第164話 少女、ペットと帰る
『ふぅ。まったく、よく動くトカゲだよアンタは』
ベラがそう言って嘆息しながら、操者の座にゆっくりともたれかかった。その顔はいつもと変わらず笑みを浮かべていたが、その全身からは大量の汗が流れている。それだけの戦いだったのだ。
端から見れば圧勝したかのように見えるが、その中の人間は疲労困憊という様子であった。『アイアンディーナ』にしても被害は『貫かせた』わき腹のみに見えて、各関節部などの磨耗は大きく、腰部などはベラが長年拘って強化し続けたために最後まで保ったようなものだった。
ロックギーガは二年半前の竜化したデイドンほどのものではなかったが、以前に戦ったときよりも遙かに強くなっていた。その相手を圧倒し、手懐けようというベラの目論見は破綻しているとしか思えないほどに。
またドラゴンの恐るべきところは、空を飛び、火を吐くことだ。飛び去られれば逃げられかねぬから常に接近して戦わざるを得なかったし、炎のブレスには注意を払い、吐かれた瞬間を狙って真っ先に潰した。そうした行程を経て、相手の手を潰していき、ベラは最後に勝利を収めたのだ。形の上では圧勝。だが、その内実は薄氷の上を歩くが如き紙一重の勝利であった。
ともあれ、ベラは彼女の思い描いた通りに、完璧に勝った。故にそれを当然だと認識し、なるべくしてなったと感じていた。それよりも、今は目の前で平伏しているロックギーガへの興味へと映っていた。
『にしてもだ。やけに素直に従ったじゃあないか。こりゃ、あたしが竜人だからってことなのかねえ』
ベラが目の前で己に頭を垂れているドラゴン、ロックギーガを見ながら言う。そして、その認識は間違いではない。ロックギーガがベラを主と認める判断を下した理由のひとつにはそれがあった。もっとも、最終的にロックギーガを動かしたのはかつての主の命令だ。だからベラが己の強さによって、竜を従えたともいえた。
『まあ、いい。それでコイツはどうしようかね。頭を下げられてばかりでも埒があかないが、ホレ。起きあがりなって……と、なんだい?』
冗談交じりに口にしたベラの言葉に従い、ゆっくりとロックギーガが立ち上がり始めた。
『話が分かるのかい? ん? 分かるなら頷いてみな』
そのベラの言葉にロックギーガが言葉の通りに頷く。それを見てベラが『へぇ』と言って笑う。どうやら偶然ではなく、明らかにベラの言葉を、ソレもその意味をも理解しているようだった。
それからロックギーガが己の指示に従うと理解したベラは『付いて来な』と口にして、ロックギーガを従えながら、獣人たちの里へと戻り始めることにしたのであった。
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『おんやぁ。随分と歓迎されているようじゃあないか』
そして、ベラとロックギーガが渓谷の中にあるジルガ族の里の入り口近くまで辿り着くと、入り口で待ちかまえている集団の姿が見えた。そこにいたのは巨獣や魔獣を並び立てたジルガ族の戦士たちだった。それは先ほどムハルド王国軍と共にカイゼル族を襲っていた者たちだ。
ギュガァアアアアアアッ
その様子を見てロックギーガが咆哮する。明らかに己らに向けてその集団が警戒し、場合によっては攻撃してこようかという気配が見えたのだ。その咆哮で巨獣たちが怯えた顔をし、戦士たちが動揺するのを見ながら、ベラが笑って手を挙げてロックギーガを制する。
『ロックギーガ、手を出すんじゃないよ。少なくとも今はね』
その声にロックギーガが唸りながらも従う姿を見せると、獣人たちから安堵の息が漏れた。
それからベラがロックギーガをその場で待たせると、己は『アイアンディーナ』を機竜形態へと変えて、己の姿を見せながら里の入り口へと進んでいく。操者の座の中は狭く換気も悪いため、ベラはこの剥き出しの乗り方が気に入っているようだった。
また、待ちかまえている集団の前にいたのは、ジルガ族の族長ジウバ・ガッシュであった。足が動かぬために御輿に乗せられてきた彼だが、ベラの姿を認めると御輿からその身を降ろさせ、その場で頭を垂れた。
その姿に周囲にいた戦士たちからどよめきが起こる。
「長よ。何故にそのような子供に頭を下げる?」
「それは異邦の者。竜様とてどのような細工を用いて従えたか分かったものではないぞ」
若く血気盛んそうな男たちの何名かがそう言って、殺気立った目をベラに向ける。彼らは先ほどの神殿内にいなかった者たちだ。
今の彼らにとって、ベラは自分たちからドラゴンを奪おうとする敵に映っているのだろう。だが、ジウバが彼らに言葉を発する前に、『アイアンディーナ』の背を抜けてローアダンウルフに乗った獣人がその場に辿り着いた。それは先ほどロックギーガに襲われ、ベラに救われた獣人のひとりであった。
その衣装は妙に飾り付けられ、顔だちから女であろうかとベラが考えていると、女獣人は血相を変えて戦士たちへと声を上げた。
「それは違うぞ戦士ジャガ、戦士ロガ。我らは見た。このお方は、鋼鉄の巨人で竜様を力で以て従えた。その身で以て我らが悲願を達したお方ぞ」
その言葉にジャガとロガと呼ばれた獣人が動揺する。
「巫女リリエ。その言葉、事実か?」
ジャガの問い返しに「しかり」とリリエと呼ばれた女獣人が返す。それからリリエはベラへと視線を向けると、ジウバ同様に頭を垂れた。
「改めて歓迎いたします。蒼き竜の導き手よ」
「蒼き……なんだって?」
初めて呼ばれた名にベラが眉をひそめた。対してリリエが口を開いた。
「六百年前にフィロン大陸より飛来した竜たちの王、蒼竜王アオ。彼の者の意志を受け継ぎ、竜様を蘇らせる者が蒼き竜の導き手。すなわちあなた様にございます」
「ああ、やっぱり蒼竜協定を結んだとかいう昔のドラゴン絡みかい。そんな大層なのから遣わされた覚えはないんだけどねえ」
ベラがそう言って笑うが、ともあれ獣人の戦士たちも巫女であるリリエの言葉を受けて、反発する姿勢を解いたようである。その様子にベラがひとまずの警戒を解くと、ジウバのそばにいたボルドを見た。
「ふん。まあ、いいさ。ボルド来な。おし、ちゃんと持っているね」
ボルドがベラの前に出る。そして、その腕には布に包まれた何かを持っていた。
「あいつがロックギーガなのかよ?」
近付いてきて尋ねたボルドに、ベラがヒャッヒャと笑う。
「ああ、そうさ。成長したのさ。さあ、ボルド。そいつを寄越しな。ロックギーガも来るんだ」
ベラの言葉にロックギーガがのしりのしりと近付いてくる。そのことに獣人の戦士たちが驚きの顔をしたが、それはドラゴンそのものの脅威よりもベラの『言葉に従った』という事実に向けられていた。
仕込み、躾ることで、彼らは自在に巨獣や魔獣を従える。だが、今の動作は明らかに言葉を理解したドラゴンが自ら動いたものだと彼らは理解したのだ。
「さて、あたしの言葉が分かるね。こいつがヴォルフだ。あんたの主だった男の首だ」
ベラが布を取り除き、ロックギーガへとそれを見せた。ロックギーガにもすでに匂いでそれが何なのかを理解していた。それからかつての主だった存在の首を見て、ロックギーガが目を細める。
「言葉が分かるなら聞きな。こいつはお前を生かすためにここまで耐えた。そして、こうして眠りについた。こいつが何を望み、どうしてこうなったかお前には分かるかい?」
ロックギーガがグギャアァと鳴く。最後の元主の言葉をロックギーガは覚えている。それに従って、今ロックギーガは生きている。細かい理由は分からぬが、ロックギーガは元主が己を生かすためにそうなったのだと理解していた。
「分かるならば、お前はこの男を忘れるな。そして、眠りを妨げるな。ヴォルフの望むままにお前は生き続けるんだ! それがお前の義務だよロックギーガ!」
そう言ってベラがヴォルフの首を掲げると、その場でロックギーガが己の首を持ち上げて大きく鳴いた。それは聞く者にどこか喪失感を抱かせる、悲しみが込められた咆哮だった。
次回予告:『第165話 少女、相談をする』
ペットのロックギーガちゃんはとてもお利口ですよね。
ベラちゃんの言うことをしっかり聞いてくれます。
元の飼い主の躾が良かったからでしょうか。
トップブリーダーさんたちも驚いていますよ。




