第143話 少女、夜襲する
ラハール領の片隅にあるミハイルの町。そこは今やムハルド王国の領土となったラハール領と、ルーインを滅ぼしたパロマ王国とを繋ぐ交易の町となっていた。
その町の町長であるロマオの前には彼の妻であるマーサが立っていた。すでに子供も眠りについている夜に、外から帰ってきたマーサの凍り付いたような顔を見ながら、ロマオが苦い笑い顔を浮かべていた。何を言われるかは分かっている。どう返すべきかも。だからロマオは憂鬱にならざるを得なかった。
「あなた。また子供を連れて行かれたと聞きましたが……」
「ああ、そうだな。今度はアシュタカの子だ。あいつには悪いことをした」
心の底からロマオはそう思って口にする。どうすることはできないのだから、ロマオにできるのは、ただそう思うことだけだ。
「どうにかなりませんか」
その言葉にロマオは首を横に振る。そんなことは彼女も知っているはずだと考えながら、ロマオは過去に何度も繰り返した言葉を返す。
「はは、なるわけもない。ここに駐留している警備隊長ヴォーダ様はムハルドの正規軍様だぞ。ラハールの領主様も口は出せん。彼は北の出だからな。お前も知っている通りだろう?」
「であれば、ルーインに逃がす……というのは……」
話をしている途中で妻の声が小さくなるのを聞いてロマオが笑う。
すでにルーイン王国というものは存在していない。二年半前にムハルド王国軍とパロマ王国軍に侵略され、今では分割統治が行われているのだ。そしてパロマはムハルドと同盟国。そこに逃げることにどれほどの意味があるのか。逃亡したところで、どこにも逃げ場などない。
(いや、それもいいかもしれないか)
まだ金が残っている内に逃げて新天地を探すのも悪くはないかもしれないかと考えながら、ロマオはなおも食い下がりそうなマーサに口を開く。
「ヴォーダ様からは、断ってもいいとは言われたよ」
「じゃあ」
「ラーシャを寄越せば……とね」
その言葉にマーサが絶望的な顔をしてよろめきながら、ロマオを見た。それにロマオが頷く。
「本当はね。うちの娘らしかったんだよ。あの方の欲していたのは」
ラーシャはロマオたちの娘の名だ。今はまだ五つ。その言葉を聞いたマーサがその場で崩れ落ち、すぐさますすり泣く声が漏れ始めた。
「なんで、こんなことに……あんな化け物が……町に来なければ」
「言うな。親父みたいにはなりたくない」
以前の町長であったロマオの父はすでに殺され、町の入り口に今も吊されたままだ。最後の父の言葉は「お前は上手くやれ」であったのをロマオは思い出しながら、マーサに優しく声をかける。
「ともかくだ。今、商人に手配をさせている子供の奴隷も来週には到着するはずだ。足元は見られるだろうが、それでヴォーダ様には満足してもらおう。な?」
その支出についてもロマオは頭が痛い。子供という即労働力にもならない奴隷であれば、そう値段も高くないだろうが、ヴォーダがどんな子供を差し出せば満足してくれるかも分からない。どれだけ捧げれば良いのか見当も付かない。
だが一応の対策があることを知り、己の娘を守る手段を提示されればマーサとしても頷くしかない。
「仕方ないのよね。それで平和が守られるなら……」
「ああ、そうだな。ともかく、もう寝よう。今日はもう何も考えたくない」
「ええ……」
そう言ってロマオがカンテラの明かりを消そうとしたとき、家の外で唐突に光が走り、何かが爆発する音が響いた。
「な、何かしら?」
マーサが恐怖に顔を強ばらせ、ロマオ自身も目を見開かせながら窓の外を見た。
「分からんな。ここからじゃあ見えない。お前はラーシャを起こして地下に隠れてろ」
上着を羽織り始めたロマオに、マーサが慌てて尋ねる。
「あなたは?」
「様子を見る。盗賊たちの襲撃かもしれない。まあ、ヴォーダ様が負けるとは思えないが、その後処理に素早く行動していないと何を言われるか分からないからな」
そう言ってロマオはすぐさま家を飛び出していく。そうしている間も爆発は続いていた。
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「クソッ。今度は何だ? パロマでも攻めてきたか? それともルーイン残党軍か?」
そんな悪態を付きながらもロマオは町の中央通りへと走っていく。己の人生はいつもこうだと思いながら。
ここ十年のロマオの人生にはまさしく悪夢そのものだった。ケチの付き始めはジェドという男がラハール領主になったときか、ジェドの配下であるモーガンという男が町に来たときか、そのモーガンを殺したラーサ族の子供に袋叩きにあったときだろうか。
しかしムハルドに占拠され、さらには化け物が町に居着いた今が一番の悪夢だった。であれば、町を攻撃した相手にわずかばかりの期待を……と、ロマオが頭の中で思い浮かべたところで通りに出たロマオは、爆発がどこで起きていたのかを理解する。
「町の門前が燃えている。やはり襲撃ということか」
通りにまで響く振動は鉄機兵や獣機兵が動いている時のもので、戦闘が起きているのは明白だった。また背後からも足音が響いてきていたのをロマオは感じた。そして振り向いたロマオの視界に、町の支配者であるヴォーダ・ウォーニスの獣機兵『ゼイガング』とその手下たちの獣機兵の姿が見えたのだ。
同時に空から何かが降ってくるのがロマオには一瞬見えたが、次の瞬間には爆発が起こり、|視界が晴れた時には獣機兵の一機が炎に包まれて転げていた。
『ギャァアアアアア』
『ええい。騒ぐな。火を払え』
『ヴォーダ隊長。駄目です。こいつ、胸部ハッチの中にまで火が。うわっ、まだ爆炎球が』
『盾を構えろ。クソッ、油断した。この距離までどうやって投擲を。グッ』
獣機兵の中からのヴォーダの声を遮るように再び炎の球が降り、それが獣機兵の持つ盾にぶつかって爆発が起きる。
「うわぁっ」
その爆発に怯えたロマオが急いで建物の陰に隠れる。しかし、隠れた己の背後を巨大な何かが駆けていくのがロマオは振動と風で分かった。その相手をロマオが見ると、走っていたのは巨大な機械の獣であった。
「なっ、なんだ? ムハルドの鉄機獣か?」
巨大なタテガミをした鉄機獣が二機の精霊機を乗せながら中央通りの裏手を駆けていたのだ。
それは一気にヴォーダの隊の後ろに回って獣機兵の一機を弾き飛ばすと、さらには乗っていた精霊機の一機が腕の筒から何かを放って、それが他の獣機兵の背にぶつかって爆発していく。
『ヒヒヒ、いいっすねえ。面白いように燃やせるじゃあないですか』
鉄機獣の背の精霊機から声が響く。ロマオはその声をどこかで聞いた覚えがあったが、今は思い出しているような余裕はない。
『テンメェ。なんなんだよ一体。北部族の残党か、クソがぁ』
そう言って、ヴォーダの獣機兵が巨大な鉈を抜く。それが鉄機兵潰しと呼ばれているヴォーダの獣機兵の武器だ。
『あん。アンタが大将かい? ヒヒ、悪いけどあっしらがアンタに手ぇ出すと怒られちまうんでさぁ』
『なんだと?』
『隊長。正面からも鉄機兵がきます!』
配下の獣機兵の声にヴォーダが振り向く。ロマオもそちらに目を向けると、燃えさかる納屋を飛び越えて翼を広げた機体が出てきたのが見えた。
『飛んだ? 竜機兵か』
そう叫ぶヴォーダだが、それは違うとロマオは気付いた。以前に比べて成長はしているが、その機体にロマオは覚えがあったのだ。
「戻ってきた。あの幼女が戻ってきたのか!?」
『ヒャッハァアアアアアアアア』
笑い声が響き渡る。その赤い機体の名をロマオは知っていた。忘れられない悪魔の声を覚えていた。
「あの、ベラ・ヘイローのアイアンディーナがなぜ!?」
それはかつてラハール領の領主となり、その後ムハルド王国に追われ殺された……と風の便りに聞いていた悪魔の子供が乗る鉄機兵であった。
次回予告:『第144話 少女、潰す』
第七十五話でお会いしていたロマオお父さんもベラちゃんのことを覚えてくれていたようです。
初めて会う相手には第一印象が大事だって、よく分かりますね。




