見えた。その上に砦の扉はもう連中によって開かれている。こちらの鉄機兵がいない以上、砦はもう駄目だ。仕方あるまい」
「どうしますか?」
絶望的な状況にマハインが怯えた顔で尋ねるが、隊長は意を決した顔で「ついてこい」と返した。
「砦を抜け、この状況を何としても伝えね……ば?」
「隊長!?」
驚くマハインの前で、隊長の喉元から血塗られた刃が生えていく。
それから崩れ落ちた隊長の背後にいたのは先ほどの黒装束の男で、よく見ればそれは獣人だった。
「さすがケフィンさん。見事なお手前で」
さらに獣人の後ろには先ほどのドラゴニュートと他の黒装束たちもいて、騒ぎに気付いたカイゼル族もその場に近付いてきているのも確認できた。その絶望的状況にもはや言葉も出ないマハインの前で、ドラゴニュートが「ヒヒヒ」と笑いながら近付いてくる。
「あ、ケフィンさん。そいつは殺さないでくださいよ。あっしの楽しみが消えちまうんで」
「嬲るのか?」
「拷問? いや尋問っすね。情報収集も大事っしょ。その過程で辛い目にあっちまうかもしれやせんが、そりゃあ止む無くってもんでしょ。大体そっちの偉そうなの先にやっちまったのはケフィンさんじゃあないっすか」
ドラゴニュートの言葉に、ケフィンと呼ばれた獣人が舌打ちする。
「お前は焼き過ぎる。我らが僕は炭では腹を満たせない」
「ヒヒヒ、そりゃあすいやせんね。で、そっちの兵隊さん。ちょいとお聞きしやすが、魔獣の糞になるか、焼かれて炭になるか。どっちがいいっすかねえ?」
その言葉に「ヒッ!?」と悲鳴を上げて後ろに下がったマハインだが、すぐさまケフィンに近付かれて取り押さえられる。壁に叩きつけられたダメージで動きの鈍いマハインはそれに対抗できない。だから彼にできるのは言葉を発することだけだった。
「止めろ。こ、降参する。せめて捕虜としての待遇を。食われるのも焼かれるのもごめんだ」
「いやいや、そんなわがまま言っちゃあ駄目っすよぉ。ほら、それにあっしら別に国ってぇわけじゃあねえし、蒼竜協定の適用外っすし」
「いや蒼竜王様の定めた協定を我らが護らぬわけにはいかないが」
ケフィンの言葉に、ドラゴニュートが「ええ?」と声を上げ、マハインが希望の笑みを浮かべたが、
「けれども、蒼竜王様のお言葉には戦時における勝敗においての勝者の権利についても言及がある。我らが僕が望むのは、強者の血肉。故に捕虜以前にお前たちは我らが僕の餌と確定している。残念だったな」
続く言葉に再度その表情を強張らせた。
「え? どういうことっすか? あっしにくれないんすか? 本当にね。あっしも今回泣きそうだったんですよぉ。ドラゴンの背に乗ってここまで連れてこられて、あれだけ空は駄目って言ったのにご主人様は強引だし。多少は鬱憤ばらししないと元が取れねえっすよ」
「うるさい。お前らはいったいなんなんだよ? なんでこの砦を襲った!?」
叫ぶマハインにドラゴニュートが「なんでって言われてもっすねえ」と返す。
「アンタ、自分たちがここを守ってる理由ぐらい知らねえんすか?」
その言葉にマハインが目を見開かせるが、言われてみれば至極当然の話だ。自分たちがなんのためにここにいて、何に備えていたのかなど聞かれるまでもない。ただ獣人たちの裏切りは確かで、それはジルガ族にまで及んでいて、恐れていた通りの状況が今起こったというだけのこと。
「ま、つってもあっしの見立てではぁ。獣人と対峙するんならまともにやってもこの砦にいる戦力の倍以上は必要だったっすけどね。巨獣の数も把握してなかったみたいっすし、色々と足りねえんだなぁ。それに獣人ってのは小さい魔獣も操れるんすよ。知ってたっすか。で、一度砦を襲った段階でずーっと入り込ませて見張ってたんす。アンタらが知らぬ間に、ネズミの魔獣によって配置も人員も全部漏れてたってわけっすね」
マハインが苦い顔をする。急な状況で引き継ぎもロクにされておらず、対獣人の準備も整っていなかった。もう数日すれば魔獣との紐付きも察知できる専門の魔術師も到着したのだが、そのことも相手に筒抜けであったのだとすれば、だからこそ襲撃は今されたのだとも言えた。
「ヒヒヒ、間抜けっすねえ」
そこまで言われ、もう己に後がないのだと知ったマハインは反射的に「馬鹿か」と叫んだ。
「何を言っている。たとえ我らを押さえても、砦からの連絡がなければ東部軍本隊がこちらにやってくる。分かっているのか、この事態が? お前たちはもう終わりなんだぞ!」
その言葉にドラゴニュートがキョトンという顔をした後にさらに「ヒヒヒ」と笑いながら、口を開く。
「そいつは無理じゃあないっすかねえ。だって、分かったところで連中にここに兵を送る余裕なんてありませんしぃ。ほら、自分たちが襲われているのにわざわざ兵力割かないっしょ?」
「な!?」
マハインは今度こそ絶句したが、もうドラゴニュートもケフィンという獣人もマハインの言葉に付き合おうという様子もなく、彼はそのまま後ろにいた獣人たちに連れていかれることになる。
「どういう……ことだ?」
マハインが強張った顔でそう呟く。彼らの言葉が確かならば東部軍が襲われる、つまりは東部軍がいる交易都市レオールが襲撃されるということであるはずだ。その恐るべき状況を知らされたマハインは驚愕したが、だがすぐさまここから先の己の身について頭がいっぱいになった。
何しろズルズルと連れていかれる際にも窓の外からは赤い炎の光が見え、ところかしこで咆哮と悲鳴が響き渡り、さらには食いちぎられた、或いは焼け焦げた死骸が転がる中を歩かされているのだ。
それにケフィンとドラゴニュートのどちらの要求が通ったとしても、その先に待つのは己の死のみであると理解したマハインはさめざめと涙を流しながら引き摺られ、閉じ込められた牢屋の中で日を跨がずして自決して己が魂を魔力の川へと登らせていった。そしてそれは恐らく、この場において彼が唯一できた抵抗であった。
次回予告:『第196話 少女、侵略を開始する』
ベラちゃんの姿はありませんでしたが、今回はベラちゃんの頭脳プレイが光るお話でした。
料理には下ごしらえが不可欠。ベラちゃんが美味しくいただくためにも準備はしっかりしないといけませんね。




