第161話 少女、お休みをあげる
「ワシの名は、ジルガ族の族長ジウバ・ガッシュ。ようこそ竜人様、いやベラ・ヘイロー様……或いは赤い魔女様とお呼びしようか」
そう口にした老齢の獣人の前にベラは立っていた。
そこは竜の墓所の神殿内部にある長の間。ベラはケフィンに連れられてここまで辿り着いていた。
そして、今彼女たちの周囲にいるのはジルガ族の族長ジウバ・ガッシュとその側近たちであった。
「これが紅い魔女?」
「目を見ろ。間違いない」
「しかし……」
ヒソヒソとした声がわずかにだが聞こえてくる。その場にいる側近の多くは戦士であり、誰もが驚きの目でベラを見ていた。それはやってきた者が未だ二桁に届かぬような子供であったためであり、またその瞳が彼らの知る竜眼そのものでもあったためだ。
もっとも同じ眼を持っている族長のジウバはひとり、きわめて冷静にベラと向かい合っていた。
「あたしゃ、ベラだよ。赤い魔女なんて名乗った覚えもないし、竜人ってのもうちのとこにいる爺さんくらいにしか呼ばれたことはないね」
「なるほど。では、ベラ様。聞きたいこともあるだろうが、まずはこちらからの質問に答えてもらいたいのだがよろしいかな?」
「ま、勝手に上がり込んだ身だ。家主の問いには答えてやるぐらいの度量はあるつもりさ」
その言葉に「感謝する」と言いながら、ジウバが窓の外を見た。
「外の鉄機兵。主なくとも動いているようだ。野良化しているようにも見えるが、アレは何であろうか?」
その言葉に側近たちがザワリとした。
外に置かれている、今は機竜形態となっている鉄機兵『アイアンディーナ』。ドラゴンでも竜機兵でもないその存在は、彼らが伝え聞くどれとも違う存在であった。その問いにベラがニタリと笑う。
「へぇ。獣人ってのはつくづくドラゴンに興味があるらしいね」
「然り。竜様こそ獣を統べるもの。我らが象徴だ」
「そうかい。まあ、確かにそこいらの獣よりは強かったけどね」
側近のひとりの声にベラがそう返す。そして、その言葉にはその場の何人かが驚きを顔に表した。話に聞いていなかったわけではないが、本人の口から聞かされたことで改めて信じられぬと感じたようだった。
「竜殺し。その話も聞いておるよ。ドラゴンへの興味か。確かに巨獣使いや魔獣使いにとって竜様は特別な存在となる。それを敬い、従えることこそが我らが本懐だ」
ジウバの言葉に「歪んでるねえ」とベラが笑う。
「崇めるのに従えるのかい。まあ、確かにお高くとまった連中を這いつくばらして、靴裏を舐めさせるのは気持ちが良いだろうがね」
ベラの言葉に周囲の数人が苦い顔をするが、ベラは気にせずに話を続ける。
「で、だ。うちのディーナは、ドラゴンの血を浴びていてね。それに殺した竜の心臓を埋め込んでるから、今じゃあ火吹きトカゲに近いらしいってマギノが言ってたよ。そんな子だからね。多少は自分で考えて動くことだってできるのも不思議じゃあないんじゃないのかい?」
「竜の心臓……なるほどな。ケフィン、お前はどう感じた?」
ジウバの視線が続けて拘束から解かれているケフィンに向けられる。それに特に気負うことなく、ケフィンは口を開く。
「その娘からも、外の機械の竜からも族長と同じ匂いを感じた。それは間違いない」
そのやり取りにベラが「同じねえ」と呟く。それからジウバの瞳をのぞき込むように見た。
「あんた、ジウバと言ったかい。その目、あんたもドラゴンの血を飲んだってわけかい?」
「ケフィンから聞いたか。左様、ワシはドラゴンの血を得て、竜人へと変わろうとした……が、結果はごらんのありさまだ。もう己の意志では立つこともできんよ」
そう口にしたジウバの足はピクリとも動かない。
上半身も時折痙攣しており、身体の状態がまともではないのだとベラも気が付いていた。
「……それってドラゴンの血が原因かよ」
思わず口にしたボルドの言葉にジウバが頷く。
「わずかばかりの竜様の力は得た。ベラ様に比べれば、竜人と呼ぶのも恥ずべき身だがな」
「長!?」
側近たちが声を上げるが、ジウバは首を横に振った。
「事実は事実。我らが矜持を重んずるのであらば、目を背けてはならんよ。そこに我らが望んだモノがあるのだからな」
ジウバの言葉に周囲が静まる。その様子をベラが目を細めて観察し、それからジウバへと視線を向けて口を開いた。
「で、そろそろあたしの話を聞く気にはなったかい?」
「こちらの問いはそれぐらいだ。なんなりと。もっとも外のラーサ族を通すという話……ではないだろうがな?」
ジウバが覚悟を決めた顔をする。ケフィンはすでにこの場にドラゴンがいると話している。であれば、ベラの望むモノを彼は理解できている。
「腐り竜、ロックギーガは、ここにいるね?」
「ああ。すでに内に寄生したブラッドスライムは融合され、ドラゴンとして定着してはいるが……」
ジウバの言葉にベラが「へぇ」と口にした後、話を続ける。
「なるほどね。時間の経過がそう言う結果を生んだかい。まあ、それでだ。その主である巨獣使いのヴォルフ共々、それらはあたしのモノなんだが……あんたたちは親切な拾い主かい? それとも盗人なのかが知りたくてね」
その言葉に側近たちがまたもいきり立った顔をしたが、ジウバが手を挙げて制する。それからジウバがケフィンを見た。
「盗人ではありませぬな。その証拠に……ケフィン、ヴォルフ殿を連れてこい」
「いいのか?」
ケフィンの問いにジウバが頷く。
「筋は通す。我らが矜持故に」
ジウバの言葉にケフィンが頷いて部屋を出ると、しばらくしてガラガラという金属の車輪の音が聞こえて、それから檻が部屋の中に運ばれてきた。その中を見てボルドがうめく。
「ヒデェ。これがテメエらの答えなのかよ」
そんな言葉が口から自然と出たのは無理もないことだった。その中にはひとりの獣人の男がいたのだ。共にいる不定形の生物から伸びた無数の触手に身体が貫かれ、もはや頬は痩けて見る影もなく、その目にはもう知性の光はなかった。それを見てベラが寂しそうに呟く。
「そうかい。もうそこにはいないのかい」
ヴォルフ・ダイナモ。自らベラの奴隷となった巨獣使いであり、腐り竜ロックギーガの主であった獣人が変わり果てた姿で檻の中にはいた。
それを見てボルドが叫んで立ち上がる。手遅れなのは明らかだった。その、かつての仲間への仕打ちに対してボルドの頭は怒りで染まり、その場で地精機を呼び出そうとまでしたが、次の瞬間には「ギムル」という声が響いた。
「ガァアアアアアアアアアッ!?」
その場でボルドが崩れ落ちてのたうち回り、それからようやく痛みが消えると、それを為した人物を睨みつけた。
「ごしゅ……テメェ、何しやがる。ヴォルフをこんなにした連中だぞ」
「黙りな」
その場でクビリ殺されかねないほどの視線の力にボルドが思わず息を飲む。そして、声の止まったボルドに対してベラがゆっくりと口を開く。
「落ち着きなボルド。死んでいるはずの者が生きていた。であれば、それは感謝すべき……なのかもしれないだろう?」
ベラの言葉にボルドが「なっ」と声を上げ、それにジウバが目を細めると口を開いた。
「感謝はいらぬだろう。ヴォルフ殿との約定に我らは手を貸しただけだ」
「どういうことだ?」
睨むボルドにジウバが重い面もちで話を続けていく
「二年半前のことだ。ベラ様たち、ベラドンナ傭兵団がムハルド王国と戦い、ローウェン帝国に捕まった際だったか。ヴォルフ殿はひとり、その場から抜け出した……と聞いている」
その言葉は事実であった。
ベラはデイドンを倒したが力尽き、分かれたベラドンナ傭兵団はエルシャ王国を攻略中であったローウェン帝国に取り囲まれて捕まった。その際にヴォルフは腐り竜ロックギーガと共にその場を離れていた。
「その後のヴォルフ殿がどうしたかといえば、もっとも近い竜の墓所であるここにやってきたわけだ。竜様を匿えるのはここしかなかったからな。その時点でも奴隷印の拘束魔術の痛みによってヴォルフ殿はすでに狂いかけた状態であったがな。ヴォルフ殿は限界まで耐えてワシらと約定を結んだ」
「ヴォルフを死なせぬための……だね」
ベラの言葉にジウバが「左様」と返す。
「巨獣使いが死ねば、契約も切れる。ヴォルフ殿がもっとも恐れたのはそのことだった」
「そのためにヴォルフはああなったってのかよ? 他に方法はなかったのか!?」
「ベラ様の奴隷よ。先ほどの痛みを忘れたか。アレを延々と受け続けてお前は生き続けられるか? それを回避するすべを持っているのか?」
返されたジウバの言葉にボルドの顔が歪む。
彼の首裏にもついている奴隷印。それはいくつかの条件が揃うと発狂するほどの苦痛を与える。それは先ほどのように呪文によっても発動するし、主やその代理人から離れた場合にも発動し、やがては狂って死ぬことになる。或いはそうなる前に自ら死を撰ぶしか道はない。
「けど、よぉ」
何か返す言葉を探して、何もないことを察したボルドが顔を落とした。それからベラが口を開く。
「で、その気持ち悪いのがヴォルフを生かし続けてるってわけかい?」
「寄生タイプの魔獣ザンカ。本来であれば、食料を長期間生かして保存するために使う魔獣だ」
「なるほどね。それでヴォルフとの約定ってのはなんだい? 生かすのは手段だろ?」
「簡単に言えば主に渡すまで、預かっていて欲しいと」
「のわりには、ヴォルフの赤牙族が立ち寄った際にあんたらは何も話さなかったね」
「もはやヴォルフはあの群れの一員ではなかったが故に」
「ああ、そうかい」
そのベラの呟きにジウバが笑う。
「もっとも約定を護る気が薄かったのも事実ですがな」
その言葉に訝しげな顔をするベラに、ジウバが言葉を重ねていく。
「聞けば主はラーサ族の子供。死んだとも聞いていましたが、例え生きてここまで辿り着いたところで、資格なき者と我らが判断した者に渡す気はなかった。例え命の終わる者との約定とはいえ、竜様を認められぬ輩に渡すことなど墓所を守りし一族としてはあり得ぬと考えていた」
それからジウバは「だが」と口にする。
「どうやら、あなたには、その資格がこの場の誰よりもあるようだ」
「そうかい。まあ、あろうがなかろうが返してもらうが……盗人にはならずに済んだようだ」
ベラがそう言うと立ち上がる。そして檻の中にいるヴォルフを見た。
「それで、ヴォルフはもう駄目なんだね」
「奴隷印を解くことはできん。我らにできたのは『死なぬ』ことだけ。三日三晩のたうち回り、こうなった。死にも勝る苦痛を負い続けるとしても竜様を残しておきたかったのだろう。獣人の誉れであろうよ」
「ふん。誉れも何もこうなっちゃぁお終いさ。ほれ、ガーメもションボリしちまってるじゃあないかヴォルフ。ざまあないね」
檻を開けたベラが、ゆっくりと腰を下ろしてからそう言う。
「まあ仕方ない。種ぐらいはもらってやろうとも思ったが、あたしのミルアの門もまだ閉じたままで、あんたのは柔過ぎる。まったく締まらない話さね」
そう言いながらベラが腰の小剣を抜いた。それを見て何をしようとしているのかを察した何人かの足が動いたが、すでに遅い。
「ドラゴンを生かすために奴隷になったアンタの意志は覚えておくよ。ここまでご苦労だった。お休みヴォルフ」
そう言ってベラが一気にヴォルフの首を跳ねると、その直後に谷の奥から恐るべき咆哮が里全体に響き渡った。
それに周囲が悲鳴を上げる中、赤く染まったベラはひとりヴォルフであったものを抱き抱え、檻を出たのである。
次回予告:『第162話 少女、説得をする』
ヴォルフのオジちゃんはずっと頑張ってきました。
だからもう頑張らなくても良いとベラちゃんは思い、オジちゃんにはお休みをあげたのです。
オジちゃんはもうここにはいませんが、向かう先は同じなのでベラちゃんも悲しくはありません。ただ、ひどく寂しい気持ちになるのだけはどうしようもありませんでした。
※来週は所用によりお休みします。




