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異世界姫騎士、新橋の牛丼に屈服する。――宮廷料理人と安飯の魔力  作者: 水前寺鯉太郎
帰郷編

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第73話:かっぱ橋の鉄火場。山本警部の粋と、折れた菜箸の残響

第73話:かっぱ橋の鉄火場。山本警部の粋と、折れた菜箸の残響


二〇二六年八月二一日、午前一〇時。

 新橋の事務所の机の上。山本警部は、無造作に置かれた布包みを無言で解いた。

 中から現れたのは、フェルディナンドの重低音によって無惨にへし折れた、重晶鉄の菜箸の成れの果てだった。

「……これか。貴様が新橋から消えた理由、その半分はこれにあるんだな」

 山本の声は低く、怒っているようにも、悲しんでいるようにも聞こえた。エルナは窓の外を見つめたまま、短くなった鉄芯黒檀のマイ箸を指先で弄んでいる。

「……修復は不可能です、警部。重晶鉄は、一度その分子構造を破壊されれば、二度と元の周波数を奏でることはない」

「馬鹿野郎。道具ってのはな、直すためにあるんじゃねえ。……次の時代を担う『相棒』を見つけるために、その役割を終えるんだよ」

 山本はぶっきらぼうに立ち上がると、パトカーではなく、私物の年季の入った黒いセダンの鍵を放り投げた。

「ハンス、貴様も来い。……新橋の騎士が、半分しかねえ箸で戦ってるなんて話、俺の管轄じゃあ許さねえんだよ」

 向かった先は、台東区・かっぱ橋道具街。

 あらゆる「食」の道具が集まる、職人たちの聖地だ。一歩足を踏み入れれば、包丁を研ぐ乾いた音、巨大な寸胴がぶつかり合う重厚な響き、そして何万という箸が棚に並ぶ静かな圧力が、エルナの絶対聴覚を刺激した。

「……凄い。……街全体が、巨大なオーケストラのチューニングルームのようだ」

 山本が二人を連れて行ったのは、商店街の端にある、看板すら出ていない古びた鍛冶屋だった。

 薄暗い店内。奥の火床ひどこからは、パノプティコンの合成音とは正反対の、荒々しくも純粋な「火の息吹」が聴こえてくる。

「……じいさん、連れてきたぜ。……折れちまった菜箸の代わりに、こいつの『耳』に耐えられる最高の業物わざものを見繕ってやってくれ」

 奥から現れた老職人は、折れた重晶鉄の残骸を一目見るなり、鼻で笑った。

 

「……鉄を重くしただけの鈍器だな。これでは音を殺すことはできても、音を生かすことはできん」

 老人は、奥の棚から一つの桐箱を取り出した。

 中に入っていたのは、一見すると何の変哲もない、銀色に輝く一対の長箸。だが、エルナがそれを手にした瞬間、彼女の神経に電流のような「震え」が走った。

「……これは……!? 振動が……止まらない。……いや、空気の微かな揺れを、箸そのものが増幅アンプしているのか?」

「それは**『彗星銀すいせいぎん』**の芯を、特殊な音響木材で包んだ試作の一膳だ。……叩けば響き、触れれば語る。……使いこなせれば、貴様の耳は、王都の壁を越えて世界のことわりを聴くだろう」

 エルナは、新しい箸を中空で構えた。

 

 ——……キィィィィィィィン……。

 軽く振っただけで、かっぱ橋の雑踏を貫くような、清冽な高音が鳴り響く。

 山本警部はそれを見て、満足げにタバコを咥えた。

「……代金は俺の『始末書数件分』でツケといてやる。……さあ、エルナ。その新しい相棒で、新橋の、いや、この世界の汚いノイズを片っ端から調律かたづけてこい」

 新しい武器、新しい音。

 新橋の騎士エルナは、山本警部という不器用な理解者を得て、再びその指揮棒を握り直した。

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