第135話 少女、過去バナを聞く
「久しぶりだねえボルド。少し老けたかい?」
ボルドは部屋の中に入った途端に、その場にいた人物を見て目を丸くした。確かに死んだとは聞いていなかった。だが、別れてからここまで、その名を聞くことはなかったことから、どこかで亡くなっていると考えてもいたのだ。だが、目の前の人物はピンピンして生きていた。
そこにいたのは二年半前に姿を消した己のかつての主人ベラ・ヘイローであった。
久方ぶりに見るベラの姿は以前に比べれば成長しているようだったが、最初に出会ったときで六歳で、今は恐らくは九歳にはなっているはずである。ただその月日の割に、人族としては余り変わっていないようにも見えた。また、その瞳の色も以前とは違い、金色になっていた。
そして、彼女の背後にはトカゲの顔をしたドラゴニュートが立っていた。そちらが、かつての奴隷仲間のジャダンであることは見ればすぐに分かった。ドラゴニュートの顔は見分けがつきにくいが、ジャダンの顔は半分が焼け爛れている。何よりも下をチラチラと出しながら「ヒヒヒ」と笑うようなドラゴニュートはボルドはひとりしか知らない。
そうしてベラたちを驚きの目で見ているボルドに、ベラが一言呟いた。
「『ギムル』」
「ひっ、そいつは!?」
ボルドがとっさに頭を抱えるが、続く痛みはなかった。
ベラが唱えたのは奴隷印が反応するボルド用の拘束呪文だ。だが、それが今は効力を発揮することはなかった。何故ならば、すでに彼がベラと交わされていた奴隷契約は解除されていたのだから。
でなければ、そもそも奴隷として売られているはずもない。そのことを最初から理解していたであろうベラは、不機嫌な声を上げる。
「チッ、分かってたことだけどね。契約はやはり解除されてるかい」
「ヒヒヒ、あっしと違って、今のボルドの旦那は売られてる身ですからねえ。多分代理だったパラが解除したんでしょうよ」
そう口にしたジャダンにボルドが声をかける。
「ジャダン。おめえも無事だったんだな」
「ヒヒ、お久しぶりです。ボルドの旦那。ま、こんなんなってますけどね」
そう言ってジャダンは己の右腕を見せた。それは装甲に覆われているように見えたが、よく見れば機械製の義手であった。
「そいつは?」
「旦那方と別れてすぐに変な女にやられましてねえ。その時の戦利ひ……」
「じゃーだーん。黙ってな。あたしが話してるんだ」
ダンッと足をテーブルに乗せて睨むベラにジャダンが「ヒヒ、すみません」と笑いながら口を閉じる。その様子を見てから、ボルドがベラへと視線を向けた。
「で、俺を買うってのはご主……べラ様ってことかい?」
すでにベラとの奴隷契約は解除されている。奴隷印も、この館の奴隷商を主としたものに書き換わっているのだから、現在のボルドの主は奴隷商ということになる。もっともそれはボルドの認識であって、ベラのものとは違う。
「あたしは、アンタを手放した覚えはないねえ。ねえ、ジャダン?」
「ヒヒヒ、確かにこの二年半の間にそのようなことはありませんでしたね」
ジャダンがベラの背後で笑って頷く。その言葉の通り、ベラ自身はボルドを奴隷契約から解除してはいない。であれば、それを行えたのはベラの従者にして奴隷契約の代理人パラ・ノーマか、或いは強制的に魔術によって解除されたかのどちらかとなる。そのベラたちの疑問の声に答えたのは、ボルドだった。
「契約を解除したのはパラだ。二年半前にあいつがやった。まあ、裏切りっていうか……状況的には仕方ないことだったけどな」
「二年半前か。あたしと別れた後だね」
ベラの問いにボルドと、ボルドの横に控えていたコーザが頷く。それからボルドが目を細め、かつてのことを思い出しながら口を開く。
「そうだ。あんたらと別れて……ザッカバラン山脈を越えて……エルシャ王国の国境に入ってからのことさ。俺らはローウェン帝国軍の、よりにもよって中央軍に囲まれて捕まったんだからな。俺ら奴隷は連中の戦利品になったってわけさ」
その言葉にベラの目が細まる。
「あんときゃあ知らなかったが、エルシャ王国はあの当時にローウェン帝国に攻め込まれていたらしいな。タイミングが悪い……というよりもルーイン王国侵略と同時に動いてたんだろうな。まあ、それはいい。ともかく、俺らぁ……あの将軍様と出会っちまったのよ。ローウェン帝国最高司令官であるベラドンナ将軍とな」
ボルドの言葉にジャダンが「ヒッ」と笑う。
名前を知らぬ者などいるはずもない。かつて鷲獅子大戦の最終決戦で皇帝ジーンと一騎打ちにて破れた希代の英雄、ドーバー同盟を纏め上げたモーリアン傭兵国家の女王・ベラドンナ。
それが、よりにもよってローウェン帝国の最高指揮官として戦場に現れたのは二年半前のことだ。
ドーバー同盟参加国からは偽物だと声が上がっているが、愛機の鉄機兵『ゴールデンディアナ』に乗って戦場を駆ける様はかつてのクィーンそのものであり、クィーン・ベラドンナを敵に回すよりは……と、ローウェン帝国に従属する国も出ている有様だった。
「それで」
ベラは鋭い目つきでボルドを見る。
「なんでお前たちは『生きている』?」
その言葉にボルドがコーザを見るが、コーザの方は首を横に振った。
「まだお話はしていません。何しろここまでが忙しかったもので」
肩をすくめて言うコーザに、ボルドは頭をかきながらベラを見た。それから「まあ、難しい話じゃあねえんだけどな」と口にした。
「大軍には囲まれたんだけどよ。俺らが負けたのはひとりにだけなんだよ」
「そりゃあ、バルさんでも勝てなかったんで?」
ジャダンの問いにボルドが頷く。
「完敗だったな。ベラドンナ将軍とゴールデンディアナ。俺ぁ、かつての大戦でアレを見たことがあったが……当時と遜色のない動きだった。だからバルが負けたのもストンと納得が言っちまったさ。アレは正真証明の化け物だ。最高の鉄機兵乗りだ。正直言ってアンタが勝てるとも思えねえ」
ボルドの言葉にベラは「ふんっ」とだけ鼻息を荒くして、それには何も言葉を返さなかった。それからボルドは話を続けていく。
「で、だ。その後のことを簡単に言うとマルスとお姫さんは逃げた。ヴォルフと腐り竜も同時にな」
ベラがコーザを見るとコ-ザも頷いた。
「ヴォルフがねえ」
ベラがそう呟く。
実のところ、エーデル王女がマルスと逃げたのをベラは知っていた。何しろ今回ベラが共に戦ったルーイン解放軍は、今は女王を名乗っているエーデルが率いている軍である。
まだ直接再会したわけではないので、言葉は交わしていないが、奪い返したこの街には後にやってくる予定となっていた。
だからエーデルとマルスが生きていたことはすでに既知のことで
どうでも良いことだった。問題はベラの奴隷である獣人のヴォルフと腐り竜が逃げたことだ。
「エーデル女王陛下はマルス様のデアヘルメェスで逃げ切ったようですね。ヴォルフは腐り竜に乗って飛んで山に逃げました。ゴールデンディアナも飛ぶことはできませんから追いかけられませんでした。ただ、腐り竜はともかく、ヴォルフは奴隷印を刻まれています。パラからも離れたとなると……」
コーザの言葉に、ベラも頷く。奴隷印は主と離れることで拘束呪文を発動し、それはやがて奴隷を死に至らしめる。ベラからも、代理であるパラからも離れたとあっては生存している可能性は皆無であった。それからベラは少しだけため息をつくと、ボルドに向き合う。
「まあ、仕方ないさ。それで、他は?」
「そうだな。一番惨かったのはジョンとマイアーだ。ジョンは貴族様だ。王女を逃がした責任を取らされた。見せしめになぶり殺しだ。マイアーも同様にな。正直、思い出したくもねえ。人間としちゃあ下の下な死に様だった。死骸はまだあの麓に転がってんじゃねえか。クソッ」
ボルドが思い出したことを追い払うように首を横に振る。それから一息つけてからベラに視線を向け直した。それから、意を決したように口を開く。
「それから、デュナンも死んだよ。あんたを裏切れねえってな」
次回予告:『第136話 少女、使えるか確認する』
悲しい事実が判明しました。まあ、それはそれとして、ベラちゃん何か忘れていませんか? ほら、ボルドお爺ちゃんが目の前にいますよ。ちゃんと確認をしましょう?




