第181話 少女、あげる
「ふぅ。どうやらリンローくんも落ち着いたみたいだね。オルガンくんもこれでようやくゆっくり眠れるんじゃあないかな」
マギノがそう口にしながら、手拭いで自分の手を拭きテーブルに置く。
そのマギノの横では今もリンローがベッドに拘束されていたが、先ほどまでのように暴れる様子もなく、今は目をつぶって静かに眠りに入っていた。
「ま、グッスリお眠りしていただきたいもんさ。次の出撃がいつになるか分からないからね。そっちの竜柄の獅子頭が出れない以上は、あいつが動けないとさすがに獣機兵部隊の動きが鈍っちまう」
ベラがそう返しながら、マギノの横でリンローの様子を見ている。
また、この部屋には現在オルガンやジャダン、マギノの部下はいなかった。ジャダンは用事を言いつけられて外に出ているし、オルガンはマギノの助手たちと共に今は別の部屋で仮眠に入っていた。
なので部屋の外の通路に護衛はいるが、現在この部屋の中にいるのは三人だけだ。それからベラがリンローからマギノへと視線を移す。
「で、マギノ。あんたこそ昨晩から寝てないんじゃないかい? 年寄りが徹夜とか、気が付いたらポックリ逝っちまうんじゃないかと思って怖いんだけどね?」
「はっは、ベラちゃんは優しいねえ」
マギノが笑うとベラは肩をすくめる。
現時点においてマギノは、獣機兵部隊をつなぎ止めるための生命線だが、興奮状態のマギノに自己管理ができるのかは正直怪しい。ベラは外の護衛にマギノの様子を監視させておこうと声には出さずに考えひとり頷いたが、マギノは「大丈夫大丈夫」と言う。
「ま、減った寿命分の利益は回収できてるしねえ。ここまで乗り手と機体の変化を観測できているんだ。研究者としては今を逃すような間抜けはできないさ」
ギョロギョロと目を動かしながらマギノが続けてそう口にした。
鉄機兵魔術式研究者という、魔術的に鉄機兵の構造を研究する研究者たる彼にとって、竜心石を通じて行われている乗り手と機体の変化観測は極めて重要なデータとなっていた。
鉄機兵のみならず、獣機兵や竜機兵、それにドラゴン自体への変化もあった。それらがどのような動きを経て変異していくのかを紐解くことこそが、今の彼にとっての最重要課題だったのだ。故に今も助手によって外の『レオルフ』の様子は記録され続けている。
「アンタがそれでいいんなら、まあいいさね。それにしてもオルガンは少し考え過ぎてるね。もう少し気楽に考えられる男と思ってたんだけどね」
「けど、ベラちゃんの思惑にはそっているんじゃあないのかい?」
マギノの指摘にベラが「ハッ」と笑う。図星であったために、反論の言葉もない。
「身に覚えがあるから分かるけどね。リンローは昨晩から痛みでずっと暴れてたんだろう。アレに耐えるのはかなり厳しい。であれば、もうリンローは痛みで意識がブッ壊れちまってる可能性だってある。だったら保険は必要なのさ」
ただでさえ獣機兵部隊が、このヘイロー傭兵団にいなければならない要素は薄い。マギノによる半獣人の狂い治療とて、人の血を飲めば抑制できるということが分かったのだから、それを知った半獣人ならば、わざわざヘイロー傭兵団に所属せずともしばらくは自分だけでもどうとでもなるのだ。
そして、リンローを生かすためにベラは今回の手段を取るしかなかったが、これはいわば竜人や竜機兵の研究の一環でもあった。ただの人体実験と取られれば、不信感を生むし軍内部から崩壊しかねない。だからオルガンの判断という要素を加えて実際に立ち会わせることで、獣機兵を率いている彼自身も関係者に含めるべきだとベラは判断していた。その試みは現時点においては成功し、後はリンローの経過次第といったところだ。
「ともあれだ。どうやらひとまず最初の賭けには勝ったようじゃあないか。せっかくあたしの血をたんまりくれてやったんだ。あとは無事に目覚めてくれりゃあ、言うことはないんだが」
その言葉の通り、ベラは己の血を与えることでリンローの状態を安定へと導いた。
なお、ベラは自らの腕を切ったが結局は直接飲ませたわけではなく、マギノが止めて竜血剤として加工してからの投与していた。
「ま、僕たちはやるべきことはやったさベラちゃん。獣機兵乗りの半獣人が人間を食らう理由は、人の因子を自らに取り入れるためだからね。そこに竜の因子が入ったことで、内部で因子同士がせめぎあっていたわけだ。けれどベラちゃんの、すでに二つの因子を共存させている竜人の因子をリンローくんの中に取り込ませたことで、結果として竜の因子が強く出たが人の形は取り留められた。正直に言って、今はこれ以上の結果は望めないよ』
爬虫類の特徴を持つ獅子顔というよく分からない状態ではあるが、リンローは確かに人の形を保ったままで今は安定している。その状態をベラとマギノが眺めていると、ドアのノック音が響いた。
『ジャダンっす。ただいま戻りましたよっと』
「ああ、入んな」
ベラの返事に反応してドアが開き、ジャダンが部屋に入ってくる。
その手にはいくつもの重ねられた紙が握られていて、細かい文字と、外の『レオルフ』のものらしき機体の絵が描かれていた。それらをテーブルの上に置きながら、ジャダンは興奮した顔でベラとマギノを見る。
「いやぁ、確認してきやしたけど、ちょいと面白い感じになってやしたよ」
「へぇ。どんな風にだい?」
ベラが目を細め、マギノがギョロッとした目をジャダンに向ける。
ジャダンには外で拘束されているリンローの獣機兵『レオルフ』の確認をしに行ってきたのだ。そして、外で今も観察しているマギノの助手から報告書を受け取って今戻ってきた。
それからベラの問いに対してジャダンがヒヒヒと笑う。
「実際に見てもらったほうが早いと思いやすが、その、なんていいますかね。竜型の鉄機獣といいますか、四本足の……そういう姿になっていました」
その言葉を聞きながら、ベラがテーブルの上のスケッチを見る。
それは『アイアンディーナ』の機竜形態に近い、奇っ怪な形であった。それにベラもマギノも大きく興味を惹かれたが、それをじっくりと見ようとした直後に伝達の兵が部屋に入ってきた。それはパラからのものであり、カールたちが集まったとの報告であった。
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「まったく、忙しない。もう少し、見ておきたかったんだけどねぇ」
「ヒヒヒヒ、まあご主人様がそれだけ重要なお立場だということっすねよ」
バタンと扉が開き、部屋へとジャダンを引き連れたベラが入ってきた。
この場において最も力のある人物がベラなのだから、その軽口に注意を促すものなどいるはずもないが、そのベラとジャダンとは関係なくすでに部屋の中は非常に重苦しい空気に包まれているようだった。
「なんだい。辛気臭い面ばかりじゃあないか」
ベラがそう口にして周囲を見渡すと、その場にいる何人かは少しだけ済まなそうに頭を下げた。
そして、部屋に集まっていたのはカール・カイゼルとカイゼル族の部隊長三人、ベラの従者パラ、さらには獣機兵部隊の、リンローとオルガンの代わりである副隊長ふたりと雇いの傭兵団を取りまとめている傭兵団長がひとりだ。
それらが、目覚めたベラがパラに指示を出して呼び集めたメンバーであり、現在のメガハヌの街に駐留している軍を動かしている者たちであった。
なおベラの判断により、オルガンは今も仮眠に入っているため、この場にいる獣機兵部隊は副隊長のみだ。
一方でこのメガハヌの街を元々取り仕切っていたカイゼル族の戦士ゾルンはこの場にはいなかった。その理由はといえば、無論ベラが彼の部下諸共に鏖殺したためである。
街内へのムハルド王国中央軍を手引きした裏切り者。それがカイゼル族の中から出たという事実がこの場の空気を非常に重いものにしていた。
その様子にベラが眉をひそめながらも上座に向かい、パラに引かれた椅子に座って足を組み、再度全体を見回した。こうして、次のムハルド王国中央軍との戦闘のための会合が開かれることとなったのである。
次回予告:『第182話 少女、決める』
せっかくベラちゃんが率先してお掃除をしたというのに、彼らは誰がゴミを出したかで争っているみたいです。
ベラちゃんは早く遊びたくてお片付けをしたというのに、本当に大人たちは仕方がありませんね。




