私だったらもっと貴方を大切にするのになぁ
「もういいから……部屋から出ていってグリッド……」
自室のベッドの中で息絶えそうになりながら、私はか細い声を絞り出す。
私の手を握っていたグリッドが、悲しそうな表情を浮かべる。
「レクシア、どうしてそんなことを言うんだ」
「だって、このままじゃ風邪が移ってしまうから……」
「そんなの気にするかよ。むしろ俺に移してくれ。それで治るなら本望だ」
力強い目で見つめてくるグリッドとしばらく見つめ合う。
顔の熱さや体の火照りが、愛のせいか風邪のせいなのか少しわからなくなった。
「俺たちは運命の赤い糸で結ばれている。ずっと一緒だ」
「……運命の、赤い糸……」
「もう眠るんだ。なにも心配はいらないよ」
優しく微笑みながら、グリッドは私の額にキスしてくれた。
あぁ、幸せってこういうことなのだろう。
体は苦しいはずなのに、心は幸福に包まれながら私は眠りに落ちた。
——奇妙すぎる夢だった。
日本という国に生まれた地味な女性の夢を見た。
彼女は会社員(?)をやっていて、オタク活動というものをしていて、いつも推しキャラがどうとか会話していた。
そこは、私のいる世界とはだいぶ異なる世界。
なのに懐かしさがこみ上げてきた。
不思議な感情の理由はすぐにわかった。
その女性——私だッ!!!
ガバッ、と勢いよく半身を起こした。
ベッド横ではグリッドが小さな寝息を立てて眠っている。
そう、すべて思い出した。
私は現在十六歳だが前世ではもっと長く生きていた日本人だ。
死んだ記憶が抜けているので、これが転生なのかわからないけど……。
ただ確実なのは、十六年生きてきたこの世界——乙女ゲームの世界です!
そして私、レクシア・コーストは何人かいる性悪な悪役令嬢の一人だった。
通称、即死令嬢。
あるいは心臓発作令嬢。
なんでこんな通称が付いてしまうのか。
それはレクシアの特殊設定にある。
彼女はグリッドと婚約しているのだが、ある条件を発動すると即死する仕組みになっている。
条件は以下だ。
1、グリッドにレクシアより明確に好きな人ができる
2、レクシアにグリッドより明確に好きな人ができる
3、どんな形であれ、二人の婚約が破棄される
この三つのいずれかを満たすと、レクシアは心臓発作で倒れて帰らぬ人になってしまう。
要は運命の赤い糸が切れた瞬間、命まで絶たれてしまうと。
そしてそのルートは…………めっちゃ豊富に用意されている(泣)。
「グリッド、起きて! いますぐ起きて! 起きて起きて起きて起きて起きて起きて!」
私は取り乱しながら、グリッドの体を揺さぶる。
「う、ううん……レクシア、もう大丈夫なのか?」
「この裏切り者浮気者馬鹿者うつけ者!」
思いつく限りの罵倒をすると、彼もようやく目がハッキリと覚めたようだ。
「急になんだよ!? 俺がいつ君を裏切ったっていうんだ!」
「これから裏切るのよ。色んなパターンで裏切っていくの!」
「おかしなこと言うなぁ……。言っただろ、俺たちは運命の赤い糸で繋がってるって」
「その運命の赤い糸が切れたとき……あなたが他の女に心を奪われたとき……私は病死する」
深刻な様子で私は伝える。
グリッドはしばらくこちらの目を真っ直ぐ見つめ、黙り込んだ。
うぅ……。
しかし近くで見ると信じられないくらいのイケメンだ。
顔のパーツの一つ一つが最高峰で、かつそれが精緻に配置されている。
まだ十六なのに、すでに色気を感じさせる紫がかった瞳に、艶のある黒髪は私の好みドンピシャだ。
ちょちょ、ちょっと待てい……!
いままで、私こんなイケメンと婚約者やってきたの?
地球ではイケメンと目が合っただけで詐欺られると身構えていた私が、こんな人とイチャイチャしていた?
動揺する私を見て、ようやくグリッドが長い沈黙を打ち破ってくれる。
「……くは! くははははははッ! あーはっはっはっはっはっは!」
は?
なんでそんなに笑う?
私の寝取られからの病死コンボがコメディだとでも?
「その態度はなに? 私が死んでもいいの!?」
もうメンヘラみたいな感じに迫ると、グリッドはなぜか私の背中側に腕をゆっくり回してくる。
「可愛いやつめ。こうされたいんだろ?」
「……えっ、ええ? はい? エエッ?」
「そんな嘘までついて、俺と別れたくないってことだろ。いまのレクシア、すごく可愛いかったぞ」
ニヤニヤしつつ、グリッドは私の体を強く引き寄せ、そのままハグをする。
ち、ちがーう……!
そんな効果を狙って言ったわけじゃないのだが、冷静になってみると彼の態度は当たり前のようにも思えた。
例えば日本にいたとき、彼氏に、同じことを言われたらどうだろうか?
俺、君と別れると死んじゃうんだよね、と告げられたら?
うん、信じるわけない。
この人、そんなに私と別れたくないんだな……とニヨニヨしてしまうだろう。
それこそ、いまのグリッドのように。
現実味がないことを口頭で信じさせるなんて無理があるのだ。
実演してみせて、ようやく本当だと理解してもらえるけど、そのとき私は死んでいるというね……。
「ちょ、あの、そろそろ、離してもらえると……」
「ああ、そうだな」
彼はおもむろに私を解放してくれたかと思えば、両肩をガシッと掴んできた。
そしてこちらから目を逸らさずに、静かに顔を近づけてくる。
「そっ、そうじゃない! そういうことじゃないの!」
「俺はそういう気分だから」
一応、レクシアとグリッドは軽いキスまでは経験済みの仲だ。
でもいまの私は、レクシアであって以前のレクシアではない。
そう易々と応じることはできない。
死ぬほど恥ずかしいので。
「風邪が移るのでダメよ! ランニング行ってきます!」
「ランニング!? それはやめた方が……」
「また明日会おうね元気にね!」
オタク特有と言ってもいいような早口で告げると、私はパジャマのまま飛び出した。
☆
レクシア・コーストはわかりやすい悪役令嬢だ。
男爵家の令嬢で、親が商売で成功して裕福な家庭に育った。
好きな人にはとことん甘く、それ以外の人間は石ころみたいに雑に扱う。
そんなんだから、基本的には周りに嫌われていて敵も多い。
ちなみに私もグリッドもサブキャラで、主人公やヒロインではない。
熱はすっかり引いたので、一時間ほど外を散歩してから邸宅に戻った。
「あれ……まだ帰ってないの……?」
玄関にグリッドの靴がまだある。
足音を殺しながら二階の自室に向かうと、中から会話が聞こえてくる。
「……だって、おかしいですよぉ。グリッド様はお姉様のために看病してたのに一人で出ていくなんて……」
お姉様……?
──そうだった。
レクシアは、五人兄姉のちょうど真ん中だ。
兄と姉、妹が二人がいる。
「いいんだよ、ロザリア。俺が好きで看病してたんだ。治ったなら、それが一番さ」
ロザリアは一つ下の妹だ。
私はドアノブに耳をつけ、二人の会話を聞き逃すまいと頑張る。
「グリッド様って、やっぱりものすごく優しいのですね。お姉様とは不釣り合いな気もします」
「あぁ、確かに俺なんかじゃレクシアとは釣り合わないかもな」
「逆です! お姉さまみたいに性格が悪くて、いつも私をいじめている人が、どうして優しいグリッド様と結ばれるのって意味です! ……わたしだったら、もっと貴方を大切にするのになぁ」
うわわ、これはやばい展開だ。
グリットはとにかく多方面にモテる。
妹ですらも、彼を略奪対象にしていることを忘れていた。
部屋の中に入るべきかどうか、私は迷う。
すると中で、ロザリアがなにか動きを起こしたようだ。
「変なこと言っちゃいました……。そろそろ出ていきますね——きゃっ!」
「危ない!」
中で何が起きたのかは、だいたい想像がついた。
ロザリアがなにかに躓いて、グリッドがそれを助けに入ったのだろう。
もちろん、ロザリアは絶対にわざと転けたはずだ。
「ありがとうございます、助かりました。……グリッド様ぁ」
「おっと失礼、気安く触ってしまったな。……ロザリア? なんか腕に力が入っていないか?」
「グリッド様ぁぁ、しばらくこのままでいてほしいのです。最近寂しくてぇ……」
蕩けたような女の声を出すロザリアに、私は握りこぶしを作るしかない。
きっと表情も発情期のメスみたいになっているのだろうね!
しかしまずい……。
ゲームではグリッドと妹が結ばれる展開も当たり前のように用意されていた。
「……悪いけど、離れてくれ。俺じゃ君の寂しさを埋めることはできない」
「できます。確実に」
「いや、やっぱりダメだ。いくらレクシアの妹だからって、ここまで密着するのは変だ。なにより、こんなところ見られたら——」
「——ちょっと!? なにをしているの!」
そう、ここで私は思いきってドアを開けてみた。
そしてヒステリック気味に叫ぶ。
というか、実際だいぶ驚いた。
ロザリアが、思った以上にがっつり抱きついていたからだ。
恋人ですみたいな態度で、胸に顔を埋めているんだもの。
「やっ、これは違うんだ!」
グリッドは慌ててロザリアの体を押し返す。
一応、彼に関しては無実なのは知っている。
ちゃんと断ってたしね。
そこはちゃんと評価します。
ただ、ここは今後のため、敢えて浮気していたんでしょみたいな態度を取らせてもらう。
「そんな抱き合ってて、なにもなかったは通じないわ! 浮気よ、寝取られよ!」
「レ、レクシア、頼むから聞いてくれっ」
「跪きなさいロザリアッ! 姉の婚約者に手を出すなんて言語道断! 死罪にも値するわ」
さすがに言いすぎかな?
そう感じつつも、強めに主張しておいた。
グリッドはだいぶ慌てているが、ロザリアに関しては存外静かで一切騒がない。
それどころか、私に対して敵意MAXの視線を向けてくるのが怖い。
「……少しヒステリックになりすぎでは? お姉様は色々と勘違いしています。グリッド様は私が倒れそうになったところを助けてくれただけですわ」
「だとしても、あなたが離れたがらなかった。それは事実よ」
「ただのスキンシップです。お姉様って狭量な考えの持ち主なのかしら」
「そうかもしれない。でも二度としないでちょうだいっ」
ここで強く釘を刺すことで、今後の牽制になる。
グリッドは全然悪くないので申し訳ないけれど、それでも気を引き締めてくれると嬉しい。
「やっぱりお姉様のような虐め大好き女に、グリッド様はふさわしくない」
ロザリアは一ミリも反省しないねぇ……。
ちなみに私が彼女を虐めていた話は完全なる嘘だ。
むしろ幼い頃から、姉の物は私の物精神で、色んなものを奪われてきた。
大切な宝石やドレス。
一度、グリッドからの誕生日プレゼントも勝手に盗られたこともある。
結局それは最後まで返ってこなかった。
「お姉様の方から婚約破棄すべきです」
なにそれ、私死んじゃうんだけど……。
弱気になったら負けなので、ここは髪を振り乱しながら怒鳴る。
「まったく意味がわからないわ!」
「お姉様は品がないって言っているのです!」
「それはあなたでしょう! 人の物を盗んだり婚約者に手を出そうとしたり……」
「黙って!」
ピシャ! と頬に鋭い痛みが走った。
え……いま殴られたの私?
少し遅れて頬がジンジンと痛くなってくる。
むしろ私が殴っていい展開だったのでは?
なぜ逆にやられたのだろう。
戸惑う私の顔を見て、ロザリアは嗜虐的な笑みを浮かべた。
「クスッ。なんてみっともない顔なんでしょう」
「いや、あなたね……」
「お姉様はコースト家にふさわしくない。今夜、お父様に縁を切るように直訴します!」
「お前いい加減にしろよ」
言ったのは私じゃない。
額に青筋を浮かべたグリッドだ。
ロザリアが驚いた様子で振り返る。
「グ、グリッド様……?」
「さっきから、レクシアに対して失礼にもほどがある。言葉もそうだし、手をあげたこともだ」
「ですが、これはお姉様が」
「悪いのは全部お前だろう! 虐めているとか、縁を切るとか、頭がおかしいにもほどがある!」
「そんなぁ……」
グリッドからの怒りの言葉は相当に効くようで、ロザリアの唇が小刻みに震えている。
それでも彼の感情は止まらない。
「いますぐレクシアに謝れ。過ぎた言葉を使ったこと、頬を叩いたこと。できないのであれば、今後俺は君とは一切口を利かないぞ!」
「うっ、うっ……」
ぽろ、ぽろ、とロザリアの瞳から大粒の涙がこぼれ落ちていく。
正直、さっきまでケンカしていた私ですら守ってあげたくなるくらいに庇護欲をそそる泣き顔だ。
異常なほど可愛い顔でこれをやられたら、大抵の男はイチコロでしょうね……。
ただ、グリッドには全く通じていない。
厳しい視線を外そうとしないのだ。
観念したのか、ロザリアは私に謝罪してくる。
「レクシアお姉様、私が間違っていました……。どうか、お許しください……」
「……わかれば、いいのよ。今後は気をつけてね」
「はい……ウウッ……」
ここまで落ち込まれると少し罪悪感を覚える。
顔を両手で覆ったまま、ロザリアは部屋から出ていく。
──そのときだ。
横を向いたときに、指の隙間から口元が少しだけ覗けたのだが、口端が上がっていたように見えた。
……笑ってる?
部屋から出ていってしまったので、もう確認はできない。
見間違い……だよね?
考え込む私の肩に、優しくグリッド手がかかる。
「変なことになってごめん。でも俺、本当になにもなくて……」
「うん、わかってる。私こそ怒ってごめんね。それと、私のために怒ってくれてありがとう」
素直に気持ちを伝えると、グリッドの顔色がパァッと明るくなった。
今回に関しては、彼はまったく裏切ったりもしていないんだけど……なぜ目を閉じているのだろう?
口もヒクヒクと動かしている。
「なに、やってるの?」
「仲直りのキスだよ。レクシアからしてくれ」
いやそれはハードル高い……。
そもそも背が高くて、つま先立ちしても届かない。
グリッドも気づいたのか、膝を曲げて顔の位置を低くしてきた。
ここまでされたら、私もなにかアクションを起こさざるを得ない。
「じゃあ、これで」
額に少しだけ口づけをしておく。
グリッドは目を開けると、少し不満そうにする。
「それじゃ足りないって」
「病み上がりだから……移しても悪いし」
「気にしないって! 一緒に病気になろうぜ!」
この人、メンタル大丈夫だろうか……。
「本当に無理だからっ」
「じゃせめて、ハグさせてくれ」
「それくらいなら……」
許可を出すと、猛獣かって勢いで抱きついてきた。
だいぶ強めにホールドされてしまって、私には為す術がない。
どのくらい、そうしていただろう。
そろそろ逃げようとしたタイミングでグリッドが言う。
「俺たちって運命の相手だろ? 俺がレクシアを手放すことは絶対にない。一緒に学校を卒業して、結婚するんだ」
言うは易しってやつなんだよね……。
そうはならんのよ、グリッドくん。
君にはね、何人もの運命の相手が現れるからさ。
グリッドは密着していた体を少しだけ離すと、私の瞳を真剣に覗いてくる。
「信じてくれるか?」
「……半分」
「半分ってなんだよ!」
「言葉ではなんとでも言えるでしょ。人の本質は行動に現れるから」
「わかった。じゃあ残り半分は二人で埋めていくんだ。約束な」
彼は私の小指に、自分のを絡ませてきた。
「もしもレクシアと結ばれない悲しい人生になったら……俺はショックで死ぬな」
いや死ぬの私ですから……!
なにはともあれ、私は前途多難な未来にビビってます。




