第14話 幼女、男と会う
剣闘士バル・マスカーが仕合を終えて控え室に戻ると、そこには嫉妬と羨望、畏敬、それらがない交ぜになったいつもの視線が存在していた。すでにこの闘技場でバル自身は自分がどういった存在になっているかを理解してはいたが、かと言ってそれを気にかける気もないバルは自身の定位置である席にゆっくりと座った。
(今回の相手はなかなかにやったな)
ほぼ無傷の、一見すれば余裕に見えたあの仕合も実際のところは際どい状況ではあった。そしてこんな辺境の地でも、あれほどの戦士がいることを喜ばしいとバルは考える。そうした者を斬れば斬るほどに己が研ぎ澄まされるのをバルは感じる質であった。
「バル・マスカー。お前に客が来てるぞッ」
そして戦闘の余韻に浸っていたバルに声がかかる。声をかけたのは闘技場の職員であった。
「客?」
「ああ、マルフォイ様だ。待たせずにさっさと来いよ」
その名前を告げられた途端に周囲が少しだけザワッと騒いだが、しかしバルはそうした様子には気にもとめずに席を立った。おそらくは自分の雇い主を見つけてきてくれたのだろうと、バルは考えていた。
ヴァガーテ商会のマルフォイ。バルを買う主の選出を任せている奴隷商の男だ。奴隷商という職業としては真面目な男……というのはバルの偏見ではあったが、バルとしてもこの街の中では信頼のできる筋の相手だろうとは考えていた。もっとも、そのマルフォイの選ぶ相手であっても未だバルの望む相手は見つかってはいなかった。
これは止むを得ないことではあるが、剣闘士の彼を購入したい相手は、基本的には自分の護衛として雇うことを希望していた。
だが、バルは本来は鉄機兵乗りである。ラーサ族の教えとして、刀術を嗜んではいるが、自分は鉄機兵で戦場を駆ける者なのだとバルは決めている。故にバルは、以前の愛機を奪われてから次の愛機を手に入れるために鉄機兵込みで雇う相手を捜していた。
もっともそれが甘い話であることはバル自身が痛感していた。そもそもバルはこの地方では鉄機兵乗りとしては名が知られていない。相手によっては鉄機兵乗りなど法螺を吹いたと、或いは剣闘士風情が鉄機兵などと夢を見て等と罵倒されることもあった。
かといってバルは鉄機兵を奪われた身で故郷やその近辺に戻るわけにもいかなかった。そして今の今まで闘技場で名を上げている内にいつのまにやら王座に収まっていたのだ。
また、マルフォイからも言われているし、自分でも分かってはいるのだが、最近になってバルを潰そうという輩も増えてきたようである。
マルフォイも現時点では交渉の仲介役という立場であり後ろ盾としては弱い。故に主のいないバルを邪魔と感じ、消してしまおうと考える者が現れ始めていたのだ。
それは今回の対戦相手の裏にいる奴隷商もそうだったし、目の前に置かれた杯の水の中に入っているであろう毒を入れた者もそうなのだろう。
そして、主が見つからぬのであれば、そろそろどこか別の街に渡ろうかとも考えていた矢先ではあったのだ。そこにマルフォイから連絡があった。
「ふむ。今度こそは大丈夫だろうな?」
すでに8件目。バルが疑わしく思うのも仕方のないことだが、それはマルフォイの仕事が悪いのではなく、バル自身の望む条件に問題がある。
ともあれ、実際に見てみぬことには始まらぬとバルは席を立ち、その場を後にしたのであった。
**********
「この子供が私を雇うだと?」
そして、マルフォイに呼び出された席でバルが憮然とした顔になったのは無理のないことだろう。バルを購入しようと言うのは、バルと同じラーサ族らしき子供だった。
「バル、失礼だぞ。いや、すみませんねベラ様」
「気にしちゃぁいないよ。元気で良いじゃあないか。なあボルド」
「あーさいですねえ」
身を崩して座っている幼き少女がグラスに注がれた液体を飲み干しながら、マルフォイの謝罪を受け入れている。後ろにいるのは彼女の保護者……ではなく奴隷のようだった。ドワーフの老人だ。身につけているものは悪くないようだが、首に付けられた奴隷印は隠されていない。
それが益々バルにとってこの状況がどういったものなのかを分からなくしていた。
「この方の名はベラ・ヘイロー様。ウチの客人だ」
そのマルフォイの言葉にバルが、怪訝そうな顔をする。
「こんな少女に奴隷を売っているのか?」
バルの言葉にベラが「もっともな話だよ」と言いながら「ヒャッヒャッヒャ」と笑った。マルフォイは渋い顔をしながらバルに「口が過ぎるぞ」と返す。
「日頃、実力主義を謳って貴族様を拒絶してきたお前が、本当の実力者を前にそれか。その目はどういう節穴なんだ」
その真剣なマルフォイの言葉にはバルも目を丸くするが、ジョークの類ではないのはマルフォイの目を見れば分かる。そして改めてベラを見れば、確かにその装備の着こなしは手慣れた者のソレだとは理解できた。少なくとも戦士としての教育を目の前の娘が受けているのはバルにも理解できる。だが続いての言葉にその考えも霧散と消えた。
「ヴァルハルア盗賊団とスリーピース率いるエンデ盗賊団を壊滅させ、ビグロベアを12体狩った方だ」
「冗談は止してくれ」
さすがに担がれているとバルは思い、そう口に出したがマルフォイの表情は真剣なままである。そして勿体ぶったように肩をすくませ、ため息をつきながらバルを見る。
「ベラ姫の名は聞いたことがあるだろう? 彼女がそれだ」
そのマルフォイの言葉には今度はベラの方が眉をひそめた。
「なんだい、そのこっ恥ずかしい名前は?」
ベラの怪訝な表情に、しまったな……という顔をマルフォイはしたが、すでに広まっていることである。隠しておく必要もないと事実だけを口にすることにした。
「ああ、失礼。そう呼ぶ者がおるんですよ。恐らくはクィーン・ベラドンナの名にあやかったものでしょうが」
7年前の大戦で黄金の鉄機兵を駆って戦ったモーリアン傭兵国家の女王・ベラドンナ。戦に敗れはしたものの帝国の進軍を水際で抑えた功績は大きく、現在においても帝国と戦った近隣諸国内で彼女を英雄視する者は大きい。だがベラにしてみれば自分の生まれる前に死んだ老婆である。
「大戦でおっ死んだババァだね。縁起でもない話じゃないか」
だから、ベラにとっての認識はその程度だ。農村にいたベラは『なぜだか』戦士としての技量は高いが、そうした事情は多少伝え聞いた程度のモノしか知らない。
「いやいや、そうは言ってもあの方がいなければここらも帝国に侵略されていたでしょうし、英雄と呼ばれるに相応しい方の名を肖ったのですから、それは名誉なことですよ」
そのマルフォイの物言いに、ベラは面白くなさそうな顔で舌打ちをする。
「何が気に入らない?」
それはバルの口から自然と出た言葉だった。対してベラもトゲトゲしくではあるがその言葉に返答する。
「知るかい。負けたヤツが祭り上げられてるのが気に入らないだけさね。どんな理由だろうと死んだら負けだ。あたしゃ、そっちの側に立つ気はないよ」
それがベラの信条だった。負ける側にはならない。奴隷として一度は親から売られたベラがそうすべきと決めた唯一の指針がそれである。
「確かに為政者としてのクィーンは英雄ではあるが、戦士として見れば負け……か」
それをバルは面白いと考える。
女王の治めていたモーリアン王国の現状は兎も角、かつてドーバー同盟に属していた国でクィーン・ベラドンナを悪く言う者はほとんどいないと言って良いだろう。それは帝国内においてさえ畏怖とともに語り継がれるほどで、祭り上げられた英雄としてクィーン・ベラドンナは一種の宗教のような扱いになっていた。
故にベラのその言葉はバルにとっては新鮮に感じられた。
「なるほど。確かにマルフォイ殿のこれまでの紹介の人物とは違うようだが」
「おお、では……」
マルフォイが顔を上げるが、バルは待てと手を前に出した。
「そちらの、ベラと言ったか。君がどういった素性なのか、教えてもらえるか」
「自己紹介かい。そうだね、あたしの名前はベラ・ヘイロー。ライラの村出身の女だよ。親はラーサ族らしいがね。開拓民だし、あたしゃ、親がどこの部族だったのかは知らないね」
その言葉にバルの目が細まる。同じラーサ族ではあると思ったが、少なくともその年齢で戦士として育てられている以上は相当な部族の出であるだろうと予測していたのだ。
「最近、ちょいと村を出て独り立ちしてね。まあ、さすがにひとりじゃやれることに限りがあるしね。今は戦力が欲しくて、アンタを買いたいわけさね」
それは年齢が一桁の者とは思えない流暢な言葉だった。さすがにバルもベラの言葉を真に受けたりはしない。だが、話が通じるというのは理解できたし、何より自分を戦力として使おうとしているのは嘘ではないと理解できた。
「私を購入する条件は聞いているか?」
「ああ、聞いてるよ。鉄機兵を用意しろってのはね」
「それだけでは不足だ。私は強者と殺り合いたい。そのための戦場が欲しい」
「はっ、頭おかしいんじゃないかい」
そのベラの言葉にボルドは、人のことを言えたものかと考えたが口には出さなかった。
「まあ、あたしの食い残しぐらいなら分けてやるさ」
「それほどの実力があると?」
そう言いながらバルはボルドを見る。
「食い残しをもらった口だよ、オリャァよ」
ボルドが肩をすくめてそう口にする。前回のエンデ盗賊団を壊滅させた際のボルドの戦果はベラが転がした火精機を潰しただけである。
「なるほど……」
そのボルドの表情を嘘偽り無しと見たバルは、ひとり頷くと、問いを一つ投げかけた。
「では、それを真実として私が信じるとして、お前はこれからどうするのだ?」
「どうとは?」
ベラと問い返しにバルが答える。
「恐らくは奴隷契約をすれば私は10年以上はお前の元にいることになるだろう。その間に私が戦いに困ることがないかを問うている」
その言葉にベラは「ふむ」と返した。
ベラはここまでに見てきた。
自分を売った両親を。
盗賊たちに皆殺しにされる村人を。
そして力がないために虐殺された盗賊たちを。
理不尽に狩られる巨獣の家族を。
脱走兵の末路を。
男たちに犯される道具となっていた女たちを。
(ああ、それはイヤだね)
そうベラは思う。そちら側には立つ気はない。ならばベラの答えは決まっていた。
「あたしはいつだって勝つ側にいるつもりさ。そして駆け上がれるところまで上がる。鉄機兵と共にね。その過程の食い残し程度でもアンタの腹を満足させることぐらいは出来るだろうね」
そう断言して笑うベラにバルは頷く。
「であれば、お前の鉄機兵と、そして私に預けてもらえる鉄機兵を見せてもらいたい。それで決めさせてもらおう」
「分かりやすくて良いね」
ベラがそう言ってバルの言葉を首肯する。もっともバルの面構えを見れば、答えはすでに出ているようなものだとも思われた。それを理解しているのかマルフォイも満足そうに頷いている。
そして、そんな中でボルドはひとり、思惑の海に入っていた。
(駆け上がれるところまで? 鉄機兵で?)
それはどこまでを指すのか。そもそも、その言葉は……
(クィーン・ベラドンナの言葉じゃねえか)
ボルドはかつて己の仕えていた国に喧嘩を売り、すべてを破壊していった老婆を思い出す。そして目の前の幼女に、かつて戦場で遭遇した女王の姿を見たのだった。
次回更新は2月11日(火)0:00。
次回予告:『第15話 幼女、自慢のお人形さんを見せる』
ベラちゃんの大事なものを拝んだ褐色肌の男が大興奮。




