第165話 少女、砦を襲う
ムハルド王国、東地方の砦アッダ。その砦を任されたモーザン・ノードという名の指揮官が、深く、本当に深く自身の身体をソファに沈み込ませながら部下の報告を聞いていた。
「はっ。斥候の報告によれば、生存者はいないとのことです。崖上の者たちは壊滅、ひとりたりとて残ってはおりません。やはり再度の出陣は難しいかと」
「壊滅……か。そうか、そうだな。我々にチャンスなどない。すべて終わりだ。ご苦労だったなノムル」
モーザンの言葉に、ノムルと呼ばれた騎士は沈痛そうな表情のまま頭を下げ、静かに部屋を退室した。
そして、ひとりになったモーザンが深いため息をつく。彼は決定的に失敗したのだ。
北のラーサの部族でも有名なカイゼル族。それを倒すために彼らは昨日出陣した。モーザンは状況を確認し、カイゼル族のルートを洗い出し、彼らが竜の墓所を通ることを想定して予定を組んでいた。
そうして近隣のジルガ族という獣人たちへと連絡をして協力を取り付け、想定通りに竜の墓所前でカイゼル族を殲滅……できるはずだった。
だが、彼は失敗した。空より飛来した赤い鉄機兵一機によって戦況を覆され、圧倒的に叩きのめされ、モーザンは多くの部下を失った。それどころか、崖上にいた鉄機兵乗りたちはムハルド王国の貴族の息子たちであった。それもラーサ族の貴族とあらば、ただのボンボンであるはずもなく将来を有望された戦士の卵たちだ。
モーザンはカイゼル族を自らの精鋭で討ち取り、預かっていた彼らには戦場の空気を味あわせる……ということを期待しての布陣だった。
だが、今その彼らはいない。彼らの親はモーザンを許さないだろう。そうでなくとも、今回の失態は彼の立場を確実に危うくするだろう。故にモーザンはもはや己の生き筋はないと考えていた。
だが、さらなる最悪の事態が、すぐ目の前まで迫っているなど彼には想像もつかなかっただろう。
だから唐突にドアを叩く音が聞こえて、惚けたモーザンがそれを返事もせずに見上げ、続けて勢いよく彼の部下が部屋の中に入ってきたのには目を見開いた。
「モーザン様、大変です。敵襲です」
「ハァ?」
モーザンが続けて放たれた言葉に首を傾げた。もはや頭が追いついていない。けれども、現実は決してモーザンを逃さない。すでに運は彼を見放していた。
「カイゼル族の鉄機兵たちと、それにあの赤い鉄機兵です。ど、ドラゴンもいます。多分、あの話に聞くベラドンナ傭兵団の」
「何を馬鹿な……何を言っている。お前は?」
モーザンがもはや焦点の合わぬ目をしながらそう返す。冗談にしか聞こえない。冗談であって欲しい。そう思わざるを得なかった。だが外からは悲鳴が上がり、金属音と爆発音が響き渡り始めた。
その状況にようやくモーザンも「戦闘か」とやや出遅れて口を開いた。それから慌てて窓へと向かうと、勢いよく開いて様子を見ようと外へと顔を出す。
「ぎゅむっ!?」
その次の瞬間には悲鳴が聞こえた。それが己の声だとモーザンが気付いたのは、自分が部屋の中を転げている途中だった。それから壁に激突したモーザンの視界に窓の外から少女がひとり飛び込んできた姿が見えた。
「なんだ、貴様はッ……がぁ!?」
直後に、その場にいた兵の喉元にスローイングダガーを突き刺さり、それから少女の振るったウォーハンマーによって頭部が破壊された。それを靴裏跡の付いた顔のモーザンが呆気に取られた。
「戸締りはしっかりしないとね。だから、こうして盗人に入られるんだよ。勉強になっただろう?」
「子供? 貴様、いった」
その言葉の途中でベラの足が再びモーザンの顔面に直撃する。
「……ぐっ」
「おいおい、人の話を聞きなよ。こっちはためになる話をしてるんだよ。で、あんたが頭かい?」
モーザンが答えを返さず睨みつけるが、ベラはすでにそうだと決めつけた顔をしていた。それから口元を吊り上げながら笑うと「悪いねえ」と返した。
「あれから獣人の里を攻めようかとも思ったんだけど、ちーとあっちは守りが硬くてね。仕方ないんで、家に戻る前のお駄賃はアンタにせびりに来たわけさ」
「なっ!?」
その気軽な言葉に絶句するモーザンだが、少女は話を続けていく。
「そんであたしが何かってさっき聞いてたっけ? あたしは、ヘイロー傭兵団の頭ベラ・ヘイローさ。おや、まだ傭兵団って言っていいのかね? まあ、いいかい。そんなこと。でだ。アンタにゃ色々と聞かせてもらいたいことがあるのさ」
そう言いながらベラがゆっくりと部屋の扉を閉めると、それからモーザンへと視線を向けた。外では未だ、戦いの音が響き渡っていた。
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「制圧、完了しましたぜ。すべて、滞りなく。こちらの被害は軽微だ」
戦闘終了後、砦の指揮官室へとやってきたガイガンが、そう言って頭を下げた。その前のソファに座っているのはベラだ。彼女は手に付いた血を拭いながら「ご苦労だったね」と言って頷く。
今回の戦いは、ベラにしてみれば面白みのない、本当に一方的な奇襲で終わっていた。サティアの航空型風精機により砦内の配置を確認した後、『アイアンディーナ』とロックギーガが砦の壁を飛び越えて襲撃していたのだ。
それからロックギーガは乗り込まれる前の鉄機兵を破壊し、ベラの方は内部より門を開けて、後はカイゼル族の戦士たちに任せると、己は指揮官であるモーザンを確保していた。
「こっちも大体、聞きたいことは聞けたよ。まあ、元々骨はあったんだろうが、すでに心が折れてたね」
そう言ってベラが転がっている物体を眺めた。
それはラーサ族特有の褐色肌がさらに黒くなるほどに痛めつけられ、涙を流して身体を護るように丸まっているモーザンであった。
それを見てガイガンがあきれた顔をする。それは拷問を受けたもののようであったが、ベラがモーザンを拘束してからガイガンがここに来るまでにそう時間があったわけではない。
「短時間でよくもまあ、ここまで」
「うちで飼ってるトカゲに習ったのさ。本人にやらせると勢い余って潰しちまうんだけどね。教えるのは上手いんだよ」
そう言ってベラが肩をすくめる。
ジャダンのような弱者をなぶる趣味はベラにはないが、相手の機微を察し、的確に痛めつけるのは得意とするところであった。
「で、中の様子はどうだい?」
「鉄機兵に乗られる前に片が付いたのが大きい。うちの若いのが対鉄機兵兵装の攻撃を受けたが、一晩あれば洗い落とせるだろう」
「まあ、ありゃ面倒だからね。とはいえ、明日にはここを発つよ。夜通しででも整備はさせておきな」
「それはもちろん。で、ワシらは今晩、ここに駐留しても問題はないと?」
ガイガンの問いにベラが頷く。
「ああ、すでに近隣の街に戦闘結果の連絡はしているそうなんだけどね。なんで、こいつの言葉によればラハール領に向かうまでに後二戦はありそうなんだが、この砦への増援は二三日じゃあさすがに来れないね」
「なるほど。敵が仕掛けてくる場所が分かるのはありがたいですな」
ガイガンがそう言って、ベラの前のテーブルの上に広がっている地図を見た。そこには移動ルートと、防衛ラインらしき場所が血で描かれている。
「ああ、そうだね。とはいえ、あまりのんびりもしてられないさ。ここから先は強行軍になる。女はいないが憂さ晴らしする玩具は適度にあるし、テキトーにやっておくれ」
ベラの言葉にガイガンが頷いた。
「後は、金と食料を集めるのだけはしっかりとしておきな。身が軽くなったとはいえ、物資も底だったんだろ。たく、どうやってラハール領まで辿り着くつもりだったんだい?」
あきれ顔のベラにガイガンが苦笑いで返した。
村々を襲って物資を手に入れるにしても、道中の正確な村の位置などを彼らは知らない。彼らも相当に無理を圧して移動していたのであった。
それからベラは、モーザンをカイゼル族の戦士に運ばせて砦内の牢に入れると、ガイガンと、獣人の巫女のリリエやサティア、それにボルドを集めて翌日からの対応についての話を始めた。
現在は、ベラが竜の墓所に辿り着き、ムハルド王国軍を倒した日の翌日。そして、如何様にしてこの状況になったかといえば、それを知るにはわずかに時間を遡る必要があった。
次回予告:『第166話 少女、相談をする』
ベラちゃんはおうちに帰ろうとしていますが、どうやら手持ちが少々足りないようです。
そこで、ベラちゃん流お小遣い稼ぎ術の出番です。
ご家庭でもできる簡単なやり方ですので、みなさんも参考にしてくださいね。




