第142話 少女、夢を語る
「まさか、野良の獣機兵とはね」
ベラが干し肉を噛みながら、そう口にする。
獣機兵との戦闘を終え、自力走行のできる魔導輸送車の中の自室で、ベラはパラと向かい合いながら地図を見ていた。
「仕留めた獣機兵の機体は、ムハルドの紋章が剥がされていました。恐らくは、かつてあの戦の後に脱走して盗賊に落ちた兵たちだったのではないかと思いますが」
パラの言うあの戦とは、ハシド王子がベラドンナ傭兵団が敗れた渓谷での戦のことである。二年半前に息子を奪われたムハルド王の怒りの矛先は、死んだと思われたベラにではなく王子を守れなかった臣下たちへと向かったのだという。
その結果、処分を恐れたムハルド兵たちが国に戻る前に集団逃走したのだと、ベラはジグモンドより聞かされていた。
「腰抜けどもの末路があれかい。悲しいものだね。とはいえ、そういう連中にまで獣血剤とやらは流れてるわけかい」
「はい。マギノの話によれば、製造そのものはそう難しくないそうです。このまま獣機兵が増えればアレは世代交代のできない欠陥品ということですので、将来的に鉄機兵の数は減ることになるでしょうが」
「ふん。だとしても戦力が短期間に強化されるのであれば、使わざるを得ないだろうね。特に傭兵連中にゃあ、未来よりも目先の肉の方が大切なんだからさ」
そう言ってベラが新しい干し肉を口に咥える。
「けど、そうなると巨人族なんかは喜びそうなもんじゃないかい?」
ヒャッヒャとベラが笑う。精霊機に近いサイズである巨人族は小回りの利く劣化鉄機兵のような扱いにされることも多い。鉄機兵がいなくなれば、必然的に戦場での価値は上がることになるだろうとベラは考えるが、だとしてもそれは遠い未来の話だ。
「かもしれませんが、それは我々が心配することではありません」
そう言って肩をすくめたパラは、目の前に置かれた羊皮紙に描かれている地図を見る。
それはかつてはルーイン王国の、現在はムハルド王国の領土であるラハール領の全体図であった。そこにはルートが赤い線で描かれており、いくつかの街を通って、ラハール領の領主の館があるヘールの街まで伸ばされていた。
「指定の街の兵を掃討し、ヘールの街を治めているカール・カイゼルと合流せよと。それがジグモンド様の命令でしたが」
その言葉にベラが「パラ」とひとこと名を呼ぶ。それにパラが少しだけしまったという顔をしてから頷いた。
「は、はい。いえ。ジグモンド様からのご依頼ですね。伝言を伝える役割を私たちは受けただけです」
その言葉にベラが頷き、再び干し肉を噛み始める。
現在のベラたちはルーインに属しているわけではない。このムハルドへ向かうのも傭兵として依頼を受けているだけであって、ルーイン解放軍の一員として行動しているわけではない……という、建前が必要だった。
「それでカール・カイゼルは元は北の部族の族長だったと聞いているけどね。信用はおけるのかい?」
「ムハルドにとって信用がおけない……が無視もできない相手だからこそ、パロマと挟んでいるこの地に追いやって監視をしていたのでしょう。であれば、敵の敵は味方と考えれば、信用はできる相手といえるのではないでしょうか」
「まあ、そうだね。それにルーイン解放軍がコロサスを取り戻し、そこを王都として宣言してしまえば状況も変わる……か」
ベラの視線がルーイン領からその横の、コロサスの街のあるレーラック領へと視線を向ける。それはルーイン王国時代の見て王都と並んで領土の中心付近にある地だ。
現在ルーイン王国を支配しているのはパロマ王国軍だが、だが己の軍だけでパロマ王国と同じくらいの広さを持つ領土を統治できるわけがない。現在も各領地に目を光らせているとはいえ、言ってみれば今のルーイン領というのは、ルーイン王族からパロマ軍に支配構造のトップがすげ替えられているだけの状況であった。
その上にパロマ本国とルーイン領のパロマ軍は表だってはいないが対立をしており、さらにはルーイン解放軍の裏にパロマ本国の支援があると分かれば、各領地の領主たちがどちらの側に靡くかを推測するのはそう難しいものではなかった。
「現在我々がしようとしているように、ラハール領がルーイン解放軍と手を結ばれてはムハルド王国にとってもよろしくはないでしょうから、場合によってはカール・カイゼルを領主の座から下ろすという判断もあるかもしれません」
「そうなる前に、接触して手を打つ必要があるというのがジグモンドの言葉だったね。で、その手札があたしというわけかい」
「ムハルドの王子を討ち取ったベラ様は、ムハルドに屈服した北のラーサ族にとっては、ある種のシンボルとなっているそうですからね」
「まあ、それも死んでると思っているからこそだろうけどさ」
ヒャッヒャとベラが笑う。
「でも、あたしは生きている。そして、あたしがムハルドの反抗勢力の旗印として食い込もうとするならば上手く行くかもしれない……というのが、ジグモンドの助言だね」
その言葉にパラが苦笑して肩をすくめる。
「でしょうが、ベラ様ならばもう少し簡単にことが運べたのではないですか?」
そのパラの言葉は、コロサスの街を出た件を指していた。コロサスの街を占拠していたパロマ王国軍を排除しマギノとパラと合流した後、ベラは『アイアンディーナ』の調整を終えさせるとすぐに街を去ってラハール領へと向かっていたのである。
それはパロマ側のモルソンの街から出たルーイン王国軍本隊が、コロサスの街に着く直前の日であった。
「今のルーインならば、女王陛下付きとして食い込めればベラ様が上級貴族に入ることすら難しくはないと思いましたが」
その上にガルドの第一夫人という道も未だに消えているわけではない。だがベラはパラの言葉に目を細めながら「ヒャッヒャ」と笑う。
「そりゃあ、そうかもしれないけどね。けど、あたしにとってはあまり美味しくはない話さ。仮に国を取り戻せたとしてもその後に待ってるのは周辺国とにらみ合いながらの国の復旧だろう。あたしゃあ、そういうみみっちいのはゴメンだよ。やるならもっとデッカくいかないとねぇ」
「だから、私をモーリアンに向かわせていたのですね」
パラはあきらめた顔でそう口にする。二年半前に仲間たちを売って解放された後、パラは自分たちが捕まった場合を考えて『予定していた』行動をとっていた。
パラは追跡者を撒いてベラと連絡を取った後に、ベラの指示を受けてモーリアン王国へと向かっていたのである。
「ああ、向かわせて正解だったよ。今のモーリアンは駄目だね。あたしの頭の中の想像の100倍糞になっている。傭兵国家は名ばかり、あのババアの息子が血筋だけで王位にしがみついているっていうクソを塗り固めたような軟弱なものになっている。ローウェン派を応援したくなるほどさ。けど、まあ……あっちも好かないしね。だからあたしが変えてやろうってのさ」
そのまま残りの干し肉を口に放り込んで噛み砕いたベラが言葉を重ねる。
「あんのクソババアは好かないが、傭兵国家ってのはあたしの性にあってる。特に獣機兵なんていうゲテモノが徘徊する世の中だ。傭兵の時代が来たとは思わないかい?」
それから温いワインを一気に飲み干して、木のジョッキをテーブルに叩きつけた。
「だから、あたしはそのための下準備をお前に頼んだのさパラ。で、首尾も悪くはなかったんだろう?」
ベラの言葉にパラが慎重に頷く。
「はい。モーリアン内では、ローウェン帝国にいるクィーン・ベラドンナが本物だと考えている者はほとんどいませんでした。こちらの動揺を誘う偽物だと……多くの者はそう考えているようです」
「ああ、そうだろうさ。何せ、クィーン・ベラドンナの生まれ変わりは『ここにいる』んだからね」
そう言ってベラが己を指差して不敵に笑った。それを見たパラは、ベラの背後に一瞬、クィーン・ベラドンナらしき老婆の影が映ったように錯覚した。それは確かにモーリアンで見た肖像画と瓜二つの姿であったが、ただの幻視だとパラは考え、すぐさまベラへと視線を向ける。
「では、やはり……」
「ああ、ガルド曰くあたしはあのババアと似ているらしい。なら、それを利用させてもらうまでさ。敵に迎合したのが誰であれ、連中にとってそれはクィーン・ベラドンナ足り得ないものだ。逆に器を用意してやれば連中にとってはそれが本物足り得ることにもなる」
そしてベラが立ち上がり、パラにこう告げた。
「そうさ。そうやってあたしがクィーン・ベラドンナを継ぎ、その内側からババアという存在を食い破り、あたしという存在を刻みつける。それであたしはあたしの望むものを手に入れるのさ」
それこそがベラの描いた未来であった。そのための準備を整え、野に解き放たれた少女はひとまずは己の力を得るべく、ルーイン解放軍を、それからラーサ族に目を付け、行動を開始していたのであった。
次回予告:『第143話 少女、夜襲する』
ベラちゃんが自分の将来の夢を語ってくれました。
小さいように見えて、しっかりと考えているんですね。
えらいですよベラちゃん。




