第168話 少女、火を付ける
ノースフィル大高原。そこは山脈に囲まれた段差の少ない土地ではあり、今ムハルド王国東部軍はその場に陣を張っていた。
そこは魔力の川の通り道のひとつで、鉄機兵を運用している集団がラハール領を通り抜けるのであれば、ここを外した場合には、相当に遠回りせねばならない。そんな場所にムハルド王国東部軍が陣を構えていた。王国に反旗を翻したカイゼル族を屠るために、彼らはその場で立ち塞がっていた。
「で、連中は来ると思うかい?」
その東部軍を指揮しているザモス・カイターン将軍の天幕の前で、護衛の兵のひとりが相方にそう尋ねた。今は真夜中だ。天候もよろしくなく月明かりすらもないが、周囲は松明が置かれ、この場に限っては見えない暗さではなかった。
そして、声をかけられた兵が「どうだろうな」と返す。
「正面から来るということはないだろうが、左右を抜けられれば……とは考えているだろうな。斥候の話じゃあ、連中は一緒に連れそっていた女たちもどこかで捨てたらしい」
「勿体ないな。あいつらのルートを戻って探しゃぁ、見つけられるんじゃあないか?」
その言葉に兵が肩をすくめながら、首を横に振った。
「どうかな。途中の山中で捨てたのであれば、いっそその場で楽にしてやっているだろうよ。でなければ生きたまま魔獣に喰われる羽目になる」
山の中など、人間が生きていくには厳しい世界だ。
遙か海の向こうにあるという暗黒大陸ほどではないにしても、魔獣や野生動物が襲いかかるし、何よりも人間が飢えをしのげる食物などそうそう見つかるものではない。であれば、彼らにできることは捨てた者たちに安らぎを与えることだろうと。
「ハァ、良くて腐乱死体か。勿体ないな。ま、生きてたとしてもうちらに捕まりゃ、ジャッカの洞穴扱いにされるんだろうけどな」
「それが嫌で反乱を起こしたんだろう。一度カイゼル族の集落に行ったが、ありゃ地獄だったからな」
その兵の言葉に、もうひとりの兵が嫌そうな顔をする。どちらも清廉とは言えぬまでも、常識的な教養を受けた者たちだ。
そうしたものを楽しめるほどに擦れてはいない。
「同情はするが、まあ仕方がない。連中は負けたんだ」
「だな。俺らもそうならないように頑張るしかないかそれに、ヤツらにあの赤い魔女とドラゴンが加わったってのはマジらしいからな。正直、楽な掃討というわけにはならなさそうだ」
斥候からの報告によれば、彼らの一団の中には女子供は今はおらず、戦士と巨獣しかいなかったという。また、その巨獣がドラゴンではないかという報告を世迷言と捉える者はいなかった。
何しろ二年半前のハシド王子を倒された際にも赤い魔女ベラ・ヘイローがドラゴンを操っていたことは有名な話であったし、ベラドンナ傭兵団がローウェン帝国に捕まった際にもドラゴンは逃げだして未だ行方不明のままだと言われていた。
また、モーザンの部隊が獣人たちと共闘してカイゼル族と戦闘に入ったときにも、ドラゴンが襲いかかってきたという報告があったのだから、ベラ・ヘイローはドラゴンと共に再び現れて、モーザンの部隊を潰走に追い込んだのだと考えるのが自然であった。
モーザンの部隊を襲ったドラゴンは『アイアンディーナ』が変形していたもので、今現在カイゼル族と共にいるドラゴンは獣人たちが隠していたものなどとは予測できる者はさすがにいなかった。
「要は空からの注意も必要ってことだな。まあ、ドラゴンってのはアレだろう。火は吐くにしてもこちらの槍が届く距離までは降りて来るそうじゃあないか。そこを囲んで倒せばなんとかなるさ。対鉄機兵兵装は巨獣にも有効だから……あ?」
「どうした……って、おい。あれ?」
兵たちがソレに気付いたと同時に、離れた場所からカンカンカンカンと警鐘が鳴り響く。恐らくは彼らが見たものを兵の誰かが気付いたのだろう。
だがその行為はあまりにも遅かったと言わざるを得ない。
今が真夜中で、雲が出て月明かりすらも隠れているとはいえ、彼らの命を繋ぐためにはもっと空は警戒しておくべきだったのだ。
そして、迫ってきたのは巨大な影だった。或いは、彼らは空が落ちてきたと思ったかもしれない。
もっとも、次の瞬間には彼らは潰されて、肉塊に成り果てたのだが。
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バキバキと天幕を破壊しながら、巨大な存在がその場に降りる。
それから、その機械の怪物はその場で炎を吐き出しながら周囲を焼き尽くしていく。『アイアンディーナ』機竜形態。ムハルド王国東部軍には、その存在を情報として知っている者はいなかった。
警鐘がすでに陣地内で鳴り響いているのはさすがラーサ族の戦士というところだが、その響き渡る警告に対して、彼らは大混乱の極みにあった。
一部の竜機兵や獣機兵、精霊機、それに巨獣や魔獣の類など空を飛ぶ戦力はあるが、それらは稀少であり、当然のことながら単体で敵陣に飛び込むような愚かな行為が行われることはほとんどあり得ない。
空を飛べると言っても戦闘自体は地上に降り立てねばろくにできぬし、セオリーからすれば空からの攻撃は基本選択肢にはないのだ。
とはいえ今回に関しては、事前にその可能性は指摘されており、彼らもまったく警戒していないわけではなかったが、足りなかった。
まだ日も上がっていない時間帯を狙っての奇襲に、彼らは気付くことができなかった。
「ヒャッハッハッハ、いいねえ。ぜんぜん、鈍いじゃあないか。朝にもなってないから、さすがにオネムだったかね。ほうら、目覚めの一発だ。受けとんな!」
アイアンディーナに炎のブレスを吐かせながらベラが笑う。
奇襲は成功。鉄機兵の積まれている鉄機兵からやや離れている天幕は今や火の海だ。対して兵たちも十分な対応ができていない。鉄機兵は味方が邪魔で上手く動けていないし、炎に阻まれては生身の兵が扱う対鉄機兵兵装も扱えないのだ。
すべては予定通りの状況。だから重要なのはここから先の引き際であった。
「ハッ、鉄機兵もさすがに仲間を踏み潰しては来れないしね。けど、あっちの鉄機兵用輸送車から起き上がったのは速いね。ま、もう遅いけどさぁ!」
ベラがそう叫んで、『アイアンディーナ』の腰に差していた二本のショートソードを抜かせると、少し離れた天幕へとそれぞれ投げ付けて駄目押しの攻撃を行い、それからすぐさま翼を広げて飛び上がった。
『逃がすなぁ!』
『アレは魔女だ。殺せ。同胞の血をこれ以上流さぬために』
『駄目だ。逃げるな、卑怯者がっ!』
鉄機兵から戦士たちの怒りの声が響き渡るが、ベラは笑いながらアイアンディーナを飛ばし、空へと上がっていく。
「運良く指揮官も殺せてたらいいんだけどね。ま、欲張り過ぎかね」
眼下の燃える天幕を見ながらベラがそう口にしたが、それから己の甘えた考えを鼻で笑った。戦場において幸運は手繰り寄せるものであって、期待した時点で甘えに成り下がるとベラは理解している。
ともあれ、すべて予定通りに状況は進行していた。
今や天幕は燃え広がり、鉄機兵は動いたが、この状況を造ったベラはすでに飛び立っている。
だがベラが野営地を去ると、それに鉄機獣が追ってきたのが見えた。その状況もベラは折り込み済みではあったが、その動きは予想したよりも速い。
「ふぅん。思ったよりも速かったね。やはり、ラーサは戦士の部族かい」
ルーイン王国では感じなかった手応えを相手に見いだしながら、ベラは追ってくる鉄機獣を見た。やや速度を落とすとすぐさま一定の距離を取ってくる。
(戦うつもりはないってことかい。ま、そうだろうけどね。だったら、こっちはこっちでやるだけさ)
それからベラがニタリと笑うと、グリップを握りしめて一気に『アイアンディーナ』を加速させる。それに慌てた鉄機獣たちがさらに速度を上げて駆け出すが、その場は高原から森へと変わる境目。そして、次の瞬間に鉄機獣たちは、木々に隠れていた別の鉄機獣に襲われた。
それは、カイゼル族の鉄機獣たちだ。
『さて、後ろからは来ていないようだし、このまま戻すわけにも行かないからね。ま、美味しくいただくとするよ』
そして、ベラの乗る『アイアンディーナ』が空中で旋回すると、鉄機獣同士の戦闘になったその場に下降していった。
次回予告:『第169話 少女、お届け物をする』
ベラちゃんたら小さいのに火遊びがお好きなのですね。
火傷しないように気を付けないといけませんよ。




