第160話 少女、田舎を歩く
「なるほど。谷の底だけど、まあまあのところじゃあないか」
機竜形態の『アイアンディーナ』に乗ったベラが、そんなことを口にしながら渓谷の中にある獣人の里を進んでいた。
そこは谷の中でもやや広めの平地になっている場所で、畑が並び、その周辺には倉庫や納屋らしき小屋が点在していたが、獣人たちが住んでいるのは崖をくり抜いた横穴式の住居のようだった。
また、平地にもいくつもの石壁が所々設置されており、それは戦いを想定したものであることが見て取れた。さらには魔獣や巨獣、またソレらを操る獣人たちが遠巻きに構えて警戒もしていたのだが、ベラは気にすることなく『アイアンディーナ』を歩かせていく。
「……竜様と会って、どうするつもりだ?」
『おい、あんまりご主人様を刺激するなよ』
ベラの背後でそう言葉を交わしているのは、ベラが先ほど捕らえた獣人と地精機に乗って『アイアンディーナ』の後を追ってきているボルドであった。
捕らえたのはケフィンという名の獣人で、今は『アイアンディーナ』の鋼鉄の尾で全身を巻き付けた形で拘束されていた。また、サティアやカイゼル族は集落の入り口で獣人の戦士や巨獣たちに囲まれながら待機している。里へ入ることを許されたのはベラとその奴隷だけだった。
「しかし、よくもまあ……スンナリとこちらの要求を飲んだね?」
ベラが笑いながらそう尋ねる。それは疑問というよりも、何もなくてつまらないのだけれども……という意味での問いだった。
ベラがここまで巨獣などとの争いもなく獣人の里に入ってこられたのは、捕らえたケフィンが獣人の仲間たちと交渉した結果であった。それからベラの問いにケフィンが「仕方ない」とボソッと返す。
「お前が本物の竜人様であれば……それを害するのは、我らの本望ではない」
そう口にするケフィンの顔には青あざがいくつかできていたが、見た目以上のダメージはないようだった。
それはベラが尋問から拷問に入る前に自ら口を開いた結果ではあったが、返す言葉から喋ったのはお前に屈したからではない……という意地のようなものが読み取れた。もっとも、だからこそ生意気だと青あざが作られたわけだが。
ともあれ、今のところ獣人たちとの戦闘の気配はなかった。それはベラにしてみれば拍子抜けすることではあったが、彼女の望みは獣人たちと戦うことではない。無為に暴れるような考えなしではなかった。
「まあ……紛い物であれば、その限りではないが」
「はっ、本物かどうかなんて知るかい。あたしゃ、あのトカゲどもの血を浴びたらそうなっただけなんだからね」
ケフィンの言葉に、ベラがそう返す。
その言葉の通り、ベラが現在の状態になったのはドラゴンと化したデイドンの血を浴びたからだ。それから長い期間を悶え苦しんだ後に、彼女は形こそ同じだが金色の瞳をした別の生き物となっていた。
以前よりも力は強くなり、気配をさらに読めるようになり、また年を取るのが遅くなったようでもあった。そのベラの言葉を聞き、ベラの姿を見ながらケフィンが「竜殺しの英雄……か」と呟く。
「竜様の血を与えられた仲間たちは皆死んだのだが、或いは竜様を殺さねば資格は得られぬのか?」
「あんだって?」
ケフィンの言葉にベラが眉をひそめた。獣人たちがドラゴンの血を受けたとは、ベラが聞いていない情報であった。
先ほどの尋問でベラが得たのは、この竜の墓所に『生きているドラゴンがいる』という情報と、ケフィンがそこまでを案内するという約束であった。
「竜人様となるべく、多くの戦士が竜血の杯を飲んだ。獣血剤といったか。あれの技術を使って……だがほとんどの者が死んだ」
「獣血剤の技術ねえ。そりゃあ、ローウェンからかい?」
「いいや……ムハルドだ。連中が我が里の巨獣から造り出す獣血剤を必要としていた。そして、我らがソレを作り、その際に作り方を学んだ」
その話を聞いて、ベラが目を細める。
ベラの元にいる獣機兵部隊の面々はみな巨獣ではなく、それよりも小さな魔獣を元にした獣血剤を使用して変化していた。巨獣の獣機兵は未だ成功していないようだとベラはマギノから聞いていた。
(そちらも少々気がかりだが……この場にいるドラゴンのことをやはりムハルドもローウェンも知らなさそうだね。まあ、成ったドラゴンは貴重らしいからね。知っていたら、ここを襲撃してでも奪い取るはずか)
ベラが、かつて己の奴隷であったヴォルフがテイムしていた腐り竜ロックギーガがこの里にいるかもしれないという情報を得たのは、ヴォルフの出身である赤牙族からパラを経由して連絡があったからだ。
それは一族の者がこの里を訪れた際に、わずかではあるがヴォルフのロックギーガの匂いを感じたとの話だった。パロマ王国より先にあるじぶんたちの里の距離からして、どうすることもできないと感じた赤牙族は、ヴォルフの主であるベラに接触して救助、或いは何かしらの対応はできないかと促してきていたのだ。
「しかし、獣血剤ねえ。ありゃ、あんたらでも作れるシロモノだったのかい?」
「それ自体は大したものではない。加工は必要だが、魔術的な素養もいらぬ作業だ」
ケフィンがそう返す。
ベラ自身が理解できているわけではないが、マギノの話では獣機兵や獣機兵乗りを生み出す獣血剤の製法はそう難しいものではないらしかった。
「ムハルド内でも獣機兵の研究を進めているというわけかい。獣機兵乗りをラハール領に追いやっておいて、よくやる。それに『ほとんどの者は』ということは生きているのもいるってわけだね?」
「然り。我が族長がそうだ」
「あたしと同類か。へぇ、本当だ。感じるよ確かに」
そういってベラが見上げた先にあるのは崖をくり抜いて作られた岩の神殿であった。その中から、ベラは確かに己の同類の気配を感じ取っていた。そして、それはまた相手も同じだろうという確信がベラにはあった。
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「族長。ドラゴンだ。機械のドラゴンが来た」
ジルガ族が治めている竜の墓所『清浄なる常闇』。
その崖の中にある石造りの神殿の中は今現在、喧噪に包まれていた。
ムハルド王国から墓所へ侵入しようとしている者たちがいると連絡を受けたのが先日のこと。そして、彼らはそれを共同で対処することに同意をしていた。
当初の話では、墓所を抜けようとした一団はここまでの道中での戦闘によりすでに死に体で、易々と倒せるだろうとのことだった。
ジルガ族は、その言葉をそのまま素直に受け止めてはいなかった。戦闘を切り抜けたということはムハルド王国軍を打ち倒した者たちであるということだ。このヴォルディアナ地方に住んでいる者たちであればラーサの血族を前に油断することはない。
しかし、ジルガ族はムハルドの言葉に乗った。それは当然、墓所を汚させぬ為だ。
もっとも結果的に獣人の戦士たちは這々の体で逃げ帰ってきていた。被害は少なかったが、彼らは突如として現れた『ドラゴン』を見て、動揺してしまったのだ。ただの紛い物ではないのは、巨獣たちの反応からも明らかであった。
「分かっておる。そのまま通せ。ケフィンも捕らえられておるのだろう」
報告に来た獣人の戦士にそう返したのは老いた獣人だ。その獣人こそがジルガ族長、名をジウバ・ガッシュと言った。
「族長、機械であれば竜機兵だろう。あの悪しき竜モドキが来たのであればローウェンがムハルドを裏切ったということではないのか?」
「いや、昨今ではローウェン以外にも竜機兵使いがいると聞きますが、それでも竜様の姿を模した紛い物を里に入れるのは……」
抵抗感のある言葉で戦士たちが口々にそうジウバに言うが、ジウバはその『金色の瞳』で睨み返す。
「……紛い物だと?」
ジウバが笑う。それから何人かが窓の外から見えたものを見て、声を上げた。
「来たぞ。ドラゴンの姿をした鉄機兵だ」
「なんと醜き姿か。長よ。アレを討たねば、墓所が汚れるぞ」
その場にいた戦士たちが立ち上がるが、ジウバの金色の瞳には見えていた。機械の内より発せられる竜の気配を。
「まったく見えておらんな。お前たち」
ジウバは自らも纏うが故に、同類の気配を正確に感じ取っていた。
それがドラゴンそのものかは分からないが、近付いてきているのは紛れもなく竜に連なる存在と確信していた。
「さて、竜様か、その使いか。竜様を取り戻しに来たか、或いは我らを断罪するつもりか。どうであろうな、ヴォルフ・ダイナモ殿?」
そう口にしたジウバの背後には、無数の触手を生やす不定形の魔獣が立っていた。そして、うねる触手の中には、とある人物がまるで侵食されて寄生されているかの様に、全身を触手に貫かれ、絡め取られていた。
その人物は猫を系譜とする壮年の獣人だった。もはや頬もこけて死に体の状態で、ジウバの言葉にも反応することはなく、ただ変わらず知性宿らぬ濁った眼で天井を見上げ続けていた。
回予告:『第161話 少女、お墓に立ち寄る』
こうしてのんびりと田舎の道を歩くのもおつなものですね。
ベラちゃんも少し楽しそうです。
次回はちょっとしたサプライズな再会が待っているようですよ。




