第156話 少女、遠征をする
ムハルド王国の領土の東。大地に亀裂が走り、無数の崖ができているその地の底を進む集団がそこにあった。
それは老若名男女の混じった、鉄機兵と鉄機獣に率いられた集団だった。彼らの多くは疲弊し、ボロボロではない姿をした者はほとんどいないようだった。その前後を護るように並んで進んでいる鉄機兵や鉄機獣もみな相当に傷んでいる。
それはカイゼル族というラーサの部族のひとつであった。
『もう追ってはきていないか』
集団の先頭を進む鉄機兵の中にいる老人の通信に、崖の上を進む鉄機獣から『ハッ』という返事が返ってくる。
『だが、このまま国境を抜けられるかは……ふふ、難しかろうな』
自嘲気味に笑うその老人の名はガイガン・カイゼルといった。
彼はラハール領の領主カールの父親であり、カイゼル族を代理で率いている男であった。
元々彼らはヴォルディアナ地方の北に点在していたラーサの部族のひとつであったが、ローウェン帝国の協力を得たムハルド王国の軍門に下った部族だ。
ムハルドの傘下になった後、北のラーサ族の中でも中心的な部族であった彼らの族長カールは、ラハール領という領地を与えられることとなった。
それは北部族の不満を解消するための方策のひとつであったが、カールは部族からは離され、カイゼル族は実体としては人質として扱われていた。
その息子のカールからのガイガンは連絡を受けたのだ。今こそ反旗を翻すとき……と。
それには彼らも沸き立った。ここまでの人質としての生活に彼らももはや限界だったのだ。男は奴隷同然に扱われ、ムハルドの男たちに手を出されていない女はほとんどいなかった。
彼らは絶望の中のただひとつの希望を得て、監視していたムハルドの兵たちを壊滅させ、カールの元へと向かい始めたのだ。
そして、ガイガンの鉄機兵の背後の鉄機兵から通信が入る。
『ガイガン様。サティアが行ってくれています。族長なら来てくれますよ』
『そうだな。そうであれば良いな』
配下の慰めにはそう返すが、ガイガンは息子は来ないだろうと思っていた。むしろ、来るべきではないと考えていた。
カールの配下である航空型風精機乗りのサティアからの連絡を受けて、彼らが村から出て早二週間。限界に近い彼らの救援を頼むべく、サティアにはカールの元へとひとり戻ってもらっていた。
ムハルド王国は三度追っ手を送りつけ、それをガイガンたちはすべて退けることに成功していたが、その代償として彼らはもはやボロボロだったのだ。後一戦は保たないとガイガンは理解していた。だが、カールが来れば、双方ともに全滅する可能性は高い。ガイガンにとって、それはなんとしても避けたい状況だった。
(もうじき竜の墓所か。ギリギリ避けて進みたいが、それを獣人たちが許してくれるか否か)
また、この岩場はイシュタリア大陸全土に点々と存在している、かつてドラゴンが生息していたと言われる地のひとつのすぐそばだ。
竜の墓所と呼ばれるその地は今もドラゴンたちの亡骸が眠り、それを崇める獣人たちが護っているとガイガンは知らされている。
故にヴォルディアナ地方の支配者であるラーサ族であっても立ち入れない場所ではあるのだが、それは同じラーサ族の国であるムハルド王国も同様のはずだった。
(賭けだな。果たして……それは)
『ガァアアッ』
ガイガンが正面を見据えていたとき、叫び声が通信から聞こえ、同時に崖の上から鉄機獣が落ちてくるのが見えた。ドスンとその場に落ちてきた鉄機獣には、大きな槍が突き刺さっていた。
『まさかッ』
そして、ガイガンが崖の上を見上げると、そこには巨人の影があった。いうまでもなく、それは鉄機兵だ。ムハルド王国の紋章を携えた軽装甲鉄機兵が、ひとつ、ふたつと次第に姿を現していくのが見えたのだ。
『すまない。岩場の陰に隠れてやがった』
落ちた鉄機獣から謝罪の言葉が届くが、すでに状況は最悪だ。鉄機兵の足下には随伴歩兵の姿も見えていた。それが対鉄機兵兵装を構え、崖の上から投げ始める。
『マズい。各員、盾で受けろ。ここで動かなくなってはどうしようも』
ガイガンの指示にカイゼル族の鉄機兵たちが動き始めるが、敵の数は増えていく。鎖と糸と呼ばれるものが何機かの鉄機兵に絡まり、崩れ落ちた先にいた部族の仲間を潰して殺した。さらに状況は悪化する。続けて、彼らの通ってきた道と、これより先の道から近付く何かの音が聞こえてきたのだ。
『ガイガン様。後ろから鉄機獣とそれに乗った軽装甲鉄機兵です』
『正面からも、あっちは巨獣だ。クソッタレ』
巨獣が攻めてくる。その意味を彼らは理解している。つまりこの先に住まう獣人たちは、ムハルド王国と組み、彼らと敵対したということだった。
『獣もどきが。ムハルドと通じてやがったんだ』
『いうても仕方あるまい。こちらは彼らの聖域に足を踏み入れようとしたのだ。それを理由に手を組まれたのだとすれば……』
獣人たちがムハルドの側に付くのは当然というものだ
そう考えながら、ガイガンは己が持つウォーハンマーを構え、正面から迫る巨獣の集団を睨みつけた。
『やむを得ん。女子供を囲み、陣を築きながら正面を突破する。今が我らが一族が生き残るか否かの選択のときぞ』
ガイガンの言葉にカイゼルの戦士たちも雄叫びを上げて動き出す。
彼らの部族はラーサ族の中でも特に戦いに長けた一族だ。マスカー族とも並び立つ力を誇っていた。
だが、それでも今の状況では彼らには勝ち目がない。非戦闘員という枷があり、数の上でも、地の利でも負けている。
その上にここまでの逃亡生活で彼らの身体は傷つき、限界に近かった。本来通ることを許されない竜の墓所を抜ける判断をしたのも、もはやそうする以外に彼らの体力が保たなかったからだ。
「カールの元に向かうまでワシらは死ぬわけにはいかんのじゃぁああ!」
ガイガンが迫る巨獣へとウォーハンマーを落とし、そして頭部を破壊する。だが彼以外の仲間たちは巨獣に蹂躙され、背後からのムハルドの鉄機兵に襲われ、崖の上からの対鉄機兵兵装や投石によって傷ついていく。
どうにもならない状況だ。ガイガンが吠えるが、敵が退くはずもない。もはや彼らに残された道はなく、ただ抵抗しながら全滅するだけのはずだった。
『な……に?』
だが次の瞬間に、彼らの頭上に赤い光が見えた。崖の上で炎の壁が生まれたのだ。
『なんだ、あれは?』
黒こげとなった歩兵たちが、崖の下へと雨のように降り注ぐ中、ガイガンたちはその炎の壁を生み出した存在を見た。ソレは炎のブレスを一直線に吐きながら崖の上にいた歩兵たちを焼き、そのまま翼を広げて上昇し大空を旋回していった。
『ドラゴン?』
ガイガンがそう口にする。そこにいたのは、まさしくそういう姿をしたものだ。やがてソレは空中で形を変えて、巨大な人型へと変わると、そのまま落下して、ムハルドの鉄機兵の一機をウォーハンマーで叩き潰した。
その様子に誰もがあっけに取られる中、落ちてきた赤い鉄機兵がゆっくりと立ち上がり、そして中から少女の笑い声が響き渡る。
それがガイガンたち、カイゼル族がベラ・ヘイローという存在と接触した最初の瞬間であった。
次回予告:『第157話 少女、救出をする』
ベラちゃんが到着したのは良いけれど、どうやらパーティの真っ最中のようですよ。
ですが、慌ててはいけません。こういうときこそ、落ち着いてニッコリ笑って挨拶をしましょう。ほら、みんなベラちゃんに注目しているみたいですよ。




