第79話:警察署占拠。山本警部の孤立と、廊下に響く『電子の断末魔』
第79話:警察署占拠。山本警部の孤立と、廊下に響く『電子の断末魔』
二〇二六年八月二五日、午前二時。
上野・不忍池の地下闇市を壊滅させたエルナとハンスは、山本警部の緊急入電を受け、タクシーで新橋へと急行していた。
車内、エルナの手には、新橋駅前の深夜営業の売店で買った**『カツサンド』**が握られていた。
「……ハンス。聴こえるか。このカツサンドが、ソースを吸った衣の奥で奏でる、微かな『サクッ』という余韻を。……これが、新橋の夜を生き抜くための、ささやかな応援歌だ」
「……ええ。アステリアの麦とは違う、日本のイースト菌が醸し出す、少し酸味のある香りが……心を落ち着かせてくれますね」
エルナはカツサンドを一口噛み締め、その濃厚な旨味を脳の隅々まで行き渡らせた。
彼女にとって、食は戦いの前の「儀式」。カツサンドの「カツ(勝つ)」という単純なゲン担ぎさえも、今の彼女には必要な、現実への繋ぎ止めだった。
タクシーが新橋警察署の前に止まった瞬間、エルナの絶対聴覚が、異常を検知した。
「……静かすぎる。……夜間の警察署とはいえ、無線機、足音、ペーパーレス化されたはずの複合機の駆動音……。それら全てが、一つの『巨大な沈黙』によって圧殺されている」
警察署の建物全体が、薄緑色の不気味な光に包まれていた。
窓ガラスは内側から電子的なノイズでコーティングされ、中の様子は一切伺えない。
パノプティコンの技師が、署内のサーバーをジャックし、全ての通信網と防犯システムを、**『音響監獄』**へと書き換えたのだ。
「……山本警部! ……くっ、通信が繋がらない!」
エルナは警察署の正面玄関のガラス扉に、懐から**『彗星銀』**の長箸を抜き放ち、その先端を押し当てた。
——……チチチチチッ、ジジジジジッ……。
箸を通じて伝わってきたのは、警察署の廊下に充満する、断続的な高周波。
それは、署内に閉じ込められた警察官たちの精神を汚染し、恐怖と幻聴を植え付ける、パノプティコンの「拷問の旋律」。
「……ハンス、構えろ。……中にいる山本警部たちは、今、電子の沼に沈められている。……私たちの音で、その沼を干上がらせてやる!」
エルナは、カツサンドの最後の一切れを飲み込み、彗星銀の箸をピシャリと打ち合わせた。
その清廉な一音は、警察署を覆う薄緑色の光を鋭く切り裂き、新橋の夜空に、反撃の狼煙を上げた。
「……待っていろ、警部。……貴殿が、新橋のガード下で啜る蕎麦の味を、私が思い出させてやる!」
二人の騎士は、電子の断末魔が渦巻く警察署の内部へと、迷いなく突入した。
日常の味を血肉に変え、新武器(彗星銀)を手に。彼らの、警察署占拠事件という名の「最後の晩餐」が、今、幕を開けたのである。




